キュルカスとは、2019年のTVアニメ「けものフレンズ2」の主人公であるキュルルに、視聴者の一部から付けられた蔑称である。
けものフレンズ2(以下2)は放送以前より、前作に当たる一期の監督が降板する等の騒動により否定的な意見が多く、公開された新主人公のキュルルに対しても主にその容姿から芳しい評価は得られていなかった。そして実際に放送が始まると、作中でのキュルルの言動に、
等と強く批難する声が上がり始め、そうした中から彼をキュルカスと呼ぶ風潮が生まれていった。
もとよりアニメ・漫画等に登場する特定のキャラクターや、実在の有名人への侮蔑や批判を込め、名前を省略して「〇〇カス」と表現するネットスラング、またはネットミームが匿名掲示板の界隈を中心に使われており、この呼び名もそれに倣った一例であると言える。同時に一連の批判を踏まえて、二次創作上でキュルルを悪役や所謂「悪ガキ」的キャラクターを与えた際にもこの呼び方がされていた。
しかし、この呼び名に端を発してニコニコ動画やTwitterではキュルルと2に対する誹謗中傷や否定的な言説が2の話数を重ねるごとに次第にエスカレートしていき、やがて「けものフレンズR」に代表されるキュルルと2への憎悪や排除の意を露わにした創作群、所謂「ヘイト創作」が現れるにまで発展していった。
それらは2への批判が支配的であった当初こそ大きな支持を得て、キュルルや2に不快感を抱いていた視聴者の溜飲を下げる役割を果たしたが、その実態は言わば一定数のファンも存在する公式作品やキャラクターへの全否定であり、他に類を見ない規模にまで増長したアンチ活動でもあった。
そのため、当時純粋に作品を楽しみキャラを好んでいたファンにとっては、自分の好きな作品を散々に足蹴にし、大きな禍根を植え付けていった一連の騒ぎを象徴する言葉となっており、2以降に参入した新規のけもフレファンにとっても、公式キャラに対する攻撃的な印象から忌避される言葉となっている。
以下に2放送当時、一部の視聴者から批判や否定的意見の上がったキュルルの言動を挙げ、それに対し放送以降ニコニコ大百科掲示板やSNSに投稿された他の視聴者の解釈や意見などを用い、改めてキュルルの動向を巡る解釈と評価を分析、整理していく。
キュルルがフレンズからけものであると言われた時に返した台詞。これに対し、「自分を人間という理由で特別扱いし、フレンズのことを『お前たちと一緒にするな』と見下した発言である」という旨の批判が発生した。
これ自体は人間としての知識や価値観を持つキュルルにとっては、当該のシーンでの表情を見ても下心や悪意のない純朴な応答とも言え、以降の展開や作風を顧みると人間と動物の関わり方に一期とは違う姿勢を打ち出した2のスタンスを示すものであるとし、特別批判するに相応しくないとする声もある。
前作の主人公であり、立場上キュルルと比較されることの多い「かばんちゃん」は、フレンズとは異なる「ヒト」という立場でありながら、パークの一員としてフレンズたちと別け隔てなく交流していき、共に困難を乗り越えていったという評価をされており、非常に人気が高い。しかし、かばんちゃんがそういった方向性のキャラクターになれたのは、キュルルとは異なり自らが何者かすら認識できないほどまっさらな状態からのスタートだった故であり、そのため初登場時既に自分をヒトであると認識しているキュルルにかばんちゃんと同様の言動を取ることは無理があると指摘する声もある。
とはいえこの台詞に前作との強いギャップと抵抗感を覚えた一期のファンを中心にこうした反発にあったものと推察されている。
また、「けものフレンズわーるど」で明かされた設定を踏まえるとかばんちゃん/かばんさんは厳密にはヒトのフレンズであり、セルリアンの女王が生み出した「人の完璧なコピー」であるキュルルとは存在そのものが違う、という事を追記しておく。
キュルル達がアードウルフの新しい住処を探すため、アリツカゲラの案内でパークの各所を巡っている最中、雨を凌ぐ為に洞窟に駆け込んだ際の出来事。そのパズルとは雨宿りの暇つぶしにとキュルルがスケッチブックに描いた絵をハサミで切り刻んで作成したもの。それをアリツカゲラに渡したことに「キュルルが渡したのはバラバラになっている子供の落書という『ただのゴミ』。どう控えめに見ても他人にあげるようなものでない」という批判の声が上がった。
