カル・クラッチロー 単語

カルクラッチロー

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カル・クラッチローexitとは、イギリスコヴェントリーexit出身のオートバイレーサーである。

1985年10月29日生まれ。

2009年スーパースポーツ世界選手権でチャンピオン獲得。
2010年スーパーバイク世界選手権でルーキーながら3勝、ランキング5位。

2011年からMotoGPに参戦開始、最大排気量クラスルーキーオブザイヤーを獲得した。
2015年からチームLCRexitホンダサテライト)に移籍して最大排気量クラスへの参戦を続けている。

ゼッケン、ヘルメット、名前

ゼッケンは35番を使用している。黄色色を使用している。

もともとは5番を使用していたが、他の先輩ライダーが使っているという事情でそれをあきらめ35番に変更した。2007年の頃には35番になっているexit。「自分は5番が好きで、ルーシーは3番が好きだから、35番になってちょうどよかったよ」とこの記事exitっている。

ヘルメット2007年の頃exitから2018年12月までArai契約していた。
2019年1月からはHJCのヘルメットを被ることになったexit

ヘルメットの定番デザイン黄色い炎exitである。2009年の動画exitを見ると、そのとき既に黄色い炎がある。
2008年から支援してくれているモンスターエナジーの色が黄色なので、それに合わせている。

カルという名前の由来

名前のCalは、父親デレクが米国伝説的2輪レーサーCal Raybornexitあやかり名付けた。
カル・レイボーンは1968年1969年、あまり速くないハーレーダビッドソンで見事にデイトナ200exitアメリカ鈴鹿8耐。200マイル、つまり320kmをぶっ続けで走る。サーキットを57周ほど周回する)を連覇した。1969年ハーレー最後の勝利になり、レイボーンの名前がよりいて見えた。

1970年にはハーレーマシンボンネヴィル・ソルトフラッツexit世界記録の時速427kmを計測した。

ボンネヴィルソルトフラッツとは、ユタ州の塩湖が乾いてできた大平原exitである。そこら中塩だらけexitなので金属がすぐ錆びて居住に適さず、自動車レースしか使いい。スピード狂が集まり世界速記録を叩き出す。宮城光さんexitもここの魅にとりつかれている。ニコニコ大百科にも記事あり →ボンネヴィル・スピードウェイ

カル・レイボーンは1973年世したがアメリカライダーにとって特別な存在である。
デレクはデイトナ200でのレイボーンの雄姿を現地で見ていて大きく感銘を受けたという。
 

クラッチローという名前の意味

Crutchlowという名前には、「低いところにある『木の股』」という意味がある。

Crutch松葉という意味だが、もともとは『木の股』という意味だった。
『木の股』とは、木の中でこういう感じexitに木の幹や枝が分かれて、股の形をしている部分のこと。
 

経歴

サッカーに興味があった少年時代

1985年10月29日生まれ。

少年時代サッカー興味があり、最初はバイクレースには見向きもしなかった。
自宅がコヴェントリーexitにあるので、地元のサッカークラブであるコヴェントリー・シティの育成試験を受けていた。また、コヴェントリーから26km離れた隣町の大都市バーミンガムexitにあるアストン・ヴィラの育成試験を受けたりしている。

サッカー少年だったが、父親バイクレース好きなので、少しずつそれに傾倒していく。
「2年ほどサッカーバイクレースを同時にやっていた。腕を脱臼してサッカー監督に叱られたため、サッカーをやめることにした」とライディンスポーツ2017年1月号でっている。

こちらの記事exitでは「膝を怪したのでサッカーを辞めた」と書かれている。

サッカーバイクレースを掛け持ちしていたのは13~14歳の2年間だろうと思われる。
そのとき乗ったバイクヤマハPW50exitという子供向けのバイクだったとこの記事exitっている。

サッカーバイク掛け持ち時代に通ったサーキットは、自宅のあるコヴェントリーexitから北へ67km離れたこの場所exitにあるダーレイムーアDarley Moor)というサーキットだった。ちなみにmoorとは農耕に向かない荒れ地という意味。
 

スポンサー巡りをして良いマシンを手に入れる。ケーシー・ストーナーと戦う

本格的にレースを始めたのは14歳だから、かなりの遅咲きと言える。

14歳頃(1999年頃)は色んなところを回って「すみませんタイヤ代やガソリン代を支援していただきたいのですが」とお願いして回っていた。マメスポンサー募集をしたので、レースを本格的に始めた数年後はスポンサーが上手く集まり、わりと良いマシンに乗れるようになったとこの記事exitっている。

現在のカルはライバルやよそのチームのことについて言いたい放題のことを率直に言うことで知られており、そういう姿を見ている人には少し意外な感じがするが、スポンサーに対して礼儀正しい少年だった。

1999年14歳)は英国ジュニアチャレンジに参戦。9勝、2位6回、3位3回で初年度にしてチャンピオン獲得。

2000年15歳)と2001年16歳)はアプリリアRS125チャレンジという若者向け選手権に参加した。これはアプリリア2スト125ccマシンでのワンメイクレースである。

このころ、イギリスに移住してきたケーシー・ストーナーと対戦し、負かされている。
ケーシー1985年10月16日生まれで、カルと誕生日が僅か13日しか離れていない。
「自宅から北東に25km離れただけのこの場所exitにあるマロリー・パークで、ケーシーを負かしたんだ。あのことはあんまり話したくないね」とこの記事exitっている。

