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この記事はサッカークラブについて記述しています。 アメリカの半導体製造会社については「Intel」を参照してください。 |
インテル(International)とはサッカークラブの略称である。
インテルナツィオナーレ・ミラノ(Football Club?Internazionale Milano)とは、イタリア・セリエAに所属するサッカークラブである。本拠地はミラノ。インテルまたはインテル・ミラノという呼び名が一般的である。
クラブカラーは黒 (Nero)と 青(Azzurro )。クラブの愛称はクラブカラーに由来するネッラズーリ (Nerazzurri)。 サポーターはインテリスタ と呼ばれる。ホームスタジアムはスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ (通称「サン・シーロ」、ミランとの共同使用)。
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1908年創設。ユヴェントス、ACミランと並ぶイタリアサッカー界のビッグ3の一角であり、これまでにリーグを18回、コッパ・イタリアを7回、スーペルコッパ・イタリアーナを5回制し、計30の国内タイトルを獲得している。2006年から2010年にはリーグを5連覇し一度はリーグ記録に並んだが、その後ユヴェントスがリーグ10連覇を達成したことで大きく引き離された。なお、現在の形によるリーグ戦が整備された1929-30シーズン以来、一度も下部リーグに降格していない唯一のチームである。
UEFAチャンピオンズリーグには3度の優勝経験があり(1964年、1965年、2010年)、これはライバルであるACミランに次ぐイタリアのチームで2番目の記録である。その中でもジョゼ・モウリーニョがチームを率いた2010-11シーズンはイタリアのチームでは初であり唯一であるシーズン三冠(トレブル)を達成している。また、国際舞台では、UEFAカップを3回、インターコンチネンタルカップ2回、FIFAクラブワールドカップを1回制している。
同じミラノを本拠地とし、ホームスタジアムも同じくするACミランとは永遠のライバル関係にあり、両チームの直接対決は「ミラノ・ダービー」と呼ばれ、ミラノの街を二分する盛り上がりを見せるとともに国内外でも大きな関心事となっている。また、2006年のカルチョスキャンダル発覚までは同じくセリエB降格経験が無かったユヴェントスともライバル関係にあり、両チームの対戦は「イタリア・ダービー」と呼ばれている。
1960年代と2000年代後半の二度の黄金時代をアンジェロとマッシモのモラッティ親子が会長を務めており、モラッティ一族がチームを運営しているイメージが強い。2016年に中国資本へ経営権が譲渡されており、現在は蘇寧電器グループがオーナーとなっている。2018年に張康陽がクラブ史上最年少となる26歳の若さで会長に就任したことで話題となった。
日本人選手としては、長友佑都が2011年から2018年までの7年間所属しており、主力選手として活躍している。そのため、日本でも馴染の深いクラブとなっている。
ちなみに、名前を同じくするアメリカの半導体会社のIntel(インテル)がスポンサーに参加していた事がある。
1908年、ACミランの前身である(ミランCFC)から、外国人選手起用に積極的な一派が分離して独立したことで設立された。と言いつつも最近のミランは外国人選手頼りだが。「インテルナツィオナーレ(国際的)」という名前はそうした経緯を物語っている。設立当初はACミランとのダービーマッチで5連敗を喫するなど歯が立たなかったが、設立より2年後の1909-10シーズンには当時無敵だったプロ・ヴェルチェッリを10-3で倒して初のスクデットを獲得。さらに1919-20シーズンにもリヴォルノを倒して2回目のスクデットを獲得する。
1920年代後半、ムッソリーニを党首とするファシスト党の影響はサッカー界にも及び、国粋主義を掲げるファシスト党にとってこのクラブ名と外国に対して寛容な精神は思想に反するものだったことから、1929年にチーム名を「アンブロシアーナ」に、ユニフォームをセント・ジョージ・クロスをモチーフとした赤十字デザインに変更させられる。しかし、この決定は熱狂的なインテリスタの怒りを買い、彼らの抗議により、1932年クラブ名は「アンブロシアーナ・インテル」となり、ユニフォームも元の青と黒の縦縞に戻る。
