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キングヘイロー

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2000年高松宮記念

そのは、10度の敗北えて、血統を明した。

敗れても、敗れても、敗れても、絶対に首を下げなかった。

のメンコ。不屈の塊。そのの名は…

――2012年高松宮記念CMより

キングヘイローとは、1995年まれの競走馬高松宮記念などを勝った名である。
ってればそのうち良い事あるよ。そんな事を教えてくれたであった。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
キングヘイロー(ウマ娘)」を参照して下さい。

概要

良血馬と良血騎手

*ダンシングブレーヴ*グッバイヘイローHalo(ヘイロー)という血統。80年代欧州最強で、アメリカケンタッキーオークスなどGIを計7勝した。「いやいや、そんなが何で日本で走ってるよ?」というような良血である。

ダンシングブレーヴは、1997年桜花賞キョウエイマーチを出し、1997年デビューの産駒にも注が集まっていた。その中でも「一番だ!」と言われていたのがキングヘイローである。実際、当初は「アサヘイロー」で登録されていたのが「キングヘイロー」に名されたという逸話まであるくらいである。

血統も良いが体も良い。特に皮膚が薄く、鹿毛ピカピる様子にはうっとりさせられた。そして上は福永祐一騎手。悲運の天才福永洋一騎手息子にして、初騎乗から2連勝という手なデビューを飾った上に新人賞も獲得し、「武豊騎手の座を伺う天才か?」とまで期待されていたデビュー2年の新鋭である。
ちなみに当初は武豊騎手が乗る予定だったのだが、ジェニュイン毎日王冠オファーが入って本デビュー予定だった京都で騎乗できなくなり、坂口正大調教師に断りの電話をかけたところに福永騎手居合わせたことで、福永騎手が乗ることになったという経緯がある。

良血天才騎手が乗ってデビュー、そして東京スポーツ杯3歳ステークス(GIII)まで3連勝である。期待通りの活躍というより、血統などからして当然の活躍と見られていた。当然、クラシック戦線でも中心になると期待され、人気うなぎ登り! なだったのだが……ファンはいまいち冷めていた。

という具合に、み根性を丸出しにしていたのである。まあ、世の中のほとんどは良血とは言い難い人間なわけで、「良血」「エリート」と聞くとどうしてもんでしまうのであろう。この時までのキングヘイローは「どうもいけ好かないお坊ちゃん」という感じの扱いで、人気は高いとは言えなかった。

しかし、そんな憎たらしいほどのウルトラエリートだったのキングヘイローに、挫折の時がやってくるのである。

挫折のクラシック戦線

年末のラジオたんぱ杯3歳ステークスロードアックスの2着に惜敗したとはいえ、それでも1番人気で迎えた弥生賞。そこに立ち塞がったのは、を失いに育てられたスペシャルウィークと、が既に行方不明というセイウンスカイであった。キングヘイローは、この陰を背負った日本人好みの生い立ちを持つ2頭に敗れて3着。この上位3頭が3強と呼ばれ、クラシック戦線を戦うこととなった。
ちなみに、この年は外国産馬にもグラスワンダーエルコンドルパサーといった怪物がおり非常にレベルが高かったことから「史上最強世代」と呼ばれている。

話をキングヘイローのクラシックに戻すと、皐月賞ではセイウンスカイ追い込み切れずに2着。ダービーでは思いもかけずに先頭に立ってしまった末、ダービー初騎乗で頭が真っ白になった福永騎手を抑えきれずにオーバーペースになってしまい14着に沈没。「ああ、やっちゃったなユーイチ」とファンが頭を抱えるレース振りであり、もちろんレース後さんざんにかれた。皐月賞はともかく、ダービーの大負けは3強の名を辱めるものであった。

初戦は岡部騎手が乗って神戸新聞杯へ向かったのだが、3着。福永騎手に戻った京都新聞杯スペシャルウィークの2着。なんかすっかり普通である。菊花賞ではセイウンスカイはるか後方で5着。この時は3番人気ではあったが、既に3強とは言われていなかった。

よくよく見てみれば、キングヘイローは見るからに胴が詰まった、いわゆるマイラー体だったのである。*ダンシングブレーヴには全然似ていない。菊花賞には向かないことは明らかだったのだ。