当時の写真こちらexit。ゼッケン15番を付けている。

アプリリアチャレンジはまだ現在も続いているらしく、こちらexit公式サイト。「ケーシー・ストーナーやカル・クラッチローやブラッドリー・スミスダニーケントがこのレース出身」と書いてある。
 

市販車レースを続ける

2002年から2010年までのカルはひたすらレースに参戦していた。

レースとは、メーカーがある程度の規模で販売しているを使ってレースするものであり、英語では「プロダクションレースproduction race」と言われる。

の対義プロトタイプprototypeで、レース専用に作られたマシンという意味。
MotoGPライダーCEV(旧称 スペイン選手権)exitレッドブル・ルーキーズカップexitアジアタレントカップexitといったプロトタイプマシンレースで育つことが多いので、カル・クラッチローは異色の経歴を持っていると表現されることが多い。

2002年17歳)はBritish championshipのthe Junior Superstockに参戦。
2003年18歳)はヤマハYZF-R64スト600ccマシン)のワンメイクレース選手権に参戦。
2004年(19歳)から2006年(21歳)はイギリススーパースポーツに参戦。4スト600ccに乗った。

2007年(22歳)はイギリススーパーバイク選手権(BSBexitという名前で有名。スーパーバイク世界選手権で活躍する選手を数々輩出している)に参戦。チームリズラスズキで、乗ったのはスズキ4スト1000ccマシンGSX-R1000この年の姿は画像検索に多く引っかかるexit

ちなみに2007年清成龍一全盛期で、BSBで2度チャンピオンいている。
カルも清成のことを知っていて、「キヨナリ飲み会泥酔して全裸になっていたね」とってる。

2008年(23歳)はBSB継続参戦したが、チームホンダ系のHMプラントに移った。HMプラントは日立建機exitのことである。マシンのカラーリングはオレンジ色だがexit日立建機のオレンジ色を使っている。
また、この年はモリワキから鈴鹿8耐に出場、6位に入っている。


2009年(24歳)はスーパースポーツ世界選手権exitに参戦。ついに世界選手権にデビューした。乗るマシンヤマハYZF-R6で、4スト600ccマシンである。デビューイヤーでチャンピオンを獲得した。
このときのチーム監督ウィルコ・ズィーレンベルグexitで、ウィルコは翌年の2010年からMotoGPヤマハワークスへ移籍し、ホルヘ・ロレンソチームチーム監督を務めている。

2010年(25歳)はスーパーバイク世界選手権exitに転じ、ヤマハYZF-R14スト1000ccマシン)に乗った。ルーキーながら3勝・ランキング5位の好成績を収める。
 

MotoGPに参戦 Tech3~ドゥカティワークス~チームLCRと渡り歩く

2011年(26歳)からMotoGPに参戦するようになった。

2011年から2013年まではTech3exitヤマハサテライト)に所属していた。

それまでずっとレースで、2011年からいきなりプロトタイプレースの最高峰に転身したので、カル自身も戸惑うことが多かった。精的にも荒れていたらしく、Tech3チームオーナーであるエルヴェ・ポンシャラルにたびたび「f**k off!」と言っていたとこの記事exitエルヴェが言っている。

ちなみにf**k off!」とは、「離れていてください、あちらに行ってください」という内容の言葉だが、4文字の「f**k」が入っているので、当然、もっとどぎつい意味合いになる。自分が所属するチームオーナーに言うような言葉ではないはずなのだが、カルは言っていたらしい。

カルは「エルヴェは自分と対立することを恐れなかった唯一の監督で、凄い人だexit」と賛辞を送っている。

2014年(29歳)はドゥカティワークスに移籍したが、マシン乗り換えに苦しんだ。

2015年(30歳)から現在に至るまで、チームLCRexitホンダサテライト)に在籍している。
2016年にはチェコGPとオーストラリアGPで2勝を挙げる大躍進を見せ、その年のオフに、英国王立自動車クラブから表彰されたexit

2018年(33歳)もアルゼンチンGPで優勝

電子制御の人員が少なく、戦が少し劣るサテライトチームで3勝を挙げるのは偉業と言うほかない。

2019年(34歳)と2020年(35歳)もチームLCRで走ることが既に決まっている。

ライディングスタイル

マックス・ビアッジexit2010年スーパーバイクチャンピオンを獲得したとき、こう言っている。

「私がチャンピオンを獲るまでどうしてイタリア人のチャンピオンが出なかったのか不思議でした。
しかし今になってその原因がよく分かりました。スーパーバイクというのは、MotoGPべて乱暴で荒っぽいんです。コースはよく滑るし、バイク完成度がやや低く、危ないんです。

スーパーバイクを制してきたのはイギリス人、アメリカ人、オーストラリア人といった英語圏のアングロクソン系国家出身者ばかりでした。(2009年まで21人中20人が英語圏出身者)
彼らは気でやる乱暴者で、それだからスーパーバイク気な顔で走れるんです。
イギリスサーキットなんて酷いもので安全性がどうのこうのとか関係しにレースをするんです。
マックスの言うとおり、マン島TTなど恐怖としか言いようのないレースである)
アメリカサーキットラグナセカやインディアナポリスなど、路面が滑るのに気です。
ああいうところで育ってきた乱暴者がスーパーバイクに合うんですよ」

