キングヘイローとは、1995年生まれの競走馬。高松宮記念などを勝った名馬である。
頑張ってればそのうち良い事あるよ。そんな事を教えてくれた馬であった。
通算成績27戦6勝[6-4-4-13]
主な勝ち鞍
1997年:東京スポーツ杯3歳ステークス(GIII)
1999年:中山記念(GII)、東京新聞杯(GIII)
2000年:高松宮記念(GI)
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「キングヘイロー(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
父*ダンシングブレーヴ、母*グッバイヘイロー、母父Halo(ヘイロー)という血統。父は80年代欧州最強馬で、母もアメリカでケンタッキーオークスなどGIを計7勝した名牝。「いやいや、そんな馬が何で日本で走ってるよ?」というような超良血である。
ダンシングブレーヴは、1997年の桜花賞馬キョウエイマーチを出し、1997年デビューの産駒にも注目が集まっていた。その中でも「一番だ!」と言われていたのがキングヘイローである。実際、当初は「アサカヘイロー」で登録されていたのが「キングヘイロー」に改名されたという逸話まであるくらいである。
血統も良いが馬体も良い。特に皮膚が薄く、鹿毛がピカピカ光る様子にはうっとりさせられた。そして鞍上は福永祐一騎手。悲運の超天才・福永洋一騎手の息子にして、初騎乗から2連勝という派手なデビューを飾った上に新人賞も獲得し、「武豊騎手の座を伺う天才か?」とまで期待されていたデビュー2年目の新鋭である。
ちなみに当初は武豊騎手が乗る予定だったのだが、ジェニュインの毎日王冠のオファーが入って本馬がデビュー予定だった京都で騎乗できなくなり、坂口正大調教師に断りの電話をかけたところに福永騎手が居合わせたことで、福永騎手が乗ることになったという経緯がある。
良血馬に天才騎手が乗ってデビュー、そして東京スポーツ杯3歳ステークス(GIII)まで3連勝である。期待通りの活躍というより、血統などからして当然の活躍と見られていた。当然、クラシック戦線でも中心になると期待され、人気もうなぎ登り! な筈だったのだが……ファンはいまいち冷めていた。
という具合に、僻み根性を丸出しにしていたのである。まあ、世の中のほとんどは良血とは言い難い人間なわけで、「良血」「エリート」と聞くとどうしても僻んでしまうのであろう。この時までのキングヘイローは「どうもいけ好かないお坊ちゃん」という感じの扱いで、人気は高いとは言えなかった。
しかし、そんな憎たらしいほどのウルトラ超エリートだった筈のキングヘイローに、挫折の時がやってくるのである。
年末のラジオたんぱ杯3歳ステークスでロードアックスの2着に惜敗したとはいえ、それでも1番人気で迎えた弥生賞。そこに立ち塞がったのは、母を失い乳母に育てられたスペシャルウィークと、父が既に行方不明というセイウンスカイであった。キングヘイローは、この陰を背負った日本人好みの生い立ちを持つ2頭に敗れて3着。この上位3頭が3強と呼ばれ、クラシック戦線を戦うこととなった。
ちなみに、この年は外国産馬にもグラスワンダーやエルコンドルパサーといった怪物がおり非常にレベルが高かったことから「史上最強世代」と呼ばれている。
話をキングヘイローのクラシックに戻すと、皐月賞ではセイウンスカイを追い込み切れずに2着。ダービーでは思いもかけずに先頭に立ってしまった末、ダービー初騎乗で頭が真っ白になった福永騎手が馬を抑えきれずにオーバーペースになってしまい14着に沈没。「ああ、やっちゃったなユーイチ」とファンが頭を抱えるレース振りであり、もちろんレース後さんざんに叩かれた。皐月賞はともかく、ダービーの大負けは3強の名を辱めるものであった。
秋初戦は岡部騎手が乗って神戸新聞杯へ向かったのだが、3着。福永騎手に戻った京都新聞杯はスペシャルウィークの2着。なんかすっかり普通の馬である。菊花賞ではセイウンスカイのはるか後方で5着。この時は3番人気ではあったが、既に3強とは言われていなかった。
よくよく見てみれば、キングヘイローは見るからに胴が詰まった、いわゆるマイラー体型の馬だったのである。*ダンシングブレーヴには全然似ていない。菊花賞には向かないことは明らかだったのだ。
有馬記念でも6着。3歳春の栄光はどこへやら。この頃には福永騎手も武騎手や父のような「天才」ではなく「上手」というくらいの評価に落ち着いたこともあり、すっかり影が薄くなってしまう。
古馬になり、鞍上は福永騎手から柴田善臣に交代。適距離ではないクラシックディスタンスを狙う無謀を止め、狙うはマイル~中距離路線となる。