これに対しては、視聴者から見てゴミであっても、キュルルが雨を凌ぐために駆け込んだ洞窟で退屈な時間を過ごすフレンズに、暇潰しのための娯楽を提供しようとした善意の産物であり、それによって共に楽しいパズルの時間を過ごしたフレンズにとっては愛着のある思い出の品という見方もある。現にパズルを渡されたアリツカゲラは純粋に喜んでおり、キュルルに感謝の言葉を述べている。なお、これはアードウルフの住処を探すためにあちこちを歩き回ったアリツカゲラへの演出上の報酬という意味を持つという考察もある。
キュルルは明確な年齢は定かでは無いものの、年端も行かない「ヒトの子供」としての描写が顕著であるため、視聴者の中には、そうしたキュルルの様子を至らない、ズレているとしながらも「子供らしい」「丹精込めて作った泥団子のようなもの」と温かく見る人も少なからず居た模様である。
そのため、子供なりの拙い発想が上手く奏功した微笑ましいシーンと見るか、一人で勝手に作り出したただのゴミをフレンズに押し付けたと見るかで意見が割れたものと思われる。
突如来襲した「ビースト」なる存在から逃げるため、その場に現れた新キャラ「かばんさん」のバスに乗り込んだキュルル。しかし後部座席のキュルルが何故かハンドルを握るかばんさんを睨みつけているという指摘があり、少なくとも恩人に対する態度ではないという批判が噴出した。
これには「初対面の相手や先のビースト襲撃という事態が続いたために緊張した表情をしている」と言う意見もあり、映像上そうにも見えるものだとしても一概にかばんさんに敵意や警戒心を向けたものと言い切るのは難しい。
最速の座を巡って対立するチーターとプロングホーンに、他のフレンズも含めたリレー競争で決着をつけることを提案したキュルル。しかし自分は参加せず後方の木の上でフレンズたちが走る様子を眺めることにしたのが「フレンズを見下しての高みの見物だ」との批判を受けた。
人数的にはキュルルを含め6人になるため、丁度2チームに分けられるものであるが、それに敢えて参加しなかった理由は明言されていない。
これに対しては、あくまでヒトであるキュルルが参加してもフレンズの走力にとてもついて行けないためといった考察もあるが、それ以前に2の各話の基本的な流れが「キュルルがフレンズたちとの関わりを元に、手元のスケッチブックに既に描かれている絵に自分で加筆することで、『おうち』の記憶を呼び起こす手がかりにする」というものであるため、フレンズたちが走っている姿を景観を含めて客観的に捉え、絵に集中するためという考察もある。
また「チーターとプロングホーンという二者との間の問題なのに他のフレンズを交えたリレー方式では意味がない」という指摘がある。これには「単純な競走をするならフレンズだけでもこれまでにいくらでも出来たはずであり、キュルルがヒトとしての知識を以て独自のルールを提案し、試みた意義は大きい」と好意的な解釈をするファンも居る。
リレーの最中に喧嘩を繰り広げるカラカルとG・ロードランナー(以下ロードランナー)の様子を樹上から見下ろして放った台詞。これも上記の展開と併せて「フレンズたちが一生懸命走っているのに高みの見物で他人ごと扱い」と批判された。
この展開の発端はロードランナーが羽を使って飛行しだしたことにカラカルが不満を持って叩き落とそうとしたことであり、チーターとロングホーンの確執を解決するためにリレーの提案をしたキュルルからすれば、一度は快く賛成して参加しているにもかかわらず、リレーのことを忘れて争い始める二人の姿は確かに面白くはない状況だという声もある。
キュルルの言動に関する批判の中でも特に大きいものの一つ。
キュルルはリレーの最中に例によって絵を描いていたのだが、その絵にチーターとプロングホーンは描いているのに、ロードランナーは描いていないこと、そしてそれをロードランナーに手渡すというシーンが「ロードランナーだけをのけものにした」「陰湿な当てこすりだ」と強い非難を浴びた。ロードランナーはこの回のゲストキャラクターの一人であり、その小生意気なキャラクターもあって一定の人気を集めていたため、このシーンに不満や不快感を持った視聴者も多いと思われる。