マックスイギリス人などの英語ライダーは乱暴者で粗野で蛮勇ででガサツであると言う。
これはわりと一般的な見解であるらしく、メディアもそのように表現することが多い。

この、乱暴者で粗野で蛮勇ででガサツな英語ライダーの典がカル・クラッチローである。

カルが勝ったレース2016年チェコGPと2016年オーストラリアGPと2018年アルゼンチンGPだった。
いずれも悪条件のレースで、もがビビる条件の中、カルがアクセルを緩めずに勝ったのである。

2016年チェコGPの最大排気量クラスが降ったが、実は1987年の初開催から2015年まで、チェコGPの最大排気量クラスが降ったことがなかった。ゆえに各チームデータを持っていなかった。
走行データがないのでもが慎重になったが、カルは持ち前の度胸で快勝した。

2016年オーストラリアGPは気温12度、風速21kmでが強い。
が強くて煽られるし路面が急に冷える。しかも16時スタートで日照量が少ない。
先頭を独走していたマルク・マルケスが10コーナーでいきなり転倒してしまったほどで、もがビビる悪条件であった。そんな中、頭のネジが外れたような走りでカルが独走優勝した。

2017年アルゼンチンGPもボッコボコ凹凸路面でもが苦しむところをな走りで3位獲得。

2018年アルゼンチンGPはが降った後のハーフウェット路面で、所々でマシンが滑って危ない。
皆が苦労したが、カルはのような走りでヨハン・ザルコに競り勝ち優勝した。
 

ヤマハ時代はロレンソを手本、ドゥカティ・ホンダ時代はブレーキングがハード

20112013年のTech3時代はホルヘ・ロレンソの走行データを常に参考にして、ひたすらロレンソの走りを真似ていた。つまり、コーナーリング速度を高めていく乗り方だった。この記事exitでそうっている。

2014年ドゥカティ2015年以降はホンダに乗ることになった。この時期はブレーキングをハードにして小さくクルッと周り、立ち上がりを強く加速するという乗り方になった。

この動画exitでは、マシンコーナーリング重視の乗り方、オレンジ色のマシンブレーキングをハードにする乗り方を示している。

ブレーキングの強さではMotoGP最大排気量クラスの中でもトップクラスとされる。
  

家庭的な雰囲気が恋しい

MotoGPルーキーイヤーの2011年のころは、Tech3チームオーナーエルヴェ・ポンシャラルに「スーパーバイクに戻りたい」といつも言っていた。

スーパーバイク出身のライダーMotoGPにやってきて「スーパーバイクに戻りたい」というのはしいことではない。それはなぜかというと、スーパーバイク庭的な雰囲気があるからである。

先述の通りスーパーバイク完成度の低いバイクで危ないサーキットをかっ飛ばす危ない競技である。
そのためパドック全体が「危険に共に立ち向かおう」という連帯感で包まれ、庭的な雰囲気がある。
このことは多くのライダー摘しており、マルコメランドリも「色んなチーム挨拶に行ったら『よく来たな、ようこそ』とみんなに言われた。ライバルチームの人が暖かく迎え入れてくれた。これはMotoGPでは考えられなかった。スーパーバイクバイク大好き人間の集まりだ」と言っている。

MotoGPだけを観る者にとっては信じがたいことに、スーパーバイクではチーム監督同士が
「ウチのライダーフロント周りのセッティングが出せないって言ってるんだ、君のところは?」
「奇遇だね、ウチのライダーも同じこと言ってるんだよ」といった具合にレース前に会話するのである。
ライダー同士も同じように会話して情報交換し、交流を深める。
やっぱり危険な環境に置かれると連帯感が生じてライバル同士仲良くなるのだった。

さらに信じがたいことに、スーパーバイクチームは、パーツの貸し借りをするという。
レース前に「ああ、このパーツくなってしまった」となると、他のチームへ行ってパーツを借りる。
パーツが余っていれば「しょうがねえな」と言いつつも切に貸してあげる。
このことは2013年ドゥカティワークスボスに就任したベルンハルト・ゴブマイヤーexitが言っていたし、2014年にもヤマハワークスシルヴァーノ・ガルブゼラexitこの記事exitっている。

ところがMotoGPはそういう庭的な雰囲気がない。
チーム監督同士がレース前に会話するなんてほぼ考えられず、ライダー同士の情報交換も希薄である。
パーツを貸して切にしてあげるなどもってのほかであり、借りに来たら門前払いする。
ヴァレンティーノ・ロッシは「速く走るコツを教えるつもりはない。そういうのを聞きに来るが速くなるわけがない」と言っているのだが、これこそがMotoGP育ちのライダーの標準的な姿である。
アンドレア・ドヴィツィオーゾが「MotoGPパドックは生き抜くような競争社会で、ライバル情報を与えてライバルを送るなんて考えられない」というがまさにそうなのである。
マルコメランドリも「MotoGPは自分以外のライダーを必要以上に憎む潮がある。これはMotoGPの慣習だ。非常にビジネス優先の世界だ」とっている。

どうしてそうなるかというとやはりスーパーバイクべて安全度が高いからだろう。
サーキット近代的で安全度が高く、マシン完成度も高い。そうなると「危険に立ち向かう一体感」が薄れて、ライダー同士の切心がどんどん消滅するのである。

