カール・チェルニー / カール・ツェルニー(1791~1857)とは、前期ロマン派に属する作曲家であり、ハノン、クレメンティ、ブルグミュラーらを軽々と乗り越えるレベルで日本全国のピアノを学ぶ人々にとって挫折に追い込まれる避けては通れない存在である。
スラヴ系のオーストリア人。ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルらにピアノを学び、リスト、レシェティツキ、タールベルクらに教えた、というドイツ系ピアニストの潮流の中ではすべての源流に位置する存在である。特にベートーヴェン→チェルニー→リストの流れは現在数多くのピアニストの起点にあたり、ルビンシテイン兄弟らロシアピアニズムと並ぶ2大ピアニスト門派となっている。
彼の生涯は父のヴェンツェルに幼いころからピアノを習わされたことから始まる。10歳の時にその父親に連れられてベートーヴェンに引き合わされ、彼の弟子となった。レッスンは断続的なものであり、さらに彼にピアノを教えたのは上にもあるように決してベートーヴェンだけではなかったのだが、ベートーヴェンへの師事は彼の生涯に大きな足跡を残したのである。
その後コンサートピアニストとしてデビューし、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」のウィーンでの初演にソリストを務めたなどのこともあった。しかしやがて教育者としての活動がもっぱらとなり、レッスン料の高さからフンメルの弟子になるのをあきらめたリストを無償で弟子にしたという伝説が残されるほど後進育成に力を注いだのであった。
しかしやがて多くの弟子を育成することに体力の限界が訪れ、晩年は作曲家としての活動がもっぱらになり膨大な数の曲を作った。作品番号の最も遅いもので861番というほど多くの曲を作った彼は、これまでの人生で莫大な報酬を得ていたが、ついに家庭というものを持たずに、死後その金は寄付されることになったのであった。
彼は生涯多くの曲を残した。ピアノを学ぶ人にとっては、彼の練習曲に苦しまされた日々を思い出すものも多くいるだろう。しかしながらそれは全体のわずか数パーセントにすぎず、知名度のわりにほぼすべてのジャンルを手掛けた作曲家としての彼はあまりにも知られていない。現在は開拓が進み、再評価が少しづつされているもののなかなか不遇な存在である。
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最終更新:2024/04/26(金) 02:00
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