一方で大きな話題になった分ファンからの好意的な評価や解釈も多く存在しており、「キュルルの描く絵は『おうち』を思い出す手がかりにするために、フレンズたちとの関わりで微かな記憶を思い出しつつ描かれるものであり、必ずしもその場にいる全員を収めなければならないものではない」という意見や、「ロードランナーが描かれなかったのは、キュルルがこの競走の主役となるチーターとプロングホーンが競い合う様子に集中した結果であり、ロードランナーを悪意を持って省いた訳ではない」とする意見などが存在する。実際7話の主軸はチーターとプロングホーンの確執と対決、そして和解であり、真剣に勝負をしていた二人に対し、ロードランナーは途中からカラカルと喧嘩を始めたため、真剣なチーターやプロングホーンからすれば蚊帳の外である。
また、絵を渡すという行為そのものは、キュルルにとっては一生懸命描き上げた記念の品をプレゼントするという意味でもあり、絵に含めることの出来なかったロードランナーに対するせめてものフォローという見方もある。なお、作中においてキュルルがロードランナーに対して恨みの感情を抱いている、仕返しをしようと画策しているという意見は、今のところ確認されていない。
なお、絵を手渡されたときのロードランナーはそれまでの小生意気な態度から一変、自分が描かれていない事に呆然するという、視聴者の同情を誘いつつコミカルな表情をしており、それは結果的にロードランナーというキャラクターを一層豊かにすることに成功しており、ロードランナーを絵から省くことを作劇の一つとしてアリであるとも言われている。
9話の序盤、キュルルはオオアルマジロとオオセンザンコウ(以下ダブルスフィア)に誘拐され、誘拐の依頼主であるイエイヌの住む住居へ連れて行かれる。そこでキュルルはイエイヌと過ごす内に、フリスビーによる遊びに付き合うことになるのだが、そこにたどり着いたカラカルから「誘拐犯と仲良く遊んでいるのはどうなの?(直訳)」と追及された際の返答。これにも多くの視聴者が不快感を露わにしていた。
これについては前提としてキュルル自身は誘拐の被害者であり、ストレスの強い状況が続いたために仕方ないとする意見も当初から根強く、同時にカラカルも、誘拐されたと知って必死にキュルルを探していたところで、犯人と仲良く遊ばれていては文句の一つも言いたくなることには理解の声が上がっている。
また、元はと言えばダブルスフィアが誘拐などという行為などをせず話し合いによる交渉でキュルル達を誘導等していればこうした事態にはならなかった、という意見もある。
また、これまで「ヒトの子供」としての適度に不器用さのある描写がなされてきたキュルルが、この期に及んであの状況を上手く丸め込めたらむしろ不気味であるという声も。
9話の中盤、ビースト存在を察知したキュルルは、その危険をカラカルとサーバルに知らせようとし、イエイヌの制止を振り切って彼女の住居から飛び出した。その結果ビーストと遭遇し、イエイヌがキュルルを守るために戦い傷つく事態を生み出したと批判されている。
これについてはファンの間でも軽率とする意見も多いが、この行動自体は、成り行きで喧嘩別れをしてしまってもなお、キュルルの内心にはカラカルとサーバルの二人に対する絆や気遣いがあり、先の喧嘩別れが不本意であったことも示しているため、そうしたキュルルの内面を描写している重要なシーンという解釈もある。
また、ビーストに遭遇した時点では、キュルルはイエイヌに逃げることを提案しており、それに対してイエイヌが「これが自分の使命」とキュルルの提案を拒否し、自らビーストに挑みかかっている。そして傷つくイエイヌにキュルルは「もういいよ」と制止するが、イエイヌは戦いを続行。その場にカラカルとサーバルが駆けつけることでようやく事態は収束を見ている。
このため視聴者の中には、キュルルはイエイヌが傷つく事態を回避しようとした一方で、イエイヌが意地を張る形で自らビーストに不要な戦いを挑んだことから、むしろイエイヌを追及する声もある。
9話ではゲストキャラクターであるイエイヌへのキュルルの対応について、当初から批難の声が上がっており、それがキュルカスという呼び名をアンチ側に定着させたとされている。
具体的には、「イエイヌが淹れたお茶を嫌そうな顔で飲む事を拒否する」「ビーストと戦いボロボロになっていくイエイヌを傍観」「ボロボロになって自分を守ってくれたイエイヌを無視して途中から助けに来たサーバルだけを褒めちぎる」「別れの際もイエイヌの傷の手当てやお礼も言わずにおうちにおかえりとだけ言う」等が上がっている。
