オールナイトニッポンは、ニッポン放送をキー局に全国ネットで放送されている深夜ラジオ番組である。
略称は「ANN」。BITTERSWEET SAMBAのテーマソングで親しまれている。
この記事ではオールナイトニッポンと名の付く番組すべてを一まとめにして紹介する。
偶然にも当番組と同じ年に始まった「JET STREAM」(TOKYO FM)と並び、現在放送されているラジオ番組でも有数の歴史を誇る深夜番組である。ニッポン放送で開局以来放送された番組の中でも2番目に長い歴史を持つ(最長寿番組は「テレフォン人生相談」)。
トーク主体のラジオ深夜番組のイメージを現在の形に決定づけた番組の一つであり、ラジオ深夜番組のパロディなどでほぼ確実に番組テーマ曲である「BITTERSWEET SAMBA」が使用されるほどの認知度を誇る。
放送開始以来変わっていない番組の特徴として、番組スポンサーが「提供」ではなく「協賛」という形でついている点が挙げられる。
スポンサーからの番組内容の過剰な干渉を避けるためにこの形が取られ、それが現在に続く長寿化へとつながった秘訣の一つとされている。
ANN1部のみのネット局では27時でネット飛び降りとなる。現在はZERO時間帯の他局ネットからの鞍替えが進み少数となったが、1部のパーソナリティーがエンディングで「このあとは○○のオールナイトニッポンZEROです」といっても放送されない地区がある。
放送開始から50年以上の歴史を持つ大長寿番組である。様々な変遷を経て今日まで続いている。
1967年放送開始。当初は局アナメインの音楽番組だった。この頃は深夜1時から5時までの4時間生放送。この頃の代表的パーソナリティーは糸居五郎、高崎一郎、亀淵昭信(カメ、元:ニッポン放送社長)、斉藤安弘(アンコー)など。当時、深夜に流す番組がないローカル局に積極的に働きかけ、ネット局を増やすことに成功した。
開始から1970年代まではTBSラジオの裏番組「パックインミュージック」と同様、月曜深夜の放送を「火曜日」と明けの曜日呼称を用いていた。土曜深夜に放送されていた「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」が「サンデースペシャル(サンスペ)」と呼ばれていたのはその名残である。
1972年7月改編で前半2時間と後半2時間をそれぞれ帯番組にするなどてこ入れを行うが、競合裏番組である「セイ!ヤング」(文化放送)や「パックインミュージック」(TBSラジオ)に苦戦。1973年7月改編でアナウンサーからタレント主体のラインナップに変更。1974年7月改編では前半と後半が完全に分割される2部制が導入され、1999年までこのおなじみの体制が続くことになった。
放送枠が増えた分新規のパーソナリティーも積極的に開拓されるようになり、1970年代~1990年代前半に人気番組となった。この頃の代表的パーソナリティーは笑福亭鶴光、タモリ、所ジョージ、中島みゆき、ビートたけし、とんねるず、鴻上尚史、デーモン小暮、サンプラザ中野、伊集院光、大槻ケンヂ、ウッチャンナンチャン、電気グルーヴ、松村邦洋、福山雅治など。
1994年にはANN史上最長放送記録を樹立した「ナインティナインのオールナイトニッポン」がスタートしている。
1998年にそれまでの1部・2部の呼称から、2部を「オールナイトニッポンR」に変更。
そして1999年4月改編にはニッポン放送の夜の放送枠を「LF+R(エルエフアール)」と総称することとなり、それまで1部で放送された番組を夜10時台の夜ワイド枠に新設された「allnightnippon SUPER!」に移動。旧1部を「@llnightnippon.com(オールナイトニッポン・コム)」、そして旧2部の「allnightnippon-r」と、3部制に移行した。
しかし、「SUPER!」は当初関東ローカルでそれをインターネットのストーリミング放送で未ネット地域に補完するというシステムを敷く、「com」「r」も番組内に箱番組を乱立させるなど、改悪ともいえる編成を行ったため低迷。半年ほどで「ナイナイのANN」の「com」への移動、「SUPER!」の全国ネット拡大などを行ったが、その隙にライバルのTBSラジオが「UP's」~「JUNK」で足場を固めて形勢を逆転される。22時台もTBSラジオは「バトルトークラジオ・アクセス」が大ヒット番組となり、「SUPER!」も大苦戦を強いられることになる。秋田放送、新潟放送、南日本放送といったJRN寄りの編成を行う局が「アクセス」をネットしていたため、「com」に比べて「SUPER!」のネット局は少なかった。
なお、TBSラジオの深夜枠の足固めに貢献した番組の一つが皮肉にも「オールナイトニッポン」出身の伊集院光が始めた「伊集院光 深夜の馬鹿力」であった。
また「第2の開局」と称して大幅なイメージ変更をするに当たり、LF+Rのカラーに合わないという理由で貢献者であった松任谷由実、松村邦洋のオールナイトニッポンを人気があったにも関わらず打ち切った事もリスナーの怒りを買う結果となった。
この頃より、ラジオへのスポンサー減少が業界全体に広がっていき、それまで自社制作の若者向け夜ワイド番組を放送していた地方局は製作費削減を兼ねて22時台~23時台の東京キー局の番組をネットするようになり、地方局の夜ワイド番組の多くが終了していった。
このオールナイトニッポンブランドの地位低下を招いたLF+Rは、「これから訪れるネット時代に対応した放送形態に進化する」という意図で「SUPER」のネットストリーミング放送、番組公式サイトの開設、電子メールによるメッセージ投稿の開始と大々的にイメージチェンジを図ったが、特にネットストリーミング放送に関しては明らかに時期尚早過ぎたのが大きな敗因であったのは否めない。2000年代半ばに登場したYouTubeやニコニコ動画などの動画配信サイトによる生放送、2010年にサービスを開始したradikoによるラジオ番組のネット配信の一般化など、時代の潮流としては確かにLF+R立ち上げ当初のニッポン放送側の目論見は結果的に間違ってはいなかったが、それを実現させるための技術やリスナーの意識がまだ追いついていなかったことが迷走の引き金を引いたと言えよう。
LF+R末期は初期の「com」のような箱番組乱立状態ではなくなり、結局元の鞘に収まる形で2003年に「LF+R」が消滅、「com」を再び「オールナイトニッポン」に戻し、半年後には旧2部の「R」の月曜~木曜を中高年向けの「オールナイトニッポンエバーグリーン」に転換した。2004年には夜ワイド枠で放送されていた「オールナイトニッポンいいネ!」(「SUPER!」の後継番組)を終了させ3部制も撤退したものの低迷は続き、かつて十数社もあった協賛スポンサーが激減し、3~4社ほどとなってしまった。
2009年11月30日から22時台に5年8ヶ月ぶりにオールナイトニッポンのブランド名をレギュラーで冠する番組「オールナイトニッポンGOLD」がスタート。これにより実質的にANNの3部制が復活。ただし以前のSUPER!、いいネ!とは異なり、GOLDはヤングタイム番組としてではなく主要ターゲット年齢層を30代から40代と高めに設定した番組として構成されている。
2012年4月改編において、2003年以降中高年向けに方向転換していた旧2部枠を若手育成枠に再び戻すこととなり、「オールナイトニッポン0(ZERO)」がスタートした。
初代パーソナリティに選ばれた面々は公募によって選ばれた。選考に於いてはYouTubeに自身のトークを録画した動画を投稿した上で応募するという形が取られたのも特徴的である。
なお、旧2部枠が全曜日生放送に復帰するのは1998年の改編以来14年ぶりである。「オールナイトニッポンR」という名称は土曜日のみ残される形で2018年3月まで存続した。
