「語りえぬものについては沈黙しなければならない」
(絵:77氏)
ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein,1889-1951)とは、オーストリア出身の哲学者である。ヴィトゲンシュタインと言われることも多いが、ここではウィキペディアに準じ、項目名をウィトゲンシュタインとする。
分析哲学、言語哲学を筆頭に哲学・思想界に大きな影響を残した天才哲学者である。哲学界を代表するイケメンである。
主な著書は『論理哲学論考』『哲学探究』。その思想は前期と後期で分けられて考えられることが多い。
前期ウィトゲンシュタインの代表作である(通称論考)。自称「哲学の諸問題をすべて解決した」本である(ただし当時。後にウィトゲンシュタイン自身、『論考』を批判的にとらえることになる)。近代以降の哲学者の代表作としては珍しく薄い本であるが、その分説明も短いので、素人が読み取るのは難しいことが多い。
7つの主要命題と幾多の命題で構成されており、すべての命題に番号が振られている。そして、「論考」の最後の文章(であり7つ目の主要命題)がかの有名な「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」である。ウィトゲンシュタインは本書で、哲学が思考できる領域、限界(語られうること)を画定しようとした。そして、思考の限界は「言語においてのみ引かれる」とウィトゲンシュタインは主張している。そして、思考可能な領域のみで議論しようと説き、「語りえぬもの(思考の限界の外側)に対しては沈黙せよ」と主張していると多くの人が解釈しているようだが、語られぬものの方がはるかに多く、神秘的なのである、という意味でもある。
難解な記述が多いが、単語を置き換えるとわかりやすくなる。
1. 世界とはその場に起こることのすべてである
→ 文章の限界が、我々が理解できる限界である
(なぜなら論理学でいう「世界」とは、記述できる範囲内を示し、物理的な世界のことではないため、こう書き換えることができる)
1.1. 世界とは、事実の総体であって、物事の総体ではない
→ 文章とは単語の塊ではなく、記述されたものである
2. 事実とは、幾つかの事態が成り立っていることである
→ 動詞とは、主語と述語を動的な関係で説明している
第1・2命題は言葉・動作に関して。第3・4・5・6命題は思考に関するものである。
3. 事実の論理上の像が、思想(思惟されているもの、思考対象、思想内容)である。(事実/思想がパラレル。事態と思想ではない)
4. 思想は、意義を持つ命題である。
5. 命題は要素命題の真理関数である。(要素は、自分自身の真理関数である。)
6. 真理関数一般は、[p,ξ,(N)ξ]と書ける。これは命題の一般形式である。
後期ウィトゲンシュタインの代表作である。通称「探求」。ウィトゲンシュタインの死後出版された本である。私たちが使用している言語の本質を言語ゲームとして捕らえて、後の言語哲学に少なからず影響を与えた本として知られる。
言語ゲームとはなんぞやというと、「言語に完璧な意味を求めるのは根本的に不可能だ」ということである。
結局この言葉の意味する所は相手とどういう関係性で、どんなタイミングでいったのかによって変わってくる。発言者/相手は空気読めない人かもしれないし、ツンデレかもしれない。そもそも意味なんぞないかもしれない。
このような関係性をウィトゲンシュタインは言語ゲームと呼び、言語ゲームこそがあらゆる言語活動の本質なのだと考えた。
掲示板
77 なっっ
2022/05/07(土) 02:13:54 ID: Yv8UbUDPxs
>>76
分析哲学を志したいのなら、フレーゲ、ラッセル、タルスキ、ゲーデル、クワイン、デイヴィドソン、クリプキの他にダメットも重要なのでぜひ参照されたい。
78 ななしのよっしん
2022/06/19(日) 15:10:19 ID: uOWQVprw11
>>76
ウィトゲンシュタインがいなかったら論理実証主義はあそこまで流行らなかったでしょ
過大評価されてるってのはまだ分かるけど、何も残してないは言い過ぎじゃないかね
79 ななしのよっしん
2022/09/27(火) 20:26:20 ID: 1wbggfLVF6
意味の使用説、言語ゲームや生活形式、家族的類似の概念、規則のパラドックスと私的言語のパラドックス、『論理哲学論考』の誤解、アマチュアの哲学への勇気づけ、数々の名言
こんなところ?
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最終更新:2024/04/25(木) 07:00
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