エクリプス(競走馬)単語

エクリプス

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エクリプス(Eclipse)の名を持つ競走馬血統表に残っているだけでも1764年産、1814年産(通称American Eclipse)、1855年産(Himyar系の祖先)などが存在するが、この記事では1764年産の競走馬について解説する。

エクリプス(Eclipse)とは、1764年生まれの競走馬現在サラブレッドの実に95%以上の系祖先である。

気性難の元祖として有名。

18世紀最強馬

MarskeSpilletta、Regulusという血統。
……というより、系の5代前にDarley Arabianを持っているということが重要。現在残るDarley Arabian系は全てエクリプスを経由している。そのため、エクリプスこそがサラブレッドの「始祖」であるとする考えもある。

とにかく当時「ランニングホース」と呼ばれていたサラブレッドの原競走馬として異常なほど強かったらしく、その戦績は18戦18勝(ヒートカウント方法によって26戦などとされることもあるが敗なのは間違いない)というものだった。

当時はヒート競走といって、同じ同士で、同じが2~3回以上勝つまで何度も何度もレースをするという形式が流だった(距離3000m以上が多かった)のだが、エクリプスはあまりに強過ぎて次のヒートが行われない(240ヤード≒220m以上の大差が付くと勝負ありとして次のヒートが行われなかった)ことがままあったという。

それどころかあまりに強過ぎて他の逃げてしまい、単走でのレースが8回以上行われたという。

Eclipse first, the rest nowhere (エクリプス1着、他のはどこにもいない)」という言葉は現在では「一抜きん出て並ぶ者なし」という意味のことわざとして使われている。これはあるレースエクリプスが圧倒的人気過ぎて賭けが成立しなくなった際、当時の馬主であるデニス・オケリー(後述)が「じゃあ2着のも予想する賭けにしよう」と提案(現代で言う馬単)、その上で自身は「エクリプスが1着。2着はし(=他のすべてがイクリプス240ヤード以上の差を付けられて失格扱いになる)。」と予想し、見事的中させたことに由来する。

エクリプス(Eclipse)は日蝕の意味である(実際に本が生まれた日は金環食だったという)が、現在、いろんな固有名詞(三菱・エクリプス(日本)とか)で使われる場合には大体の方の名前を元にしている。

競馬歴史に現れた最初期の、それがエクリプスである。

気性難の元祖

ところがこのサラブレッドの始祖だけあって、恐ろしく気性が荒かった。

どんだけ荒いかというと

  • あまりに気性が荒いせいで危うく去勢されかかる。
  • 乗りの元で致されたのだが、競馬に出られるまでに3年もかかり、5歳デビューした(もっともこの時代は若駒がヒート競走に耐えられないので5歳デビュー自体はしくなかったらしいが……)。
  • 競馬を行うと奮し過ぎてを外すことも出来ず数日そのままにせざるを得なかった。
  • 毎回毎回ぶっちぎりで勝ってしまうので、対戦相手がいなくなった。果敢にマッチレースを挑んできたブケファロスというがいたのだが、これを見えなくなるまでちぎり捨ててしまい、ブケファロス馬主ショックで引き篭もってしまったとか。
  • こんな一方的レースばかりするでは賭けでけられないと、デニス・オケリーという怪しげな男に売り飛ばされてしまった。

デニス・オケリーという男はギャンブルを使い果たして流刑になり、それなのに運良く戻ってきて恩赦になり、ギャンブルで大けし、大佐称号を手に入れ、ついにはエクリプスを買い取ってとしても大成功したという、なんというか、「英国紳士って?」と首を傾げたくなるような人物なのだが、この人物が助言したおかげでエクリプス去勢を免れたという説がある。助言がければエクリプス去勢されていたかもしれないし、そうなればエクリプス種牡馬としての成功はかったわけで、つまりこの山師は競馬歴史を変えたかもしれないということになる。

エクリプス系の元祖

種牡馬入りしてからは活躍数に出して活躍したのだが、意外なことにリーディングサイアーになったことはい。

当時猛威を振るっていたHerodとその直Highflyerに阻まれたからである。当時はむしろHerod系と配合するとして重要視されていたくらいである。エクリプスHighflyerがあまりに走るために、この両産駒は特別な負担重量を背負わされる事もあったというのだから、当時のイギリス競馬界にどんだけ猛威を振るったのかが分かろうというものである。

18~19世紀中頃にはHerod系に押されがちだったエクリプス系だが、次第に勢を伸ばし、1881年産のSt. Simonの決定的な種牡馬としての成功により一気に逆転(もっとも、現在流なのは1913年産のPhalarisから伸びたライン)。現在ではエクリプス系でない種牡馬を探す方が難しいような状態になっている。

エクリプス1789年に25歳死亡。死後に解剖され、精密なスケッチが残されている。当時としてはかなりの大であったこと、心臓が他の均より1.5倍も大きかったことが知られている。現在でも格が一応残っているのだが、なぜか各地に4つもあるらしい。一応、王立医科大学研究所で保管されているのが実物であるとほぼ確定されているらしいが……。

血統表

Marske
1750 黒鹿毛
Squirt
1732 栗毛
Bartlet's Childers Darley Arabian
Betty Leedes
Snake Mare Snake
Grey Wilkes
Ruby Mare Blacklegs Hutton's Bay Barb or Mulso Bay Turk
Coneyskins Mare
Bay Bolton Mare Bay Bolton
Fox Cub Mare
Spilletta
1749 黒鹿毛
FNo.12
Regulus
1739 黒鹿毛
Godolphin Arabian
(or Barb)
不明
不明
Gray Robinson Bald Galloway
Snake Mare
Mother Western Easby Snake Snake
Akaster Turk Mare
Old Montagu Mare Old Montagu
Old Hautboy Mare

クロス:Snake Mare 3×4(18.75%)、Snake 4×4×5(15.63%)、Hautboy 5×5(6.25%)

Marskeは6戦3勝で種牡馬としてはあまり期待されていなかったが、エクリプスの活躍後には人気の上昇とともに繁殖牝馬の質も上がり、多くの活躍を送り出した。
Regulusは9戦9勝の名

血統表を見ればわかってもらえると思うが、ダーレーアラビアンは4代前(6.75%)、ゴドルフィンアラビアンは3代前(12.5%)であるので、つまり血の濃さを考えれば実はゴドルフィンアラビアンのほうが強いのである
実際、1978年に発表された「の遺伝に関する研究報告書」によると、サラブレッドの遺伝的な貢献度はゴドルフィンアラビアンが14.6%ダーレーアラビアンは7.5%とされている。

主な産駒

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最終更新:2024/03/28(木) 20:00

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