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イツァークパールマン

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イツァーク・パールマンItzhak Perlman、1945年8月31日 - )とは、イスラエル出身のヴァイオリン奏者/揮者である。

20世紀後半におけるもっとも偉大なヴァイリニス」の一人として評価されており、後進を教育する導者としても著名である。

現在使用する楽器はストラディヴァリ(1714年製)、通称「ソイル」。
23歳で初めて音色を聞いて「に落ち」、当時の所有者だったユーディ・メニューインに「手放す時には是非売ってください」と頼み込んだという。
また過去にはグァルネリ・デル・ジェスの名器ソーレ」「ヴュータン」「キング・ヨーゼフ」も所有・使用している。

概要

1945年イスラエルテルアビブに生まれる。両ポーランドからのユダヤ移民で、実家は理店だった。
ラジオから流れて来るヴァイオリンの音色に興味を示し、3歳でそのに進もうと決意。おもちゃヴァイオリン練習したのが始まりだったという。

4歳の時にポリオ(小児麻痺)に患、下半身麻痺障害を負う。それでもヴァイオリンを諦めず、幼年でありながら高等学校ヴァイオリン導を受け続けた。
後に文化財団の奨学金を獲得してテルアビブ音楽にて演奏技術を学び、10歳で初のリサタルを開催する。天才少年として一躍その名を知られるようになり、これを機にいよいよ本格的な活動を開始する。

13歳の時、アメリカの番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演。タレントコンクールに応募して見事出番を勝ち取り、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」などの難曲を麗に演奏して絶賛された。
これを機に渡し、アイザックスター推薦を受けてジュリアード音楽入学

正式なデビュー1963年3月5日17歳の時である。カーネギホールにおいてソロリサタルを行い、翌年にはレーヴェントリットコンクール優勝し、史上最年少の記録となった。
その後も積極的な音楽活動を継続し、アメリカメジャーオーケストラとの共演を次々と実現。全都市で開催されたリサタル大盛況となった。
海外演も幅広く行っており、1974年以来、日本にもたびたび来日している。インタビューによると和食が好きで、演のたびに寿司天ぷらを楽しみにしているという。

1998年以後はジュリアード音楽院の教授に就任、後進の導にも携わっている。15回のグラミー賞受賞を始めとした数々の栄誉にき、レコードに関する賞の大部分を獲得した。1993年には映画シンドラーリスト」のメインテーマ演奏し、話題となった。
ニューヨークハーレムの荒んだ学校において、音楽による子供との交流を通じ、カーネギホールでのチャリティコンサートを実現させた女性教師実話を描いた映画ミュージックオブハート」に本人役として登場し、チャリティコンサート演奏を披露している。

レパートリーの広さが知られており、クラシック以外にもタンゴ、ジャズラグタイム民族音楽なども演奏している。

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最終更新:2024/03/29(金) 07:00

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