オリオール(Aureole)は、1950年イギリス生まれの競走馬・種牡馬である。
父であるジョージ6世から王位を継承した女王エリザベス2世の所有馬として走り、女王の両親の名を冠したキングジョージVI世&クイーンエリザベスSを勝利した。馬名は聖人・聖像を取り巻く後光を意味する。
父Hyperion、母Angelola、母父Donatelloという血統。
父ハイペリオンは既に英愛リーディングサイアーを5回、英愛リーディングブルードメアサイアーを1回獲得していたこの時代を代表する大種牡馬。
母アンジェローラは1948年のヨークシャーオークスを勝つなど通算9戦4勝。2歳上の半姉に1945年のデューハーストSと1946年の1000ギニーを勝ったHypericum、2歳下の妹に本馬が産まれた年のヨークシャーオークスを勝ったAbove Boardがいる。祖母Feolaから連なる牝系にはアメリカの名馬Round Tableや奇しくも同じく女王の所有馬として走ったHighclereが出ており、現代でもRound Tableの全妹Monarchyの牝系子孫である*ヨハネスブルグやHighclereの牝系子孫であるディープインパクト、Baaeedらが競馬界を盛り上げている。
母父ドナテッロは名馬産家フェデリコ・テシオの生産馬。最後のレースとなったパリ大賞で2着に負けただけの9戦8勝で、勝ち鞍には伊グランクリテリウムやデルビーイタリアーノといったイタリアの大競走が多く、種牡馬としても英二冠馬Crepelloや名ステイヤーAlycidonらを出して活躍した。
本馬は時のイギリス国王ジョージ6世がナショナルスタッドで生産した馬だったが、本馬のデビューを見ることなくジョージ6世は1952年2月に崩御。彼の娘であるエリザベス2世に王位が継承されると、本馬も女王の所有馬として走ることになり、ジョージ6世の時代から関わりがあったセシル・ボイド=ロックフォート調教師に預けられた。気性が激しい馬だったが、ボイド=ロックフォート師は「Hyperion産駒は気性が激しいくらいがちょうどよい」とあまり問題にしなかったという。
2歳8月のエイコムS(6ハロン)でデビューした本馬はスタートで出遅れたが、巻き返すとアタマ差で勝って初戦を勝利で飾った。続けて2歳戦の中でも特に重要なレースの一つであるミドルパークS(6ハロン)に向かったが6着に敗れ、2歳時は2戦1勝となった。
3歳時は2000ギニーから始動し、ミドルパークSの勝ち馬であるNearulaの5着となった。続くリングフィールドダービートライアル(12ハロン)は距離延長が良かったか5馬身差で完勝し、ダービーの有力候補に名を連ねることとなったが、エリザベス2世の戴冠式の4日後に開催された本番のダービーでは発走前に激しくイレ込んでしまった。それでも末脚は伸ばしていたが、ナイトの称号を得た1週間後のレースで29回目の騎乗にして初のダービー制覇を成し遂げたサー・ゴードン・リチャーズ騎手のPinzaに4馬身差を付けられた2着に追い込むのが精一杯であった。エリザベス2世はこれ以降、2022年の崩御までに他のクラシック4競走は勝利したが、ダービーだけは1番人気で挑んだ2011年のCarlton Houseが最後の直線で落鉄するといった不運な巡り合わせもあって遂に勝てずじまいであった。
その後軽度の咳で順調さを欠き、エクリプスSではフランス調教馬Argurから9馬身差を付けられた3着に終わった。続けてキングジョージVI世&クイーンエリザベスSに向かったが、またしてもPinzaに置き去りにされ3馬身差の2着に敗れた。
気性難を改善するため神経科医をつけられて夏を過ごし、秋はセントレジャーから始動した。調教中に故障引退したPinzaが不在だったこともあり本馬が単勝2.5倍の1番人気に推されたが、大観衆の影響もあったかまたもレース前に激しくイレ込み、アイリッシュダービーで1位入線しながら強引な進路取りを咎められ失格していた同厩馬Premonitionに6馬身差を付けられて3着に敗退した。
続けて出走したカンバーランドロッジS(12ハロン)ではこれまでの主戦だったハリー・カー騎手が減量に失敗したため、エフ・スミス騎手が騎乗した。このレースを勝利して以降はスミス騎手が主戦となった。
3歳時は7戦2勝で、大一番では勝ち切ることが出来なかった。しかし冬場も神経科医がつき続けた結果、4歳シーズンが始まる頃には心身ともに成熟した。
4歳時はコロネーションS(10ハロン)[1]から始動した。単勝1.8倍の1番人気に推されたが、進路妨害などが相次ぐ荒れたレースとなり、前年のアイリッシュダービーで繰り上がって勝ち馬となった*シャミエから1馬身差の2着だった。
