エドワード・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen)とはオランダ生まれの米国人ギタリストである。
ロックバンド、VAN HALEN(ヴァン・ヘイレン)のリード・ギタリストである。
愛称はエディ。一般的にはエディ・ヴァン・ヘイレンと呼ばれる。
1955年1月26日、オランダのアムステルダムで生まれた。デビュー当時は1957年生まれと発表していたが、これはデイヴィッド・リー・ロスが当時行った年齢詐称に付き合わされてのもの。
フルネームはエドワード・ロードウィック・ヴァン・ヘイレン(Edward Lodewijk Van Halen)「Ludwig」はオランダ語の「Ludwig」に相当するミドルネームで、ベートーヴェンに肖って名付けられた。ヴァン・ヘイレンの家はオランダ系なので本来はファン・ファーレンと呼ぶが、米国式のヴァン・ヘイレンが定着している。
母親はインドネシアのジャワ島出身。息子にはミュージシャンのウルフギャング・ヴァン・ヘイレン、兄にドラマーのアレクシス・ヴァン・ヘイレンが居る。父親もクラリネットやピアノを操るプロのミュージシャンであったので、幼い頃からピアノやバイオリンを習わされ、兄弟はドラムやギターに興味を持って練習した。
「ライトハンド奏法」と称された、華麗な高速オルタネイトピッキング奏法(ハミングバード奏法)、ギターのフレットをピアノの鍵盤を叩くようにして音を奏でるタッピング奏法、大胆なアーミングを得意とし、その流麗な速弾きと綺羅びやかなサウンドは、ロックギターの世界に絶大なインパクトを与え模範とされるようになった。
タッピング奏法自体はエディの発明ではなく、古典的なクラシック・ギターや1940年代のデルタ・ブルースでもみられ、ロックやフュージョンでもヴァン・ヘイレンの登場以前に、スティーヴ・ハケットやアラン・ホールズワースらなどが同様の奏法を行っていた例がみられる。
しかしロックにおいてこの奏法を普及させ大革命を起こした人物である事実と実績はかわらない。
スティーヴ・ハケットはタッピングについて、この問題(どちらが先にはじめたかで)でエディと話あったことは無い。エディは奏法に名前(タッピング)を付けた人物だと答えていた。
エディは楽譜を読むことは出来なかったが、演奏を見ることと耳で聴いて音楽を学び、ロングビーチ・シティ大学の在学時代、同大学で毎年恒例で開催される、ピアノコンクールで優勝した。だが、エディは楽譜には従わず即興演奏をした部分を後日指摘され、ピアノに面白みを無くしてしまった。
その頃、兄がギターを買い練習をはじめ、エディの方はドラムキットを叩きはじめ、何時間も練習に費やすようになる。ところが兄もドラムに興味を持ち練習を開始すると、やがてエディを追い抜いぬく腕となる(エディの兄アレックスも名ドラマーである)。それでエディは仕方なくドラムを兄に譲って、自分はギターと楽器を兄と交換した。こうしてエディは10代の頃ギターの練習に、毎日何時間も練習を費やすようになりスーパーギタリストとなっていった。
エディはギターを学ぶうえで英国の古典的なブルース・ロックバンド、クリームの「I'm So Glad 」に一番の衝撃を受け、エリック・クラプトンにギターソロの全てを学んだと語っている。
また「僕に影響を与えた者はエリック・クラプトンだといつも公言しているけども、ジミー・ペイジは最高の演奏者ではないかも知れないけど彼は天才だよ。彼のソロにはキラメキがあるんだ。ジミー・ペイジは彼独特のやり方で僕の遥か上を行っている」とジミー・ペイジの影響についても語っている。
タッピングについても「僕がアイデアを得たのはずいぶん昔、71年くらいにレッド・ツェッペリンを観た時のこと。ジミーが「ハートブレイカー」のソロで開放弦でプル・オフ(ハンマリング&プリング/トリル奏法)していた。その時ひらめいたんだ。ちょっと待てよ、僕にも出来るぞ。あの指を高い位置に置いて動かせばいいじゃないかってね。それが切っ掛けだったというわけさ」とギターワールド誌のインタビューで語っている。