2010年代前期はJUNKに完全に負けていたものの、中期からはJUNKの顔触れがほとんど変わらなくなっていったことや、オードリー、乃木坂46(新内眞衣→久保史緒里)、菅田将暉、星野源、三四郎、Creepy Nutsなどの台頭により息を吹き返し、更には2部時間帯である3時台・4時台の番組が2020年代以降「走れ!歌謡曲」(文化放送)と「Fine!!」(TBSラジオ)が相次いで終了し、それぞれの後継番組「ヴァイナル・ミュージック」「CITY CHILL CLUB」を打ち切って同時間帯をANN0と「上柳昌彦 あさぼらけ」前半部に鞍替えする局が増加した。2021年4月改編において、「オールナイトニッポン」「オールナイトニッポン0(ZERO)」のパーソナリティがほぼ盤石で、アイディンティティである世の中がまだ知らないしゃべりに魅力がある人を発掘するというチャレンジがしにくくなっていたため、新たに「第3のオールナイトニッポン」として、「オールナイトニッポンX(クロス)」がスタート。
2013年に「オールナイトニッポン月イチ」が誕生して以来、8年ぶりのオールナイトニッポンの新ブランドの誕生となった。
また、ラジオ放送でのオールナイトニッポンシリーズと並行して2009年よりネットでの独自番組も製作。「オールナイトニッポンモバイル」(2009年~2017年)、「オールナイトニッポンi」(2017年~)を経て「オールナイトニッポンPODCAST」を2021年より開設している、
番組開始当初はニッポン放送のみのローカル番組だったオールナイトニッポンだが、1970年6月30日よりSTVラジオ、静岡放送、ラジオ大阪の3局が番組ネットを開始し、拡大路線が始まる。
特にSTVラジオ(旧:札幌テレビ放送ラジオ局)では元々1962年開局とAMラジオ局としては非常遅れ先発のHBCラジオに大きく水をあけられていたという事情があり、夜間のプログラム不足を補うために1968年に24時間放送に踏み切りネット開始。当時、HBCは自社製作深夜番組「オールナイト北海道ミッドナイトスパーク」を放送していた事。当時のSTVはフジテレビ系列局(正確には日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネット)であり、フジサンケイグループ(ニッポン放送)との関係が非常に強かったことから北海道地区はSTVがネットする事になった。
STVラジオはANNのネット受けを開始した1970年に、このANNの前の時間帯である24時台に自社製作の深夜番組「アタックヤング」も開始。このアタックヤングとANNの相乗効果により北海道の若者リスナーの開拓に成功している。アタヤン出身のSTVアナウンサーは後にSTVテレビでもエースとして活躍し、同局の人気に大きく貢献した。
1970年代以降、ANNのネット局は急拡大。JRN系列の「パックインミュージック」(TBSラジオ)のネットからANNのネットへ切り替える鞍替え局を大量に得たり、そもそも平日深夜帯も放送休止にしていたものを新規にANNのネット開始することで日曜深夜以外の24時間放送化に踏み切る地方局も多く生んだ。
しかし、東海地区において大問題が発生する。
東海地区では本来NRN系列局である東海ラジオがネットするのが筋である。しかし当時、25時から27時にかけて大人気自社制作番組「ミッドナイト東海」が放送されていた。「ミッドナイトの放送を打ち切ってまでオールナイトは放送できない」とネットを断られてしまった。
そこで「ミッドナイト東海」に大きく水を開けられていたJRN系列の中部日本放送(現:CBCラジオ)が自社製作からANNのネットに転換。しかし中部日本放送はJRN単独系列で、ANNはNRN系の回線を使い配信されていたため番組の同時ネットが厳しいという問題に直面する。そこでニッポン放送は中部日本放送東京支社に直接回線を通すという異例の形で系列外ネットを行った。これにより、東海地区のオールナイト腸捻転体制が確立した。
1983年にミッドナイト東海は終了。しかしネット局は東海ラジオに移らず、現在もCBCラジオがネットを続け、東海ラジオは文化放送発の番組(2022年現在「CultureZ」)をネットしている。そのためTBSラジオ制作の深夜番組「パックインミュージック」「スーパーギャング」「UP's」「JUNK」といった番組は東海地区では全く放送されないという問題も抱えている。
