カルロス・ポンセ(1959年2月7日~)とは、横浜大洋ホエールズに所属していた元プロ野球選手である。
愛称は口髭を生やした容姿が、85年に販売され大ヒットとなった「スーパーマリオブラザーズ」に登場したマリオに似ていたことから「マリオ」・「スーパーマリオ」だった。
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1982年にミルウォーキー・ブルワーズと契約し、1985年にはメジャーデビューを果たす。
翌86年はメジャー登録40人枠から外れてしまったが、ここで大洋のスカウトだった牛込惟浩に口説かれる。
実は大洋は前年4番を打っていたレオン・リーを「チャンスに弱い、走れない」として当時の監督であり、スーパーカートリオを作った近藤貞雄のお気に召さなかったため解雇しており、代わりに「走れる中距離打者を連れてきて」という監督の無茶振り要望の元、3Aで52本の二塁打を放っていたポンセに目を付けたのだ。
ポンセも忍者と時代劇が好きな日本をちょっと勘違いしている外国人親日家だったため喜んで来日、年俸は3000万と比較的格安だった。
86年は主に三塁を守り、屋鋪要・高木豊・加藤博一のスーパーカートリオに続く4番打者として出場、開幕戦では前年日本一の阪神タイガース相手にいきなり2打席連続本塁打を放つと、そのままの勢いでシーズンでも打棒が爆発、この年打率.322、27本塁打105打点の成績を残し、足でも18盗塁を記録、ただタイトルはこの年二年連続で三冠王を取ったランディ・バースがいたため取得できず、守備では三塁で27失策を記録していたため、途中から外野に転向している。
87年も引き続き大洋の主砲として活躍し、打率.323、35本塁打98打点の成績で打点王を獲得し、ベストナインにも選出されている。
88年は打率こそ.292と三割を切ったが、33本塁打102打点はリーグトップで二冠王を達成し、オールスターにも出場している。
しかし89年には二塁打、三塁打の数字ではリーグトップだったものの、打率.264、24本塁打81打点と主要成績で全体的に数字を落としてしまい、90年にはわずか15試合の出場に終わり、この年限りで大洋を退団し現役を引退した。
現在はアメリカでトラックの運転手をしたり、少年野球スクールを主催している。
出身はプエルトリコのため非常に陽気な性格をしており、テレビカメラの前でも「ファンの皆さん元気ですか、ポンちゃんです!」と見事な日本語で挨拶を披露するなどしていたため「マリオ」の愛称と相まってファン人気も非常に高かった。
大洋ではスーパーカートリオの一人である加藤博一と特に仲が良く、2011年に放送された「壮絶ドキュメント・俺たちはプロ野球選手だった」に出演した際に、2008年に加藤が亡くなったことは非常に悲しかったと語っている。なおこの番組でポンセはいずれ日本でコーチになりたいとも語っており、自身の大洋時代の応援歌もいまだに歌うことが出来る所を披露していた。(無論応援歌は日本語で歌っていた。)
ちなみに恐妻家でもあり、現役時代は無安打で家に帰ると夕食にピザしかだしてもらえず、ヒットが1本増えるたびにおかずが増えていくシステムであり、また大洋の同僚に連れられて混浴風呂に入った際、そこに女性が入ってくると「こんな所を見られたらワイフに殺される!」と言って大慌てで逃げだしたという逸話も残っている。
通算:5年 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 533 | 2255 | 2027 | 601 | 119 | 389 | 44 | 0 | 26 | 175 | 27 | 309 | .296 | .356 |
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最終更新:2024/04/24(水) 07:00
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