特にビーストとの戦いで傷ついていくイエイヌの描写や、彼女に対してキュルルが放った言葉である「おうちにおかえり」は特に強い批難の対象となり、大炎上の様相を呈した。
しかし、これについても放送当時より考証が進み、ファンも感想を述べやすくなった2022年現在では好意的・肯定的な感想や意見も多く見られる様になっており、それらを総括すると以下のようになる。
まず、キュルルは強引に拉致されるという形でイエイヌと出会っており、その初印象が悪く警戒心を抱くのは当然の事である。にもかかわらず次第に態度を軟化させフリスビーの遊びに付き合うなどをしており、更に元はと言えばイエイヌが企てた誘拐によってカラカルと喧嘩別れをすることになってしまったのだが、キュルルはそのことでイエイヌを責めるような言動もしていない。
ビースト遭遇時においては、キュルルはイエイヌに逃げることを提案しており、それを無視してビーストに挑みかかり傷つくイエイヌに、「もういいよ」と制止の言葉を掛けており、ここではイエイヌへの気遣いすら伺える。
そして特に批判の槍玉に挙がっている「おうちにおかえり」という言葉は、そもそもイエイヌがキュルルにそう言うよう懇願したもので、本当は違う言葉を求めていたといった様な他意も状況から認められず、それに率直に応えたキュルルはイエイヌの意志を尊重した、丁寧な対応を取ったとも言われている。
ここに至るまで9話におけるキュルルは、イエイヌに暴力を振るったり暴言を吐いたりした訳でも、その他イエイヌに直接何らかの不利益や損失をもたらした訳でもない。ビーストとの遭遇時、逃走ではなく戦闘を選んだのはイエイヌ自身である。
「ビーストとの格闘でボロボロになったのだから体の心配や怪我の手当ぐらいはすべきだ」との批判もあるが、イエイヌはキュルルからの言葉を受けた直後、喜んで走り去っているため体は汚れたがそこまで大した怪我はしていないとする推察もあった。これには後に発売された小説版で詳細が語られており、ビーストは戦いを挑んできたイエイヌを弾き返しただけで、特にイエイヌを傷つけるような攻撃をしていなかったことが明確になっている。なお、イエイヌを差し置いてサーバルやカラカルを褒めたのも、二人と再会した喜びに加え、収束の難しい事態を素早く解決したことからもキュルルの意識が二人に向くのは無理もないことだという意見もある。
こうした数々のファンの声を整理して9話を振り返れば、「相手の迷惑を顧みず一方的にキュルルを囲い込んで、表面上を取り繕った理想を押し通そうとしたイエイヌが、ビーストからの敗退を経て本当の自分のあるべき姿に気づき、キュルルに背中を押して貰う」話である。
そしてキュルルは、機嫌を損ねたり焦って軽率な行動を取ったりしたことはあったものの、誘拐という出会いにも関わらず話を通してイエイヌに概ね寛容さや配慮の姿勢を示し続け、最終的には彼女の要求に素直に応え、イエイヌが心を改める機会を与えた、至って善良な動向をしていると結論付けられている。
また、このようにどちらかと言えばイエイヌの方が問題なのだが、イエイヌは2への登場当初からその容姿と声優の演技もあって非常に人気の高いキャラクターである。視聴者の感情としては、可愛らしい美少女キャラに感情移入し擁護しようと気持ちが働くのは自然なことであり、そのために彼女の問題を捉えられず、イエイヌは潔白で護られるべき存在であるという前提を持つに至っていたと思われる。その結果、話の展開故にキュルルに矛先を向けられることになったと推察されている。
カラカルがキュルルにスケッチブックを届けようとしたものの、諸々のトラブルで失くしてしまったことを伝えた際の一言。そもそもの原因はダブルスフィアに誘拐されたことが原因で、カラカルはあくまで善意でキュルルの元にスケッチブックを届けようとしたのだが、紛失したことによりキュルルからこの言葉を受けた。
先のイエイヌの展開に続き、カラカルに厳しく当たるこの言葉に強いストレスを受けた視聴者もおり、特に「さっきのありがとうを返してよ」というワードには子供の発言らしからぬインパクト覚え、強い悪印象や嫌悪感を持つ視聴者も居た。