気を取り直してヴィクターワイルドS(12ハロン)を4馬身差で勝つと、続くコロネーションカップ(12ハロン)は2着Chatsworthに5馬身差を付けて完勝し、初の大レース勝利を挙げた。レース後、ボイド=ロックフォート師は「オリオールの素晴らしいパフォーマンスは嬉しい。しかし、女王がここに臨場することが出来ず、この馬の勝利を見届けられなかったのは残念です」と語った。
続くハードウィックS(12ハロン)でも短頭差で勝ち、前年に続いてキングジョージVI世&クイーンエリザベスSに挑戦した。*シャミエ、当年の2000ギニー馬Darius、当年のリュパン賞優勝馬Vamos、イタリアで大レースを総ナメにしていたBotticelliらを抑えて単勝5.5倍の1番人気に推された本馬だったが、ゲートに向かう途中でスミス騎手を振り落とすという過去最悪の暴れっぷりを見せた挙句、スタートで数馬身の出遅れを喫してしまった。しかし早めにリカバリーして中盤で先頭に追いつくと先頭を伺いながら直線に突入。スムーズさを欠いたレースぶりではあったがVamosを相手に最後まで粘って3/4馬身差で勝利し、アスコット競馬場は拍手喝采となった。馬主としてエリザベス2世がウィナーズサークルに姿を現すと再び歓声が起き、自らの所有馬で両親の名を冠したレースを勝ったことを大いに喜んだ女王は報道陣にシャンパンを振る舞ったという。
このレース後は出走がなく、4歳時5戦4勝・通算14戦7勝で引退し、王室所有のサンドリンガムスタッドで種牡馬入りした。なお、1954年のエリザベス2世は本馬の活躍もあり英国リーディングオーナーとなっている。
種牡馬入りした本馬は、初期の産駒から早速凱旋門賞馬*セントクレスピンや英ダービー・セントレジャー勝ち馬St. Paddyを出すなど活躍。St. Paddyを含め3頭のセントレジャー勝ち馬を出し、St. PaddyとAureliusで種牡馬としてセントレジャーを連覇した1960・61年には英愛リーディングサイアーとなった。また、大レースの勝ち鞍は無かった*ヴィエナは種牡馬入りしてから凱旋門賞馬Vaguely Nobleを出し、そのVaguely Nobleが超名牝Dahliaを出して1973・74年の英愛リーディングサイアーとなった。Vaguely Nobleは他にも米国顕彰馬Exceller、G15勝を挙げた牝馬Estrapade、1982年エクリプス賞最優秀古馬牡馬Lemhi Goldといった北米での活躍馬も出した。
日本でも*セントクレスピンが天皇賞馬のタイテエムとエリモジョージを出し、2000ギニー3着があるくらいだった1勝馬の*オーロイからカブトシローが出るなどそこそこの勢力を保っていたが、サイアーラインは世界的に見ても21世紀に入る頃には衰退。現在では晩年をクロアチアで過ごしたLemhi Goldのラストクロップで2016年生まれの産駒がいるクロアチア産馬Jonathan Livingstoneがひょっとしたら……というくらいで絶滅にほぼ等しい状態となってしまった。
後世のことはともかく、種牡馬としては十二分に成功を収め、競走・繁殖両面でエリザベス2世の代表馬として十分に数えうる成績を残したオリオールは、1975年に25歳で死亡した。
Hyperion 1930 栗毛 |
Gainsborough 1915 鹿毛 |
Bayardo | Bay Ronald |
Galicia | |||
Rosedrop | St. Frusquin | ||
Rosaline | |||
Selene 1919 鹿毛 |
Chaucer | St. Simon | |
Canterbury Pilgrim | |||
Serenissima | Minoru | ||
Gondolette | |||
Angelola 1945 鹿毛 FNo.2-f |
Donatello 1934 栗毛 |
Blenheim | Blandford |
Malva | |||
Delleana | Clarissimus | ||
Duccia di Buoninsegna | |||
Feola 1933 黒鹿毛 |
Friar Marcus | Cicero | |
Prim Nun | |||
Aloe | Son-in-Law | ||
Alope | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:St. Simon 5×4(9.38%)、Galopin 5×5(6.25%)、Cyllene 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/04/19(金) 11:00
最終更新:2024/04/19(金) 11:00
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