すると期待通り、東京新聞杯(1600m)と中山記念(1800m)を快勝。距離や乗り方が合えばこれくらいの実力はあるんだというところを見せ、安田記念では2番人気に支持されたがここを11着に敗れてしまう。続く宝塚記念は8着。遥か先で同期の外国産馬グラスワンダーとライバルだったはずのスペシャルウィークが死闘を演じていた。もうなんかすっかり別世界の出来事であった。
秋に入っても毎日王冠は5着、天皇賞(秋)は7着と連敗。久々に鞍上に戻った福永騎手が頭を丸めて挑んだマイルチャンピオンシップは惜しい2着、スプリンターズステークスも3着と、短距離でも勝ちきれなかった。
翌年には再び鞍上を柴田騎手に戻し、とうとう当時は古参ファンからなかなかGI扱いしてもらえなかったダート戦のフェブラリーステークスに向かうが、砂を被って13着に惨敗してしまう。ここまで来ると、もはやキングヘイローはエリートではなかった。それどころか過去の栄光にすがってGIに固執し続ける諦めの悪い馬でしかなかった。
しかし、ファンは「あ、またいるよキングヘイロー。ここじゃなくてローカル開催の重賞にでも出れば勝てると思うのにな……」などと思いつつ、なんとなく、積極的にではなくともその諦めの悪さに声援を送り始めていた。
……さぁ大外から、大外から、やはりキングヘイロー跳んできた、キングヘイロー跳んできたっ、キングヘイローかっ、キングヘイローが撫で切ったッ!!
キングヘイローッ! キングヘイローが纏めて撫で切ったッ!!
恐ろしい末脚! 遂にGIに手が届いたッ!ブラックホークは来ません! 勝ったのはキングヘイロー!
そして迎えた2000年、高松宮記念。
スタートして後方待機していたキングヘイローは直線で大外から父を思わせる物凄い伸びを披露。アグネスワールドやブラックホークなどをまとめて差し切り、遂にGIのタイトルを獲得したのだった。
なお、この実況ではこのゴール直前の瞬間までキングヘイローの名前は一切呼ばれなかった。なんたる屈辱。しかし植木アナは、草野解説員が発走前にキングヘイローを評価していたことをしっかり頭に入れており、それが「やはり」の言葉となった。
審議を経て、着順が確定したその瞬間。馬券を買っている者もいない者も、別にそれまでキングヘイローを応援しているなんて一言も言っていない連中まで、諸手を挙げて「やったな! キングヘイロー!」と喜んだものであった。11回もGIに出てようやく獲得した大タイトル。坂口調教師は泣いていたし、柴田騎手も大喜びであった。挫折したエリートが諦めずに走り続けて、遂に栄光のタイトルを奪取。ここに来て遂にキングヘイローはファンの琴線に触れるストーリーを得たのである。
いまここにいる
どの道を選ぼうと
いつも誰かに追いつけず
別の誰かに抜き去られそれでも落胆を抑え
焦りは隠しながら
ひたむきに進み続けた
この後、安田記念で日本馬最先着の3着に入ったものの、他のレースではあまり見せ場を作れなかった。そして、暮の有馬記念で上がり最速で4着に健闘したのを最後に引退した。
通算27戦6勝。良血の癖に丈夫な奴で距離適性を問わず、スプリント戦からマイル戦、中距離走、そして長距離走に至るまで、とにかくいろんなGIで名前を見る事が出来た。公にはあまり言われないが、SMILE区分の全ての距離のGIレースで入着以上の成績を残した馬はナリタブライアンとキングヘイローの2頭だけである。
緑のメンコの上から緑のシャドーロールを締めるという「ああ、苦労してんな調教師」というような馬装をしていたので何気にレースでもどこにいるかすぐ分かる馬であった。
キングヘイローの名誉のために付け加えておくが、血統や調教前、デビュー前後の評判で大きく期待されながら目立った活躍ができなかった馬の例は多く、春のクラシックまで有力馬に数えられながら、翌年にはすっかり忘れられてたり福島や新潟などがメインになっているということも珍しくない。むしろ長い挫折を味わいながらもGIタイトルを掴んだキングヘイローはまだ良い方なのである。
実は集中力が無い馬で、1回だけ乗った岡部騎手が「ちゃんと調教してるのか?」みたいなことを言ったそうである。夏は暑いから嫌い、雨も砂被りも嫌い(被るのが嫌いなのでダート調教自体は問題なく走ったらしい)、もまれる競馬も嫌い。気分良く走れば素晴らしい末脚を発揮するのだが、ちょっとでも嫌な事があるとレースを投げてしまう。「良血お坊ちゃま」というイメージそのままの我侭馬だったのである。引退レースの00年有馬記念ではほとんどの騎手がテイエムオペラオーをマークしたことが有名だが、柴田騎手はそれらを無視し、大外を回るロスを覚悟して後方を追走した。無視せざるをえなかったのだ。