なお、深夜27時(午前3時)以降はCBCラジオは3時以降本来の系列であるTBSラジオの「CITY CHILL CLUB」という音楽番組をネット。東海ラジオでは長らく「走れ!歌謡曲」(文化放送)を月~土曜日にネットしていたが、2021年3月に「走れ!歌謡曲」が終了したのを機にANN0のネットへと切り替えた。(金曜ANN0のみ4時30分飛び降り)。
ANN旧2部枠に関しては2018年3月までCBCラジオが土曜日のみネットするという状態が長らく続いていたが、3年の中断を経て逆に平日のみのネットへ入れ替わっている。
また、京阪神地区ではより複雑になっている。
ラジオ大阪は「オールナイトニッポン」(25-26時台)、KBS京都が1部に加え、ANN0をやっている旧2部(27-28時台)はそれぞれ長らくネットしていて(ラジオ関西も2007年10月にANN0の放送を開始)、1999年10月からスタートした「allnightnippon SUPER!」をはじめ、22-23時台の番組も2008年12月までネットしていた(2009年1月から文化放送「レコメン」をネットしている)。
2009年7月にABCラジオ(朝日放送、現:朝日放送ラジオ)が平日22-27時に放送していた「ABCミュージックパラダイス」、深夜の「ABC発午前1時」を突如打ち切り、月-木22-24時に放送していた「オールナイトニッポンGOLD」の前身番組「銀河に吠えろ!宇宙GメンTAKUYA」とTBSラジオ「JUNK」のネット開始。
のちに2014年4月にABCラジオの自社ワイドが復活するため、「オールナイトニッポンGOLD」「JUNK」終了でそのまままた京阪神地区が空白区になると思いきや、なんとMEGA-NET(外国語系)系FM局の「FM COCOLO」にネットチェンジ。「JUNK」のほうは1年間空白期間ののち、2015年4月にラジオ関西でネットを開始し、ラジオ関西では「JUNK→ANN0」という日本各地のAMラジオ局でも唯一のネット編成を取っている。
このように、東海地区同様JRN系列はこれ、NRN系列はこれといった既存のネットワークにとらわれない展開となっている。
土曜日夜の「SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャル」に関しては、以下の地区で腸捻転ネットが発生している。
このため、北海道、愛知、大阪、福岡の場合、サタSP→土曜ANNを続けて聴取するにはラジオ局を切り替える必要がある。
現在1部においては1時台6枠、2時台5枠のCM枠が存在する。1時台の前半2枠と2時台の前半1枠は全国スポンサード枠。後半4枠はローカルCM枠となっている。後半のローカルCM枠は各ネット局がセールスで取ってきたCMや各局の番宣、ACの公共広告を流せるのだが、流せるCMがない(つまりCM枠が埋まらなかった)局のため、フィラーとして各パーソナリティごとに決められた8曲(1部の場合)のBGMが流れる。ニッポン放送でCM明けに10秒足らずのBGMが流れるのはこのフィラーである。
STVラジオ、ニッポン放送、中国放送、KBCラジオのように10秒も流れない地域もあれば、CMタイムが丸ごとフィラーとなる局。東北放送やCBCラジオのように頭にコールサインやステーションジングルだけ入れ、残りはフィラーという局もあり、対応はまちまちである。松任谷由実はパット・メセニー。松村邦洋は大映ドラマの主題歌。谷山浩子はCOSMOSなどパーソナリティーの趣味嗜好が大きく反映されることが多く、フィラーのためにCM中、ローカル局をチューニングして曲を楽しむコアなファンも存在する。
2013年7月より、スポンサー減少に伴い全国ネット枠のCMは大半がACジャパンの広告となっている。枠が埋まりきらなかった時のために全曜日共通のフィラーも流れている。
1部は全国36局ネットだが、2部はTBSラジオや文化放送にネットを切り替えるため、放送しない局が多い(2部は全国12局ネット)。1部の放送が2時58分ごろをめどに終了するのは切り替えの時間を残しているためである。
1980年代までは飛び降り地域は2時58分30秒に全国共通でビタースィートサンバが流れ、「ではこれで、オールナイトニッポンを終わります」のアナウンスで終了となっていた。
