カラコールとは、16~18世紀頃に開発された騎兵戦術。馬上で射撃後に後方へ下がる機動をいう。
カラコールとは、スペイン語で螺旋を意味する。これはカラコールが持つ戦闘機動が関わっていた。
まず対騎兵として使用されていたピストル騎兵が、敵の目の前まで全力で突撃を行い、銃撃を浴びせ、その優速を生かして離脱・反転してまた攻撃を仕掛けるというものだった。騎兵とは軍隊における敵に対して、致命の一撃を加える超兵器的な存在だった。カラコールは騎兵が持つ衝撃力を新時代の兵器を用いることで復活させ、敵陣形を粉砕することを期待された。
もともと騎兵は、パルティアン・ショットなどがあった古代、弓で武装した軽騎兵が主体だった。これは鐙(あぶみ)と呼ばれる乗馬に必要なアイテムが無かったことに由来する。鐙は馬上での安定性を向上させることが出来たので、これが生まれるまでは、我々が思い浮かべる騎兵の戦い方をするのは少々難しかった(無かったわけではなく、現代に比べて非常に難しかった)。鐙のない時代には、両足で馬にしがみつくようなスタイルで乗っていたので、不安定な中で騎手が槍や刀剣で白兵戦をするのは、大変な訓練が必要とされた。そのため当時の騎兵は、遊牧民のような日常的に乗馬を営む部族や人間が圧倒的に有利だった。
しかしその後、鐙が開発されたこと、装備が発達したことを受けて、重騎兵と呼ばれる盾や剣、槍などを持った騎兵が生まれた。彼らに期待されたのは、現代の戦車でもそうであるように衝撃力だった。人馬一体となって大質量の物体が高速でぶつかるという行為は、軍隊の隊列を打ち砕く能力を向上させた。
中世の花型となった重騎兵だったが、これらに対抗するように歩兵は長槍と呼ばれる、長さが数mにもなる槍を前方へ突き出し、彼らを迎え撃つようになる。さらにこれらの長槍兵に加えて、当時は最新兵器だったマスケット銃などの銃火器を組み合わせて、テルシオという巨大な方陣を編み出した。テルシオは歩兵(または軍隊)に絶大な防御力を与え、重騎兵を寄せ付けないようになっていった。
これらの戦術的発展により、歩兵に対する重騎兵の優位性は徐々に低下していき、彼らがまともに活躍できるのはなんらかの原因により、テルシオが重騎兵の突撃に対応できないような状況になった時だった。
重騎兵は従来、槍を持って突撃するランスチャージが主たる攻撃方法だった。しかしこれでは敵の数mにもなる槍の壁は切り崩すのは難しい。ピストルは今まで持っていた槍よりは射程が長く、長槍へ対抗できると考えられた。
しかし、槍騎兵と入れ替わって騎兵の主力の地位を手にしたピストル騎兵だったが、彼らには致命的な欠陥が存在した。ピストル騎兵は衝撃力が低く、歩兵の隊列を破ることができなかったのである。
カラコールはこうした状況から生み出された戦術だった。衝撃力の弱さを騎兵の機動力でカバーし、敵前で発砲と反転を繰り返すことによって、一方的に攻撃できると考えられたのである。要は、テルシオの防御力に勝つのではなく相手を崩すための部隊として考案された戦術であり、元々マスケット隊と撃ち合うために編成された部隊ではない。
だが、カラコールはテルシオに対して有効には働かなかった。
銃火器自体は高威力、ウマは機動性に優れていた。しかし彼らが採用した最新兵器ピストルは、そもそも威力は低い上に命中精度もよくなかった。歩兵に効果的な打撃を与えられず、むしろ半回転したところで歩兵のマスケット銃に狙い撃ちにされることのほうが多かった。ピストルを用いた胸甲騎兵を火力で支援する火縄銃騎兵(Harquebusier)やカービン騎兵も存在したが根本的な解決にはならなかった。
さらに当時の軍事指揮官たちは、カラコールの効果の低さを認め、騎兵たちに突撃をさせようとした。あるいはまた、もっと接近して射撃するように命令していた。が、当時の主力は傭兵だったので、突撃は命を危険にさらすとして忌避され、結果として敵前で発砲し即座に反転することで、仕事をした「フリ」をすることも多かった。
