ウォーアドミラル(War Admiral)とは、1934年生まれのアメリカの元競走馬・元種牡馬である。
馬名は父マンノウォー(軍艦)からの連想で、同馬の数少ない子の中でもぶっちぎりの競走成績を誇る馬。活躍後に付いた渾名は「Mighty Atom(力強い原子)」、もしくは単に「The Admiral」。
父Man o' War、母Brushup、母父Sweepという血統。
父マンノウォーは個別項目参照。母ブラッシュアップと祖母アネットケイはいずれも150cmぐらいしかない小柄な未勝利馬であった。母父スウィープは現役時代にベルモントSを勝ち、種牡馬としてはリーディングサイアーとリーディングブルードメアサイアーを2回ずつ獲得し、本馬の後にも三冠馬ワーラウェイを出して三冠馬2頭の母父となる成功を収めた。
父マンノウォーのオーナーであったリドル氏の生産馬だが、遅生まれも手伝って幼少期は非常に貧弱に見えたという。映画「シービスケット」ではライバル・シービスケットとの対比の表現のためか約170cm強の馬がウォーアドミラル役になっているが、実際は成長しても約155cm程度の体高にしかならず、シービスケットとの体格差はあんまり無かったようだ。
リドル氏は姪の夫にウォーアドミラルを勧めたが、相手が買おうとしなかったため、結局リドル氏の所有のままジョージ・コンウェイ厩舎に入った。
外見は貧弱だったが、激しい気性は父譲りで、ゲートを嫌がって発走を遅らせることも何度かあった。その激しい気性は高いスピード能力や闘争心に昇華された一方で足枷にもなり、2歳時は6戦3勝で、フリーハンデも同世代8位止まりという凡庸な成績に終わった。
3歳になったウォーアドミラルは初戦の一般競走を2馬身半差で勝ち、続けて出走したチェサピークS(8.5ハロン)ではスタート前に大暴れして発走を7分遅らせながらも6馬身差で圧勝。父マンノウォーの頃はケンタッキーダービーをまるで意識していなかった馬主のリドル氏に、地位が上昇していた同競走へ意識を向けさせるきっかけを作ることになった。
リドル氏の所有馬として初めてケンタッキーダービーに出走したウォーアドミラルは、20頭立ての1番人気に支持された。またもレース前に暴れて発走を8分遅延させたが、レースが始まると鞍上のチャールズ・カートシンガー騎手が本馬を早々に先頭に立たせ、終始先頭のまま後続に1馬身3/4差を付けて優勝した。翌週のプリークネスSでも、ケンタッキーダービーで2着に破ったポンプーンを再びアタマ差の2着に退けて勝利した。
三冠がかかるベルモントSに挑んだウォーアドミラルだったが、みたびスタート前に暴れた上、スタートダッシュの勢いで前後の脚がぶつかり、右前脚の蹄から出血してしまう。それでも果敢にハナを切るとそのまま疾走し、後続馬に並ばせないまま2着シーンシフターを3馬身ちぎって優勝。12ハロンの当時の全米レコードタイの時計で駆け抜け、見事に史上4頭目の三冠馬の栄誉を得た。
怪我の療養を経て、秋は10月の一般競走から始動。ここではハンデ戦で活躍していた古馬のアネロイドに2馬身半差を付けて勝利した。更にワシントンハンデキャップ(10ハロン)、ピムリコスペシャルハンデキャップ(9.5ハロン)でも快勝し、シーズンを8戦無敗で終了。最優秀3歳牡馬を得た他に、621票中603票の圧倒的得票率で年度代表馬を受賞した。
なお、年末に出走した2競走にはこの頃西海岸で活躍していたシービスケットが出走する予定であり、他にもマッチレースの打診が何度か出ていた。同馬も快進撃のさなかにあったため両馬の対戦が期待されたが、シービスケットが体調や馬場状態を理由に連続で回避したり、ウォーアドミラル陣営が西海岸遠征を嫌がったりでなかなか噛み合わず、このシーズン中に両馬の対戦が実現することは無かった。
4歳時は初戦の一般競走をノーステッキで勝つと、続けて出走したワイドナーハンデキャップ(10ハロン)を130ポンド(約59kg)の斤量で勝利した。このレースの後、5月30日にシービスケットとのマッチレースが行われることとなったが、レース前週になってシービスケットが脚部不安で回避してしまった。代わりに翌週のクイーンズカウンティハンデキャップ(1マイル)に出走し、132ポンド(約60kg)の斤量で勝利した。
両馬は6月29日のマサチューセッツハンデキャップで再び相まみえる予定になっていたが、レース直前にシービスケットの脚部不安が再発して回避してしまった。ウォーアドミラルは出走したものの地面の窪みに躓いて出血し、道悪に手こずらされたのも響いて離れた4着に敗退。3歳初戦からの連勝は11で止まった。
立て直して向かった夏のサラトガ競馬場では、三冠馬ギャラントフォックスの全弟の3歳馬ファイティングフォックスや、シービスケットに土をつけたこともある前年最優秀ハンデ牝馬エスポサといった強敵が複数回にわたって立ちはだかったが、これらの先着を許すことなく4連勝。一休みして出走した10月のジョッキークラブゴールドカップ(16ハロン)も3馬身差で楽勝した。