1990年代以降は各局に委ねられ、たいていの局は2時59分で番組が終了し、ヒッチハイクCMやクロージングが流れる形となる。
1999年のLF+Rスタートまでは1部のオープニングは全曜日共通でBITTERSWEET SAMBAが流れる。エンディングは各パーソナリティにより決められた曲が流れる。ビートたけしは「ハイサイおじさん」、松任谷由実は「STAY WITH ME」、電気グルーヴは「We Are」(後に「N.O.」)、ナインティナインは「月夜の星空」とフィラー同様、パーソナリティーのカラーが出た選曲となっていた。
2部の場合は1部と逆になり、オープニングはパーソナリティーが決めた曲が使われ、エンディングはBITTERSWEET SAMBAが流れ、曲が終わると同時に放送終了となっていた。
これは、前述の通り、元々4時間番組と始まったことに由来するものだが、中には電気グルーヴのように2部時代からOPがBITTERSWEET SAMBA、EDがパーソナリティ選定曲を使用したパーソナリティも存在する。
1998年頃からはパブリシティとして、ニッポン放送の推薦曲が1部のエンディング曲として流れる事が多かった。1999年以降のナインティナインのように節目の放送では「月夜の星空」。他はその時々の時事ネタや流行りで毎週エンディングが変わるパターンも存在する。
現在、オールナイトニッポンと呼ばれる番組は放送時間によって7種類存在する。
かつては「夜ワイド」と呼ばれた若者向けワイド番組の放送枠を転換。
毎週月曜~木曜夜10時~深夜0時まで放送。全国20局ネット(月曜日のみ東北放送未ネットのため19局ネット)。
毎週金曜夜10時~深夜0時まで放送。全国17局ネット(IBC岩手放送は夜11時、東北放送は11時50分飛び降り)。
元々は月~金の帯番組だったが、「MUSIC10」放送開始に伴い2015年10月から金曜日のみの放送に短縮。
毎週月曜~土曜(火曜~日曜未明)深夜0時~0時53分まで放送中。
前番組「ミュ~コミ+プラス」からの流れで、ニッポン放送の他にSTVラジオでもネットされている。
オープニングテーマは火曜を担当していたYOASOBIのayaseによるBITTERSWEET SAMBAのリミックス。
毎週月曜~土曜(火曜~日曜未明)深夜1時~3時まで放送されている、言わば「本家」。全国36局ネット。いわゆるかつての『第1部』がこれにあたり、現在でも便宜的に1部の呼称が使われることが多い。
元々は「オールナイトニッポン第2部」という主に若手育成枠だった時間帯を1998年に別番組として独立。
しばらくその流れで若者向け番組を編成していたが、2003年に月曜~木曜日が中高年向けの「オールナイトニッポンエバーグリーン」となり分離。金曜日と土曜日のみに縮小された。
その後、2009年に再び「エバーグリーン」を吸収して元の編成に戻った。しかし、月曜~木曜日は「エバーグリーン」と同じ中高年向けの内容となったため、かつての若者向けの番組は金曜日と土曜日に縮小された形となった。
2012年4月、ANN放送開始45周年を期に若手育成枠への回帰が行われ、「オールナイトニッポン0(ZERO)」が月曜~金曜で放送開始。初代パーソナリティ陣の中から久保ミツロウ・能町みね子が初の昇格を果たした。
毎週月~木曜(火曜~金曜未明)の深夜3時~朝4時30分、金曜(土曜未明)深夜3時~朝5時まで放送中。一度途絶えてしまった「若手育成枠」としての『第2部』の復興を目指して14年ぶりの生放送番組として復活を遂げた。
2018年4月より土曜日に放送されていたオールナイトニッポンRが本番組に合併された。
平日は全国34局ネット。土曜日は全国26局ネットであるが、IBC岩手放送・山形放送・和歌山放送では午前4時で飛び降り。
番組開始当初は全国10局ネット(平日)であったが、裏の「Fine!!」(TBSラジオ)や「走れ!歌謡曲」(文化放送)の番組終了、もしくは放送継続中にも関わらず当番組に切り替えるネット局が増え、現在では本家のANNに次ぐ規模のネット局数を抱えるまでに成長している。
こちらもかつては「夜ワイド」と呼ばれた若者向けワイド番組を転換。