つまりカラコールは必ずしも指揮官が意図したものではなく、結果としてカラコールになってしまったのである。
だが、これらは決してピストル騎兵の有用性を欠く理由ではなく、5~7mのパイクに対して槍騎兵の槍(2~3m)ではそもそも攻撃が届かないので、槍であれば良いかというとそうでもない。(ピストルの射程は最大10m)騎兵そのものが テルシオに対して機能しづらいものであったと言えるだろう。
16世紀後半から17世紀初頭にかけて、軍事指揮官たちは騎兵の打撃力を回復させる方法を模索した。フランス王アンリ4世が考案したサーベルとピストルを組み合わせた、抜刀突撃戦術(サーベル・チャージ)らを発展させ、スウェーデン王グスタフ2世アドルフによって一般化された。
スウェーデン王グスタフ2世アドルフによって一般化された戦術は、サーベル・チャージを行う騎兵を歩兵や砲兵が支援し、砲兵や歩兵が敵の陣形に亀裂を与え、その亀裂を騎兵のサーベルチャージが大きくするというものである。これらを歩兵・騎兵・砲兵の3つの兵を取り、三兵戦術とも言う。
以前のような圧倒的な存在ではないが、騎兵は衝撃力を以って敵を粉砕する役割を取り戻した。反面、効果の低いカラコールは廃れていき、18世紀になるとほとんど見られなくなった。
・長槍兵とカラコールが見れる
掲示板
27 ななしのよっしん
2025/01/04(土) 12:07:14 ID: B6cGTciKHQ
ピストル騎兵主力期については※欄の記述よりもっと複雑だろう
そもそもピストル騎兵が追い落とした槍騎兵は封建騎士で低速の横隊突撃もできなかったため兵種としての発展性はなかった
さまざまな論点があるとしてもピストル騎兵が敵前で停止してピストルの一斉射撃をしたり、低速機動に銃兵を随伴させたりする戦術は封建騎兵では不可能だったろう
槍→ピストル→サーベルという視点ではなく、封建騎兵→集団騎兵化→戦術のさらなる高度化という目線のほうが武器区分よりは基本的に持つべき認識かと思われる
サブウェポンとして息が長いピストルについてはその論点で検討されるべきかと思う
28 ななしのよっしん
2025/01/09(木) 17:25:43 ID: nInyYmTu45
『火器の誕生とヨーロッパの戦争』に興味深い記述があった
曰く、弓から弩、アーキバス、マスケットに至るまで飛び道具は騎士の武器ではないという考えがあった
馬も鎧も維持費がかかるし、密集隊形での突撃には高度の訓練が必要だったのに対し
弩や銃は比較的廉価短期間で戦力化できたから
その点ピストルは機構が複雑なぶん維持費が高く、
しかもそれを6丁は戦場に持っていくのが当然だった
これは騎士にしかできない芸当だったのでピストルは「騎士の武器」の地位を手に入れ、実際の有用性以上に好まれるようになった
個人的に、カラコールは「好きな武器を活躍させたい」という願望が反映された戦術だと思う
29 ななしのよっしん
2025/01/10(金) 22:46:17 ID: B6cGTciKHQ
史書でもっとも古く確認できるピストル騎兵集団はユグノー戦争のレイターで彼らは農騎兵であり騎士とは関係がない
カラコールは対歩兵用ばかりがネタとして語られるが、実際は対騎兵用にも同名別種のカラコールという戦術が一般的であり、騎士相手にも戦績が良かったためシンプルにピストル騎兵がとってかわっただけだと考えられる
騎兵で騎兵を拘束するのは常道であるが、ピストル騎兵は同時期の騎士に比べると機動性が良好で先手を取りやすかった
その上ピストル騎兵は雇用費が安く、供給性も優れ、規模も拡大しやすかった
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最終更新:2025/03/28(金) 13:00
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