カネヒキリ 単語

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カネヒキリ

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稲妻の衝撃、再び。

復帰するだけでも奇跡、そんな重傷から返り咲いた勇者がいた。
かつて極めたの頂上決戦で、麗なる復活を遂げてみせる。
若き日に呼ばれた「ディープインパクト」という称号
な稲妻のは、最強きとともにその名明してくれた。

JRA「ヒーロー列伝」No.68 カネヒキリexit

カネヒキリ(Kane Hekili)とは、2002年生まれの日本競走馬種牡馬である。
名は、ハワイ神話雷神カネヒキリから。 

な勝ち
2005年:ジャパンダートダービー(GI)、ダービーグランプリ(GI)、ジャパンカップダート(GI)、ユニコーンステークス(GIII)
2006年:フェブラリーステークス(GI)
2008年:ジャパンカップダート(GI)、東京大賞典(JpnI)
2009年:川崎記念(JpnI)
2010年:マーキュリーカップ(JpnIII)

概要

フジキセキライフアウトゼア、デピュティミニスター種牡馬として成功したシルヴァーデピュティという良血である。

デビューから二戦は芝のレースを使うが二連敗。しかしダートを使うとを得たのごとく未勝利500万下を連勝。
気を良くした営は芝路線に再挑戦させたがもちろん。甘くないよね。
これで全に芝への未練を断ち切り、先人が切り開いたダート街道をまっしぐらに進む。4連勝で重賞3勝GI2勝。どれも隙のない勝で、ダートの新降臨!と話題になった。
でも、馬主が同じだからってディープインパクトはちょっと安直過ぎ。 
しかし武蔵野ステークスで出遅れて2着に敗れる。ちなみに敗れた相手は同じ3歳サンライズバッカスであった。
この世代、ディープインパクトボコボコにされぺんぺんも生えない有り様だった芝組と違いダート組は強いのなんのである。
次走ジャパンカップダートではスタートを決めると古との叩き合いを制し、古も征してみせた。おお、強い強い。 

明けて4歳(2006年)、ドバイワールドカップ遠征を表明し臨んだフェブラリーステークスを圧勝。
ディープインパクトハーツクライらも海外遠征を表明する中、彼も大きな期待を背負って挑んだが…勝ちからちぎられた5着という日本定位置に落ち着いた。
2着に入ったブラスハットが違反物使用で失格になり、4着に繰り上がったがが増えた以外は何も嬉しくない出来事であった。
後、帝王賞逃げる地元のアジュディミツオーと追う王者カネヒキリの戦となったが差し切れず2着。
南部杯標に調整されたが屈腱炎を発症。引退も考えられたが休養し現役続行となった。ダートの悲しさよ。

5歳(2007年)のに復帰すべく帰厩したが、屈腱炎が再発。芝のエース級なら間違いなく引退になった怪だが…
細胞移植手術という手術を施し、現役続行となった。一見すると高度な手術受けられて恵まれてると思われそうだが…
彼ほどの実績を残しながら二度屈腱炎でも引退出来なかったのは、実績に見合わない種牡馬入りオファーしかなかったとしか思えない。して現役に戻り、価値を高めるしか未来を切り開けないと判断されたのである...

6歳(2008年)の武蔵野ステークスから始動するが終始かかりっぱなしな上、前が詰まりに詰まり動けず9着に敗れた。
記念すべき復帰戦だったが事に回って来られただけよしとしないとやってられない内容であった。
次走はGIジャパンカップダート。この年から阪神1800mに変更されることになっていた。彼が元気だった頃からすると様変わりしたものである。
そんなこのレースで、彼がいない内に王者となっていたヴァーミリアンを撃破。再び王者に返り咲いて見せた。凄まじい根性である。
さらに年末の風物詩東京大賞典では再びヴァーミリアンと戦いこれをまた撃破。王者はお前じゃない、だ!と満下に宣言したのである。

不屈の、ここに

右の痛みと向き合い、
左の傷と戦う。
レースから遠く離れた場所で
孤独で苦しい日々を過ごしながら
けれども彼は
秘かに闘志をはぐくんでいた。

見せよう。
病にも怪にも
そしてライバルたちにも
屈することのないの走りを!

JRA「名馬の肖像」カネヒキリexit

7歳(2009年)は川崎記念から始動。アジュディミツオーに変わって南関東の王者として君臨するフリオーソを振り切り当時最多タイGI7勝を挙げる。
しかしフェブラリーステークスGI8勝を狙ったがサクセスブロッケンカジノドライヴといった若い力に敗れ3着、
そして船橋かしわ記念で再びGI8勝狙ったがエスポワールシチースピードに敗れ2着、挙句の果てにレース骨折でまた休養生活となってしまった。もう引退させてやれよ。

8歳(2010年)のにようやく復帰、当初はキツい斤量でも仕方ないからプロキオンステークスに行くつもりだったが、大井競馬場が彼のためのピンポイント特例を作り適用、帝王賞出走となった。
しかしフリオーソ走に置いて行かれ2着。次走盛岡マーキュリーカップ勝利を収めたが、門別のブリーダーズゴールドカップシルクメビウスにちぎられ2着に敗れる。確実には落ち込んでいた。
そして日本テレビ盃へ向け調整されていたが今度は両前脚に屈腱炎発症。さすがに引退させることになった。遅くね?

紆余曲折、挫折と栄、王者として一時代を築いたとは思えない扱いを受けたり色々あったがようやく種牡馬として優駿スタリオンステーションで暮らすことになった。
ノーザンファーム生まれのGI7勝なのに社台スタリオンステーションちゃうんかい。
同じ年に向こうはゆかりの血統でGI9勝したとはいえ、カネヒキリに全くが立たなかったヴァーミリアンを受け入れたというのに。
ちなみにヴァーミリアン々に社台スタリオンステーションからはじき出されてしまっている。生産頭数も年々減っているし世間は厳しいのだった。

しかし、日高では不屈の闘志とその良血っぷり、ダートで安定した強さを発揮したことから大人気で2年連続BOOKFULLとなるなど、フジキセキの後継者として奮闘…していたのだが、2016年に種付け中の事故予後不良となってしまった。
現役時代喩対だったディープインパクトなら申し込みの時点でハネられるような蹴りグセのあるに当たり蹴っ飛ばされたのが致命傷と言われる。諸行無常
産駒ダートどで、得意のダートでも1600万~OPの辺りでに突き当たる感じがあった。
が、歴代でも強い方と言ったり言われなかったりしている2016年クラシック世代の一頭、ロンドンタウンが4歳になって1番人気に応えて交流重賞佐賀記念を制し、ついに交流重賞級は出すことに成功。その後同の1歳上のミツバが7歳になって川崎記念を勝ち、産駒初の交流GI制覇を挙げた。

血統表

フジキセキ
1992 青鹿毛
*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
*ミルレーサー
1983 鹿毛
Le Fabuleux Wild Risk
Anguar
Marston's Mill In Reality
Millcent
*ライフアウトゼア
1992 栗毛
FNo.2-s
Deputy Minister
1979 黒鹿毛
Vice Regent Northern Dancer
Victoria Regina
Mint Copy Bunty's Flight
Shakney
Silver Valley
1979 栗毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Seven Valleys Road At Sea
Proud Pied
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

主な産駒

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