有馬記念でも6着。3歳の栄はどこへやら。この頃には福永騎手も武騎手のような「天才」ではなく「上手」というくらいの評価に落ち着いたこともあり、すっかり影が薄くなってしまう。

諦めの悪いおぼっちゃま

になり、福永騎手から柴田善臣騎手上が交代。適距離ではないクラシックディスタンスを狙う馬鹿を止めて、狙うはマイル~中距離路線となる。

期待通り、東京新聞杯(1600m)と中山記念(1800m)を快勝。距離や乗り方が合えばこれくらいの実はあるんだというところを見せ、安田記念では2番人気に支持されたがここを11着に敗れてしまう。続く宝塚記念は8着。か先で同期外国産馬グラスワンダーライバルだったはずのスペシャルウィークが死闘を演じていた。もうなんかすっかり別世界の出来事であった。

に入っても毎日王冠は5着、天皇賞(秋)は7着と連敗。久々上に戻った福永騎手が頭を丸めて挑んだマイルチャンピオンシップは惜しい2着、スプリンターズステークスも3着と短距離でも勝ちきれなかった。その挙句、当時はまだあんまりGI扱いしてもらえなかった年明けのフェブラリーステークス上を柴田騎手に戻して向かうも砂を被って13着に惨敗してしまう。

ここまで来ると、もはやキングヘイローはエリートではなかった。それどころか過去の栄にすがってGIに固執し続ける諦めの悪いでしかなかった。しかし、ファンは「あ、またいるよキングヘイロー。ここじゃなくてローカル開催の重賞にでも出れば勝てると思うのにな」などと思いつつ、なんとなく、積極的にではなくともその諦めの悪さに援を送り始めていた。

苦難の果てに

そして迎えた高松宮記念スタートして後方待機していたキングヘイローは東海テレビ実況に名前を呼んでもらえないという屈辱を味わいながら直線で大外からを思わせる物凄い伸びを披露。アグネスワールドブラックホークなどをまとめて差し切り、遂にGIのタイトルを獲得したのだった。

ぶっちゃけ、その間、馬券を買っている者もいない者も、別にそれまでキングヘイローを応援しているなんて一言も言っていない連中まで、諸手を挙げて「やったな! キングヘイロー!」と喜んだものであった。11回もGIに出てようやく獲得した大タイトル坂口調教師は泣いていたし、柴田騎手も大喜びであった。

挫折したエリートが諦めずに走り続けて、遂に栄タイトルを奪取。ここに来て遂にキングヘイローはファンの琴線に触れるストーリーを得たのである。

この後は安田記念日本最先着の3着に入ったものの他のレースではあまり見せ場を作れず、有馬記念で上がり最速で4着に健闘したのを最後に引退

現役時代の総評

通算27戦6勝。良血の癖に丈夫な距離適性を問わず、スプリント戦からマイル戦、中距離走、そして長距離走に至るまで、とにかくいろんなGIで名前を見る事が出来た。

のメンコの上からシャドーロールを締めるという「ああ、苦労してんな調教師」というような装をしていたので何気にレースでもどこにいるかすぐ分かるであった。

キングヘイローの名誉のために付け加えておくが、血統や調教前、デビュー前後の評判で大きく期待されながら立った活躍ができなかったの例は多く、クラシックまで有に数えられながら、翌年にはすっかり忘れられてたり福島新潟などがメインになっているということもしくない。むしろ長い挫折を味わいながらもGIタイトルを掴んだキングヘイローはまだ良い方なのである。

実は集中で、1回だけ乗った岡部騎手が「ちゃんと調教してるのか?」みたいなことを言ったそうである。暑いから嫌い、も砂被りも嫌い、もまれる競馬も嫌い。気分良く走れば素晴らしい末脚を発揮するのだが、ちょっとでも嫌な事があるとレースを投げてしまう。「良血お坊ちゃま」というイメージそのままのだったのである。走るフォームも首が高く、いかにも未完成。才を発揮し切れなかった「体ない」だったと言えよう。

こういうには新からベテラン騎手が乗って、色んなことを根気強く教え込むことが必要だったのかもしれない。だが、キングヘイローで色々勉強したおかげで今の福永騎手があるのかと思うと、なんとなくあの時の未熟なコンビにも意味があった気がしないでもない。

事実福永騎手もキングヘイローにかなり思い入れを持っていた。実は前述の高松宮記念ではディヴァインライトに乗り、クビ差2着であった。の前でかつてのお手が初G1称号を得たこの時の思いを、2011年競馬情報サイトの質問企画にてっている。

Q30 負けて一番悔しかったレースは?