岡田忠之は「全日本で戦っていたとき、先輩ライダーアドバイスを貰いに行った。後にそのアドバイスが全てであったことに気付いた」とG+の座談会で述懐している。
日本サーキット英国サーキットべて安全度が格段に高い。
ここでも「サーキットの安全度が高くなるとライダー切心が薄れていく」の現が生じるのである。

カルもスーパーバイクの時のように他のチームに行って情報交換しようとしたら冷たくあしらわれたことが多かったらしく、コメントからわれる。
MotoGPの連中はなんて冷たいんだ。はこんなとこにいるのは嫌だ。もうスーパーバイクに帰る」と思ったのだろう、それでエルヴェ・ポンシャラルに「スーパーバイクに帰りたい」と言ったようだ。

今のカルはチームLCRに所属していて、ここでは居心地がよさそうである。
このチームMotoGPの中では例外的に庭的な雰囲気があり、カルがめている環境がある。

この画像exitは、チームLCRに所属するカルが、ズカズカとドゥカティワークスピットに入りこみ、メカニックしく会話している様子を示している。これこそがスーパーバイクノリなのである。

やはりスーパーバイク出身者らしく、チームメイトには優しいし切である。
2017年11月バレンシアテストでも中上貴晶アドバイスを送っていたし、その前はジャック・ミラーにも熱心にアドバイスをしていた。2018年12月の記事で中上貴晶は「カルに質問すると何でも親切に教えてくれるexit」とっている。MotoGPの嫌な雰囲気には染まっていないのであった。
 

チームLCRに所属

チームLCRexitルーチョ・チェッキネロexitオーナー監督を務めるプライベートチームである。
ルーチョの性格もあって非常に庭的な雰囲気のあるチームである。

ルーチョはイケメンで爽やかexitであり、からも好かれる性格でスポンサーをかき集めるのが上手い。

また商売上手で、2009年頃からチームメインスポンサーシーズン中にコロコロ変え始めた。
そのためレースごとにマシンカラーリングを変えることもやっている。
チームLCRのTwitterを検索してみるとexitコロコロカラーリングが変わっていて面い。
より多くのスポンサーをかわりばんこに一番立つ位置へ位置させて、より多くのスポンサーから好評を得るのである。まさにルーチョならではの経営手腕である。

そんなルーチョだが、彼の元には磁石で吸い寄せられるかのように転倒の多いライダーが集まってくる。
ケーシー・ストーナーカルロス・チェカexitランディ・ドプニエexitトニ・エリアスexitジャック・ミラー
しょっちゅう転倒し、高額の最大排気量クラスマシンを軽々と破壊、ルーチョを半泣きにさせてきた。

カル・クラッチローも転倒常習犯で、攻めまくってはよく転ぶ。ルーチョの財布は薄いままであった。

こちらの表exitを見ると2016年のカルは転倒回数26回で総合首位。2017年は転倒回数24回。


チーム監督というと貫ある人が多い。MarcVDSミハエル・バルトレミー監督exitピットの中で座り、厳しい表情を崩さない。まぁだいたい、チーム監督といえばそういうイメージを持つだろう。

ところがルーチョは落ち着きがない。
こんな具合exit喜怒哀楽しい。また、こんな具合exitピットウォールをウロウロする。
こんな風exitピットウォールから身を乗り出して心配そうにする監督しい。
2016年チェコGPのときもこんな風exitに身を乗り出していて、カルに
「走っている最中にルーチョがぶら下がっているのが見えて正直気が散りましたね。
ピットに戻ってコーヒーでも飲んでろと思いました」と記者会見で言われている。
 

MotoGP界ご意見番、レース前は愉快、レース中はナーバス

英語圏の人たちの共通点というと言葉がキツいことが挙げられる。

MotoGPでキッツい皮、揶揄、当てこすり、こういうことを言うのは大抵英語圏出身者である。
それもみんなが見ている中でみんなに聞こえるようにキッツいことを言う習性がある。

ケーシー・ストーナー君の野心が才能を上回ったようだねexit
ジェレミー・バージェスexitドゥカティのマシンなど80秒で直すことができるexit
ケヴィン・シュワンツexit2輪で全力を出せないのならカートにでも乗っていろexit
ジャック・ミラー意見なんてのは○○の穴と同じ
スコット・レディングexit自分と仕事をしたくない奴と仕事するのは嫌な気分ですねexit

カル・クラッチローも典的な英語圏の人で、ズバズバと言いたいように直言してくれる。
最近はヤマハワークスアプリリアワークスのことを気で発言し、MotoGPのご意見番になっている。
ヤマハワークスには「ロッシの代役がファンデルマークってのは気に入らないねexit
アプリリアワークスには「サム・ローズ解雇はおかしいな。もっと彼に時間を与えてやれよexit
と、ここまで言ってのけるライダーしい。

そのためメディア記者にとって良い具合に飯の種になっており、彼へのインタビュー記事は多い。

レース前の木曜記者会見ではジョークを交えてとても愉快なコメントして記者達を笑わせてくれる。

レース中やレース後になると、さすがに時速300kmの危険な状況に置かれナーバスになるのか、発言の内容が変わってくる。やや愚痴っぽくなり、「あいつがこんな酷いことをしてきた!」とか「邪魔された!」「ラインを塞がれた!」などと被害者意識のつよいコメントが増えてくる。