毎週土曜日よる11時30分~深夜1時まで放送中。全国34局ネット。
2015年4月から2020年3月まで放送されていた「オールナイトニッポンサタデースペシャル”大倉くんと高橋くん”」の後番組である。パーソナリティは前番組を担当していた関ジャニ∞の大倉忠義の事務所の後輩グループであるSixTONESが担当。
オープニングテーマはオールナイトニッポン0火曜→オールナイトニッポン月曜を担当していた、Creepy NutsのDJ松永によるBITTERSWEET SAMBAのリミックス。
初代パーソナリティの中島みゆき時代には最大9局ネットまで拡大したが、現在の高嶋ひでたけになってからはニッポン放送のみの放送になっている。
順位 | パーソナリティ | 放送期間 | 開始年~終了年 | 担当曜日 | 備考 |
1位 | ナインティナイン | 23年11ヶ月 | 1994年~2014年 | 月曜2部→木曜1部→木曜SUPER!→木曜com→木曜1部→木曜1部 | 2010年5月~11月までは岡村隆史の病気休業のため矢部浩之のみ担当。 連続した番組としては「ナインティナインのオールナイトニッポン」が放送期間21年10ヶ月で歴代1位。 2014年10月~2020年5月まで岡村隆史のみがパーソナリティを務める「ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン」として放送されていたが、岡村の舌禍炎上騒動を経て2020年5月14日放送分より矢部がパーソナリティに復帰し、オールナイトニッポン史上初の「コンビ→単独→コンビ」での放送となる。 |
2020年~ | 木曜1部 | ||||
2位 | 福山雅治 | 20年10ヶ月 | 1992年~1998年 | 木曜2部→木曜1部→(中断期間)→月曜1部 | 「魂のラジオ」以降も含む。 本家ANNのみでは累計5年10ヶ月放送。 中断期間はライブツアーなどによるもの。 |
2000年~2015年 | 魂のラジオ(土曜) | ||||
3位 | 松任谷由実 | 18年 | 1988年~1999年 | 土曜1部 | 女性パーソナリティでは1位。 連続した番組としては「松任谷由実のオールナイトニッポン」が歴代4位。 LF+R移行のため打ち切り。 |
2016年~ | 金曜GOLD(金曜早枠、月1回放送) | ||||
4位 | オードリー | 14年6か月 | 2009年~ | 土曜1部 | 複数人によるパーソナリティとしてはナインティナインに次いで2位。 連続した番組としては「オードリーのオールナイトニッポン」が放送期間14年6か月で歴代2位(2024年4月現在)。 |
5位 | 中島みゆき | 13年5ヶ月 | 1979年~1987年 | 月曜1部 | 女性では2位。 |
2013年~2018年 | 月イチ(日曜深夜、月一回放送) | ||||
6位 | 笑福亭鶴光 | 11年9ヶ月 | 1974年~1985年 | 土曜(代理)→水曜→土曜(代理)→土曜 | 土曜(代理)は両方あのねのねの全国ツアーによる代理期間。 連続した番組としては「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」が放送期間11年9ヶ月で歴代3位。 土曜移動以降、番組内では「サンデースペシャル(サンスペ)」という呼称も付いた。 |
7位 | 斉藤安弘 | 10年9ヶ月 | 1967年~1972年、 1973年~1974年 |
火曜→(中断期間)→木曜 | 元・ニッポン放送アナウンサー。 「オールナイトニッポン」放送開始時の初代パーソナリティの一人。 「オールナイトニッポンエバーグリーン」のパーソナリティも担当。 |
2003年~2009年 | エバーグリーン | ||||
8位 | 糸居五郎 | 9年6ヶ月 | 1967年~1972年 | 月曜 | 元・ニッポン放送アナウンサー。 「オールナイトニッポン」放送開始時の初代パーソナリティの一人。 連続した番組としては「糸居五郎のオールナイトニッポン」が放送期間9年6ヶ月で歴代5位(同率)。 |
