クリーブランド級軽巡洋艦 単語

32件

クリーブランドキュウケイジュンヨウカン

2.6千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

クリーブランド級軽巡洋艦とは、アメリカ海軍が運用していた軽巡洋艦の艦級である。

概要

第2次世界大戦開戦を見越し1938年に策定されたアメリカ海軍の増強計画によって建造が決定された。
計画では52隻の建造が予定されたが14隻が建造中止、9隻が後述する軽空母へ転用され純軽巡洋艦として就役したのは設計変更された『ファーゴ』級軽巡洋艦2隻を含む29隻だった。

船体

本級は元々、対巡洋艦として建造された『アトランタ』級軽巡洋艦の拡大として建造されるだったが後述の理由で1930年代に就役した『セント・ルイス』級軽巡洋艦の設計をベースにして建造された。
全長186m、全幅20.2mとやや拡大した体は基準排水量で1万tに達し、満載では1万4000tを越える重巡洋艦級の規模となった。

これは元々『セント・ルイス』級、引いては大元の『ブルックリン』級軽巡洋艦日本最上巡洋艦への対抗として建造されたことに由来するものであり『ブルックリン』級、『セント・ルイス』級も基準排水量で9000tを越える重巡洋艦級の規模を持っていた。
機関は10万馬の蒸気タービン式、速は32.5と『セント・ルイス』級より1程度低下したが航続距離は15で1万1000里と向上した。

なお、『ファーゴ』級では艦の規模を削減、ボイラーの配置変更に伴い煙突も2本から1本にめたため本級との判別点となる。

兵装

本級のは新開発の15.2両用連装(対+対水上兼任)を搭載する予定だったが本級の就役までに実戦配備に至らなかったため[1]結局『セント・ルイス』級と同様の15.23連装を搭載した。但し、『セント・ルイス』級がを5基搭載していたのに対し、本級では4基に減らされている。
代わりに『セント・ルイス』級で4基搭載されていた12.7両用連装を6基に増やし、新装備の40㎜機関や従来からの20㎜機関と併せて対火力を大幅に増強した。
また、偵察用に水上偵察機4機も露搭載しカタパルト2基を艦尾に備えていた。

なお、魚雷発射管は搭載していない。これは『セント・ルイス』級、ひいては『ブルックリン』級から受け継いでいる。

ミサイル巡洋艦への改装

本級は太平洋戦線や朝鮮戦争空母機動部隊の護衛や上陸作戦時の艦砲射撃で活躍したが大戦終結直後からモスボールを経て輸出もされず退役するものも少なくなかった。
その中から6隻が対空ミサイル巡洋艦として改造、再就役した。3隻づつが『ガルベストン』級、『プロビデンス』級と分類されているが前者は大ミサイルタロス』、後者は中ミサイルテリア』を装備しているという違いで基本的な装は以下の通りである。

ミサイル関連装備 艦後部構造物と艦砲を撤去し射撃レーダー
連装発射機へ換装・改造した。
艦砲の削減 15.2と12.7両用を削減し40㎜機関
20㎜機関は撤去。
2対1の割合で15.2と12.7両用各1基を
残したものと15.22基、12.7両用6基を
残したものが存在した。
航空機 水上機関係の設備は撤去され艦尾は格納庫なしの
ヘリポートとした。
後に人対潜攻撃ヘリQH-50』と関連装備を
装備して対潜水艦対応を強化した。
の大 前述の艦砲を大幅削減した4隻は艦を拡大し、
部施設を増強して艦隊旗艦としての
を追加した。
バラストの追加 改造を実施した結果、トップヘビーの問題が発生
したことから重心低減のためバラストを追加して
対応した。

改装後

対空ミサイルを実戦で運用する機会はなく、艦隊旗艦としての任務やベトナム戦争において当時には重な艦砲になっていた15.2を活かした艦砲射撃に従事し、1970年代中には6隻全てが退役した。
その内、『ガルベストン』級に分類された『リトルロック』が記念艦としてニューヨーク州・バッファローで保存されている。

インディペンデンス級軽航空母艦

本級をベースにした航空母艦1943年中に全艦が就役したことから『刊軽空母』の異名をとる。
元々建造予定がなかったが開戦直前の1941年に当初の建造計画では1944年まで新造の航空母艦が戦化されないことを知った時の大統領フランクリン・ルーズベルトアイデアから生まれたものである。
特徴は以下の通り。

体の改造 体の全長は190m、全幅は33m
と拡大した。
と煙突は右舷に設置された。
体が拡大した分速は31
低下したが航続距離は15
1万3000里と延伸した。
艦載機 艦内格納庫に30機、甲に露繋止
で15機と最大で45機搭載可
艦砲 当初は12.7単装両用を2門装備
していたが最終的に40㎜機関
20㎜機関のみとなった。

活躍

1943年から就役が始まったインディペンデンス級エセックス級に規模こそ及ばないが護衛空母群を上回る(特に速)で力部隊に参加し、マリアナ沖海戦レイテ沖海戦坊ノ岬沖海戦、数々の上陸作戦で活躍した。
しかし、レイテ沖海戦で『プリンストン』が爆を受けた末に救援に当たっていた従姉妹艦である軽巡洋艦バーミンハム[2]を含む軽巡洋艦2隻、駆逐艦2隻を損傷させる爆発を起こした末に沈没した。
また、戦後フィリピンに展開していた4隻が『コブラ台風』と呼ばれた熱帯低気圧に遭遇した際に損傷している。
大戦を生き延びた8隻のうちネームシップインディペンデンス』はクロスロード作戦を含む各種の兵器実験に使用される標的艦となって沈没し、残る7隻は一時モスボールされた後に2隻がフランス海軍に譲渡、
5隻は朝鮮戦争で復帰後に訓練や輸送任務など裏方に回り、1960年代にはフランスに譲渡された艦を含め退役・解体されていった。
しかし、『カボット』はスペイン海軍に譲渡され『デタロ』へ名し、ヘリコプター空母を経て1972年世界で初めてVTOL戦闘機ハリアーを運用する空母[3]となり1989年まで現役であった。

関連作品

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *これは後輩のウースター軽巡洋艦で実現
  2. *人的被害は『プリンストン』が108人、『バーミンハム』が229人が戦死した
  3. *ただしスキージャンプへの装は行われなかった
この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/25(木) 04:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/25(木) 04:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP