ケツァルコアトルとは、アステカ、マヤなどのメソアメリカ[1]神話に登場する神のことである。またそれに関連し、様々な形でその名が使われたことでも知られる。
主に羽毛を持つ蛇の姿で描かれる。主に農耕や文化を司る神だが、神話においては世界の創造と、それに続く人間の創造に深くかかわっていたとされた。
本稿では原点である蛇神について記述する。
名前の[ケツァルコアトル]は、一般に[羽毛の蛇]と訳される。しかしケツァル鳥の羽毛は、メソアメリカ社会においては宝石に匹敵する価値を持っており、王侯しか身に付けることの出来ない物だった。そのため意訳として[高貴な蛇]と訳される場合もある。
直接の発祥は、テオティワカン文明における[戦争の蛇]神だったとみられる。とは言えそれ以前にもさらに系譜上の元となった神がいた事は確実で、恐らくはアステカから二千年近く遡ったオルメカ文明にまで源流を辿ることが出来るものと考えられている。
中米のアステカ、マヤ文明などにおいては、風雨・農耕・文化などを司る神として広く信仰された。また太陽神としての面も有った。それぞれの文明で名前や詳細は若干異なるが、羽毛を持った蛇という姿は統一されている。また人間の姿で表現されることもある。
兄弟であるとも言われる神テスカトリポカとの協力や、対決の神話も数多く残されている。
これまでアステカには、「最後はテスカポリトカに敗れ、いつか帰還するという言葉を残して去って行った」とする伝説が存在したとされて来た。この伝説と、ケツァルコアトルの容貌が「白い顔」だったとする言い伝えが存在したために、スペイン人がケツァルコアトル神の帰還と間違われてしまい、それがアステカが、少数のスペイン人侵略者に敗れる原因となったのだと長い間考えられてきた。
しかし最近になって、そもそもアステカには「ケツァルコアトル神帰還の伝説」そのものが存在しておらず、スペイン人を神と誤解した話は、実は後の植民地時代に捏造されたものらしいことが分かって来た。そのためこの辺りの詳しい事情については、現在でも研究、調査が続けられている。
中南米の文明にはつきものだった生贄の儀式に対し、忌避感を示して、これを止めさせようとしたという伝説も残っている。
これはケツァルコアトルの名前を称号に持つセアカトル王(トルテカ)の事である可能性が高く、実際にはケツァルコアトル神が生贄を禁止したとする確実な証拠は見つかっていない。
しかしセアカトル王とケツァルコアトル神を混同して扱うことは、実は当時のアステカ人もしていたとされている。そのため「ケツァルコアトル神が生贄に反対した」とも「していない」とも厳密には言い切れない、複雑な状態にある。
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最終更新:2024/04/24(水) 04:00
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