1975年~1981年 | 月曜2部 | ||||
ビートたけし | 1981年~1990年 | 木曜1部(中断期間あり) | 1986年12月~1987年7月まではフライデー襲撃事件による芸能活動自粛のため、代理パーソナリティが担当。 連続した番組としては「ビートたけしのオールナイトニッポン」が放送期間9年6ヶ月で歴代5位(同率)。 |
||
10位 | 西川貴教 | 8年9ヶ月 | 1997年~2005年 | 月曜2部→金曜1・2部→金曜1部→火曜SUPER!→月曜1部 | オールナイトニッポンとは直接の関係はないが、2011年10月から2022年3月平日帯のミニ番組「西川貴教のちょこっとナイトニッポン」を放送していた。 |
ちなみに放送累計時間の最長記録は長い順から斉藤安弘、笑福亭鶴光、ナインティナインとなる。斉藤安弘は放送時間が4時間であることとエバーグリーンが週8時間であること、笑福亭鶴光は放送時間が4時間であることが要因である。
また有楽町の旧社屋時代から放送開始し、建替中は「お台場・フジテレビ」の社屋を借りて放送し、有楽町新社屋まで引き続いて放送を続けられたのはナインティナイン・福山雅治・西川貴教だけである。
2部を最も長く担当したパーソナリティーは谷山浩子で1982年~1986年の木曜2部のパーソナリティー、三四郎で2015年~2019年の金曜2部(現在は2019年度金曜1部のちに金曜2部を2020年度~)のパーソナリティー、Creepy Nutsで2018年~2021年の火曜2部(現在は月曜1部)を、それぞれ丸4年務めた。木曜深夜~金曜早朝にかけてはビートたけしから谷山浩子と連続して聴取するリスナーも非常に多く、ビートたけしのANNは聴取率3%以上、谷山浩子のANNは聴取率1%以上と深夜1時~朝5時の番組としては異常な聴取率を誇っていた。現在、最も聴取率が高い深夜番組と言われる「伊集院光深夜の馬鹿力」の聴取率が1%弱である事を考えるといかに凄まじい数字かがわかる。
なお、本家ANNの時間帯での番組の放送期間としてランキングすると以下の通りになる。(2024年4月現在)
順位 | 番組名 | 放送期間 | 放送時期 |
1位 | ナインティナインのオールナイトニッポン | 23年11ヶ月 | 1994年~2014年、2020年~現在 |
2位 | オードリーのオールナイトニッポン | 14年6か月 | 2009年~現在 |
3位 | 笑福亭鶴光のオールナイトニッポン | 11年9ヶ月 | 1974年~1985年 |
4位 | 松任谷由実のオールナイトニッポン | 11年 | 1988年~1999年 |
5位 | 糸居五郎のオールナイトニッポン | 9年6ヶ月 | 1967年~1972年、1975年~1981年 |
ビートたけしのオールナイトニッポン | 1981年~1990年 |
掲示板
57 ななしのよっしん
2021/05/08(土) 00:13:36 ID: qfioYiMxV6
>>54
全曜日平均でということだから、月曜日単体だと未だに深夜の馬鹿力が強いとかなんだろうな
全曜日で首位とかできないから営業アピール上のわかりにくい表現なんだね
それでもかつてのLF+Rで一度壊滅した畑をよくここまで戻したよ
58 ななしのよっしん
2022/01/22(土) 18:38:31 ID: 08uAyn9as+
東北のほとんどの場所では、ANN0とANNXが(ラジオ局発信の音としては)聴くことができない
いちおうミクチャとsmash.を使えば番組自体はどうにか聴けないことはないけど
ANN0で出てくるフレーズ「一部の地域の方とはここでお別れ」の「一部の地域」にすら当たらない それ未満の地域なのである
59 ななしのよっしん
2022/04/26(火) 15:23:10 ID: 0uSPMR0En5
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最終更新:2024/10/15(火) 05:00
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