キャメロット(競走馬) 単語


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キャメロット

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キャメロット(Camelot)とは、2009年産のイギリス生まれアイルランド調教競走馬種牡馬である。
Nijinsky以来の本場イギリス三冠に挑戦した、欧州2012年最も熱い注を浴びた一頭。
名はアーサー王伝説舞台である古のブリテンログレス首都Camelotから。

な勝
2011年: レーシングポストトロフィー(GⅠ)
2012年: 2000ギニー(GⅠ)ダービーステークス(GⅠ)アイリッシュダービー(GⅠ)
2013年: ムーアブリッジステークス(GⅢ

概要

MontjeuTarfah、Kingmamboという血統。系を遡ると、4代One Over Parrは英オークス馬Polygamyの全、さらに遡って17代は54戦全勝・ハンガリー史上最強Kincsemという血統。

1歳10月のセリにおいてクールモアグループに52万5000ギニーで購入され、現在アイルランド最高の調教師若いころはのび太顔で頼りなかったエイダンオブライエン調教師に預託される。2歳の7月デビュー戦を迎えると、オブライエン師の長男であるジョセフオブライエン騎手を背にここを2馬身差でさっくり快勝。着差はそれなりだったが、この1戦だけでいきなり翌年の英ダービーの前売り1番人気となった。
クラシックを見据えながら調教しつつまで待機し、クラシックへの登竜門であるレーシングポストトロフィー(GI)へ。ここをやはりあっさり突破し休養入り。その末脚はオブライエン師に「信じられない」と言わしめ、ブックメーカークラシック前売りオッズは更に下落した。

年が明けて、初戦はクラシック第一戦2000ギニー(GI)に直行[1]。血統的に若干重たいため、営が回避もちらつかせた中での出走であったが、後方から追い込み、きっちり首だけ差しきって勝利。休み明けということやモンジュー距離に懸念があった中ではまず一安心といった勝ちっぷりであった。

そして二戦は大方の予想通りダービー(GI)。他営がキャメロットに恐れをなしたか回避が相次ぎ、英ダービーとしては1907年以来105年ぶりとなる9頭立てという少頭数になった。
ここでも彼は泰然と前売りからずっと圧倒的1番人気に推された実力を全開にし駆け抜け、第233代英ダービー、そして2009年Sea the Stars以来の二冠馬いた。
タイムも少頭数だったにもかかわらず2:33.90と結構タイムであり、このの器の深さを伺わせるものであった。
この勝利Montjeuは8世代で英ダービー4勝でくもSadler’s Wellsらを越える種牡馬としての最多勝タイ記録ジョセフオブライエン騎手は19歳でのダービー制覇となり、昨年のバルロー騎手に続いての10代騎手によるダービー制覇を挙げた。
10代でのダービー制覇はちょっと遡っても*ラムタラShergarに乗った故ウォルタースウィンバーンNijinsky騎手レスター・ピゴットくらいしかやっていない快挙である。

二冠馬となった彼が続いて向かったのはアイリッシュダービー(GI)。ここでも恐れをなした他営が次々回避。出走登録が7頭、前売り2番人気の同厩舎所属Imperial Monarchと同3番人気が重馬場を理由に直前で出走を取り消し、なんと5頭立てで行われた。モンジュー産駒らしからぬキレが武器の彼はモンジュー産駒の独壇場とも言える重馬場が苦手だったようで、Sea the StarsであるBorn to Seaに迫られる場面もあったが、最後はきっちり1馬身半突き放し勝利
レース後、営は順調ならセントレジャー出走と表明。いよいよ1970年Nijinsky以来となる三冠馬への挑戦が現実味を帯びてきた。

クールモア調教拠点であるバリードイルには、先代の専属調教師ヴィンセントオブライエン師が育てた三冠馬Nijinskyを讃え建立された像がある。
ヴィンセント師から引き継いでクールモアの専属調教師となったエイダン師(同姓だけど血縁関係はなし)のはこの像の向かいに自分の育てた三冠馬の像を建立することだったという。
そのえるのは彼になるのだろうか。結果から言うと……Nijinskyやっぱりすごいですね、というお話になってしまったのだが。

そして9月15日競馬ファンを乗せて彼は三冠最後の関門、セントレジャーS(GI)に単勝1.4倍の圧倒的な1番人気で出走。いつものようなレースぶりを見せようとしたらインに突っ込んで詰まったりしたものの最後には末脚を爆発させたが、先に抜け出したEnckeに3/4馬身届かず2着に敗れ、イギリスクラシック三冠になることはできなかった。このレース、いつもならエースのためにたくさんのペースメーカーを用意するオブライエン調教師がなぜか一頭のペースメーカーも出さなかったことも議論の種となったが、どうも根本的に長距離適性がなかったという結論に収まった。

