2010年バンクーバー五輪金メダリスト、2014年ソチ五輪銀メダリスト。
2014年現在、フリースケーティング・総合得点のISU公式大会女子シングル歴代最高得点を持つ。[1]
過去のマスコミにおける評価は「妖艶な表現力」であったが、それは誤りでありむしろ「技術力」こそが彼女の強さであり魅力であるとする声もある。(例)とりわけバンクーバー五輪シーズンからプログラムに取り入れた「3lz-3T[2]」という難易度の高いコンビネーションジャンプの確実性と高い質は彼女の最大の武器である。
日本においてキム・ヨナの存在が知られるようになったのは、2005-2006シーズンのジュニア世界選手権がきっかけと言える。トリノ五輪直後に行われたこの大会でキム・ヨナが優勝。同大会には前年の同大会優勝者である浅田真央も出場していたが、ミスが響き2位となった。日本国内での関心が非常に高い浅田に同年のライバル出現ということで、2人の対決ムードを煽る報道が過熱していくことになる。
慈善活動として2010年7月からユニセフの親善大使を務めている。東日本大震災の際には2011年のモスクワ世界選手権で得た賞金をユニセフを通じて全額寄付した。また、2013年にロンドン世界選手権で優勝した際にも障害児支援のため同様に獲得賞金を寄付している。
2009年の世界選手権直前、韓国SBSが「日本の選手が、公式練習中に金妍兒の練習を妨害した」とする番組を放送したことが大きく問題になった。
実際にキム・ヨナ自身が発言したのは以下のとおり。
「特に今回の4大陸大会では少しひどいという印象を受けた。そこまでしなければいけないのか思うことが多かった。しかしそれに負けたくないし、それに負ければ競技にも少し支障が出るかもしれないので、対処方法を考えている」
この発言に「日本人選手によって妨害された」とするナレーションなどを付け加えたことを韓国SBS自身が認めている。
しかし日本国内ではキム・ヨナがそう発言したという誤解が広まってしまい、一部スケートファンの間でキム・ヨナへのバッシングが起きる事態となった。(妨害発言への抗議を要請する電話でスケート連盟の業務に支障をきたす事態になった、キム・ヨナを国別対抗戦EXに招待すべきでないという抗議活動が行われた、などの報道がなされている)
※参考リンク → 金妍児による練習妨害発言(wikipedia)
初参加の五輪であるバンクーバー五輪にて、韓国初の女子フィギュアスケート金メダリストとなった。
本人は五輪で引退する予定だったが、五輪直前に行われた韓国開催の四大陸選手権を欠場したことが原因で2010年トリノ世界選手権へ出場させられることとなる。SPではジャンプだけでなくスピンやスパイラルでも大きなミスをし、7位に沈む。翌日のFSもミスはあったもののFS1位、総合で2位の結果となった。
この際、転倒などで大きく精細を欠いたキムヨナが、会心の演技をしたように見えた[3]浅田真央よりも、高い得点を得てFS1位となったため、メディアなどから疑問の声が大きく上がった。
コーチであったブライアン・オーサーが契約を切られたと発表し、一悶着の末に決別。
その後、ミシェル・クワンの親戚であるピーター・オペガードに1年間師事。
グランプリシリーズ・韓国選手権には出場せず、世界選手権のみ出場。
2011年の世界選手権で銀メダルを獲得した後、休養期間に入った。
2012年、IOC選手委員になるためにソチ五輪出場を目指し、競技に復帰。
拠点を韓国国内に置くため、ノービス時に指導を受けた韓国人コーチに再度師事した。
NRW杯優勝、ロンドン世界選手権優勝。
2014年、2度目の五輪となるソチ五輪で銀メダルを獲得。
競技終了後は改めて引退を表明し、エキシビション後に引退した。同年5月に引退ショーを行っている。
ソチ五輪において、FSで3連続ジャンプにミスのあったソトニコワに対しキム・ヨナがノーミスであったことや、ソトニコワのPCSが彼女のそれまでのスコアに比べて高い点であったことなどから、韓国のみならず欧米メディア、解説者の一部からもキム・ヨナが金メダルであるべきだったとする声が上がった。
とりわけ韓国国内からの不満の声は強く、IOCに抗議する署名活動などが行われた。
それに留まらず、ソトニコワのフェイスブックへの大量の抗議や嫌がらせのコラージュ写真、殺害予告などの荒らし行為なども見られた。
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最終更新:2024/12/10(火) 20:00
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