2017年日本GPの金曜日練習走行で、ブレーキングをミスしてホルヘ・ロレンソに追突したexit

このときも当初は「ホルヘが遅く走っていたから悪いんだ!exit」としく
それに対してホルヘは「あの人いつもそうなんだよ・・・いい人なんだけどね」と呆れながら辛抱強く待っていた。
結局カルが非を認めて謝罪、一件落着となった。
やっぱりレース中のカルはすこしナーバスなのである。

HRCに重用される

2015年シーズンからホンダ営に加入したカル・クラッチロー。

この2015年ホンダ開発が迷走していて、良質な開発ライダーめられていた。
そこで白羽の矢が立ったのがカル・クラッチローで、2016年からHRCホンダの2輪レース部門)から送られてきた部品の開発テストを務めることになった。
マルク・マルケスダニ・ペドロサのほかに開発に参加したのはカル・クラッチローだけであった。

マルク・マルケス開発が極めて高いというわけではない。
ダニ・ペドロサ開発がかなり高いが、体格が小柄すぎて開発には向かない。

カルはヤマハドゥカティと乗り継いできて経験豊富であり、それになかなか開発も高い。
さらには体格が170cm・68kgと標準的であることも幸いし、次第にカルが開発の中心になっていった。

2017年6月21日、HRCはカル・クラッチローとの直接契約を結んだexit
HRCとの直接契約というのは開発に重きを為すワークスライダーになったことを意味する。
ホンダ営の中枢に出世したと言っていい。
2015年の1年契約20162017年の2年契約はカルとチームLCR契約を結んだという形であり、これはまだライダーという感じであった。

このときのカルの顔はやたらと明るくexitコメントも「HRC素晴らしい契約をしてくれました」であり、相当な好待遇だったことをわせる。

2ストローク500cc時代はレプソルホンダが3台体制exitで、3人ライダー開発担当の日本人ライダー、そんな体制であった。HRC技術者は人数も多く士気も高く情熱的でやる気の塊であり、洪水のように新しい部品をよこしてくる。それを検して可否を判断する重要な役を果たした。
その3人開発ライダーの位置にカル・クラッチローが就任したと見てよい。

2017年11月のヘレステストも1人で大量のテストをこなしており、重要な存在になっている。

HRCからの評価は相変わらず高く、2018年8月23日には2020年の契約を結んでいるexit

カルはHRCからの高評価に満足していて、こちらの記事exitで「自分はワークスライダー並みの給料を貰っている」とっている。

ちなみにMotoGPライダーのお給料の相場を報じる記事はこちらexitワークスライダー並みの給料というと、まぁ、200万ユーロぐらいと考えておけばいい。
 

2018年10月オーストラリアGPでの大転倒と粉砕骨折

2018年10月21日日本GPで2位を獲得。「今はとても上手く走れているexit」とり、絶好調だった。

ところがなんと5日後のオーストラリアGP練習走行中に大転倒を喫し、右足首を骨折してしまうexit

メルボルンアルフレッド病院exitドクターヘリで担ぎ込まれ、多くの人が見舞いに訪れた。画像1exit画像2exit画像3exit

この骨折は粉砕骨折で、カルは引退を覚悟したexitっている。
「自分の症状をネット検索したら全治12ヶと出てきてビックリしたよ」とこの記事exitっている。

優秀な外科医恵まれ外科手術を上手に施されたので、自転車に乗ってトレーニング再開できるまで回復したが、2019年2月の段階では歩行することが難しい。
 

家族

カルの。旧姓はHeronで、北アイルランドexit出身。ちなみにHeronexitという意味。

誕生日は3月22日であるexit

方の叔父アイルランドバイクレースをしていて、従兄弟たちがモトクロスをしていた。ルーシー自身はバイクレースに対してそんなに興味かったが、レース活動のお手伝いをしていた。
2017年10月の時点で従兄弟たちはまだレースを続けていて、2人はBSB、1人はグレアム(Graham)といい世界モトクロス選手権を走っている。

水泳選手で、体育系の大学に5年通ってスポーツ科学学位を取り、そのあと体育教師になるつもりで教職課程を1年履修したがそのころカルと知り合い、交際を始めた。これが2008年頃のことである。

ルーシー2016年8月チェコGPを欠席したのだが、これについてカルが「ルーシーレースに来ないのは9年間で2回」とこの記事exitっている。ならば交際が始まったのは2008年なのだろう。

2014年1月5日結婚した。米国カリフォルニア州サンディエゴのラホヤで挙式exit
結婚式の画像はこちら。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit

結婚式の直後にメキシコ旅行し、慈善事業として夫婦を建設している。画像1exit画像2exit

この画像exitに年配の夫妻が写っている。ルーシーの御両かもしれない。

ジャック・ミラー夫婦ともども舎として可がっている。

旅行中に何か映像作品を見るならドキュメンタリーを見る。映画は好きではない。
音楽ジャンルにこだわらず何でも聞く。

カルの2016年8月2日生まれ。その直後のチェコGPでカルが優勝した。

2016年チェコGPのカルはライダースーツの尻にウィローのイラストを入れたexit
また、いつもは黄色い炎のヘルメットも、このときはピンク色の炎になったexit

Willowとはexitという意味で、優美でしなやかという意味合いがある。

カルのInstagramexitは子育て日記帳みたいになっていて、ちょくちょくウィローの画像が出てくる。
この不敵な表情の画像exitはカルに似ていて、この画像exitルーシーに似ている。
 