「キングヘイローが勝った高松宮記念(00年)。自分が2着だったからっていうんじゃなくて、これまで自分が乗っていたのに、なんでG1を勝たせてあげられなかったんだろう、っていう悔しさです。…でも、のことを思って、『やっとタイトルがとれてよかったな』という気持ちもあって…複雑な心でした」

――【月刊UMAJIN編集部】インタビューコラム「ジョッキーに100の質問」福永祐一exit

またキングヘイローが引退牧場に帰る際、厩舎へ駆けつけ坂口調教師と共に見送ったという。思い入れの強さが凄く伝わってくる。

種牡馬入り後

2001年種牡馬入り。GI勝利高松宮記念の1勝のみで、その結果、種付料が100万円前後と、同期からはすっかり差を付けられてしまったが、その種付料の安さと魅的な血統背景が気に入られ、例年100頭をえる繁殖恵まれた。

そのおかげで活躍は結構出した。カワカミプリンセスオークスが獲れなかったクラシックを制覇し、ローレルレイロは高松宮記念子制覇を果たしている。なんだか産駒の傾向が掴み辛い種牡馬ではあったが、ダンシングブレーヴの後継として掛けられた期待は大きかった。彼自身もローレルレイロとキタサンミカヅキの2頭が後継種牡馬として血をつないでいる。

また、「キングヘイロー」の活躍も増えており(な産駒は後述)、特に2021年シーズン重賞戦線ではあのディープインパクトキングカメハメハに匹敵する成績を記録。一時話題となった「ステマ配合(ステイゴールドメジロマックイーン)」のようなニックスの材料として注を集めている。

20年越しのリベンジ

時は流れ2018年5月27日。キングヘイローのダービーから20年の時を経てワグネリアンに騎乗した福永祐一は遂にダービーを制覇した。

デビュー戦から跨り、東京スポーツ杯を勝ち、弥生賞皐月賞敗戦の流れはキングヘイローと同じである。あの時のダービーとは打って変わって冷静に騎乗し、高速馬場を見越して先行させ、最後の最後で交わせたのは福永の成長があったからこそであり、キングヘイローのリベンジを果たしたと言って良いだろう。事実Twitterのトレンドにもキングヘイローの名前が急浮上した。それだけキングヘイローと福永の関係は強いものであり、あの時の経験があったからこそワグネリアンダービーを勝てたのだと思うと感銘深いものがあると思うのは筆者だけではいと思う。

2019年3月19日、その福永祐一日本ダービーを勝った事で安心したのか、繋養先の優駿スタリオンステーションで老衰のため24歳でこの世を去った。奇しくも自身が勝利した高松宮記念を週末(3月24日)に控えたタイミングである。

そしてそのレースでは福永祐一が騎乗したミスターメロディが勝ち、レース後のインタビューでは「レース後に思いました、キングヘイローが……そういうのが、後押ししてくれたかなと思いました」とかつての相棒についてった。しかも当日の着順掲示板が、

と、「さ よ なら キングヘイロー 号」(※13はキングヘイローが高松宮記念勝利した時の番)と読めてしまう偶然まで生まれた。

2021年福永は史上2人日本ダービー3勝を記録する騎手となり、ついにはキングヘイローの孫ピクシーナイトに騎乗し、スプリンターズステークスを制覇。キングヘイローの子孫でダービー勝利し、あのときのリベンジを果たす日もそう遠くはないのかもしれない。

血統表

*ダンシングブレーヴ
1983 鹿毛
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Navajo Princess
1974 鹿毛
Drone Sir Gaylord
Cap and Bells
Olmec Pago Pago
Chocolate Beau
*グッバイヘイロー
1985 栗毛
FNo.8-h
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Pound Foolish
1979 栗毛
Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Squander Buckpasser
Discipline

クロス:Sir Gaylord 4×4(12.5%)、Turn-to 4×5×5(15.63%)、Almahmoud 4×5(9.38%)、Tom Fool 5×5(6.25%)

主な産駒

母の父としての主な産駒

関連動画

 

2012年高松宮記念CM

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最終更新:2021/10/24(日) 19:00

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最終更新:2021/10/24(日) 19:00

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