ナチス統治下のドイツ国(ナチス・ドイツ)西部の都市クレーフェルト(Krefeld)[1]の、名物産業である絹織物製造業者の家に生まれる。同郷の有名人にはエルメスの創始者ティエリー・エルメスや、「クラトフスキ=ツォルンの補題」で有名な数学者マックス・ツォルンなどがいる。
1950年代にシングルで活躍したアマチュア選手で、 '50年代後半の全盛期には3年連続の全国1位、1度の欧州第4位、2年連続の世界第4位を獲得している。西ドイツ国内では人気のある選手だったが、父親との確執もあり '60年の欧州選手権を途中棄権、そのまま電撃引退してしまい、西ドイツスポーツ界の一大スキャンダルとなった。
引退後は2つの映画出演や国内外でのアイスショーへの参加、5歳年下のハンガリーのプロ選手セネシュ・イシュトヴァーン(Szenes István)との結婚を経て、地元でアートクラフト事業を経営する傍ら、自らも設立者の一人となったクラブのコーチを務め、また地元の若手を対象とした大会「イーナ・バウアー杯」(Ina-Bauer-Pokel)の冠名となるなど、フィギュアスケートの普及と後進の育成に励んでいたが、2008年辺りから健康上の理由により夫ともども要職を辞し、2014年12月に享年73歳で永眠。
また、アサヒビールが「イナバウアー」を商標登録しようとした際、彼女の許可が下りず実現しなかった、という話がある。もっと厳密に云えば、特許庁から「バウアーさんの承諾もない上、(イナバウアーの立役者である)荒川(静香)さんの名声に便乗する行為は公序良俗に反する」という判断が下された、というのが事のあらましである。ちなみに同様の出願はアサヒを含めて少なくとも13件はあったようである。[2]
イーナ・バウアーは西ドイツ国内では強かったが、規定種目(コンパルソリー compulsory, 1990年に廃止)が弱いために海外では辛くも表彰台にとどかなかった。そこでアメリカ中西部のコロラド・スプリングズ(Colorado Springs)でウィーン出身の名コーチであるエーディ・ショルダン[3]の下で特訓を行い開発したムーヴズインザフィールド(moves in the field, スケーティングの基礎的技術要素(エレメント)のこと)が、いわゆる「イナバウアー/イナバウワー」である。
イナバウアーは両足の爪先を180度反対に向け、一方の脚の膝を曲げて前に出し、もう一方をまっすぐ伸ばしたまま後に出しつつ足の方向、つまり真横に滑る(その際に両脚が大きな三日月様の弧を描くため、ドイツ本国では「(イーナ・バウアーの)月」((Ina-Bauer-)Mond)とも呼ばれる)。この時に身体が前傾していればインサイドエッジ・イナバウアー(inside edge Ina Bauer, つまりスケート靴の刃の内側で滑るイナバウアー)、後傾ならアウトサイドエッジ・イナバウアー(outside edge Ina Bauer, つまり(ry)刃の外側で(ry))となるが、当然後者の方がバランスをコントロールしづらいため難易度が高い。
そのアウトサイドエッジを更に発展させ大きく背中を反らせたのがレイバック・イナバウアー(layback Ina Bauer)で、日本で「イナバウアー」と言えば2006年のトリノ冬季五輪のフリーで見事金メダルを獲得した荒川静香が堂々と披露してみせた、ダイナミックかつ優雅なレイバック・イナバウアーであり、海外でも彼女の活躍によりこの技術を知った一般人は多かったようだ。
当年の流行語大賞をも獲得したこのイナバウアーが「(しばしばフィギュアスケートとは無関係に)背中を大きく後に反らせること」として定着してしまったが、日常の言葉としては大いに結構である。しかしスケートの技術としては、ドイツ語名のシュリット(足取り)から判るようにあくまで脚部が重要なのであって、背中を反らせることは前述のとおりイナバウアーの必須条件ではない。また、シングルだけでなくペア競技のアイスダンスでも、リフトする側がイナバウアーをすることもあるが、当然あまり反らさない(下手を打てばジャーマンスープレックス状態での滑走になるため)。
フィギュアスケートを鑑賞する際にはぜひ、文字通り手の指先から足の爪先まで隅々とご覧いただきたいものである。そうすれば単に美しいだけでなく、この競技に要求される技術の片鱗が素人目にもよく解る・・・・・・かもしれない。
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最終更新:2024/04/25(木) 09:00
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