カルの父親で元2輪レーサー1946年頃生まれ。

ひげ印。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

カルが活躍をするとパルクフェルメにやってくる。白い口ひげですぐに分かるexit

2012年4月7日に行われたカタールGPの予選で、カルが見事に3番手に入りフロントローを獲得した。
このとき、ヤマハワークスウィルコ・ズィーレンベルグexit(カルが2009年スーパースポーツ世界選手権でチャンピオンになったときのチーム監督)との賭けに敗れ、40年間生やし続けていた口ひげを剃ることになった。この記事exitられている。

2014年頃まで、チームに入ってレース中にサインボードを出していた。この記事exitでカルが「親父のやることはサインボードを出すことぐらい」とっている。

この動画exitには、網につかまってカルに援を送っている姿がちらっと映っている。

藤原らんかに、サインボードを出す姿を描かれているexit

Tech3ドゥカティワークスの作業に身を包む姿がある。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit
 

カルにはがいる。幼いときはカルとともにデレクのお供としてサーキットへ通っていたexit

デレクのTwitterに、結婚式の画像が上がっているexit
 

友人、アシスタント、マネージャー

カルのSNSにたびたび登場する人。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit

Twitterアカウントexitや、Instagramアカウントexitがある。ジェイクのInstagramを見てみると、色んなMotoGP関係者が続々と出てきて面い。ホルヘ・ロレンソexitブラッドリー・スミスexitサム・ローズexitポル・エスパルガロexitエルヴェ・ポンシャラルexitなど。ジェイクはやたらと社交的で、「いったい何者なんだ・・・」と感じるほどである。

ライディンスポーツ2018年1月号でルーシーるところによると、ジェイクはモンスターエナジーの一員であるとのこと。上記のMotoGP関係者は全員モンスターエナジー支援を受けている。

ランディ・マモラexitMotoGP最大排気量クラスランキング2位が4回、3位が3回。ついにチャンピオンになれなかった無冠の帝王アメリカ人。日本語版Wikipediaありexit)の息子さん。1994年生まれ、母親ベルギー人で、ダコタはベルギー籍を取得している。スペインバルセロナに20年間住んでいたのでスペイン語が得意。2014年Moto2クラスに1回だけ代役出場した。

Twitterアカウントexitや、Instagramアカウントexitがある。

カルに誘われて、2015年からカルのアシスタントになった。カルの身の回りの世話を一手に引き受け、ライダースーツヘルメットの準備などをする。ライダースーツを抱えスクーターで移動する姿exitや、ライダースーツに水を注入する姿exitが見られた。

カルがパルクフェルメにやってくると記念撮に映り込んでいる。画像1exit画像2exit

この画像exitで「きったないダコタがを触っていやがる」とカルがコメントしている。

2017年をもってカルのアシスタント職を離れ、現在は別の仕事をしている。

2018年からカルのアシスタントになった人。

元・自転車競技の選手で、イギリスマン島ラムジーに住んでいる。カルのとは200m程度しか離れておらず、まさしく隣人である。カルとは自転車トレーニングを通じてしくなった。「アンドリュー・ロシェは自転車トレーニングコーチみたいなもんですよ」とカルはこの記事exitで話している。

「通常は友人パドックに呼ばないんだが、アンドリュー・ロシェだけは例外だ」とカルはっている。

2016年12月までのマネージャーで、カルに関する商業契約窓口だった。

ワッサーマンアメリカカリフォルニア州ロサンゼルスに本社を持つ企業で、映画会社の社長映画業界の重鎮であるルー・ワッサーマンexitの孫が設立した会社である。命名権の売買だのタレントを管理して売り出すだの、いかにも映画業界らしい会社だった。2006年頃からスポーツ選手の管理をすることにを入れ始め、イギリススポーツ選手管理専門の大手企業を買収した。日本人スポーツ選手にもワッサーマン契約している人がおり、ダルビッシュ有岩隈久志などが有名である。こちらexit日本語Wikipedia

カル・クラッチローもワッサーマン契約して、派遣されてきたボブムーアマネージャー業務を任せていた。ちなみに、ブラッドリー・スミスブラッド・ビンダーもワッサーマン契約している。

ボブムーアはワッサーマンモータースポーツ部門で一番実がある人。ワッサーマンのトップページexitの下の方に、顔写真が出てくる。

2017年1月から現在までのマネージャー

米国女性で、F1メルセデスAMG広告イベント計画担当だった辣腕の人。
カル・クラッチローの話によると「F1のチームで12年務めた、とても聡明な人exit」となる。

本人のものと思われるSNSこちらexitカリフォルニア州農業にも投資している。

チームLCRのメカニック

チーフメカ。詳しい経歴はこちらの記事exitに書いてあり、1969年頃生まれであること、モトクロスの選手権やMotoGPの各チームに出入りするサスペンション技術者だったこと、カヤバ日本のサスペンション企業)やオーリンズ(スウェーデンのサスペンション企業)に在籍していたこと、元カワサキワークスチーフメカランディ・ド・プニエの担当だったこと、ランディと一緒にチームLCRへ移籍してきたことが書かれている。

喋っている動画こちらexit

ブルギニョンとは「ブルゴーニュ地方exitフランス東部。ワイン製造で有名)」という意味である。
ところが彼自身はベルギー人。

かなりの巨で、この画像exitを見るかぎり190cm以上はありそう。カルより頭1つ分大きい。

あだ名Beefyで、ヨーロッパニュースサイトでそう呼ばれている。この記事exitとかこの記事exitで、Beefy文字が見える。いいんだろうかそんなあだ名を付けて・・・ ちなみにbeefyとは、こういう意味exitである。