走るフォームも、もしメンコとシャドーロールをつけていなかったとしてもひと目でどこにいるかわかっただろうくらいに首が高かった。記事冒頭で引用した「破れても、絶対に首を下げなかった」というCMナレーションにはお約束のように「首は下げろ」とツッコミが入った。とにかく、競走馬としては最後まで未完成のままであり、才能を発揮し切れなかった「勿体ない」馬だったと言えよう。
こういう馬には新馬からベテランの騎手が乗って、色んなことを根気強く教え込むことが必要だったのかもしれない。だが、キングヘイローで色々勉強したおかげで今の福永騎手があるのかと思うと、なんとなくあの時の未熟なコンビにも意味があった気がしないでもない。
事実、福永騎手もキングヘイローにかなり思い入れを持っていた。実は前述の高松宮記念ではディヴァインライトに乗り、クビ差2着であった。目の前でかつてのお手馬が初G1の称号を得たこの時の思いを、2011年に競馬情報サイトの質問企画にて語っている。
Q30 負けて一番悔しかったレースは?
「キングヘイローが勝った高松宮記念(00年)。自分が2着だったからっていうんじゃなくて、これまで自分が乗っていたのに、なんでG1を勝たせてあげられなかったんだろう、っていう悔しさです。…でも、馬のことを思って、『やっとタイトルがとれてよかったな』という気持ちもあって…複雑な心境でした」
福永騎手はキングヘイローが引退し牧場に帰る際、厩舎へ駆けつけ坂口調教師と共に見送ったという。思い入れの強さが凄く伝わってくる。
2001年に種牡馬入り。GI勝利が高松宮記念の1勝のみで、その結果、種付料が100万円前後と、同期からはすっかり差を付けられてしまったが、その種付料の安さと魅力的な血統背景が気に入られ、例年100頭を超える繁殖牝馬に恵まれた。
そのおかげで活躍馬は結構出した。カワカミプリンセスはオークスで父が獲れなかったクラシックを制覇し、ローレルゲレイロは父の足跡をなぞるような勝ちきれない日々を越えて高松宮記念で父子制覇を果たし、同年のスプリンターズステークスも制して父を超えた。他にも短距離路線でダイアナヘイローやダイメイプリンセスなどが活躍した。
自身はダートを走ったのは一度きりだったが、ダート種牡馬としても一定以上の活躍を見せ、牝馬メーデイアはJBCレディスクラシック含め牝馬限定ダート重賞で生涯無敗を誇り、7歳で中央から地方に移籍したキタサンミカヅキはスプリント路線で覚醒して8歳で地方年度代表馬に輝いた。他にも地方重賞を9勝した牝馬クインオブクイン、兵庫総大将オオエライジンなどを輩出し、地方での産駒勝利数はなにげに3000勝を超えている。
自身の適性同様、なんだか産駒の傾向も掴み辛い種牡馬ではあったが、ダンシングブレーヴの後継として掛けられた期待は大きかった。彼自身もローレルゲレイロとキタサンミカヅキの2頭が後継種牡馬として血をつないでいる。
また、「母父キングヘイロー」の活躍馬も増えている(主な産駒は後述)。2021年シーズンのブルードメアサイアー(BMS)成績は総合成績こそ14位だが、重賞戦線の勝利数に限って見ればあのディープインパクトやキングカメハメハを凌いで年度トップの8勝、勝率ではこれら2頭を大幅に上回る成績を記録。延べ出走頭数100頭未満で総獲得賞金10億円超えはキングヘイローただ一頭である。アーニングインデックス(産駒の平均収得賞金数。1を超えると平均以上の数値となる)で見ると全競走の平均が1.85、重賞ではなんと6前後という、それなりに出走機会が多い馬としては異次元とも言える非常に高い記録を残しており、とりわけ大一番での強さが際立っている。一時話題となった「ステマ配合(父ステイゴールド・母父メジロマックイーン)」のようなニックスの材料として注目を集めている。
交配相手としてはとりわけディープ産駒(全兄ブラックタイド産駒のキタサンブラックを含む)やモーリスなど、ニックス材料であるヘイローとリファール双方の血が3~4代前(産駒から見ると4~5代前)に入っている種牡馬と相性が良いと言われている。キングヘイローにも双方の血が入っており、これらの相乗効果がかかることが期待できるからである。さらにディープインパクトの母父アルザオがダンシングブレーヴの親戚筋に当たるため、ダンシングブレーヴとアルザオのニアリークロスも生じる配合となる。これらの多重クロスが絡み合うがゆえにディープインパクト×母父キングヘイローの交配ではやや濃過ぎたインブリードが一代下がることでマイルドになり、その血脈に秘めたる能力が発揮されやすくなったのが近年の快進撃の理由の一つではないかと見られている。
