カウントフリート 単語

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カウントフリート

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カウントフリート(Count Fleet)とは、1940年生まれのアメリカ競走馬黒鹿毛

卓越したスピードと気性難に由来する闘争心をもって、1943年米国三冠を達成した狂気天才
名前は両名前からの連想で、「素い勘定」を意味する(Fleetには艦隊・素いという意味がある)。

生い立ち

Reigh CountQuickly、Hasteという血統。

レイカウントはケンタッキーダービーを勝った他、英国遠征しコロネーションCを制した優駿で、種牡馬として本の他にも活躍を複数輩出している。は短距離を中心に85戦32勝。は11頭のステークスウィナーを送り出したそこそこ優秀な種牡馬である。

さて、幼少期のカウントフリートだが気性がハチャメチャに悪く、生産者であるJ・D・ヘルツは何度か売却を考えたがその都度売れなかったり、売却を考え直すよう諭された。最終的には夫人の名義で走ることが決まった。G・D・キャメロン調教師により管理され、生涯にわたりジョニーロングデン騎手上を勤めた。

狂気と紙一重の天才

2歳6月ベルモントパーク競馬場デビューするが、スタートで他と衝突し50m以上出遅れ。それでも1身半差の2着まで追い込んできた。次戦でもやはり出遅れをかまし2着。3戦にしてようやく勝ち上がる。

周囲が彼の気性難とゲート難に頭を悩ませる中、彼は調教快速でかっ飛ばしていた。ある時ダート6ハロン(1200m)を1分082とかいう時計の計り間違いをっ先に疑うレベル時計叩きだしていた。これには見ていた競馬関係者は驚愕。でも調教で猛時計を出していても勝てるとは限らない。

勝利後4戦3勝2着1回で迎えたベルモントフューチュリティSで3着に敗れた後、上はカウントフリートに逃げの才を見出す。実際に次戦のシャンペンSで逃げを打つと、最終的に6身突き放し圧勝。本競走はダート1マイルだったがタイムは2歳レコードとなる1分348。こうなると本は止まらずシャンペンSから4連勝。特に2歳シーズン終戦となったウォルデンSでは2着30つけるという圧倒的な上に圧倒的を重ねた大差で勝利
2歳時のフリーハンデ132ポンド(59.9kg)。2歳にして年度代表馬となったセクレタリアト129ポンドで、現在に至るまでこの数字更新したはいない。更新したらドーピング以前にか疑うわ。

3歳になっても勢いは止まらず。前戦の2戦をあっさりと勝利し、ケンタッキーダービーへと向かう。
1943年ケンタッキーダービーは戦時下のため自の利用が著しく制限され、チャーチルダウンズ競馬場への移動手段は電車しかないため「Street Car Derby(路面電車ダービー)」と呼ばれた。出走頭数も例年より少ない10頭。レースでは終始先頭を譲らず3身差をつけて快勝。
続くプリークネスステークスでは「あんなん勝てるか!」と回避が続出。結果4頭立てとなりこちらも逃げて快勝。差は8身まで広がっていた。

1戦いてベルモントステークスに挑んだが、こちらは3頭立て。はっきり言って公開調教である。単勝1番人気は当然として、倍率は1.05倍。ニューヨーク州では、ブックメーカーが的中者に最低でも5%熨斗を付けて払い戻さないといけないという法律があるため、ブックメーカーを出した。銀行馬券とはこのことか。

結果から言おう、25身差をつけて圧勝しました。タイムの2分282は全レコードには届かずも当時のベルモントSレースレコードである。
え? セクレタリアトべると微妙? あいつはUMAべる対に入れるな。

ただ、レースの後に故障を発生。故障当初は軽微な怪だと思われていたが次第に悪化。結局ベルモントSの後一度も走ることなくターフを去った。
通算成績は21戦15勝、2着5回3着1回の全入着。古との対戦こそないが勝ってただろうなあ……。

引退後

1945年から種牡馬入り。カウントフリートは種牡馬としても優秀な成績を残し、1951年ケンタッキーダービーカウントターフ、ベルモントS優勝カウンターポイントの活躍によりリーディングサイアーいている。

更にブルーメアサイアーとしても優秀で、5年連続年度代表馬ケルソとして顕著な活躍を見せたプリンスジョンアメリカ二冠牝馬イルなどを輩出。スタミナ豊富なハイペリオンプリンスキロとの相性は抜群で、リーディンブルーメアサイアーにもなった。
更に更に、(祖母)としてミルリーフミスタープロスペクターがいる。現代でもカウントフリートを血統表に持つ世界中に存在しているのである。

1973年12月に老衰により死亡享年33歳とサラブレッドとしても稀な長命を誇った。
20世紀のアメリカ名馬100選において第5位に選出。上にはマンノウォーセクレタリアトサイテーションケルソしかいないのだ。

戦中のアメリカ競馬を代表する優駿にして、偉大なる種牡馬。「マンノウォーは特別」と言いアメリカ競馬人も、「カウントフリートはマンノウォーと同じくらい凄い」と言わざるを得ない、それくらいの名である。

血統表

Reigh Count
1925 栗毛
Sunreigh
1919 栗毛
Sundridge Amphion
Sierra
Sweet Briar St. Frasquin
Presentation
Contessina
1909 黒鹿毛
Count Schomberg Aughrim
Clonavarn
Pitti St. Frasquin
Florence
Quickly
1930 芦毛
FNo.6-a
Haste
1923 鹿毛
Maintenant Maintenon
Martha Gorman
Miss Malaprop Meddler
Correction
Stephanie
1925 芦毛
Stefan the Great The Tetrarch
Perfect Peach
Malachite Rock Sand
Miss Hanover
競走馬の4代血統表

クロスSt. Frasquin 4×4(12.50%)

主な産駒

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関連項目

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掲示板

  • 1 ななしのよっしん

    2019/02/08(金) 20:31:34 ID: /U1gibHHXD

    作成おつかれさまです。
    ブックメーカー赤字出したとか、回避続出とか、三冠馬だから強いのは当然だけど、その中で一味も二味も違っただったんでしょうね。馬券的な妙味は全くかったんだろうけど…。
    当時の馬券師達がこのの事をどう思ってたか、ちょっと聞いてみたかった気がします。

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最終更新:2024/04/25(木) 08:00

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