クイズ・ドレミファドン! 単語

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クイズドレミファドン

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クイズ・ドレミファドン!とは、1976年1988年フジテレビなどで放送された日曜の名物番組である。

概要

曲のイントロを聞いてその曲を当てるという、イントロクイズの元祖的番組。
(曲名当てクイズ自体はラジオ放送明期からあったようだが、曲のイントロを聞いて押しで当てるという現在イントロクイズスタイル確立させたのはこの番組である)

レギュラー番組時代の会は高島忠夫。特番移行後も1995年まで引き続き会を務めるなど番組の代名詞的存在であった。会とアシスタントは番組ロゴワッペンが縫い付けられたジャケットを着ていた。

実はイントロクイズ以外にも様々な芸能音楽クイズコーナーゲストの歌のコーナーもあったのだが、現在ではほぼ『イントロクイズの元祖』としてのみられることが多い。なお、ゲストの歌のコーナー重な資料として後年懐メロ番組などで歌のコーナーだけ抜されて再利用されることもある。

1988年レギュラー放送は終了したが、現在でも復活版が正月など不定期に放送されている息の長い番組である。特番化後はしばらく「ドレミファドン」のタイトルは使われていなかったが、1997年からは再び「ドレミファドン」として行われている…反面、レギュラー時代のスタイルからは大きく変化している。

この番組の制作フジテレビではなく渡辺プロダクションであり、この番組の後もフジテレビ日曜正午の番組は現在の「なりゆき街道」に至るまで渡辺プロ制作の番組が放送されている。

ルール

 レギュラー放送時代は視聴者参加番組(ただしゲスト大会も多数組まれた)で、出場者は特定テーマに基づいた二人一組5チームが出場。ごく初期はイントロクイズワンコーナーに過ぎなかったが、途中からラストコーナーに固定。これにより、前半に週替わりのクイズコーナーゲストによる寸劇やバラエティショーから出題される「ゲストクイズ」が数コーナー行われ、各コーナーごとに最高得点チーム(同点の場合はイントロクイズで勝者を決定)が「コーナーチャンピオン」となり賞品獲得を賭けたゲームに挑戦した。イントロクイズまでの得点はさほど高くないため、実質的には出題数の多い「イントロクイズ」(1問5点)→「ウルトライントロクイズ」(1問10点)→「ウルトライントロクイズ」(1問20点)の成績で優勝が決まっていた。

 「ウルトライントロクイズ」中にブザーが鳴ったところでゲームセットとなり最高得点チーム優勝(同点の場合は同点決勝のイントロクイズで決定)。優勝は「ドレミファ大賞」と呼ばれ、チーム日本航空で行くグァム旅行を賭けた「グァムチャレンジクイズ」に挑戦、持ち歌でない歌を歌った歌手の歌が流れ、歌手名を答える「当てクイズ」に正解すればグァムペア旅行を獲得できた。

 また、定期的に「ドレミファ大賞」を獲得した5組を集めた「グランドチャンピオン大会」(内容は通常版と同じ)を行い、優勝チーム日本航空で行くアメリカ西海ペア旅行が「当てクイズ」なしで贈られていた。

 場内には観客が入れられており、その際優勝しそうなチームの予想してその割り当て席に座り、そのチーム優勝すれば品がもらえた。

イントロクイズの解答権

 解答席にはボタンを押した順の表示が全チーム出るようになっており、押し1位チームが間違えると2位チームに解答権が移動した。「イントロクイズ」以降は時間いっぱいまで矢継ぎに出題していくスタイルだったこともあり、たとえゲスト大会であっても知識系ガチクイズ番組もスピード感と緊感であった。

 一度不正解するとコーナーに関わらずチーム得点は5点減点され「×」の書かれたマスクを一方が付けてその人の解答権が最後まで失われ、あとの問題は一人での解答となる。残る一人も不正解すると両者とも「×」のマスクを付ける「リタイア」となり解答席後の得点盤にも「×」が貼られてゲームセットまで失格となる厳しいルールであった。その代わり、正誤判定はかなり甘で、押してから答えがしばらく出なくても解答席の「×」のプレートが飛び出してくるまでは待ってくれたほか、言い直しも認められたり、ニュアンスや答えの意図が合ってれば正確でなくても高島の裁量でOKとなることもあった(例:ドラマアニメテーマ曲が問題の場合、曲名ではなく作品名を答えても「まあいいでしょう」となることがよくあった)。

 なお、ゲスト大会は「ウルトライントロクイズ」までにリタイアした場合は持ち点を0点に戻して両者とも復活するケースもあった。

黒ひげ危機一発

 前半のコーナーチャンピオンが挑戦するゲームで有名だったのがおもちゃメーカートミー(現:タカラトミー)が発売していた「黒ひげ危機一発ゲームに挑戦するもの。放送開始当初から使用されてゲームの知名度が大きく向上したとされるが、このゲームは本来海賊が飛び出すと勝ち」だったにもかかわらず、当番組ではを刺すごとにボーナス得点が加算されるも、海賊人形が飛び出したらそのボーナス得点収され獲得できないというルールだったことから、海賊が飛び出すと負け」という実際とは逆のルールお茶の間に浸透していったと言われており、1995年には正式におもちゃルールも「飛び出したら負け」に変更された。なお、番組でも後にゲームスタイルを大きく変え、「ヒゲダンステーマ」に合わせてペアの片方がを刺していき、海賊人形が飛び出したところでもう一方が持っているおたま人形をキャッチすると成功となり、刺した本数に応じた賞品がもらえるという形式になった(24本のを全部差したところで海賊が飛び出してキャッチするとその時点でグァム旅行獲得だった)。

補足

なお、「クイズ・ドレミファドン!」には前身番組がある。1976年4月9月に放送されていたクイズ家族ドレミファ大賞」がそれであり、この時代は家族単位の出場チームによる音楽クイズが行われていた。イントロクイズはこの時点で行われており、番組テーマ曲も同じメロディ歌詞違いバージョンが用いられていた。
ただし、「ドレミファ大賞」時代の番組会は柏村武昭水沢アキが務めていた。後に「お笑いマンガ道場」(中京テレビ)の会者として全的に有名になるであるが、1975年中国放送アナウンサーからフリーへ転身しいくつかの番組に挑戦していた時期の仕事の一つである。
1976年10月に番組の大幅リニューアルが行われ、後に知られる高島忠夫会の「クイズ・ドレミファドン!」となった。

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