この時代に「ベッピーノ」と呼ばれたジュゼッペ・メアッツァというスーパースターが現れ、チームに最初の黄金期をもたらす。メアッツァは在籍時に3度の得点王に輝くなどエースとして躍動し、チームは1930年、1938年、1940年の3度スクデットを獲得。1939年にはコッパ・イタリア初優勝も果たす。メアッツァがチームを去った後の1945年にファシスト党が倒れたことでチーム名は元のインテルナツィオナーレに戻る。
メアッツァが退団した後のインテルは、しばらくタイトルから遠ざかるが、1950年代にアルフレド・フォーニ監督は「カテナチオ(門のかんぬき)」とたとえられた強固な守備と速いカウンターを武器に1953年と1954年にセリエA連覇を果たす。もっともこの頃のカテナチオ戦術は弱者のサッカーというイメージが強く、サポーターからは不評だった。
1955年に後に伝説となる石油王のアンジェロ・モラッティが会長に就任。そして1960年にスペインで実績を残したアルゼンチン人のエレニオ・エレーラを監督として招へい。「魔術師」と称されたエレーラは、攻撃的サッカーで失敗し一度は解任されるが、再び就任すると堅い守備からのカウンタースタイルによるカテナチオ戦術を完成させ、チームの強化に成功。鉄壁の守備をベースとし、攻撃は全権を託されたサンドロ・マッツォーラのファンタジー溢れるプレーと当時は革新的だった左SBのジャチント・ファケッティの攻め上がりを中心としたカウンターが機能したインテルは1963年、1965年、1966年と三度に渡りスクデットを獲得。1966年にユヴェントスに次いで10回目のスクデット獲得を達成したことでラ・ステッラをユニフォームに付けることを許される。さらに、1963-64シーズンには当時無敵の強さを誇ったレアル・マドリードを倒し、UEFAチャンピオンズカップ優勝を果たし、初めて欧州の頂点に立つ。1964-65シーズンにもベンフィカを倒してチャンピオンズカップ二連覇を達成。さらにインターコンチネンタルカップでも2年連続でインデペンディエンテを倒して世界王者となる。1966年にもチャンピオンズカップ決勝に3年連続で進出したもののセルティックに敗れたが、5年間で7個のメジャータイトルを制した黄金期を築いた1960年代のチームは「グランデ・インテル」と称され、後世まで称えられる伝説のチームとなった。
モラッティが会長職を降り、エレーラが退任したことでグランデ・インテルの時代は終焉したが、1970-71シーズンにもマッツォーラが健在で11回目のスクデットを獲得する。だが、徐々に黄金期を支えたメンバーがチームを去ったことでタイトルからは遠ざかり、リーグでも中位に低迷するシーズンが多くなる。1977年にマッツォーラ、1978年にファケッティが引退したことでグランデ・インテルは完全消滅。1979-1980シーズンに12回目のスクデットを獲得したが、80年代に入り長らくリーグの主役になれない時代が続く。
1986年チーム再建を託されて監督に就任したのはユヴェントスの黄金時代を築いたジョヴァンニ・トラパットーニだった。勝負弱かったチームにローター・マテウス、アンドレア・ブレーメのドイツ勢が加わり、チーム生え抜きのワルター・ゼンガやジュゼッペ・ベルゴミが奮闘したことで1988-89シーズンに9年ぶりのスクデットを獲得。その翌年にユルゲン・クリンスマンが加わり、ミランのオランドリオに対抗してか、ドイツトリオで黄金期の再来を狙おうとするが、栄光の時代は一瞬であり、1990-91シーズンにUEFAカップ優勝を果たしたものの、ミラン帝国の牙城を崩すことはできなかった。
トラパットーニとドイツトリオがチームを去ると、クラブは迷走するようになり「冬の時代」を迎えることになる。新たなエースとして期待して獲得したデニス・ベルカンプが全くフィットせず、1993-94シーズンには史上最低の13位というまさかの低迷期が訪れる。
1995年に"伝説の会長"アンジェロ・モラッティの息子であるマッシモ・モラッティが会長に就任。モラッティは潤沢な資金と溢れるチーム愛によって大型補強を敢行。ボスマン判決によって外国人枠が撤廃されたことで多くの外国のスター選手を加入し、チームは多国籍チームに生まれ変わる。1997-98シーズンには当時世界最高プレイヤーと呼ばれた"怪物"ロナウドを獲得。ロナウドが評判通りの実力を発揮したことで久々にスクデット争いに加わるが、ユヴェントスとの直接対決に敗れたことが響いて惜しくもスクデットを逃す。大きな期待を背負ったシーズンは3回目のUEFAカップ優勝を果たしたのみとなった。
