グローバル・ヒストリーとは、歴史叙述のひとつである。
歴史学における歴史叙述があまりにも一国史観かつ西洋中心主義史観から免れ得ない、という批判から20世紀中ごろに誕生した歴史叙述の一形態。なお、イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論が代表的だが、これはあくまでもその一つに過ぎない。
歴史叙述の行き詰まりを打開する一手としてもてはやされたが、21世紀初頭にあったような楽観的な見方は、もはや消えつつある。とはいえ、これまでの歴史学の潮流に代わる一パラダイムであることは間違いない。なお、ジャレド・ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリがこれに入るかどうかは、ふわふわしている。
ソヴィエト連邦消滅や、イスラームの躍進、中国の再浮上といったもろもろの影響もあって、修正を突き付けられた旧来の歴史叙述。グローバリゼーション、アジアの経済成長、歴史学の袋小路を脱したいという欲求、地域研究からの旧来の歴史学への異議の4つの要因がその原動力だったとされる。
こうしてグローバル・ヒストリーが誕生したわけだが、その定義はパトリック・マニングによると、歴史上存在してきた「サブ・システム間の連関性に関する研究」ということである。つまり、一国史観から脱却し、どれだけ小さな範囲でもシステム間のダイナミズムに注目し、時間枠も広くし、そもそも歴史の原動力って人類だけじゃないし…といった見方も出てきたのだ。
グローバル・ヒストリーの花形といえば、世界システム論である。世界システム論といえば、イマニュエル・ウォーラーステインだが、ジャネット・アブー=ルゴドの異議なども当然ある。そのインパクトによって人類史、環境史へと射程が広げられ、疫病史なども取り上げられるようになった。
一方で、ミクロな視点である人々の生活、地域史、地域システムといったものもグローバル・ヒストリーの範疇である。この分野では日本人研究者の活躍も目立つように、各地域出身のエキスパートたちが、ヒトやモノの流れをできるだけ実証していっているのである。
そして、結局のところ、アジアとヨーロッパの関係性に注目が行く。ノースとトマスの『西欧世界の勃興』、ジョーンズの『ヨーロッパの奇跡:環境・経済・地域の比較史』によってヨーロッパの勃興が叙述された後、ロイ・ビン・ウォンやケネス・ポメランツといった、カリフォルニア学派の批判が出た。アジアの優位性を殊更に主張した、アンドレ・グンダー・フランクもこの流れに位置付けられることが多い。パルタサラティのインドへの注目も、こうした潮流に起因している。
一方で、グローバル・ヒストリーからは帝国論も説かれている。ヘゲモニーの研究がすすめられ、時代ごとの「パクス・~」は何かを見ていくのである。
このように、グローバル・ヒストリーと一言で言っても、やることは多岐にわたっていたのだ。
本当にいまさらな話をこんな中盤でするが、世界システム論とグローバル・ヒストリーは微妙に違うといえば微妙に違う。旧来の歴史叙述への批判に応答して、世界システム論が登場したことを受け、いろいろあってできたのがグローバル・ヒストリー、みたいな雑な理解をしてほしい。
旧来の歴史学にヘイドン・ホワイトといった批判が相次ぐ中で、時間のモデル化が進むにつれて空間への関心が失われたのではないかという流れが出てきた。この世界システム論のパラダイムが登場する前の先駆者ともいうべき人物が、フェルナン・ブローデルとされる。かくして1970年代になると、イマニュエル・ウォーラーステインが登場した。
なお、ウォーラーステインは従属理論に属する一員である。ジョヴァンニ・アリギ、アンドレ・グンダー・フランク、アントニオ・ネグリ、サミール・アミンといった人々である。その念頭にあるのがマルクス主義的な唯物史観である。
ウォーラーステインにとって一番問題だったのは、一国史観である。そもそも歴史学は国民国家、つまりネーション=ステイトという近代の発明と同時期に勃興したので仕方がない側面がある。しかし、1970年代になると、世界がほぼ国民国家だけになったのに、貧富の差が解消されないままになりつつあった。では先進国と発展途上国の差は何に起因するか、というのが世界システム論で描こうとしたものである。
ウォーラーステインの細かい理論はぶん投げるとして、ウォーラーステインの「長い16世紀」論の根本的な問題として、ヨーロッパに形成されたシステムによってその外部にあるシステムが、「一方的に」包摂されることにある。つまり、進んだ時代に属する地域であるヨーロッパが、遅れた時代に属する地域を創造的に破壊して自分流に作り替える関係だ。ところが、実際は近世は両者は併存関係にある。アジアを中心にしたグローバル・エコノミーがあるじゃないかと、アンドレ・グンダー・フランクらが異議を唱えたのである。
