オットー・フランク・フォン・ヴァーンシャッフェ(Otto Frank von Wahnschaffe)とは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。CV.仲野裕。
自由惑星同盟軍人、大佐。
年齢は宇宙暦794年時に40代前半で、帝国からの亡命者出身(本人が亡命者かは不明)。
筋骨たくましい身体に加え、側頭部の毛と口ひげが白いために将官級の風格を持つ。
同盟軍最強の陸戦部隊と名高い薔薇の騎士連隊の第12代連隊長を務めた。
出身は亡命者だが、フォンの称号が示すように帝国貴族の係累であり、先祖は代々武門の家である。
薔薇の騎士連隊で戦闘と昇進を重ね、中佐に至ったヴァーンシャッフェは、宇宙暦791年、第11代連隊長ヘルマン・フォン・リューネブルク大佐の帝国への逆亡命を受け、第12代連隊長に就任した。
宇宙暦794年、ヴァンフリート星域の会戦時には、連隊とともに衛星ヴァンフリート4=2南半球に設置された後方基地の守りを務めることとなる。そのさなかの3月27日、帝国軍グリンメルスハウゼン艦隊が同衛星の北半球に降下すると、基地司令官シンクレア・セレブレッゼ中将はこれを同盟軍後方基地への攻撃を企図するものと判断。ヴァーンシャッフェ自身はセレブレッゼの見解に必ずしも同意してはいなかったものの、ひとまず自ら部下を率い地上偵察を行うことになった。
標準時12時45分、彼は基地守備を副連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ中佐に任せ、35名の兵士と6台の装甲地上車を率いて出発する。しかし途中、急傾斜の岩場に差し掛かった辺りで故障車が発生し、進退の決定に悩むこととなった。幸いにも、彼らが帰らないのを知ったシェーンコップ以下が8時間30分あとに基地を出て後を追っており、29日8時40分に合流に成功する。
だがいっぽうで帝国軍側も偵察を派遣しており、先代連隊長であったリューネブルク准将が率いる帝国軍陸戦部隊が同盟軍偵察部隊に迫っていた。そして9時30分にはじまった帝国軍の攻撃により、ヴァーンシャッフェは右第二肋骨の下と左腿を装甲服ごと大口径弾に撃ちぬかれて重傷を負う。数に劣り奇襲を受けたことを知ったシェーンコップは撤退を選び、ヴァーンシャッフェはシェーンコップの装甲地上車に運び込まれて戦域を脱出した。
装甲地上車の中でヴァーンシャッフェは応急手当を受けたが、可能だった治療は包帯とゼリーパーム程度であった。これに加え解熱剤を服用したが、鎮痛剤は自ら服用を拒否している。そのまま彼は基地の病院に運び込まれたが、残された彼の体力は手術に耐えられるものではなくなっており、3月31日6時30分に死亡した。薔薇の騎士連隊における戦死した連隊長は彼が4人目であった。
彼の戦死によって空白となった薔薇の騎士連隊の指揮権は、同日7時30分、セレブレッゼ中将の命令により副連隊長シェーンコップ中佐が連隊長代理として引き継いだ。なお、その後の敗戦もあってシェーンコップが大佐に昇進し第13代連隊長に就任するのは同年8月15日まで遅れた。
性格は固く、冗談をあまり解さないタイプ。
連隊長に就任する前の中佐時代は、豊かな戦闘経験と部下への気前の良さで相応の人望を勝ち得ていた。しかし連隊長就任後は、将官への昇進を目指しているのか、部下には尊大、上層部には卑屈な態度に変貌。政治家や財界と結びつくようになり、部下からの人望も失われていった。その最期も栄光に包まれたものとはいえなかったが、それでもなお鎮痛剤の服用を拒否し重傷の激痛に耐えるなど戦士としての剛毅さは残していた。
彼が連隊長に就任してからのこれらの変化について、シェーンコップは「地位の向上と権限の拡大とに耐えるだけの、精神的な骨格をもちあわせていなかった」と評しており、大隊長以下の地位にとどまっていれば器量相応の有能さと人望さを維持しえただろうという感想を抱いている。
ちなみに、戦死時に40代前半であったヴァーンシャッフェの先代連隊長であるリューネブルクは、その三年前の亡命時には32歳であった。
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最終更新:2025/12/07(日) 14:00
最終更新:2025/12/07(日) 13:00
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