三冠を達成していれば話題にもならなかっただろう凱旋門賞への出走[2]については、セントレジャーの敗戦を経て、失地回復か休養(→引退)かで揺れることになった。戦のジョセフ180cmえる長身のため騎手としては体重が重めで、3歳が古に対して軽い斤量となる凱旋門賞ではいたタオルをさらに絞るような減量をしないと騎乗が難しい。このためジョセフは同厩舎の古エースであるSt. Nicholas Abbeyに乗ることが決まり、これでキャメロット凱旋門賞回避濃厚と言われた。ところがクールモア営は、この年凱旋門賞に騎乗のなかった名手のランフランコ・デットーリ上に据え凱旋門賞へ向かった。
しかし、あいにくこの年のロンシャンは彼が望むレコード馬場ではなく、Montjeu愛した重たい馬場であった。そのせいか爆発的な末脚は見られず、Solemiaを追うオルフェーヴルがものすごい勢いでかっ飛んでいき失速する姿を後ろから眺めるのみで終わってしまった。

この2つの敗戦で、キャメロット競走馬としての評価は著しく下がってしまった。このままでは引退しても種牡馬としての高い価値は得られない。苦しい立場の中で営はキャメロットの4歳時の現役続行を決定する。しかし、追い打ちをかけるように、凱旋門賞の4日後、キャメロットは疝痛(腹痛)を発症。全身麻酔をかけた上での開手術が施された。動物であるの腸はとても長いので、腹痛も大変なのである。こうして、続行することになった現役生活も、前途多難を思わせることとなってしまった。カルティエ賞最優秀3歳タイトルを手にしたことが救いだろうか。

明けて4歳、営はこの年のキャメロットを10F前後の中距離路線で使うことを決定。復帰戦には10ハロンムーアブリッジステークス(GIII)が選ばれ、ここは危なげなく勝利した。しかし、2戦タタソールズゴールドカップ(GI)では、これまでGI勝ちのない「遅れてきたフランケル世代」の5歳Al Kazeemを捉えきれず4頭立ての2着に破れてしまう。続いて出走したロイヤルアスコット開催のプリンスオブウェールズステークス(GI)でも、GIを連勝したAl Kazeemの4着に敗れた。もっともオブライエンく「手術の後は怖くて調教でも追えてなかったけど、やっと体調も上がってきたからこれからは調教で追えるよ! やったね、たえちゃん」ということではあるのだが。

フォワ賞で復帰し凱旋門賞で昨年の汚名をらすプランであったが、馬場状態が悪化したためフォワ賞、そして凱旋門賞を回避。代わりにBCターフ標を切り替えたがその矢先に故障を発生。前年に急死したモンジューの後継として種牡馬入りすることが決まり、落ちた評判を挽回することなくターフを去ることになった。

Nijinsky以来、そして史上5頭となる不敗の三冠馬として栄を極めようとしながらもセントレジャーでの敗北を機に転落していくその様は、皮にも彼の名の由来となったアーサー王によって繁栄を極め、王の死によって滅亡した古の首都Camelotを想起させるものだった。しかし、キャメロットにはまだ未来が残されている。亡きの後継として名誉を挽回することを望みたい。

なお本戦であったジョセフは14年にもダービーを制するなど更なる活躍が期待されていたが、長身故の減量苦が原因で22歳の若さでステッキを置くことなった。
生まれ持った長身と病。人共に自身でどうにもならない要因によって現役を全うすることが出来なかったのは何の因果だろうか。

また、セントレジャーを勝ったEnckeは所属厩舎アルザルーニ厩舎が2013年アナリックステロイドの陽性反応を大量に出した件で長期資格停止・当然のようにゴドルフィン専属解除[3]になった際に陽性反応が出た一頭となって一年間の出走停止となっており、セントレジャーでもバレてないだけでドーピングしていた疑惑が拭えなくなってしまった。キャメロットがなんか悪いことをしたとでも言うのか。[4]

そして2018年調教師に転身したジョセフオブライエン師の元で、キャメロット産駒Latrobeがアイリッシュダービーを制した。その後も欧州種牡馬界で絶対的存在とはいかずとも、毎年着実に活躍を輩出している。キャメロットの再はまだこれからである。

血統表

Montjeu
1996 鹿毛
Sadler's Wells
1981 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
Floripedes
1985 鹿毛
Top Ville High Top
Sega Ville
Toute Cy Tennyson
Adele Toumignon
Tarfah
2001 鹿毛
FNo.4-o
Kingmambo
1990 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Miesque Nureyev
Pasadoble
Fickle
1996 鹿毛
*デインヒル Danzig
Razyana
Fade *ペルポリスII
One over Parr

クロス:Northern Dancer 3×5×5(18.75%)、Special 4×5(9.38%)、Native Dancer 5×5(6.25%)

主な産駒

2015年産

2016年産

2017年産

2018年産

2019年産

2020年産

2021年産

2023年産

関連動画

関連項目

脚注

  1. *日本でも最近増えてきたが欧ではステップレースを使わずにGIに挑むのはしいことではない。
  2. *三冠を達成したNijinskyは、その後凱旋門賞で敗れ、これがその後のイギリス競馬におけるセントレジャー軽視につながった。但し、セントレジャー軽視はNijinsky以前から始まっていたという説もある。
  3. *この一件後に新たな専属契約を結んだのが現在ゴドルフィンエース格であるチャーリーアップルビー師である。ちなみにアルザルーニ師も今は資格停止が解けて活動を再開している。
  4. *余談だがEnckeはアップルビー厩舎に移籍ご出走停止明けとなった2014年8月より復帰したが、調教中の事故予後不良となってしまった。このもまた被害者でしかなかったのである……
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