コスワース(英:Cosworth)とは、イギリスに本社を置く自動車エンジニアリング会社である。
1958年にイギリス・ロンドンにて創業。
コスワースという名称は2人の創業者、マイク・コスティン(英:Mike Costin)とキース・ダックワース(英:Keith Duckworth)の名前を組み合わせて名付けられた。
モータースポーツファンには偉大なエンジンチューナー、ビルダーとして知られているほか、パワートレインや電装系も手がけている。
現在はレース部門と市販車部門が分離され、レース部門はジェラルド・フォーサイスとケヴィン・カルコーヴェンの共同所有となっており、イギリス・ノーザンプトン州の本社およびアメリカのインディアナポリス、シェルビー、ムーアズビルに拠点を持つ。
市販車部門はドイツのマーレ・グループに売却され、マーレ・パワートレインに名称を変更している。
コスティンとダックワースは元ロータスの従業員であり、コスワースは同社のエンジン部門から分離・独立する形で発足した。
そのためロータス創業者のコリン・チャップマンとは強いつながりを持ち、チーム・ロータスの一員として海外レースに派遣されたほか、1966年にはチャップマンの仲介の下でフォードエンジンの設計を購入し、レース用エンジンの開発を行う契約を結んだ。
その中には8気筒モデルも含まれており、これが後に名機として知られるDFVエンジンとなる。
コリン・チャップマンが軽量かつ信頼性の高いエンジンを求めてコスワースに開発を依頼したF1専用エンジンで、Double Four Vulveの頭文字を取って「DFV」と命名された。
開発に当たっては当時フェラーリの買収に失敗したフォードの強力なバックアップもあり、1967年に「フォード・コスワース・DFV」としてロータス・49に初めて搭載されデビュー戦のオランダGPでポールポジションおよび優勝を達成、F1界に新風を巻き起こした。
翌1968年からロータス以外のチームにも販売・供給されるようになりF1界を席巻、シャシーを自社制作しエンジンはDFVを購入して搭載するパッケージが一般化し、一時はフェラーリ以外ほぼ全てのコンストラクターがDFVを使用するまでになった。
1980年代に入りターボエンジンが普及するとさすがのDFVもそのパワーに対抗できなくなり、1985年にミナルディが使用したのを最後にF1から姿を消したが、18シーズンに渡って使用され154勝を挙げ12回のドライバーズタイトルに貢献、これは同一形式のエンジンが上げた最多の勝利数である。
発展型としてショートストローク仕様のDFY(1勝)、排気量を3,494ccに拡大したDFZ、DFRがある。
DFZ、DFRから設計を一新したV型8気筒エンジン。
1989年からベネトンへ独占供給されたのち、91年からジョーダンなど他チームへもカスタマー供給されるようになった。
1993年にはホンダエンジンを失ったマクラーレンもHBエンジンを搭載することになったが、開幕当初ベネトンへは最新スペックのシリーズVIIだったのに対してマクラーレンへ供給されたのは型落ちのシリーズVでパフォーマンスが劣っていた。
ロン・デニスの政治力により第9戦イギリスGPよりベネトンと同じスペックのエンジンが搭載できるようになったが、それまでの間アイルトン・セナと1戦毎の変則的な契約を結ばざるを得ない理由の一つとなった。
2006年から2.4L V8 NAエンジンの使用が義務付けられるのに合わせて新規開発され、ウィリアムズに供給されたエンジン。
コスワースの技術力を結集し他メーカーよりも高回転型の設計がなされた結果、予選時には20,000rpm以上の超高回転域までぶん回してパワーを絞り出していた。
しかしメーカーからの支援が無いため思うように開発が進まず信頼性に難があり、翌07年からは19,000rpmの回転数制限が課せられることになりアドバンテージも無くなってしまったため結局1年でお蔵入り。
コスワースと言えばレース用のエンジンのイメージが強いが、市販車にもロータス・フォードを筆頭に世界中の自動車メーカーにエンジンおよび競技用パーツを供給している。
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