カロル2世 (Carol al II-lea) とは、ルーマニア王国の国王である。1893年生まれ、1953年没。
ルーマニア国王フェルディナンド1世と、英国のヴィクトリア女王を祖母に持つマリア・デ・エディンブルグ(メアリー・オブ・エディンバラ)との間の長男として、西暦1893年に生まれる。ドイツ皇帝およびプロイセン国王の位を世襲していたホーエンツォレルン家と縁戚関係にあるホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家に属する。
ルーマニアは王家がドイツ出身だった[1]こともあり第一次世界大戦前はドイツの同盟国だったが、大戦が勃発すると中立のちに連合国側で参戦する。しかしすぐに同盟国側にボコられ降伏、大戦末期のどさくさで再び連合国側に立って参戦し、国土を大戦前の4割増やし「大ルーマニア」を実現した。
さてそのルーマニアの王太子だったカロルは勝手に平民女と結婚し、一時は結婚を無効にされるもギリシャ王女と再婚後にまた別の女マグダ・ルペスクを愛人にするなどプレイボーイぶりを発揮。カロルは1925年に王位継承権を放棄する宣言をしフランスのパリに亡命したため、1927年に父フェルディナンド1世が死去した時はカロルとギリシャ王女との子ミハイ(1世)が国王に即位した。
1930年6月、カロルは突然亡命先から帰国するとミハイの王位を取り上げ国王カロル2世として即位した。
当時のルーマニアは世界恐慌の真っ只中で、政府は不況に有効な手を打てず支持を失いつつあった。そこで当時政権を握っていた農民党がカロルに王ではなく摂政としてミハイを後見すること、マグダ・ルペスクと別れることを条件にカロルに帰国を要請したが、これらの約束が守られることはなかった。
カロルが王位に就いた同じ1930年、「鉄衛団」という政治集団が設立される(前身の名前は「大天使ミカエル軍団」)。ルーマニア正教という宗教色を持った極右団体で、反共、反ユダヤ、反自由主義等のファシズム要素を掲げており、カロルの治世に2度首相を暗殺する等非道な行為が目立っていた。
カロルは初めのうちは農民党や自由党等の政党をうまく操りつつ、個人崇拝の団体を作らせるなどして自分を頂点とした独裁体制を確立することに務めた。1938年1月「国民ルネサンス戦線」による自分の意のままに動く内閣を作ると2月には政府及び全政党を解散して念願の独裁制を達成する。この際、カロルは鉄衛団を解散、指導者達を逮捕殺害している。
ルーマニアは第一次世界大戦の結果大ルーマニアを実現させたが、ハンガリーからはトランシルヴァニア、ソ連からはベッサラビア地方を狙われていた。ルーマニアはチェコスロバキア、ユーゴスラビアと小協商と呼ばれる同盟関係を結んでおり、またイギリスとフランスから独立保障を受けていたが、第二次世界大戦前後のドイツの台頭、独ソ不可侵条約等、ポーランド侵攻等の不穏な情勢の結果、ルーマニアは独ソ等枢軸国側の思惑に左右されるようになった。
1939年にソ連はルーマニアからベッサラビアと北ブコビナを奪う。カロル2世はやむを得ず大政翼賛会みたいな政党による内閣を作って鉄衛団の政権参加を認める。ドイツを後ろ盾にしたハンガリーとの領土割譲交渉に際して、ドイツとイタリアの圧力の結果、1940年「ウィーン裁定」でルーマニアは北トランシルヴァニアをハンガリーに割譲することが決まった。また、イタリアの要求に屈しブルガリアに南ドブロジャを割譲することになった。
これらの情勢に対しルーマニア国民は弱腰のカロル2世に激怒。ソ連への領土割譲に反対して投獄されていたイオン・アントネスク将軍が鉄衛団と手を結びクーデターを起こし、カロル2世はポルトガルに亡命。かつて指導者を殺された鉄衛団は復讐のためカロルが乗っている列車を銃撃したが、停車させカロルを倒すのには失敗している。
再びカロルの子ミハイが国王に即位したが、今度はアントネスクと鉄衛団の対立が深まりアントネスクは鉄衛団の反乱を鎮圧。独ソ戦では枢軸国側で戦うがドイツの足を引っ張る結果に終わり、枢軸国が劣勢になるとミハイはアントネスクを解任、逮捕しルーマニアは連合国側に寝返る。その後北トランシルヴァニアだけは取り返したものの、大戦後に待っていたのはルーマニアの王制廃止と共産化であった。
カロル2世は亡命の際に財産を持ち出しており、これらを元手に生活した。1947年にはブラジルのリオデジャネイロでマグダと結婚、1953年にカロルは癌のため死去。
2003年にカロルの遺体はルーマニアに帰還したが、息子ミハイは自身では埋葬に立ち会わなかった。
カロルは母や弟妹達を遠ざけたり国外に追い出しているが、そもそもルーマニア王家自体がスキャンダルの塊で、その中で育ったカロルの生き様もやむを得ないと思わせる節がある。
ハーツオブアイアン等の関連動画では、カロル2世はギリシアッー!国王ゲオルギオス2世とかボリスフラッシュのボリス3世など、あまりにネタの濃い連中に囲まれながらもなんとか目立とうと奮闘している印象がある。
有名なのは「大ルーマニア攻防記AAR」だが、ニコニコでも彼の出番は少なくない。
バルカン半島帽子の会名誉会員カロル2世
(使っている写真が派手な軍帽を被った姿のためなだけだが)
美希やマグダらと共に大ルーマニアの高揚を目指すカロル2世
(「目覚めよ!ルーマニア人!」)
掲示板
1 ななしのよっしん
2013/10/21(月) 19:36:50 ID: TAitzqcfwj
2 ななしのよっしん
2013/12/25(水) 20:30:33 ID: Kt3G77miCq
息子であるミハイ1世は世界最高齢の(元)君主であり
ルーマニアは世界でもセルビア等と並んで王政復古運動が盛んな国で
ミハイ1世の治世や退位したものの国王の威厳を損ねず、
退位の理由自体もチャウシェスクにより千人の軍事関係者を粛清するとの
脅迫が原因で退位したいわば勇退
その後のチャウシェスク政権により共産主義がはびこった反動もあり
ミハイ1世と君主制に対する国民の支持は今でも高く
世論調査では大体1位か2位をキープしている、
ルーマニア憲法でも
王室の存在は明記されており、共和制を標榜する国家は
基本元王族を一般国民として扱うのでかなり異例な事。
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
3 ななしのよっしん
2017/12/25(月) 23:43:27 ID: tuebO7se4g
>>2
なんかパウル・ランブリノってルーマニア王室のスキャンダラスな部分を一番濃く受け継いでいるよな…
まさにあのカロル2世の長男って感じ
そして遂にミハイ1世も亡くなってしまった
マルガレータ王女を初めとした王室の構成員はこれからどうなるんだろ?
スペインみたいにルーマニアもいつか王政復古して欲しいな
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/19(金) 08:00
最終更新:2024/04/19(金) 08:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。