つまり、ウォーラーステインの論旨はヨーロッパのみに資本主義が生まれたのはなぜか、という問いの立て方の制約があった。その外側にウォーラーステインが出ていなかったことに、当初彼は気づいていなかったのだ。実際の16世紀はヨーロッパは例外側ではない。
かくして、現実がさらに進行するうちに、グローバル・ヒストリーの分野はアメリカで勃興した。一応イギリス圏の地域研究もその流れに含まれるはずなので、ざっくり英米圏が初期の担い手であった。
上でも書いたように1980年代以降の現実の世界の動向によって、この分野は突き動かされてきたのである。グローバリゼーションの進行による金融の流れの広範化と加速化、アジアの勃興、ディアスポラ研究の潮流、環境・資源・生態・ジェンダーなどをいかに歴史で語るか、といったものである。
さらに歴史が衝撃を与える。天安門事件、ベルリンの壁崩壊、軍事政権の債務危機といった現実である。新しい秩序ができつつあるんだ、という肌感が共有され、社会科学で方法論的原理主義も再浮上した。こうした中で、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を唱えだした時期がここである。要するに、世界システムそのものが消えつつあったのだ、と薄々誰もが感じつつあったのである。
こうして1990年代にグローバル・ヒストリーは邁進する。1998年のランデスの『諸国民の富と貧困』のように、なぜある地域は豊かである地域は貧しいのかは依然として関心の中心であった。ドーアやアミンのように、ヨーロッパのみ経済発展が進んだのはなぜかという問いに、新しい叙述がされるようになった。
一方、ウォーラーステインもまた、「世界システム論2.0」ともいうべき新たな段階に入った。いわゆるジオカルチュア論である。文化の覇権は、たぶん歴史学の「新しい文化史」とも連動したもんじゃなかろうかと思うが、その辺和書になってないのでいったんパス。とにかく、ウォーラーステインは、社会科学の見直しを計って新たなパラダイムを打ち立てようとしたのである。とはいえ、彼もまた、その終局を見届けることなく、墓石に入った。
マルグレット・ペルノ、ドミニク・ザクセンマイエルが主張するように、もはやグローバル・ヒストリーは歴史学と同義になりつつあった。現実はますます未曽有の状態になり、歴史学のメッカであるドイツ・フランス両国も、この流れを受け止めつつあった。ドイツにはゼバスティアン・コンラートが現れ、フランスではノレル、ボジャール、ベルジェといったブローデル流ではなく、ウォーラーステイン流のやり方で世界経済を分析する人々もいる。とはいえ、フランスではからみ合いと接続という独特の受け止められ方もしている。
一方で、旧来の歴史学で、「新しい文化史」を実践していたリン・ハントといった転向者が出てきた。リン・ハントにとっては、「文化論的転回」を引き起こした「新しい文化史」パラダイムに続き、「空間論的転回」、「時間論的転回」が行われたとするのだ。また、思想史からの転向者が、ビッグデータを活用しようとするデイヴィッド・アーミテイジである。
もちろんグローバル・ヒストリーは西洋世界でのみ行われているものではない。日本人の業績はそこら辺の本を読んでほしいとして、第三世界の旗手の有名人として、インドのディペシュ・チャクラバルティがいる。『ヨーロッパを地方化する』で有名な彼だが、現在は気候史の第一人者である。
こうした新たな仲間も加わった一方で、「グローバル・ヒストリー」も歴史化しつつあるのが現状である。
要約すると、グローバルという言葉にあまりにも批判的意識があるなしだとか、とにかく射程を無尽蔵に伸ばしすぎだとか、そのようなことに尽きてしまう。また、グローバル・ヒストリーって結局誰に対して語っているのか、結局世界史をグローバル・ヒストリーに変えただけではないかとか(茶の世界史とコーヒーのグローバル・ヒストリーって何が違うの?的な…)、根本的な問題点が結構山積みなのである。
結局のところ、一般の人々の在り方の変化が、「グローバル・ヒストリー」が生み出される大前提になったので、新しい時代に対応した新しい在り方が、グローバル・ヒストリーの実践者から突き付けられている。
また、言語論的転回、文化論的転回の後の「因果関係」論争に、因果関係を主体とともに復権させようとするのが、この「グローバル・ヒストリー」であることも忘れてはいけない。キャロル・グラックによって「グローバル論的転回」とも呼ばれるが、そもそも根本的にコロコロ転回しすぎじゃね?みたいな突っ込みもあったりもする。
掲示板
1 ななしのよっしん
2023/04/10(月) 15:11:30 ID: RXlEQ6ybjL
初めて知った言葉だけど
良いねって思った(小並感)
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 20:00
最終更新:2024/04/25(木) 20:00
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