カレリア 単語

55件

カレリア

1.3千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

カレリアとは、フィンランド共和国ロシア連邦にかけて広がる地域の呼称。カレリアフィンランド語ではKarjala(カルヤラ)、ロシア語ではКарелия(カレリヤ)、スウェーデン語ではKarelenカレーレン)と呼ぶ。

フィンランド人にとって精的な原郷であると共に、カレリアはサーミ人の、南部インリアインゲルマンラント)はエストニア人も含めた北西フィン・ウゴル族の故地である。

概要

現在ロシア連邦のカレリア共和レニングラード州、フィンランドの北カルヤラ県と南カルヤラ県に分割されている。北では、コラ半島とポフヤンマー、西にサヴォ、ハメ、ウーシマーとフィンランド湾、南から東ではラドガやスヴィル、オネガを挟んでインリアや狭義のロシア、そして北西にがある。

先史時代には、フィン・ウゴル族が住み始めた。400年頃からはスヴェーア人(現在スウェーデン人の祖先)がこの地域で活動を始めた。特に、東方ではヴァリャーグ、西方ではヴァイキングノルマン人と呼称されるこの人達は、この地域にノブゴロドを建した。一方で本スウェーデンもその領域を拡大しており、中世には、この地域はスウェーデン対ノブゴロド、カトリック(後にはプロテスタント)対正教徒の前線となる。

近世に入ると、バルト帝国としてバルトに君臨したスウェーデン王国によって西カレリアが治められるが、ピョートル大帝の下で強大化したロシア・ツァーリは、大北戦争スウェーデンを打ち破り、最終的にロシア帝国となったこのによって、現在フィンランドが持つ南北カルヤラを除くカレリア全土を奪われることとなった。更に、ロシアスウェーデン戦争を経て、ほぼ全カレリアをロシアが支配することとなる。

ロシア革命によってロシア帝国が崩壊すると、西カレリアはフィンランドとして独立した。ところが、ソ連第二の都市レニングラード(現サンクトペテルブルグ)から当時のフィンランドまではわずか32kmしかなかった。これを気に食わないソ連はカレリアの割譲を要土と経済の中枢を奪われる事になるフィンランドはこれを拒否して冬戦争が勃発した。冬戦争フィンランドは善戦したが、周辺支援は全くなく、逆にソ連軍事は増強されていく中でやむなく、カレリアを割譲。ナチス・ドイツバルバロッサ作戦ソ連に攻め込むとフィンランドも旧領奪回を狙い、継続戦争を戦うこととなる。一時は冬戦争以前のまで進みそれどころか、東カレリアさえ奪う勢いだったが、ナチス・ドイツ敗北していく中で、フィンランドはまたも劣勢に追い込まれ、現在が確定することになった。

地域

  • 東カレリア
  • 西カレリア
    • 北カレリア
    • 南カレリア
    • ラドガカレリア
    • カレリア地峡
    • インリア(ネヴァ地域)

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/20(土) 04:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/20(土) 04:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP