ゲオルギオス2世とは、ギリシアッー!ギリシャ王国の国王だった人物である。
表記はゲオルギウス2世とも、また英語名ではジョージ2世になる。
西暦1890年に生まれる。デンマークの王家であるグリュックスブルク家から迎えられてギリシャ国王になったゲオルギオス1世を祖父に持つ。父はギリシャ国王コンスタンティノス1世、母はドイツ皇女ソフィア(カイザーであるヴィルヘルム2世の妹)。グリュックスブルク家は欧州中のありとあらゆる王家と縁戚関係を結んでいた。
ギリシャは第一次世界大戦が勃発してしばらくは中立を守っていたが、ドイツ寄りの父国王コンスタンティノス1世が連合国寄りの首相ヴェニゼロスと対立して退位した時、子のゲオルギオス2世と一緒にスイスに亡命した。そのためギリシャ王位はゲオルギオス2世の弟アレクサンドロスが継いだが、アレクサンドロスが早世したためコンスタンティノス1世が復位、ゲオルギオス2世も戻ってくる。ギリシャは宿敵トルコとの戦争(希土戦争)に破れ、1922年にコンスタンティノス1世は軍隊のクーデターのためイタリアに亡命、ゲオルギオス2世が新国王となった。
しかし翌年、ゲオルギオス2世は政府によってイギリスへの亡命を余儀なくされギリシャは共和制に移行する。といっても元々ゴタゴタ続きのギリシャの政治は共和制でも相変わらずで王制を望む声は多く、1935年に再び王制が復活してゲオルギオス2世は国王の座に返り咲く。総選挙の結果どの党も過半数を取れず、業を煮やしたゲオルギオス2世は極右政党の陸軍大臣だったイオアニス・メタクサスを首相に任命、メタクサスの独裁政権への道を開くことになった。
メタクサスの手法はファシズム的ではあったが、それまでの政権のゴタゴタにうんざりしていた民衆の支持をそこそこ得ていた。また、ドイツやイタリア等の枢軸国だけでなく、反ファシズムのイギリスとも友好関係を結んでいた。そのため第二次世界対戦が勃発するとメタクサスは中立を守ろうとするが、そこにイタリアのドゥーチェ、ムッソリーニがギリシャを乗っとろうと画策。メタクサスがイタリアからの最後通牒を拒否した1940年にドゥーチェの軍隊が侵入、ギリシャ軍はイギリス軍の助けを借りて一時はアルバニアまでヘタリアイタリア軍を押し戻すが、1941年、バルカンを席捲したナチスドイツ軍の侵入にあえなく降伏。ゲオルギオス2世は再度イギリスへの亡命を余儀なくされた。
この後、枢軸国の占領下でギリシャは塗炭の苦しみを味わうことになる。枢軸国、連合国、共産党の民族解放戦線等が入り交じり抗争を繰り広げ、第二次世界大戦末期のギリシャはまさに内戦の最中にあった。結局イギリスとアメリカの支配下となったギリシャは総選挙で王党派が勝利しゲオルギオス2世はギリシャにまた戻ってくるが、翌年1947年4月1日に動脈硬化症が原因でその波乱の人生を閉じた。
離婚した王妃との間に子はなく、弟のパウロスが次期国王となった。パウロスの子コンスタンティノス2世の代、1974年にギリシャは完全に共和制に移行する。
事績だけをみると同時代にいくらでもいた、独裁を目指して失敗したさえない国王の一人としてマイナーな存在のままだったかもしれない…だが、ハーツオブアイアンのAARネタでまさかの脚光を浴びることになる。
「ギリシア 真夏の夜の○夢」において、ギリシアッー!という誤表記とゲオルギウス2世の濃い面構えが作者の興味を惹いたのか、最強(最凶)の対話型AARがここに誕生することになったのである。(詳細はググってください)
そのせいかニコ動におけるゲオルギオス2世といえばガチホモ兄貴のイメージが確立してしまっているが、史実では当人には決してそんな趣味は無かったことを付け加えておく。
掲示板
22 ななしのよっしん
2012/12/20(木) 16:02:15 ID: QPhYdDr2Bb
別にギリシアって誤表記じゃないよね
単なる表記の揺れ ギリシャでもギリシアでもどっちも正しいはず
23 ななしのよっしん
2013/07/15(月) 18:27:38 ID: mY8R1j6x3b
>>22
学術的な文章、とくに人文系だと「ギリシア」と書かれがちだよな
古代文明や東ローマ帝国などを扱う際は特にそう
24 ななしのよっしん
2015/08/29(土) 17:29:44 ID: CaAbg0WzZn
なんだ、ギリシアッにでもなってたのかと思ったら単にギリシアだっただけか…
そりゃ誤記でも何でもないよな…
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最終更新:2024/04/25(木) 13:00
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