1999年にロナウドが右膝に重傷を負う不運に見舞われおよそ20か月のリハビリ生活に追い込まれたのを皮切りに、インテルは再び低迷期を迎える。モラッティはクラブへの投資を惜しまず、毎年大物選手を獲得してくるが、規律を欠くようになったチームは時折爆発するものの安定感に欠け、ベルゴミやジャンルカ・パリュウカといったチームを支えてきたベテランを戦力外にする思い切った改革も逆効果となった。
だが、インテルの不遇の時代は思わぬ形で終止符が打たれる。2004年にロベルト・マンチーニが監督に就任すると、1年目でコッパ・イタリア優勝。2年目の2005-06シーズンはコッパ・イタリア連覇を果たしながらリーグでは3位で終了するが、シーズン終了後に勃発したカルチョ・スキャンダルにより優勝のユヴェントス、2位のACミランが勝点剥奪(ユヴェントスはセリエBに懲罰降格)されたことによる繰上げで17年ぶりのスクデット獲得が決定する。ビッグ3で唯一カルチョ・スキャンダルの余波を受けなかったことが強みとなり、ユヴェントスから獲得したズラタン・イブラヒモビッチが新たなエースとして活躍し、セリエAを3シーズン連続で制する。一方、UEFAチャンピオンズリーグではベスト8の壁を破れず、2年連続でベスト16敗退となったことでマンチーニは解任となる。
2009年に引く手あまただったジョゼ・モウリーニョが監督に就任。就任1年目はイブラヒモビッチが27得点を記録する爆発ぶりでセリエA4連覇を達成。だが、CLでは3年連続ベスト16敗退に終わる。2010-11シーズンは開幕直前にイブラヒモビッチがFCバルセロナに引き抜かれるが、トレードでサミュエル・エトーが加入。さらに、ヴェスレイ・スナイデルやディエゴ・ミリートがチームに加わったことでこれまでイブラヒモビッチ頼みだった攻撃に変化が訪れる。まず、パレルモを破ってコッパ・イタリアを制するとセリエAではASローマとの優勝争いを最終節で制し、5連覇を達成。そしてCLではモウリーニョの古巣であるチェルシーを破ってベスト16の呪いから脱却すると、準決勝では当時世界最強チームと言われたFCバルセロナをモウリーニョらしい鉄壁の守備で封じて勝利。決勝ではミリートの2ゴールでバイエルン・ミュンヘンを破り、1965年以来45年ぶり3度目のビッグイヤーを獲得。結果、グランデ・インテルの時代も成し遂げられなかったイタリアのチームとしては史上初となるシーズン三冠(トレブル)を達成する。
2010年にモウリーニョが3冠を置き土産にレアル・マドリードへ移籍。後任のラファエル・ベニテス監督は人心掌握に失敗しFIFAクラブワールドカップで優勝を果たすもその直後に解任。後任には現役時代に日本でもプレーをしたレオナルドが就任し、ディフェンスを省みない攻撃サッカーによりリーグ戦2位、コッパ・イタリア獲得でシーズンを終える。また、このシーズンの1月に長友佑都が移籍している。その後のインテルは三冠を達成したメンバーの高齢化や補強の失敗が相次いだことで低迷期が訪れる。ジャンピエロ・ガスペリーニ、クラウディオ・ラニエリ、ワルテル・マッツァーリといった名だたる監督が就任したが、目立った成績を残すことができず、2013-14シーズンを最後に15年間主将を務めたハビエル・サネッティが現役を引退。その他、三冠メンバーも大量にチームを去り、マッシモ・モラッティ会長もチームを手離し、サイクルの終焉を印象づける。
2016年より中国の大手家電販売グループの蘇寧電器グループがオーナーとなるも、衰退の進むチームはCL出場権を獲得することも困難なシーズンが続き、ACミランと共にカルチョの主役の座から遠ざかっていた。だが、2018年にユヴェントスの敏腕GMだったジュゼッペ・マロッタをCEOとして引き抜いたことで転機が訪れる。