これらの証言は80年代から非常に知られた逸話で、関連書籍や他原語版のWikipediaでも出典と共に取り上げられているが、Wikipedia日本語版には記述されておらず、そのかわりにソースが不明な記述が出典も明らかにされず2019年現在も削除されずある。(注:2020年10月、有志の人々の手によって加筆、誤情報は修正された)
そのほかにも並外れたテクニックを持つフュージョン系ギタリストのアラン・ホールズワース、同年代のギタリストであり兄弟同然の仲だったスティーヴ・ルカサー、「自分のサウンド」を持っているギタリストとしてトニー・アイオミ、マイケル・シェンカー、ブライアン・メイの名前を挙げ高く評価していた。この内ルカサーとはマイケル・ジャクソンの「Beat It」、ブライアンとは彼のソロプロジェクトである「Star Fleet Project」にて共演。
エディはキーボードも自在に弾きこなし、サミー・ヘイガー在籍時のライヴではギター・ソロをサミーに任せたり、ギターとキーボードの両方を弾いて聴かせるなどの姿も魅せた。
また98年から2004年にかけてはマイケル・アンソニーとの関係悪化が原因で、レコーディングでは彼に変わりベースプレイも担当した。先述の通りドラムの心得もあったため、マルチプレイヤーとしての才能を持っていたと思われる。が、そもそもギタリストとしてのネームバリューとインパクトが強すぎる故かあまり注目されない。
活動初期のインタビューにおける機材関係の話に嘘が多いことで有名。以下代表的なものを列挙。
・マーシャルアンプの電圧を110Vから140Vに上げて使用している→実際は120Vを60〜90Vに下げて使用。このせいで世界中のギタリストが自身のアンプを台無しにすることとなった。
・フランケンシュタインのボディは重いアッシュ→実物は軽め。
・フランケンのP.A.Fハムバッカーにテスターを当てたが全く針が触れなかった→どう考えてもありえない。
・ブリッジ横のコインはボディが割れたために補強している→実際はフロイドローズの高さ調整に使っていた。
これらの嘘はエディの秘密主義から出たもの、デイヴやレコード会社に「嘘をつけ」と指示されてのもの、単にノリで言ったアメリカンジョークなどと言われているが今となっては不明。年齢詐称の件を鑑みるにデイヴ説が有力か。
よく言われる嘘エピソードに「錆びて古くなった弦は茹でれば復活する」とインタビューで発言した、というものがあるがこれは誤り。実際は「新品の弦は早く馴染ませるために一度茹でて伸ばしてから張る」というもの。最もこの発言もジョークの一環であったというのが通説。
78年のデビュー以来、無数のギターを使用してきたエディ。ここではその中でも特に有名なものをいくつか紹介する。
白黒のストライプカラーが目を引く初代メインギター。通称フランケンストラト。Charvel社のギターショップで売られていたBoogie Bodiesのアッシュ材ストラトボディ(50ドル)とラージヘッドのバーズアイメイプルネック(80ドル)を購入、自ら組み上げたコンポーネントギター。
ハイポジションで1弦が弦落ちしていたり、お手製ピックガードの切り口がガタガタであったりと荒さが目立つ。ピックアップにはギブソンES-335に付いていたハムバッカー、P.A.Fのリワインド品をダイレクトマウント。配線への理解不足からトーン回路が外され、コントロールはマスターボリュームのみとなっている。
このように素人作業で作られたギターではあるが、ブラウン・サウンドと呼ばれる独特の音色とエディ自身の卓越した技量は、世界中のギター小僧の注目を大いに集めた。
そして世界中に無許可のコピー品が溢れかえってエディはキレた。
余談だが、このギターを含めたストライプ塗装の殆どはマスキングテープと自転車用ラッカースプレーによって施されたもの。フランケンの場合、
ボディを黒く塗装→ストライプをマスキング→白をオーバーペイント→テープを剥がすと白地に黒いラインの入った模様が完成