これまでのキュルルはどちらかと言えば意思表示があまり積極的ではなく、言うなれば流され気味であり、カラカルやサーバルといった親密な関係を含めても、フレンズにこれほど感情を露わに食って掛かったのはこのシーンが初にして唯一である。一部には、この言葉から始まるやり取りはさながら夫婦喧嘩のようだと言うファンも居る。また、カラカルはキュルルとは対象的に作中を通して歯に衣着せぬストレートな台詞が目立つキャラであり、このシーンはそんなカラカルに対し「これまでの旅や喧嘩別れを経て、カラカルには感情を出しやすくなった証拠」や「キュルルでも言うときは言うを示した」として、パークという環境やフレンズとの関わりに順応していく姿を多少の馴れ馴れしさと不器用さを込めて描いたものであると好意的に見る声もある。
長い旅を経て自分の求める「おうち」がどこにもないことに気付き始めたキュルル。屋外で一人、物思いに耽っていたところを心配して見に来たサーバルが励ましの言葉を掛けた直後の一言。サーバルの励ましがどこか的を射ていない上、キュルル自身も大きな不安に苛まれていた状況ではあるものの、「せっかく励ましてくれたサーバルに対して何という言い草だ」とする批判がされている。
ファンの間では、キュルルは一期のかばんに比べると現代的な子供としてデザインされているため、帰るべき家が一向に見つからないことが無意識に大きなストレスとして積もり積もっていたのが噴出したシーンと考察されている。また、このように感情的になったのは、カラカルと同じくサーバルにも信頼を寄せている証拠とも言われる。
なお、このやり取りの直後にキュルルが高所から海に転落するという事態が発生したが、ニコニコでの動画や上映会でのコメントでは、一部の視聴者により『やったぜ。』をはじめ『海にゴミを捨てるな』『海洋汚染』等と罵詈雑言の数々が書き込まれた。これには一方で静かに成り行きを見守っていたファンや、キュルルに悪印象のない視聴者の心境に大きな爪痕を残したと思われ、現在では当時のことを苦々しく回顧するファンの声も散見される。
10話からキュルル一行が宿泊していたホテルにセルリアンの大群が現れた。キュルルはかばんの指示を受け遊覧船らしき船で海上に避難するも、船の屋根に突然ビーストが現れる。そこでキュルルは何かを思案したのか、強い語気でかばんにホテルに戻るよう頼んだ。
船がホテルに到着すると、ビーストはセルリアンの群れに飛び込みこれを瞬く間に撃破。しかし、その後フレンズにも襲いかかろうとしたため、セルリアン討伐に集まっていたフレンズ達は一目散に逃げ出しホテルから退避した。しかし、その時のビーストはそれまで纏っていた紫色のオーラが消え、呆然と立ち尽くしており、そのまま崩落するホテルの瓦礫が降り注ぐ中に(ただし、位置的にはアムールトラは外にいて、瓦礫が不注いでいるのは別の部屋である)姿を消した。
この一連のシーンが、「アムールトラ(ビースト)をセルリアン殲滅に利用した挙げ句見殺しにした」として大きな批難を浴び、9話のイエイヌの一件を超える大炎上へと発展した。
しかし現在ではこの一連のキュルルの行動について、当時の視聴者を含む現ファン間では、仕方ないとするもの、または正当なものであるとする意見が多数上がっている。
まずビーストに対しては、不安要素こそあるものの、それまで目前で数々のセルリアンを容易く撃破してきたことから、キュルルにとっては恩人という立場でもあり、最初は「頼もしい強力な助っ人」のつもりでホテルに引き連れた、とされている。実際、キュルルはそれまでにもビーストの絵を描いたり、フウチョウコンビの二人に、ビーストの事について問われた際「解りあえなくても、解ろうとするのは別にいいじゃん」と強く言い返したりしており、フレンズと同列に見ることはできないものの、キュルルなりに想いを寄せ、理解を試みようとしていた可能性は強いと思われる。
ところが、セルリアン殲滅後にフレンズにまで襲いかかった姿を目の当たりにしたこと、更に騒動でホテルが倒壊を始めており、その場に留まっては命が危ないという状況下であったため、ビーストに意思疎通を取り誘導を促すのは困難と言え、不本意ながら退避を優先せざるを得なかった、とファンの間では推察されている。
そうした数々の声を要約すると、キュルルは確かにビーストにセルリアンの掃討をさせる意志はあったものの、それはビーストと意思疎通が出来ることを信じ、その力を頼りにしようとした一つの信頼故であり、「同時にホテル倒壊に巻き込んで排除する」とまで思っていた訳ではなく、結果論として危急の状況故にビーストに声を掛けられないままやむを得ず脱出する運びになってしまったということである。また、ビーストの力に頼ろうとしたキュルルの真意は、自身の描いた絵が巻き起こした事態に対し、物理的な力を持たないキュルルなりに収束を試みようとした使命感や責任感という、他者を都合よく利用して使い捨てるという考えとは正反対とも言える主張もある。