2019-20シーズンよりアントニオ・コンテが監督に就任。問題児と化していたエースのマウロ・イカルディやラジャ・ナインゴランらを放出し人員を整理すると、ロメル・ルカクやラウタロ・マルティネス、ニコロ・バレッラがチームの中心となり、コンテの好む戦える陣容を揃えていく。そして、コンテ就任2年目となった2020-21シーズン、後半戦になってイヴァン・ペリシッチやクリスティアン・エリクセンがフィットしたことでチームのレベルが一段階上がり、11連勝を記録する圧倒的な独走状態で11年ぶりのスクデット獲得を果たす。しかし、シーズン終了後、新型コロナウィルスの影響で蘇寧電器グループが経営難に陥り、クラブは経営の縮小を決断。スクデットのキーマンとなったルカクとアクラフ・ハキミを売却したことに怒ったコンテはフロントと対立し辞任してしまう。
2021-22シーズンにシモーネ・インザーギが監督に就任。EURO2020で心肺停止状態になったエリクセンが退団を余儀なくされるなど苦難の船出の中、セリエAではミランとの優勝争いを演じ、CLではグループステージを突破。さらにコッパ・イタリアでは決勝でユヴェントスを下し11年ぶりの優勝を果たす。2022-23シーズンでは、セリエAではナポリの独走を許したがコパ・イタリアを連覇。さらにCLではバルセロナを敗退に追い込んでグループステージを突破。FCポルト、ベンフィカのポルトガル勢を破ってベスト4へ勝ち進むと、準決勝ではミランとのミラノ・ダービーを制し、13シーズンぶりにファイナルに進出。決勝では圧倒的不利の下馬評の中で奮闘するが、マンチェスター・シティに惜しくも敗れ準優勝となる。
インザーギ体制3年目の2023-24シーズンは中心選手の移籍が相次ぎ不安視する声もあったが、マルクス・テュラム、バンジャマン・パヴァール、ヤン・ゾマーの加入によってむしろ理想的なスカッドが完成。特にラウタロ・マルティネスとテュラムの2トップは抜群の相性の良さを発揮、また、アンカーにコンバートされたハカン・チャルハノールも高いゲームコントロールを発揮。後半戦に入ると、完成度はさらに増すようになり、選手の質、量においても他のチームを圧倒し、セリエAでは2位に勝ち点10以上を離した独走態勢に入る。結局攻守に抜群の安定感を維持したまま、第33節のミラノ・ダービーに勝利したことで3シーズンぶり20回目のスクデットを獲得。一方、CLではラウンド16まで進出したものの、アトレティコ・マドリードとの激闘の末にPK戦で敗れる。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | ![]() |
シモーネ・インザーギ | 1976.4.5 | 2021 | SSラツィオ 監督 |
1 | GK | ![]() |
ヤン・ゾマー | 1988.12.17 | 2023 | バイエルン・ミュンヘン |
2 | DF | ![]() |
デンゼル・ドゥンフリース | 1996.4.18 | 2021 | PSVアイントホーフェン |
6 | DF | ![]() |
ステファン・デ・フライ | 1992.2.5 | 2018 | SSラツィオ |
7 | MF | ![]() |
ピオトル・ジエリンスキ | 1994.5.20 | 2024 | SSCナポリ |
8 | FW | ![]() |
マルコ・アルナウトヴィッチ | 1989.4.19 | 2023 | ボローニャ |
9 | FW | ![]() |
マルクス・テュラム | 1997.8.6 | 2023 | ボルシアMG |
10 | FW | ![]() |
ラウタロ・マルティネス(C) | 1997.8.12 | 2018 | ラシン・クラブ |
11 | FW | ![]() |
ホアキン・コレア | 1994.8.13 | 2025 | オリンピック・マルセイユ |
12 | GK | ![]() |
ラッファエレ・ディ・ジェンナーロ | 1993.10.3 | 2023 | グッビオ |
13 | GK | ![]() |
ジョゼップ・マルティネス | 1998.5.27 | 2024 | ジェノア |
15 | DF | ![]() |
フランチェスコ・アチェルビ | 1988.2.10 | 2022 | SSラツィオ |
16 | MF | ![]() |
ダヴィデ・フラッテージ | 1999.9.22 | 2023 | サッスオーロ |
20 | MF | ![]() |
ハカン・チャルハノール | 1994.2.8 | 2021 | ACミラン |
21 | MF | ![]() |
クリスティアン・アスラニ | 2002.3.9 | 2022 | エンポリ |
22 | MF | ![]() |
ヘンリク・ムヒタリアン | 1989.1.21 | 2022 | ASローマ |