そして遂に、伝説のマッチレースを迎えることになる。舞台はピムリコ競馬場、距離は両馬とも勝利経験がある9.5ハロン。負担重量は両馬とも120ポンド(約54.4kg)、発走委員は両陣営に因縁のない第三者を揃える、スタートは手旗で行うという条件も付いた。
1938年11月1日、第2回ピムリコスペシャルを舞台に、両馬のマッチレースが幕を開ける。混雑を見越して平日開催になったにも関わらず、観客はピムリコ競馬場の収容能力(1万5000人)の倍以上にもなる約4万人を動員した。マッチレースは先手を取ったほうが有利ということで、下馬評は先行型のウォーアドミラルの方が高かった。
ところがスタートするとシービスケットの鞍上のジョージ・ウルフ騎手がムチを入れながら先手を取り、下馬評と逆にウォーアドミラルが追走側になった。向こう正面で意地とばかりに並びかけに行ったウォーアドミラルだったが、直線に入った辺りから息が上がり、結局シービスケットに4馬身差を付けられて敗れてしまった。
その後は10日後のロードアイランドハンデキャップ(9ハロン)を勝ち、5歳初戦も勝ったが、レース後に脚を故障して引退となった。
通算成績は26戦21勝。勝ち星だけなら父より多く、三冠も達成するなど間違いなく最強馬の一角に数えられるべき馬……なのだが、シービスケットとかいう奴にマッチレースで負けてしまったため、微妙に肩身が狭い。1938年は年度代表馬も最優秀ハンデ牡馬もシービスケットに取られたし。
ピカピカのエリート(生まれはそうでもないけど)を、裏街道を歩いてきた叩き上げが叩き潰すさまを好むのはどの国でも同じようなもんである。当時のアメリカは、世界恐慌の真っ只中で景気も悪く先が見えない時期だったため、なおのことシービスケットに人気が集まり、彼は相対的に貶められたという側面はある。残念だけど仕方が無いね。
種牡馬入りしたウォーアドミラルは、父マンノウォーとは対照的に広く種付けが募集された。その甲斐もあって、ステークスウィナーを40頭輩出し、1945年のリーディングサイアー、1948年の2歳リーディングサイアーを受賞した。*ブリッカバックが超名障害馬フジノオーを出し、外国産馬として走った*リンボーからは大井で三冠達成後に中央移籍し天皇賞(春)と宝塚記念を取ったヒカルタカイを出すなど、日本に輸入された産駒からも散発的に活躍馬が出た。
1958年に殿堂入りし、翌1959年に25歳で死亡。死後も1962・64年リーディングブルードメアサイアーとなり、ブラッド・ホース誌が1999年に選定した「20世紀のアメリカ名馬100選」でも13位にランクインするなど名声は衰えていない。
ウォーアドミラルの直系子孫は2000年代初頭に途絶えた。しかしバックパサーの母となった牝馬ブサンダをはじめとする娘たちを通じて血統表内では非常に影響力が高く、アメリカ生まれの名馬で良血と言われる存在には、結構な割合で彼の名がある。例えばサンデーサイレンスの血統表には見つけられないが、イージーゴーアには見つけられる。
血統地図に及ぼした影響で言えば、父にも劣らぬ名馬だったであろう。
Man o' War 1917 栗毛 |
Fair Play 1905 栗毛 |
Hastings | Spendthrift |
Cinderella | |||
Fairy Gold | Bend Or | ||
Dame Masham | |||
Mahubah 1910 鹿毛 |
Rock Sand | Sainfoin | |
Roquebrune | |||
Merry Token | Merry Hampton | ||
Mizpah | |||
Brushup 1929 鹿毛 FNo.11-g |
Sweep 1907 黒鹿毛 |
Ben Brush | Bramble |
Roseville | |||
Pink Domino | Domino | ||
Belle Rose | |||
Annette K. 1921 鹿毛 |
Harry of Hereford | John o' Gaunt | |
Canterbury Pilgrim | |||
Bathing Girl | Spearmint | ||
Summer Girl | |||
競走馬の4代血統表 |
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/20(土) 16:00
最終更新:2024/04/20(土) 16:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。