2022年シーズンは、母父として春は天皇賞(春)、桜花賞、皐月賞、日本ダービーとGIで2着4回と母父としてシルバーコレクターの様相を呈した(その分賞金は前年に引き続き稼いでいるのだが。)……が、秋になるとイクイノックスが通算5戦目という史上最短キャリアで天皇賞(秋)を勝利。キングヘイロー譲りと云える末脚を魅せ、見事にその血脈を証明してみせた。その後イクイノックスは有馬記念も制し、結果、キングヘイローは同年のブルードメアサイアー獲得賞金ランキングで初のベスト10入り(9位)を果たした。出走頭数が2ケタ(延べ85頭)でのベスト10入りは異例の出来事であり(他の9頭は全て3ケタ…どころか、200頭以上の出走による成績である)、年度別アーニングインデックスは2.85にまで跳ね上がった。
2023年シーズンもイクイノックスが説明不要なほどの活躍を見せ、前年をさらに上回る成績を記録する見通しである。一方で上半期にイクイノックス以外で重賞を勝った馬がドゥーラ1頭のみであり、ブームもひと息つきそうか…と思われたところでキングズソードがJBCクラシックを制覇。その勢いはまだまだ続きそうである。
時は流れ、2018年5月27日。キングヘイローのダービーから20年。ワグネリアンに騎乗した福永祐一は、遂にダービーを制覇した。デビュー戦から跨り、東京スポーツ杯を勝ち、弥生賞・皐月賞で敗戦というワグネリアンの戦績はキングヘイローと同じである。あの時のダービーとは打って変わって冷静に騎乗し、高速馬場を見越して先行させ、最後の最後で交わせたのは福永騎手の成長があったからこそであり、キングヘイローのリベンジを果たしたと言って良いだろう。当日のTwitterのトレンドにもキングヘイローの名前が急浮上した事実は、それだけキングヘイローと福永騎手の関係を覚えていたファンが多かったことを示している。
キングヘイロー「落ち着いていけよ」
ワールドエース「人気でも気負うなよ」
エピファネイア「仕掛けは早まるなよ」
リアルスティール「距離不安でも前目につけろよ」福永祐一「わかった」
2019年3月19日、キングヘイローはかつての相棒が日本ダービーを勝った事で安心したのか、繋養先の優駿スタリオンステーションで老衰のため24歳でこの世を去った。奇しくも自身が勝利した高松宮記念を週末(3月24日)に控えたタイミングであったのだが、そのレースではなんと福永騎手がミスターメロディに騎乗して勝利した。レース後のインタビューでは「レース後に思いました、キングヘイローが……そういうのが、後押ししてくれたかなと思いました」とかつての相棒について語った。しかも当日の着順掲示板が、
と、「さ よ なら キングヘイロー 号」(※13はキングヘイローが高松宮記念で勝利した時の馬番)と読めてしまう偶然まで生まれた。
2021年、福永祐一は史上2人目の日本ダービー3勝を記録する騎手となり、ついにはキングヘイローの孫ピクシーナイトに騎乗し、スプリンターズステークスを制覇。
福永騎手は2023年2月をもって騎手を引退したが、調教師としてキングヘイローの子孫でダービーを勝利し、あのときのリベンジを果たす日もそう遠くはないのかもしれない。
*ダンシングブレーヴ Dancing Brave 1983 鹿毛 |
Lyphard 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Goofed | Court Martial | ||
Barra | |||
Navajo Princess 1974 鹿毛 |
Drone | Sir Gaylord | |
Cap and Bells | |||
Olmec | Pago Pago | ||
Chocolate Beau | |||
*グッバイヘイロー Goodbye Halo 1985 栗毛 FNo.8-h |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Pound Foolish 1979 栗毛 |
Sir Ivor | Sir Gaylord | |
Attica | |||
Squander | Buckpasser | ||
Discipline | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Sir Gaylord 4×4(12.5%)、Turn-to 4×5×5(15.63%)、Almahmoud 4×5(9.38%)、Tom Fool 5×5(6.25%)
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/11(水) 06:00
最終更新:2024/12/11(水) 06:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。