少なくとも、他の逃げ場も考えられる状況でキュルル自身がセルリアンのひしめくホテルに引き返す意志を示していることから、自らを危険を晒してでも状況を変えようとした意志があった可能性は高い。
ちなみにホテル脱出後にビーストのことに一切言及していないことも批判の対象となっているが、セルリアン討伐の為に集まった他のフレンズ達が全員が無事脱出できていることを省みると、キュルルは高い能力を持つビーストなら単身でも難なく脱出出来たと思っているという考察がされている。
なお、けものフレンズ2のガイドブック収録の座談会において制作会社であるトマソンの沼田心之介Pが「生きてます!」と語っていたり、カドカワストア限定のアクリルスタンドの図柄において、片手の手枷が外れたアムールトラが再びジャパリパークへ「入園」しているような構図で描かれている。
ちなみに、基本的にビーストはかばんや他フレンズの殆どから、セルリアンと同様に「危険な存在」として認識され、恐れられたり警戒されたりしている。その上「フレンズの出来損ない」という設定も併せ、彼女はけものフレンズの作品全体を見渡しても類を見ない悲劇的な立場の存在であるが、そんなビーストにキュルルは理解と歩み寄りをしようとしていた唯一の人物とされる。
この呼び方は二次創作の界隈にも波及し、「フレンズに迷惑や無礼を働く悪ガキ」という見方を形にした独自のキャラ付けのキュルルに与えられた。しかし、キュルルに好意的な二次創作者による、そういったキャラ付けのない作品にまでこの言葉を投げつけられるようになる等、マナー違反な行為も横行し始める。時にはキュルルの言動を悪しきものという大前提でそうしたキュルルファンの二次創作を「本編から改変されたキャラであるから全部キュルカスと同じ」という暴論まで飛び出す有様であった。
また、「けものフレンズR」「けものフレンズ2地獄説」など、全面的なモチーフにしておきながら、キュルルと2を積極的に排除する作品も現れ、それらは2に批判的、否定的な層を中心に大反響を巻き起こした。これらによってある程度の冷静さを取り戻した視聴者も多いが、一方で無辜の2ファンには大きなトラウマを植え付け、界隈外の人間に対しても「公式作品の全否定」という目的で二次創作に精力的に従事し、熱狂的に支持するという一連の動向は、二次創作やアニメのファンとは一体何なのかを問いかける出来事となった。
このような事態に発展したことについては、一概にキュルルの言動だけに原因を追及できるものではなく、一期監督の降板騒動、通称「たつきショック」を経て「一期以外」の評価が厳しいものになる土壌が既に出来上がっていたものも大きな原因であると考えられる。
―要するに、『あなたとは違うんです』。上記の通り、人間様であるキュルルはけものと同一視されるのは我慢ならないらしい。前作主人公がヒトのフレンズとして、そしてパークのフレンズ達の一員として命がけで戦ったのとはえらい違いである。初回はともかく、フレンズたちと触れ合ってもなお考えが変わらないあたり本心なのだろう。
―そのパズルというのは雨宿りの暇つぶしにとキュルルがスケッチブックに描いた絵をハサミで切り刻んで作成したもの。身も蓋もない言い方をしてしまえばバラバラになっている子供の落書きである。言い方を悪くするとゴミ。
以上は2のアニメ放送終了後、編集された当記事からの抜粋である。これらは編集者の個人的な主観とも言えるが、このように前作である一期の作風とその主人公であるかばんちゃんの言動こそ、「けものフレンズ」というコンテンツそのものの絶対的な評価基準とする論調は当初から広範囲に根強く、一期とは異なるスタッフが生み出し、一期とは異なる物語を展開したキュルルが厳しい批判を受けることは、避けられない出来事だったとも捉えられる。
キュルルの存在自体、一期の監督が続投して「サーバルとかばんの物語」を描き続けていたのであれば生まれなかったキャラクターであり、同時に2が一期の主役であるサーバルとかばんの関係が解消されている設定であるため、一期のファンの間では2の主役であり象徴でもあるキュルルへの悪感情が元より少なからず存在し、今なお拭いきれていないと思われる。