という工程。そんなことを知らない世界中のギター小僧どもは健気にも白のストラトを黒のビニールテープでベタベタのグルグル巻にしていたのだった。
元となったギターはギブソン・エクスプローラーのコピーモデル、Ibanezのデストロイヤー(現行品とは別物。Greco EX-800の海外販売版と思われる)。
エディは70年代中盤にこれを入手。クラブ時代から愛用され、デビューシングルのレコーディングにも使用するほど気に入っていたが、重めのボディに不満を抱いていた様子。そこでボディエンドをドリルとノコギリでV字に切り取るという暴挙大胆な改造を行い、赤と銀のストライプ塗装を施したのがこちらの代物。ドリルによる波線状の断面を鮫の歯に見立て「シャーク」の愛称で呼ばれたこのギターは、後世の変形ギターに多大な影響を与えた。
なお肝心の性能だが、ボディエンドを素人作業で切り取ったためにサスティーンが失われ、以前までの音色が出なくなるという残念な結果に終わった。エディは改造したことを大変後悔したそうな。
洗練された星型のボディシェイプとDanelectroタイプのヘッドが特徴のコンポーネントギター。Mighty Miteが製作しCharvelが販売していたボディに、エディが所持していたネックを取り付けて完成したとされる。当初のボディは白色で、78年のツアーにおけるサブギターであった。後に黒のオーバーペイントにより骸骨のような独特なストライプが施された。80年のツアーでメインギターとして使用。
このギターにインスパイアされ、無許可で丸パクりして誕生したのがイーエスピー(Navigator)のランダムスターである。LOUDNESSのギタリスト、高崎晃の使用で有名になり、日本の80年代メタルシーンを代表するギターとなった。
そしてスターシェイプの起源を巡って邦楽ファンと洋楽ファンとの間で激しい論争が巻き起こるのだがそれはまた別のお話。
ご存知エディを象徴する音が鳴るゴミ伝説のギター。79年、白黒のフランケンに赤いオーバーペイントが施され、お馴染みのカラーリングに。
ピックガードはコントロール周りを残して切り取られ、露出したキャビティにはダミーピックアップとピックアップセレクターの残骸が埋め込まれた。そのほかにも背面にバイク用リフレクターが取り付けられたり25セント硬貨がビス止めされたりと魔改造が繰り返される。日々増えていく擦り傷とも相まって、いつしかフランケンシュタインの名に相応しい壮絶な姿となった。
80年にはシンクロナイズドトレモロに代わり、フロイドローズブリッジのプロトタイプを搭載。以前にも増して激しいギタープレイを演出した。その後はフロイドローズのバージョンアップやネックの交換を繰り返し、83年までメインギターとして使用されたが、故障が頻発するようになったため引退。その勇姿はギター業界に衝撃を与え、80年代のスーパーストラトブームを牽引する存在となった。
なお赤のペイントは横行するコピー品への対策としてカラーリングを複雑化するために施されたもの。しかし、あまりの人気に白黒時代を上回る量のコピー品が誕生。目論みは失敗に終わった。知ってた
通称バンブルビー(蜜蜂)。Charvel製のハンドメイドギター。黒地に黄色のストライプが施されている。外見はフランケンのマイナーチェンジのように見えるが、製作はプロのビルダーが行ったため洗練された仕上がりとなっている。その名の通り、2ndアルバム「VAN HALEN II(邦題:伝説の爆撃機)」のプロモーション用ギター。
ピックアップにはディマジオ製スーパーディストーションを採用。当初はシンクロナイズドトレモロが搭載されていたが、79年のツアー途中、フロイド・ローズ氏がハンドメイドで製作したプロトタイプブリッジを搭載。エディ初のフロイドローズ搭載ギターとなった。なおこのプロトタイプ、ローズ氏が予備で持っていたメッキ加工前のものを急かして取り付けさせた模様。そのため、数ヶ月後の来日時には既に錆びて赤茶色になっている。