23 | MF | ![]() |
ニコロ・バレッラ | 1997.2.7 | 2019 | カリアリ |
28 | DF | ![]() |
バンジャマン・パヴァール | 1996.3.28 | 2023 | バイエルン・ミュンヘン |
30 | MF | ![]() |
カルロス・アウグスト | 1999.1.7 | 2023 | ACモンツァ |
31 | DF | ![]() |
ヤン・アウレル・ビセック | 2000.11.29 | 2023 | オーフス |
32 | DF | ![]() |
フェデリコ・ディマルコ | 1997.11.10 | 2018 | エラス・ヴェローナ |
36 | DF | ![]() |
マッテオ・ダルミアン | 1989.10.12 | 2020 | パルマ・カルチョ1913 |
40 | GK | ![]() |
アレッサンドロ・カリガリス ※ | 2005.3.7 | 2024 | インテル・ミラノユース |
49 | FW | ![]() |
ジャコモ・デ・ピエリ ※ | 2006.12.29 | 2025 | インテル・ミラノユース |
50 | DF | ![]() |
マイク・アイドゥ ※ | 2005.5.30 | 2024 | インテル・ミラノユース |
51 | DF | ![]() |
クリストス・アレクシウ ※ | 2005.6.30 | 2025 | インテル・ミラノユース |
52 | MF | ![]() |
トマス・ベレンブルク ※ | 2005.5.31 | 2024 | インテル・ミラノユース |
53 | MF | ![]() |
ルカ・トプロビッチ ※ | 2006.2.23 | 2024 | インテル・ミラノユース |
54 | MF | ![]() |
マティア・ザンケッタ ※ | 2006.3.18 | 2025 | インテル・ミラノユース |
55 | DF | ![]() |
マッテオ・モッタ ※ | 2005.2.10 | 2025 | インテル・ミラノユース |
56 | DF | ![]() |
ガブリエレ・レチェコーニ ※ | 2006.4.25 | 2025 | インテル・ミラノユース |
59 | MF | ![]() |
ニコラ・ザレフスキ | 2002.1.23 | 2025 | ASローマ |
95 | DF | ![]() |
アレッサンドロ・バストーニ | 1999.4.13 | 2017 | アタランタBC |
99 | FW | ![]() |
メフディ・タレミ | 1992.7.18 | 2024 | FCポルト |
- | GK | ![]() |
ヨヌーツ・ラドゥ | 1997.5.28 | 2024 | ボーンマス |
※はプリマヴェーラ所属選手。
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掲示板
50 ななしのよっしん
2023/01/22(日) 18:01:56 ID: JLVzYmoOoN
ずっと半導体メーカーのINTELがスポンサーやってんだと思ってたわ…
51 ななしのよっしん
2024/01/26(金) 08:29:58 ID: 2qz4rJVN0i
編集者の方、申し訳ないが2点追加で編集して下さい。
① 新加入: タジョン・ブキャナン カナダ代表 背番号17 2024年1月5日クルブ・ブルッヘ(ベルギー)から
移籍。
② 表記訂正 ×デンゼル・ダンフリース→◯デンゼル・ドゥンフリース
昨年7月インテルが日本でパリ・サンジェルマンと国立競技場で試合した際、北川義隆アナウンサー
(フリー: 熱狂的ロマニスタ)が本人に聞いた所、「ドゥンフリースが正しい発音です。」と、DAZNの
インテルの試合中継実況で仰ってました。
嘘だと思うなら、X(旧Twitter)で「北川さん ドゥンフリース」で検索すれば該当ポストが出てきます。
52 ななしのよっしん
2025/01/02(木) 18:24:11 ID: UnKaanJhxM
>>49 >>50
業界の巨人で伝統も実績もあるけれど時折お笑い的迷走をするあたり共通点がなくもない
急上昇ワード改
最終更新:2025/02/19(水) 21:00
最終更新:2025/02/19(水) 20:00
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