エレクトロキューショニスト 単語

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エレクトロキューショニスト

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エレクトロキューショニスト(Electrocutionist)は、2001年生まれ米アメリカ生産・伊イタリア英イギリス首UAE調教競走馬鹿毛

桁外れの柔軟性を武器に様々な条件で活躍を見せ、また日本の前に幾度も立ち塞がったことで日本でも名をかせたが、将来を嘱望された矢先に心臓麻痺世した悲劇の名である。
名は「電気椅子による死刑執行人」の意。

通算成績:12戦8勝[8-3-1-0]
な勝ち
2004年:ジョッキークラブ大賞(G1)
2005年:ミラノ大賞(G1)、インターナショナルステークス(G1)、カルロダレッシオ賞(G2)
2006年:ドバイワールドカップ(G1)、マクトゥームチレンジラウンド3(G2)

概要

血統

Red RansomElbaaha、*アラジという血統のアメリカ

レッドランサムは故障のため重賞には出走すらいまま3戦2勝で引退したが、デビュー戦でコースレコードを出していたことからスピードを見込まれて種牡馬入りすると初年度産駒からいきなりGIを出して1994年の新種牡馬ランキング1位となったという経歴を持つ1998年クイーンアンステークス(英GII)を圧勝し、同年のジャック・ル・マロワ賞に遠征したタイキシャトルの最大の強敵になりうると言われた名マイラー・Intikhabなどがこの時点での代表産駒で、エレクトロキューショニストは10世代に当たる。

エルバーハは現役時代11戦1勝で、エレクトロキューショニスト以外の産駒立ったはいない。ただしそのDance On the Stageは独ダービーを輩出しており、また伯父にはアスコットゴールドカップ(英GI・20F≒4014m)連覇、ロワイヤルオーク賞(GI3100m)勝利など長距離GIで大活躍したArdrossがいるのでそこまで悪い牝系というわけではない。

*アラジデビュー戦2着の後7連勝でブリーダーズカップ・ジュヴェナイル(GI)を制し、2歳にしてカルティエ賞年度代表馬に選ばれるという快挙を達成した名だが、種牡馬としては失敗とはいかないまでも大成功とまでは言えない程度の成績だった。

3歳時(2004年)

イタリアのヴァルフレッド・ヴァリアー調教師に預けられたエレクトロキューショニストのデビューは3歳の4月サンシーロ競馬場で行われた1800m戦だった。ここでは15頭立ての7番人気とお世辞にも「遅れてきた大物」的な評価を受けていたとは言えなかったが、蓋を開けると2着に6身差をつけ圧勝。これを皮切りに2戦を2身半差、3戦は6身差で圧勝して3連勝を飾った。

4戦重賞GI競走ともに初出走となるジョッキークラブ大賞(2400m)となったが、この時点では破った相手の実績が3戦の2着ディスタントウェイダービー4着くらいしかない状態だったエレクトロキューショニストはまだほとんど評価されておらず、独ダービーShiroccoをはじめとした重賞が上位人気を占める中で9頭立ての6番人気にとどまった。

しかしレースでは中団後方からよく追い込んで、最後はShiroccoと200mほどにわたる叩き合いを演じ、最後はハナ差後れて2着に敗れたものの、3着を5身突き放すという好内容の競馬を見せた。Shiroccoは翌年にブリーダーズカップ・ターフ(GI)を勝つなので、GI初出走にしては上々のレースだったと言っていいだろう。

4歳時(2005年)

年明け初戦となる5月カルロダレッシオ賞(GII)では単勝1.04倍という支持を受け、その人気に応えて6身差で圧勝。前年の勝ちSenex、前走のイタリア共和国大統領賞で2着だったVol de Nuitらを抑えて単勝1.22倍の圧倒的人気に支持されたミラノ大賞(GI・2400m)では果敢にハナを切り、800mの長い直線で繰り広げられたVol de Nuitとの叩き合いでは内ラチに接触する場面もあったが、何とか盛り返してVol de Nuitに3/4身差をつけGI初制覇を達成した。

この後、エレクトロキューショニストはイギリスに遠征し、8月に行われるインターナショナルS(GI)に参戦。対戦相手にはプリンスオブウェールズS2着などGIで善戦を続けていたAce、前年のキングジョージVI世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(GI、以下「キングジョージ」)の勝ちDoyen、そして日本から遠征してきた武豊騎手騎乗の年度代表馬ゼンノロブロイなどがいた。

マイケル・キネーン騎手に乗り替わったエレクトロキューショニストはAceゼンノロブロイに次いで3番人気に支持され、レースでは最後方を追走。そのまま最後の直線に入ると、外へ持ち出したゼンノロブロイの更に外から快に追い込み、5頭横一線の争いから2着ゼンノロブロイをクビ差差し切って優勝した。

更に、今度はカナダに飛んでカナディアインターナショナルS(GI)に出走。コロネーションカップ(GI)を勝ち、翌年から4年連続でカルティエ賞最優秀ステイヤーを受賞することとなるYeatsソードダンサーS(GI)の勝ちKing's Drama、前年の愛ダービーGrey Swallowらを抑えてここでも1番人気となった。しかし降に祟られて馬場が悪化していた上、直線で並走していたGrey Swallowの騎手が入れたムチがぶつかるというアクシデントにも見舞われ、勝ったRelaxeed Gestureから5身以上も離れた4位入線(Grey Swallowの降着により3着に繰り上がり)という結果に終わった。