後年はゴールドのフロイドローズオリジナルが搭載されるなどして保管されていたが、2004年に死去したダイムバッグ・ダレルの棺に収められ、永遠の眠りにつくこととなった。
エディとエンドース契約を結んだKramer社製作の、フランケンに代わるメインギター。「PACER」用のバスウッド(本人談。マホガニーという説あり)ボディにバナナヘッドタイプのメイプルネックを装着。白いボディにエディ自らが赤と黒のペイントを施し、ボディエンドに「5150」のステッカーを貼り付けて完成した。
ピックアップはSeymour Dancan製のハムバッカー(詳細不明。SH-4かSH-11のどちらかと言われる)を搭載、ボリュームノブはMXRのエフェクターについているタイプのもの。ブリッジには引退直前のフランケンに載せられていたプロトタイプのFRT-5(フロイドローズオリジナル)を移植している。
組み立てと白い下地の塗装はKramerのビルダーが行ったそうだが、赤のオーバーペイントはエディ自身が行った模様。ポリウレタン塗装の上から自動車用ラッカースプレーを吹いたためか塗装が定着せず、早々に各部の赤が剥がれて下地が露出していた。84年から91年までメインギターを務め、2004年のツアーでも使用されるなど長期に渡り活躍した。
なお似たシェイプの「BARETTA」というギターがエディモデルとして市販、サブギターとして提供されたが、本人はもっぱら本機と下記のGL2Tに夢中でほとんど使用されず。当時のKramerとエディの微妙な距離感を伺わせる。
ネッド・スタインバーガーが考案した元祖ヘッドレスギター。カーボングラファイト合成素材のボディやアクティブピックアップなど、それまでのギターとは一線を画す先進的なモデルであった。
中でもエディが注目したのは、和音を維持しながらのアーミングや、全弦のドロップチューニングを瞬時に行えるトランスポーズ機能を持つ画期的なブリッジ、トランストレム。レコーディングやライブツアーでも使用され、演奏の幅を大きく広げた。
一時はStainbargerとのエンドース契約の話すら持ち上がったようだが、同社がギブソンに買収されたため実現することは無かった。
なおストラトシェイプに慣れきったエディには小さいボディはやはり合わなかったようで、後年トランストレムはレスポールやWolfgangに移植されることとなる。スタインバーガー涙目
それまでのストライプカラーとは打って変わったキルトメイプルトップが従来のファンの度肝を抜いた、91年初登場のギター。エディはアンバーカラーのものをメインとして使用。
ボディバックにはバスウッドを使用することで軽量化、左右非対称のメイプルネックのおかげで握り心地も抜群である。ピックアップはリア一発からフロントリアの二発に変更、ディマジオ製の特注品を搭載している。ブリッジはフロイドローズに代わり日本のメーカーであるGOTOH製ブリッジ、GE1988Tが採用。
エディ初のシグネチャーモデルとして販売された本モデルだが、プロギタリストからも高く評価されている。特にB'zの松本孝弘が本機を大変気に入っているのは有名。
エンドース契約終了後はAxisと名前を変更して販売が継続されている。ピックアップセレクターの位置やブリッジの形状を除けばE.V.H.とほぼ同仕様。
自身の愛息の名を冠した95年登場のギター。タバコ・サンバーストカラーがメインギターとして使用された。
メイプルトップとバスウッドバックのバインディングに左右非対称メイプルネックの構成はE.V.H.から変わらないが、本機は新たにアーチドトップを採用。コントロールは1vol1toneのオーソドックスな仕様に(エディ機のみ2vol仕様と本人は語っていたが真偽不明)。ピックアップセレクターはタッピング時に邪魔になりにくい位置に移動している。
ピックアップはPeavey製の特注品。ブリッジはGE1988Tを踏襲したデザインの韓国製フロイドローズライセンスを採用。さらにワンタッチで6弦のドロップチューニングを行えるEVH D-TUNAを標準搭載している。
