オリビエ・パニス単語

オリビエパニス

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オリビエ・パニスOlivier Denis Panis, 1966年9月2日 - )とは、フランス出身の元F1ドライバーのことである。

経歴

F1参戦以前

1966年フランスリヨンで生まれる。

1980年頃からカートの大会に参戦し始め、レーサーとしてのキャリアを歩みはじめる。この頃にドライビングスクールである「エルフスクール」に入学スクール内で実トップになり、エルフスポンサードを受けるようになる。

1988年フォーミュラルノーにステップアップし、89年にはチャンピオンを獲得。

1990年からはフランスF3選手権に参戦、91年には4勝をあげランキング2位の好成績を残す。

1992年からはF3000選手権に参戦、93年にはシリーズチャンピオンを獲得。

この活躍が評価され、翌年はリジェからF1レギュラー参戦することとなった。

F1デビュー以降

デビューイヤーの1994年戦闘力こそ高くないものの信頼性の高いマシンを駆り、第9戦ドイツGPで2位に入賞し初のポイントと表台を獲得した。その後も2度の入賞を記録し、全16戦で15回の完走するなどルーキーとは思えぬ老獪な走りを見せ、ランキング11位(獲得ポイント:9)の成績を残す。

1995年、最終戦オーストラリアGPでは2位走行中のレース最終盤にマシン煙を吹くトラブルが発生するもののなんとか順位を落とさず完走2位台を獲得。このシーズンは6度の入賞と入賞回数を増やし、ランキングも8位(獲得ポイント:11)と前年の成績を上回ってみせた。

1996年チーム内のゴタゴタにより資繰りが悪化し財政難となったリジェであったがパニスは奮闘した。

第6戦モナコGPではによるウェットコンディションで大荒れ模様のレース展開になった。スタート々に5台がリタイアするとそのリタイア続出のサバイバルレースの様相となった。

そんな中決勝14番手スタートのパニスは重めに燃料を積み冷静にレースを運んでいく。このピットストップを短くする戦略が見事にハマりパニスはファステストラップを連発し順位を上げ、更にトップ走行のデイモン・ヒルエンジンローリタイア、変わってトップに浮上したジャン・アレジも終盤にサスペンショントラブルリタイアし、遂にトップに立つ。

その後、2位走行のデビッド・クルサードの猛追を1位チェッカーフラッグを受け、見事初優勝を達成。正式にチェッカーフラッグを受けたマシンが3台、完走扱いのマシンですら7台というF1歴史においても屈サバイバルレースであった。

その後もり強く走り、ランキング9位(獲得ポイント:13)の成績を残した。シーズン後、チームアラン・プロスト株式をすべて売却し、チーム名を「プロストグランプリ」に称、パニスは引き続きレギュラードライバーとして契約した。

1997年、新たなチーム体制で開幕から2度の表台に立つなど好調であったものの、第7戦カナダGPでコンクリートウォールに突し両足を骨折し長期離脱。復帰戦の第15戦ルクセンブルクGPで6位入賞したものの離脱期間が長かったためランキングは9位に終わる。

1998年チームの体制がオールフレンチとなり期待されたものの、蓋を開けてみれば戦闘力・信頼性ともに期待はずれ。チームは同僚のヤルノ・トゥルーリの6位入賞1度がやっとの状態であり、パニスはF1参戦以降初のノーポイントに終わってしまった。

1999年、2度の入賞と意地は見せたもののマシン戦闘力の低さに苦しみ、更には予選での順位を決勝で大きく落とす展開や同僚のトゥルーリにも遅れを取る場面も立った。ランキングも15位と低迷した。シーズン後、マクラーレン・レーシングサードドライバーに就任した。

2000年マクラーレンサードドライバーとしてテスト走行やマシン開発を担当。開発やフィードバックの高さを評価され、翌年もサードドライバーとしては破格の条件を提示され残留を望まれたものの、パニス自身がレース出場を望んだため決裂。レギュラードライバーとしてオファーを出していたB・A・Rへ移籍することとなった。

2001年からはB・A・Rレギュラードライバーとして参戦。しかし2年間で入賞4回とマシン戦闘の低さに泣かされた。2002年シーズン後、トヨタF1へ移籍した。

2003年、第8戦カナダGPで8位入賞をはじめ3度の入賞を記録。しかし新人のクリスアーノ・ダ・マッタより入賞回数・獲得ポイントともに下回る成績に終わってしまった。

2004年、3度の入賞を記録したものの、最終戦前の第17戦日本GP開催前にレギュラードライバーとしては引退することを発表。迎えたレースは14位完走で最後のレースを終えた。

2005年からはトヨタF1テストドライバーとして活動し2006年を最後にF1舞台を後にした。

F1引退後

F1引退後はル・マン24時間耐久レーススポーツカーカテゴリレースに時折参戦しながら、A1グランプリのチームディレクターや若手ドライバーの活動を支えるマネージャーとしても活動している。

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最終更新:2024/03/29(金) 09:00

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