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エンペドクレス

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エンペドクレス(Empedocles、紀元前490年頃~紀元前430年頃)は、古代ギリシア自然哲学者である。

生涯

紀元前490年頃、アクラガス(現アグリジェント)に生まれる。

ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』によると、吹き荒れるを鎮めた、汚染されたを清めたなどの自然的な逸話を残したという。

晩年には自分が神々の一柱であると考え、それを明するために、エトナ山の火口に飛びこみ、それが原因で亡くなったとされる(ただ、この説の偽は不明)。

エンペドクレスの思想

エンペドクレスの思想には、二つの側面がある。一つは「四元素説」、もう一つは「」「争い」である。

四元素説

タレスらミレトス学を受け、エンペドクレスも「万物の根アルケー)」とは何かを考えた。ただ、彼の特徴は、アルケーが一つではなく四つ存在すると考えたことである(多元論)。

エンペドクレスによれば、世界は火・・土・空気の四つの「根(リゾーマタ)」からなり、それらが集合離散して、物質が生成消滅しているのだという。

「愛」「争い」

エンペドクレスのもう一つの特徴は、アルケーを考えただけでなく、それがどのように生成消滅するかの原因を考えたことである。

エンペドクレスによれば、四元素を結合させる力が「」(ピリア)であり、離散させる力が「争い」(ネイコス)である。四元素はそれ自体では生成消滅せず、「」によって結合し、「争い」によって離散するという。

この背景には、パルメニデスの変化否定論がある。(タレスのいうような)が万物に変化したりといったことはありえない。のままであり、火は火のままである。ただ、それらが結合や離散を繰り返すことによって、万物が生成消滅する。

後世への影響

エンペドクレスの四元素説アリストテレスに引き継がれた後、錬金術アラビア医学にもを与え、長らく支配的であった。同時代にデモクリトス原子論を唱えたが、アリストテレス四元素説を支持したこともあり、長らく無視されてきた。

近代になり、ドルトンやラボアジェが原子論の正しさを明し、四元素説は支持を失った。

逸話

前述したように、彼はエトナ山の火口に飛びこんで亡くなったとされる。火口に飛びこむ際、彼は履いていたサンダルを脱ぎ、きちんとえていたという。このことから、「エンペドクレスのサンダル」という言葉が広まったという。

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最終更新:2025/12/09(火) 15:00

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