契約終了後はEVHブランドからWolfgangが販売されたため生産終了となっていたが、2017年にHP2と名を変えて復活。D-TUNAこそ非搭載なものの、コイルタップ機能が追加されるなど汎用性の高いギターとなった。
Wolfgangのバリエーション機。通常版との違いはボディがフラットトップであり、コントロールノブが1volのみである点。
エディはカスタムベースとして本機を高く買っていたらしく、ノントレモロの個体や3ピックアップの個体、トランストレムを搭載した魔改造機などを無数に所持していた。
98年の日本公演ではフランケンを模した赤白黒ストライプカラーのものを使用。2004年のツアーではフロントにフェルナンデス製サスティナーを搭載したグリーンバーストカラーを多用していた。
…が、アルコール・ニコチン・ドラッグ中毒に陥った上、メンバー内の不和も重なり精神状態が最悪だったエディが最終公演にて本機を盛大に破壊。実に後味の悪い幕切れを演出した。ファンの中にはPeavey製Wolfgangをエディ暗黒期の象徴としてトラウマ視する者もいるとか。
2007年の再結成ツアーで登場した新たなWolfgang。自身が立ち上げたEVHブランドから販売されている(製造元はFender)。
Peavey製からの変更点は軽量化されたヘッド、5層のバインディング構造、グラファイト補強が入ったネックなど。ピックアップはFender製EVH Wolfgang Pickup。ポットにはエディお得意のボリューム奏法をスムーズに行える、トルクが軽い特注品を採用。ブリッジはEVHの刻印が入った韓国製フロイドローズ1000。
ツアーではサンバーストカラーとホワイトカラーを主に使用。詳細不明のD2Hなるテールピース型ユニットを搭載した個体も確認された。
フラットトップのWolfgang Special(2014年以降はアーチトップに変更)、ノントレモロのWolfgang Custom、ストラトのようなコンター加工入りの廉価版Wolfgang Standardといったバリエーションも存在。
2012年のツアーで使用されたメインギター。それまでのメイプル指板とは打って変わってエボニー指板を初採用。トーンポットには誤操作を防ぐためにトルクが重いものを搭載。最大の特徴はボディ向かって右上に搭載された赤いキルスイッチ。これによりシャーク以来となるスイッチング奏法が復活している。
2013年の日本公演でも本機がメインギターになると予想されていたが、実際に使用されたのはなんと初期フランケンを模した白黒ストライプカラー。98年の時といい日本のファンへのサービスが過剰なエディであった。
エディ最後のツアーとなった2015年に使用されたメインギター。その名の通りボディにレリック加工が施されており、アイボリーカラーが剥がれてステルスブラックが垣間見えるマルチレイヤー仕様。
エボニー指板にはレスポールカスタムのようなブロックインレイのものを採用。フロントピックアップにはアルニコ3マグネットを使用することでダークなサウンドを手に入れた。ボリュームポットにはトーンの変化を抑えるトレブルブリードサーキットを追加している。もちろんキルスイッチやD-TUNAも搭載。
ツアー開始直前にエディからオーダーされたらしく、急ピッチで製作された模様。発送時点ではまだ塗装が定着しておらず、ビルダーは気が気でなかったそうな。
2020年10月6日、がんの闘病の末帰天。65歳であった。息子のウルフがTwitterで下記の投稿を行った。
「がんで闘病中だった父がけさ亡くなりました。最高の父親でした。オンステージ、オフステージで一緒に過ごした全ての時間が贈り物でした。心が壊れ、いつこの喪失感から立ち直れるかわかりません。本当に大好きだよ、パパ。」
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最終更新:2025/04/07(月) 05:00
最終更新:2025/04/07(月) 04:00
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