グリア号事件とは、第二次世界大戦中の1941年9月4日に発生した米駆逐艦グリアによるU-652攻撃事件である。
1939年9月3日に勃発した第二次世界大戦により北海と北大西洋は血で血を洗う激戦地と化した。ドイツ海軍が放ったUボートや仮装巡洋艦がイギリス船団の壊滅を狙い、イギリス海軍はそれを阻止しようと艦隊から戦闘艦を割いて護衛兵力に充てていた。
当時アメリカは中立の立場を取って第二次世界大戦へは参戦していなかったが、水面下ではイギリスへの肩入れを行っていた。1937年制定の「非交戦国が交戦国へ武器を輸出する事を禁じた」中立法を1939年11月に廃止し、交戦国の船が直接武器を取りに来て代金を支払うキャッシュ・アンド・キャリー法を開始。一見公平に見える方式だが、実際は制海権を握っているイギリスにしか利が無く、海軍力に劣るドイツ海軍が船を出せば簡単に撃沈されるのは目に見えていた。
また第二次世界大戦が始まったのと同時にルーズベルト大統領は「安全水域」なるものを東海岸から大西洋へめり込ませ、アメリカの水域から交戦国の艦船を締め出す目的で軍艦を進出させるが、その実態はドイツの艦艇だけを追い出してイギリス海軍とは協力する不公平極まりないものだった。活動中のUボートや独商船を発見すると追跡して位置情報を通報するといった明らかに中立から逸脱した暴挙を繰り返す。
1940年7月、隠す気も無くなったルーズベルトは堂々とイギリスへの援助を表明し、同月下旬には旧式駆逐艦50隻を供与する協定を締結。これにはチャーチル英首相も「ドイツに対米宣戦布告の口実を与える」として中立精神の違反だと苦言を呈している。8月にはゴムレー提督率いる使節団がロンドンに到着した。
1941年2月には安全水域がヨーロッパ大陸まで後1400kmの西経26度線まで拡大。6月20日、イギリス本国の近海に米戦艦テキサスが侵入。U-203が誤って雷撃したが命中しなかったため相手に気付かれなかった。だがイギリス近海にまで米艦艇が進出してきた事によりUボートは肩身の狭い思いを強いられ、作戦行動に大きな制限を課せられる。7月、安全水域が西経22度線にまで進出してアメリカ軍がアイスランドを占領。ドイツのヒトラー総統はアメリカの参戦を防ぐため、酷い仕打ちを受けているにも関わらずアメリカ艦船への攻撃を禁止。あくまで紳士的に対応を続けた。
アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦に参戦したい思惑があった。しかし「欧州の戦争には不介入」という公約を掲げて当選したため自分から宣戦布告する事は出来ず、また83%のアメリカ国民が戦争反対を示していた事もあり、参戦するには世論を反独へ導くか、ドイツ側から殴らせなければならない。ゆえにドイツに対して徹底的な挑発を行っており、1941年8月25日には大西洋艦隊に「独伊軍艦艇を攻撃せよ」と極秘命令を発令。もしドイツが反撃してきたらそれを口実に宣戦布告しようと考えていた。
1941年9月4日午前8時40分、米駆逐艦グリアは郵便物や乗客を乗せ、占領したアイスランドへ向かっている途中だった。そこへイギリスの爆撃機から「付近にUボートがいる」との報告を受けて捜索を開始。午前9時20分、レイキャビクの200km沖合いで真正面海域に潜航中のU-652を発見。この時は訓練のつもりでソナーを使用、U-652の位置を特定してイギリス艦艇や航空機に情報を発信し続けた。U-652は3時間28分に渡ってグリアに追い回された挙句、英軍機から4回の爆雷攻撃を受けたが、幸い損傷は無かった。
やがて英軍機は燃料が少なくって基地へ帰投するも、更にグリアは約5時間に渡ってU-652を追跡し時折爆雷まで投じてきた。正式に参戦していない国が自分から攻撃を仕掛けるのは国際法及び国内法違反である。中立とは名ばかりの行為に激怒したU-652側はグリアへ1本の魚雷を発射。グリアは速力を上げて回避し、反撃のためU-652に接近。U-652はグリアを「イギリスに向かっている米駆逐艦50隻のうちの1隻」と判断、2本目の魚雷を発射したがこれも命中せず。ついに両者は戦闘状態に入った。グリアはU-652が潜んでいると思われる場所に爆雷8発を投下したが、損傷は与えられなかった。グリアがU-652を見失った事で一旦戦闘は終了。
約2時間後、グリアの見張り員がU-652を発見して戦闘再開。グリアは11発の爆雷を投下するも効果を確認できなかったため捜索を約3時間実施。発見できなかったので諦めて互いに元の任務に復帰し、戦闘は終了した。双方に被害は無く、これがUボートによる最初の反撃となった。アメリカ海軍部長ハロルド・スターク大将は戦闘を調査して「アメリカ側から先に攻撃を仕掛けた」と経緯を正確に報告。最初の報告ではイギリスの航空機と協力して撃退したとしているが後に修正されている。
事件から一週間後の9月11日、ルーズベルト大統領はラジオ演説でグリア号事件を喧伝。「ドイツの潜水艦が警告も無く先に攻撃してきた」と事実を捻じ曲げて発表した。とんでもない嫌疑をかけられたドイツ側は当然この発表を否定。「攻撃はドイツの潜水艦によって行われた訳ではない。逆に潜水艦は爆雷を受け、執拗に追い回され、真夜中まで爆雷を落とされた」「ルーズベルト大統領がアメリカ国民を戦争へ引きずり込む目的で、あらゆる手段を使って事件を誘発しようとした」と非難したが、アメリカ海軍省は「ドイツの主張は不正確」と突っぱね、ルーズベルト大統領は「ドイツの海賊行為は有罪」と宣言して一歩も譲らなかった。
マサチューセッツ州のデイビッド・I・ウォルシュ上院議員は上院海軍委員長も兼業しており、事件の全容を明らかにするべくスターク大将が上げた報告書を発表。上院海軍委員会が調査に乗り出した結果、先にグリア側が攻撃した事がバレてしまい宣戦布告の口実にはならず、戦争反対の世論も変えられなかった。
しかしグリア号事件をきっかけにルーズベルト大統領の挑発は激化し、9月15日にアメリカ海軍は「商船を襲撃するUボートは捕獲するか撃沈するよう命令されている」と公表している。また10月17日には本事件と同様にカーニー号事件(米駆逐艦カーニーがUボートに爆雷攻撃を行い、U-568に反撃されて大破した事件)が発生しており、ルーズベルト大統領の蛮行は続いた。このような挑発行為はアメリカ国内からも疑問視され、ロバート・ウッド上院議員が「参戦したいのであれば議会で可否を決めるべき」と苦言を呈している。
アメリカ艦艇の挑発行為が続いた10月30日、ついに米駆逐艦ルーベン・ジェームズがU-552に撃沈された。第二次世界大戦で初めてアメリカ艦艇が撃沈された例となり、ルーズベルト大統領は喜んで反独感情を煽ったが、冷静な国民たちを突き動かす事は出来なかった(世論調査では参戦派は2.5%しかいなかったとか)。グリア号事件は日本でも報道され、11月2日の大阪朝日新聞がルーベン・ジェームズ撃沈と合わせて報じている。しかし何故かグリアは撃沈された事になっている。[1]
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