2016年カタルーニャGPの際、ルーシーサーキットに来ていた。そのとき彼女妊娠8ヶで、だいぶおが大きくなっていた。それを見たカルが一言「ウチのチーフメカみたいだな!exit

2018年アルゼンチンGPではフクロウお面を付けて遊んでいた。画像1exit画像2exitテルマスデリオオンドではアナホリフクロウが出現する)

カルの車両を組み立てるメカニック。詳しい経歴はこちらexitこちらexitに書いてある。神奈川県横浜市生まれで8歳の時家族そろってカナダトロントへ引っ越した。2005年からMotoGP世界に入り、2011年までエンジントランスミッションの専門だった。ホンダMotoGPで一番シーレスミッションを導入したが、それを支えた人物である。2012年からチームLCRに入団した。身分上はHRC所属のままで、チームLCR派遣されている。現在住所アメリカ・テキサス州ダラス近郊のマッキニーexit

日系カナダ人である。名前漢字が付いているはずだが、どういう漢字を当てるのかは不明。

G+の解説でおなじみの宮城さんがを渡ってAMAexitアメリカ内のレースの選手権。ウェイン・レイニーケヴィン・シュワンツといった実者を輩出している)に参戦することが決まったとき、一緒について行ったメカニック。このため、キクチさんがG+で映るとだいたいこんな宮城さんが喋る。
「え~今映ったのがキクチさんで、はキクちゃんというんですけども、AMAに行ったとき一緒に来てくれました。もう二十年来の友人ですね」

ピットの中の画像がいくつかある。画像1exit画像2exit

カルがパルクフェルメ入りするときにはパルクフェルメの内側に入り、カルのマシンを真っ先に受け止めているexit

住んでいるところ

現在のカルは3ヶ所に生活拠点を置いている。

マン島のラムジー

1年の中で最も長く生活しているのがマン島ラムジーであり、この場所exitにある。

ここは英国の中にあるが英国領ではなく、英国王室の直轄領である。

マン島TTという公道レースで有名。そのレースこのコースexitで行われ、ラムジー(Ramsey)がコースの最北端であり、最東端になる。カルもマン島TTを毎年観戦するという。

マン島といえば三脚旗exitで、カルも三脚旗を気に入っており、ライダースーツのコブのところに三脚旗を入れている。画像1exit画像2exit また、自転車トレーニングの時のシャツの背中exitにも三脚旗が入っている。

のどか田舎で、カルのSNSに出てくるマン島原ばかりと言っていい。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit

マン島は土地が少し痩せているので、要産業は畜産となる。牧場写真がある。画像1exit画像2exit

なかなか寒い気で、関東北部と同じぐらいの冷え込みとなる。カルも寒さを予報する天気予報を見て「嘘だと言ってくれよ、頼む!exit」「いや~・・・帰るには良い天気だな・・・exit」といている。

マン島からプライベートジェットを借りて、サーキット最寄りの空港へ行くのが定番であるらしい。こんな感じの飛行機に乗るexitアラゴン州exitからマン島exitまで1時間43分なので、なかなか快適なとなる。
 

イタリア・トスカナ州

2013年シーズンの中頃にドゥカティワークス移籍が決まったので、カルとルーシーイタリアに別荘を持つことにした。この記事の一番後ろexitで、別荘を探していると報じられている。

カルは2014年シーズンを限りにドゥカティワークスを離れることになったのだが、イタリアの別荘はそのままにしていて、シーズン中にしばしば寄って滞在している。

場所はトスカナ州exitである。トスカナ州は農業観光要な産業で、イタリアの中でも田舎とされる。
北アペニン山脈よりも北を「北イタリアexit」と言い、工業化が進んで所得準も高いのだが、トスカナ州はその中に入っていない。

トスカナ州の中にも都会はあるのだが、カルが住んでいるのはおそらくピストイアexitである。2017年サンマリノGPの直前にカルはチーズ包丁で切ろうとして手を切ってしまったのだが、そのときに駆け込んだのがピストイアの病院だった。この記事exitで報じられている。

ピストイアというのもまた田舎であり、カルは田舎が好きだと言うことが感じられる。

トスカナ州の別荘はこんな感じexitで、こういう車exitを買って住んでいた。

2016年4月、なんと窃盗の被害に遭ってしまい、やモノを盗まれてしまった。
このツイートexitからは悲痛さが伝わってくる。この車を見つけたら通報してくれexit、ともツィート。
幸い、車だけは戻ってきたexit、と報告している。
 

アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ

カリフォルニア州サンディエゴランチョ・サンタフェexitにも別荘がある。

サンディエゴはかなり温暖で、沖縄県那覇市と同じぐらいの気であり、シーズンオフに滞在するには最適の場所となっている。になるとカルのSNSサンディエゴの画像が増える。カルに釣られて、カルの友人の自転車競技選手たちも続々とサンディエゴに集結して、一緒に自転車トレーニングするexit

サンディエゴアメリカ海軍軍港で、海軍関係者が多い。海軍はいったん出港したら数ヶの中で暮らさねばならず、なかなか精的にキツい職場である。そのためサンディエゴには軍人の苦労を癒すため様々な娯楽施設があり、住んでいて楽しい都市になっている。

特にルーシーサンディエゴを気に入っている。ルーシーは元・水泳選手で、辺のが大好き。泳いでもいいし、をただ歩くだけでも十分に楽しめるとっている。一方、カルはがそんなに好きではないらしいが、ルーシーの意向が当然のように勝った。カルがルーシー結婚プロポーズしたのも、サンディエゴである。結婚式を挙げたのも、サンディエゴ北部のラホヤexit

サンディエゴには世界最大級の動物園がある(サンディエゴ動物園exit
ウィローを伴って家族動物園に行っている。画像1exit画像2exit

トレーニング

カルはトレーニングに関して持論を持っている。

この記事exitこの記事exitっていることを要約すると、とにかく自転車トレーニング一本となる。

シーズンオフにはほとんどバイクに乗らず、モトクロスダートトラックトレーニングをしない。モトクロスダートトラックで使われるバイクに乗ってトレーニングしても、最大排気量クラスマシン操縦で必要とされる体力を鍛えることができないのだから、乗るのは駄。

筋肉が十分にあり(画像1exit画像2exit画像3exit)、これ以上筋肉が増えると体重が増えすぎて走行に悪を及ぼすので筋トレしない。
 

自転車トレーニングの相手 マーク・カヴェンディッシュ

カルは自転車トレーニングばかりするのだが、その練習相手がマーク・カヴェンディッシュexitという人で、これがまた凄い選手である。

1985年マン島で生まれて現在マン島に住んでいる。2005年頃から一流選手の仲間入りを果たし、数々の大会で優勝麗な戦歴は日本語版Wikipediaexitに詳しく記述されている。あまりの速さマン島特急 (Manx Express) やキャノンボール (Cannonball) と呼ばれている。TwitterexitInstagramexitFacebookexitアカウントあり。ニコニコ大百科にも詳しい記事がある(→マーク・カヴェンディッシュ

この大選手と一緒にマン島での自転車トレーニングを繰り返している。こちらの記事exitで、マークと同じようなトレーニングを積んでいるとっている。ブラッドリー・スミスから「カルは自転車の選手になれるでしょう」と言われるほど。

マークSNSにはカルがしばしば出てくる。画像1exit画像2exit画像3exit
 

スラムのコンポーネントが好み

自転車の根幹となるコンポーネント(ギアやペダルなどの部品)は、日本シマノ(shimano)、イタリアカンパニョーロCampagnolo)、アメリカスラムSRAMなどが製造している。

カルが好んでいるのはスラム画像1exit画像2exit
 

スペシャライズドのフレームが好み

自転車フレームメーカーは数多いが、カルはスペシャライズドSpecializedの製品を好んでいる。
同社はアメリカカリフォルニア州に本社がある。日本語版Wikipediaexitあり。

同社の製品がS-WORKSで、カルが乗る自転車S-WORKSばかり。
画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit
 

その他の雑記

2017年スペインGPで予選が終了した直後、ライダースーツの中にが入り、刺されてしまった。動画1exit動画2exit  こちらの記事exitによると、5ヶ所刺されたらしい。

MotoGPライダーレースの前にコースの下見をする。その下見の方法は人によって様々で、歩いて勾配をじっくり体験する人もいるし、スクーターで回る人もいるし、自転車で回る人もいる。カルは、自転車でぐるぐるとコースを回って下見するタイプexit

アレイシ・エスパルガロポルエスパルガロが仲良くしているところの後ろにやってきて、手でハートマークを作って兄弟をからかったことがある。動画1exit

テレビ画面のテロップに指を合わせようとするカルexit

バナナが好物で、週に10~12本ほど食べるexitはあまり飲まない。

ナッツアレルギーがあり、それらは食べることができない。鶏肉が好みで、ルーシーが作るチキンパイチキンカレーが好物である。

こちらの記事exitやライディンスポーツ2017年1月号で、「ヒーローだとかアイドルだと思う人はいない」とっている。

音楽ジャンルにこだわらず、そこそこ聴く。

昔はマンチェスターユナイテッド英国の名門サッカークラブ)に中になっていて試合をよく見ていたが今はそうでもない、とっている。カルのSNSにはサッカークラブの画像が出てこない。

日本にはまだあまり旅行してないんだよ、もし旅行するなら日本の山や自然を見てみたいね」とっている。やっぱり自然が好きなのだろう。

藤原らんかに絵を描かれている。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit画像6exit画像7exit

ルーシーはカルのを洗ってくれないので、カルは自分で自分の洗濯している。

さんがボーイフレンドを連れてきたらどうしますか(ライディンスポーツ2017年1月号)」「どのMotoGPライダーさんのお婿さんとしてふさわしいと思いますかこの記事exit)」と、まるで精神攻撃のような質問を浴びせられており、そのたびに絶している。

2010年スーパーバイク終戦マニクールの表式でマックス・ビアッジexitに不意打ちで思いっきスパークリングワインぶっかけて、怒ったビアッジに飛びかかられている動画こちらexit

ダニ・ペドロサの記事のこの項目を見てもわかるように、体重が重い部類に入る。そのため体重増加を気にしていて、たまに体重計の画像がSNSに上がる。画像1exit画像2exit

BT Sportイギリステレビ局)のCMにちょっと出演している。この動画exitの0分40あたり。メイキングの画像はこちらexit

優勝したときの動画

優勝したときの動画紹介


2016年チェコGP


2016年オーストラリアGP


2018年アルゼンチンGP

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