このレース後、エレクトロキューショニストはゴドルフィンにトレードされ、ゴドルフィンの専属調教師であるサイード・ビン・スルール師(UAE)の管理となった。

5歳時(2006年)

新たにランフランコ・デットーリ騎手戦に迎えたエレクトロキューショニストは、ドバイワールドカップして、その前戦となるアル・マクトゥームチレンジラウンド3(当時GIIダート2000m)に出走。初ダートながら鋭い切れ味を見せ、2着となった前年の勝ちChiquitinに7身差をつけて圧勝した。

本番となるドバイワールドカップ(GIダート2000m)では、ChiquitinインターナショナルSで3着に破ったMaraahelといった対戦済みのメンバーに加え、3連勝でドンハンデキャップ(GI)をレコード勝ちして勢いに乗る米国Brass Hatが参戦。更に日本からもジャパンダートダービーダービーグランプリジャパンカップダートフェブラリーステークスダート路線を総ナメにしていたカネヒキリと3年前の東京大賞典を勝った古スターキングマンが出走し、これらを含めた11頭立てとなった。レースでは中団の好位から追走し、直線を向くと外へ持ち出して前を猛追。先頭に立っていたBrass Hatを残り50m辺りで快に差し切り、1身半差をつけて優勝した[1]

次走はイギリスプリンスオブウェールズS(GI)となった。ここでは前年の英チャンピオンS(GI)を勝ち、ドバイデューティーフリー(GI)を3連勝で制した*デビッドジュニア、英オークスなどGI4勝の名Ouija BoardインターナショナルSの後にBCターフでShiroccoの2着に入ったAceなどがいてかなりハイレベルな戦いとなり、エレクトロキューショニストはスタートから逃げてそのまま押し切ろうとしたが、後方から飛んできたOuija Boardに半身差し切られて2着に終わった。

続けてキングジョージに参戦。ここでは前年の凱旋門賞欧州年度代表馬Hurricane Runと、ドバイシーマクラシックを4身差で圧勝してきた日本ハーツクライがいて、日本とはこれで3回の対戦となった。単勝オッズはHurricane Runが1.83倍で1番人気ハーツクライが4倍で2番人気、本が5倍で3番人気に推され、ドバイワールドカップ以来の対戦となるMaraahelが4番人気ながら15倍と、Hurricane Run・ハーツクライ・エレクトロキューショニストの3強対決と見られていた。

レースが始まるとエレクトロキューショニスト営が用意したペースメーカーCherry Mixが好スタートからそのまま逃げHurricane Run、ハーツクライ、エレクトロキューショニストの順で続いた。しばらくその隊列だったがデットーリ騎手はじわじわと位置を上げていき、最終コーナーではハーツクライHurricane Runを交わしながら2番手に上がって、直線でこの2頭との叩き合いに持ち込んだ。最初はHurricane Runが一歩後れていたものの、エレクトロキューショニストとハーツクライが熾叩き合っている間にHurricane Runも並んできて、3頭での叩き合いとなった。そして最後はHurricane Runが僅かに先んじてゴールを通過し、エレクトロキューショニストは一旦全に先頭に立っていたハーツクライこそ差し返したものの、半身差で惜しくも2着に敗れた。

そしてエレクトロキューショニストは10月の英チャンピオンS標として調整に入ったが、キングジョージ戦からおよそ1ヶ後の9月9日、大きな悲報が競馬界を駆け巡った。

エレクトロキューショニスト、心臓発作により急死

5日前に心臓異常が見つかったエレクトロキューショニストは検のため入院していたのだが、治療もわずこの日の未明に亡くなってしまったのだ。

逃げてよし、差してよし、芝でもダートでも関係なしという柔軟さを武器に活躍した優駿の死を、デットーリ騎手サイード師、そして競馬メディアは「勇敢なだった」「いつも戦いを楽しんでいた」「どのような条件でもチャンピオンだった」と異口同音に悼んだ。

5歳を迎えてなお翳らぬ強さを発揮し続けたエレクトロキューショニスト。その活躍はどこまで伸びていたのか、そして種牡馬としてどんな産駒を輩出していたのか。そんな想像に対する答えは、永遠に出ることはない。

血統表

Red Ransom
1987 鹿毛
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
*アラビアII
Arabia
1977 鹿毛
Damascus Sword Dancer
Kerala
Christmas Wind Nearctic
Bally Free
Elbaaha
1994 栗毛
FNo.23
*アラジ
Arazi
1989 栗毛
Blushing Groom Red God
Runaway Bride
*ダンスールファビュルー Northern Dancer
Fabuleux Jane
Gesedeh
1983 栗毛
Ela-Mana-Mou *ピットカーン
Rose Bertin
Le Melody Levmoss
Arctic Melody
競走馬の4代血統表

クロス:Nearctic 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×5(6.25%)

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関連項目

脚注

  1. *Brass Hatはこの後物が検出されて失格となった。このため2着にはBrass Hatの3身後ろで入線したWilkoが繰り上がり、5位入線のカネヒキリ、7位入線のスターキングマンの順位も一つずつ繰り上がった。
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