ただし、2作中のキュルルに集まった批判や不快感について冷静で具体的に説明を行う視聴者もおり、イエイヌやアムールトラの件に代表される「フレンズ側に問題を持たせる作劇」などの問題点やその中でキュルルの何がいけなかったのか、どうすればよかったのかについてはファンからも理解や分析の声が上がっていた。ただし、そうした対話や相互理解は自身の主張を過度に正当化せず、お互いの好きと嫌いを尊重し、否定しないという理性的かつ常識的な態度の元に成り立たった、少数派の間での出来事であった。
多くの場合、公式のキャラクターと作品を悪と断じ、そのファンや二次創作すら否定し排除しようとする動向が「けものフレンズ2」を取り巻く界隈で跋扈していたことは、2以降のコンテンツを知る者にとっては今なお記憶に新しいものとなっている。
その出来事を、悪しきものへの当然の報いだと考えるか、冷静さを欠いた一部層の行き過ぎた行為であったと考えるかは各人次第である。
ちなみに、「優しい世界」とは某弁護士に由来するネットスラングであり、無論けものフレンズプロジェクトが提唱するコンセプトやキャッチコピーや一期、2のアニメ、漫画版ともに無関係である。
以上のように、2の放送当時は批難の声が多数上がり、偏に悪者や嫌われ者扱いをされていたキュルルだったが、時間を掛けて多くの意見や解釈が出揃ったことにより、現在では彼の動向を評価し好意を持った視聴者も少なくはなかったことが明確になりつつある。
かつてはSNSやこのニコニコ大百科の関連記事等でそうした好評や考察を論じようものなら、キュルルの言動を悪と断言する論調に一蹴されることも多く、ニコニコ静画のファンアートでもコメント欄が大荒れするなどの事態が頻発したが、時間の経過でそうした状況が鳴りを潜めたことで、キュルルについて語らいファンアートを投稿するなどの活動にも多く理解や支持が寄せられるようになった。
また、アニメの放送終了間もなくコミカライズ版が完結。こちらはキュルル自身を含め全体的に好評価を得られることとなり、「どのようなキャラクターも作り手次第」ということが広く周知されることとなった。更にアニメ版の忠実なノベライズの登場によって、当初批判された9話や12話に多くの補足がなされる等、こうした出来事を経て現在ではキュルルを取り巻く状況は放送当時から大きく改善されている。
今日のキュルル自身はアニメ放送当初から一定の好評やファンの獲得を果たしており、その人物像や言動への理解が時間を掛けて広まったこともあって、今では彼を一方的に悪者や嫌われ者扱いする風潮は既に衰退したと言える。同時に、キュルルを「カス」と貶め、キャラクターとしても創作物としてもその名誉を傷つける放言とも言うべきこの呼称がファン界隈に定着することはなく、一部の過激な声が収まって以来、目にする機会は殆ど無くなっている。
掲示板
1659 ななしのよっしん
2023/12/26(火) 21:51:17 ID: Jm08FI4lz4
生まれたばかりの子供がカラカルを年の近い姉、サーバルを母親代わりに成長していく話だという事すら気づけないお子ちゃまには難しいキャラなのは分かった
まあ俺もキッズの頃は幼い子供キャラがなぜか気に食わないことも多かったし気持ちはよーくわかるよ
1660 ななしのよっしん
2024/01/05(金) 16:13:43 ID: ofjBcsaYX3
少なくとも今の記事内容なら関連動画の項目消していいのでは?
当該動画群はいわゆるヘイト動画にあたるわけで、ヘイト記事時代ならともかく今の記事にはそぐわない
1661 ななしのよっしん
2024/01/12(金) 23:57:59 ID: Jm08FI4lz4
一週間経ったけどこれといった反対も上がらなかったしいいんじゃない?
なんて言ったら「十分な議論もなしに真フレが強行採決した差し戻し差し戻し差し戻し!!!!」とか分かりやすいのが湧いてくるかな
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/16(火) 16:00
最終更新:2024/04/16(火) 16:00
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