オールドボールドペグ(Old Bald Peg)とは、推定1635年生まれのサラブレッドの基礎繁殖牝馬の一頭であり、サラブレッド最古の牝系の始祖である。
便宜上、6号族についてもこの記事で解説する。
馬は人類史の中では軍馬として広がっていったが、7世紀あたりからアラブを中心としたイスラム圏では見栄えが良くてタフで健康な馬が選定されていった。この頃から近親交配にはできるだけならないように交配されたらしいが、口伝だったため記録には残っていない。
アラブで品種改良された馬がよく走るという噂はヨーロッパにも広まり、独自に輸入して品種改良する所も現れていた。
1539年のイギリスではリチャード2世王が初の常設の競馬場、チェスター競馬場を設立した。これが近代競馬の始まりとされる。
17世紀には百年戦争の爪痕も癒え、清教徒革命から王政復古にかけて市民が力を得て、裕福層が現れていた、そんな時期だった。(一応イングランド内戦などはあったが。)
イギリスの貴族たちは輸入したアラブ種の牡馬にイギリス在来種を掛け合わせて(アラビア人は優秀な繁殖牝馬をなかなか手放さなかったためといわれている)競走馬を生産し競走させていたが、そんな中で17世紀中ごろに牡のアラブ馬と牝のバルブ馬を親に持つ牝馬が輸入されてきた。(バルブ馬は北アフリカの「バーバリー地方」でアラブ種を元に改良した品種)
それがオールドボールドペグである。オールドボールドペグは名前から太い鼻白があったと思われるが、その他のことはよくわかっていない。
東洋の「純血種」となる彼女はフェアファックスモロッコバルブと配合されてオールドモロッコメアを生み出した。現在オールドボールドペグとオールドモロッコメアの肖像画が残っているが、後の創作であると思われる。二代目バッキンガム公爵によってノースヨークシャー州のヘルムズリーで繋養されたオールドモロッコメアはチャールズ二世在位時(1660~1685)最強といわれたスパンカーや、3頭の優秀な繁殖牝馬を送り出した。
オールドボールドペグの牝系は初期の競馬に大きな影響を与え、スパンカー以外にもバスト、フォックス兄弟やダーレーアラビアンの後継種牡馬フライングチルダーズ、バートレッツチルダーズ兄弟、バイアリータークの後継種牡馬ジグ、ゴドルフィンアラビアンの後継種牡馬ケード、初代ダービー馬ダイオメドなどをこの一族から送り出した。
1895年にオーストラリアのブルース・ロウ氏によって発表された「フィギュアシステムによる競走馬の生産」では6号族と位置付けられた。これはオールドボールドペグ牝系は1~5号族より当時としてはイギリスのクラシック競走の活躍が少ないことを意味している。
1978年に発表されたマホンとカニンガムによる「馬の遺伝に関する研究報告書」によると、繁殖牝馬で最も遺伝的な貢献度が大きいのはオールドボールドペグの3.1%とされている。
偉大な繁殖牝馬オールドボールドペグは今でもサラブレッドに大きな影響を与え続けているのである。
(始祖なので)ないです。
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最終更新:2024/04/25(木) 12:00
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