イーナ・バウアー 単語

イーナバウアー

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イーナ・バウアーexit(Ina Bauer)とは、

  1. イーナ・バウアー (1941- 2014) - 旧西ドイツアマチュアフィギュアスケート選手。結婚後の姓はバウアー=セネシュ
  2. イーナ・バウアー=シュリット独: Ina-Bauer-Schritt) - 1が編み出した技術。いわゆる「イナバウアー/イナバウワーexit

イーナ・バウアー(スケート選手)

ナチス統治下のドイツナチス・ドイツ西部都市クレーフェルト(Krefeld)[1]の、名物産業である織物製造業者のに生まれる。同郷の有名人にはエルメスの創始者ティエリーエルメスや、「クラトフスキ=ツォルンの補題」で有名な数学者マックス・ツォルンなどがいる。

1950年代にシングルで活躍したアマチュア選手で、 '50年代後半の全盛期には3年連続の全1位、1度の欧州第4位、2年連続の世界第4位を獲得している。西ドイツ内では人気のある選手だったが、父親との確執もあり '60年の欧州選手権を途中棄権、そのまま電撃引退してしまい、西ドイツスポーツ界の一大スキャンダルとなった。

引退後は2つの映画出演や内外でのアイスショーへの参加、5歳年下のハンガリープロ選手セネシュ・イシュトヴァーン(Szenes István)との結婚を経て、地元でアートクラフト事業を経営する傍ら、自らも設立者の一人となったクラブコーチを務め、また地元の若手を対とした大会「イーナ・バウアー杯」(Ina-Bauer-Pokel)の冠名となるなど、フィギュアスケートの普及と後進の育成に励んでいたが、2008年辺りから健康上の理由により夫ともども要職を辞し、2014年12月享年73歳で永眠。

また、アサヒビールが「イナバウアー」を商標登録しようとした際、彼女許可が下りず実現しなかった、という話がある。もっと厳密にえば、特許庁から「バウアーさんの承諾もない上、(イナバウアーの立役者である)荒川(静香)さんの名に便乗する行為は公序良俗に反する」という判断が下された、というのが事のあらましである。ちなみに同様の出願はアサヒを含めて少なくとも13件はあったようである。[2]

イナバウアー(スケート技術)

イーナ・バウアー西ドイツ内では強かったが、規定種コンパルソリー compulsory, 1990年止)が弱いために海外では辛くも表台にとどかなかった。そこでアメリカ中西部のコロラド・スプリングズexitColorado Springs)でウィーン出身の名コーチであるエーディ・ショルダン[3]の下で特訓を行い開発したムーヴインフィールドmoves in the field, スケーティングの基礎的技術要素(エレメント)のこと)が、いわゆる「イナバウアー/イナバウワー」である。

イナバウアーは両足の先を180度反対に向け、一方の脚の膝を曲げて前に出し、もう一方をまっすぐ伸ばしたまま後に出しつつ足の方向、つまり横に滑る(その際に両脚が大きな三日月様の弧を描くため、ドイツでは「(イーナ・バウアーの)」((Ina-Bauer-)Mond)とも呼ばれる)。この時に身体が前傾していればインサイドエッジ・イナバウアーinside edge Ina Bauer, つまりスケート靴のの内側で滑るイナバウアー)、後傾ならアウトサイドエッジ・イナバウアー(outside edge Ina Bauer, つまり(ryの外側(ry))となるが、当然後者の方がバランスコントロールしづらいため難易度が高い。

そのアウトサイドエッジを更に発展させ大きく背中を反らせたのがレイバック・イナバウアーlayback Ina Bauer)で、日本で「イナバウアー」と言えば2006年のトリノ五輪フリーで見事金メダルを獲得した荒川静香が堂々と披露してみせた、ダイナミックかつ優レイバック・イナバウアーであり、海外でも彼女の活躍によりこの技術を知った一般人は多かったようだ。

当年の流行語大賞をも獲得したこのイナバウアーが「(しばしばフィギュアスケートとは関係に)背中を大きく後に反らせること」として定着してしまったが、日常の言葉としては大いに結構である。しかしスケートの技術としては、ドイツ語名のシュリット(足取り)から判るようにあくまで脚部が重要なのであって、背中を反らせることは前述のとおりイナバウアーの必須条件ではない。また、シングルだけでなくペア競技のアイスダンスでも、リフトする側がイナバウアーをすることもあるが、当然あまり反らさない(下手を打てばジャーマンスープレックス状態での滑走になるため)。

フィギュアスケートを鑑賞する際にはぜひ、文字通り手の先から足の先まで隅々とご覧いただきたいものである。そうすれば単に美しいだけでなく、この競技に要される技術の片鱗が素人にもよく解る・・・・・・かもしれない。

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関連項目

脚注

  1. *当時の行政区分は「ドイツ(Deutsches Reich)、プロイセン州(Freistaat Preußen)、ライン県(Rheinprovinz)」で、ナチスの区分上は「デュッセルドルフ大管区(Gau Düsseldorf)」。クレーフェルト現在ドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland)、ノルトライン=ヴェストファーレン州(Land Nordrhein-Westfalen)、デュッセルドルフ行政管区(Regierungsbezirk Düsseldorf)に属している。
  2. *J「イナバウアーの登録認めず/特許庁、アサヒが商標出願」exit - 四国新聞社 2007/05/22
  3. *エードゥアルト・ショルダンEduard "Edi" Scholdanexit, 1911/'12 - '61)はスケート選手としては'33年世界1位を獲得したが、むしろ引退後の名コーチぶりが有名。オーストリア時代にはエーファ・パヴリックexitEva Pawlik, '27 - '83, '48年五輪メダリスト欧州初の元選手のTV解説者になった)、渡後はヘイズexitデイヴィッドexitのジェンキン兄弟(Hayes Alan & David Wilkinson Jenkins, ('33 - )は'52年の、('36 - )は'60年の五輪メダリスト)やジェイムズ・グロウガンexitJames Grogan, '31 - 2000, '52年メダリスト)を育てあげた。しかしイーナ・バウアーが引退した翌年の61年、チェコスロバキア(現・チェコ)のプラハで開催予定の世界選手権へ向け移動中に、中継地であるベルギーブリュッセル近郊カンペンハウトKampenhout)で搭乗機が墜落し、13歳の息子および全代表選手団・コーチ団・審判団とその家族、一般の乗客たちともども亡くなった(事故概要ウィキペディアにて→「サベナ航空548便墜落事故exit」。なお、この年の世界選手権は2度の世界大戦以外の理由ではじめて中止され、世界を挙げて犠牲者たちの死を悼んだ)。享年50歳。2001年コーチ殿堂入りを果たした。
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