コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー(Константин Эдуардович Циолковский)とは、帝政ロシアからソビエト連邦にかけて、ロケット工学の理論やアイデアを多数発表した「ロケット工学の父」「宇宙開発の父」である。
The Earth is the cradle of the mind, but we cannot live forever in a cradle.
(地球は精神の揺りかごだが、我々はずっと揺りかごに留まっていることはできない)
生誕は1857年。父親はポーランドの革命運動に関わったために追放されたポーランド人であった。病気で聴力をほとんど失ったが、独学で勉強し、22歳で数学教師となる。
1891年に、流線型をした全金属製の飛行機のアイデアを考案、科学アカデミーに提出したが「金属の塊が空を飛ぶはずがない」として却下された。
この頃の飛行機は、主要な部分が金属や木で、翼は布張りである。実際に全金属機が飛行したのは、1915年のこと、ドイツのユンカースによるJ-1が最初であったが、実用化されるまでにはさらにかかっている。
1895年、エッフェル塔から着想を得て、赤道上から塔を立てていけば静止軌道半径の高さで重力と遠心力が釣り合うはずだという計算を発表。このときはあまり注目されなかったが、最も早い宇宙エレベータの発想である。
ただし、このように下から建造する方式は、計算上困難であることが現在はわかっている。
1897年、噴射ガスの速度、噴射開始時と終了時の質量比からロケットの速度を導き出すための計算を、「ツィオルコフスキーの公式」として公式化。この公式は現在でも使われている。
1903年、ロケットを用いて宇宙探検を行うアイデアと、液体水素・液体酸素を燃料とする流線型ロケットの設計図を発表。液体水素と液体酸素を燃料とするロケットは、重量比で最も高い推進力を持つロケットであるが、液体水素は製造・保管が難しいため、実用化されたのは1961年、サターンI型ロケットで使用されている、アメリカのRL-10ロケットエンジンが初であった。RL-10は改良を加えられて現役である。
帝政ロシア時代は、ただの著作を持つ数学教師に過ぎなかったが、革命が起こりソビエト連邦が成立すると、その先進的なアイデアが注目され、科学アカデミーの会員に選ばれ、国のロケット開発に関わるようになる。
その後は、ソビエト連邦の研究ということもあり、アイデア考案の具体的な時期ははっきりしていないが、ツィオルコフスキーの式から、重量比を改善するため、ロケットを連結して不要になった部分を切り離す「ロケット列車」(多段式ロケット)の理論を1920年代に確立し、同時期に燃焼ガスではなく熱した空気を噴射するジェットエンジンの理論を発表した。
使い捨ての大出力ロケットエンジンを外付して初期加速を得るブースターのアイデアの検討なども行なっていたが、理論の完成をまたず、1935年に世を去った。78歳であった。
掲示板
7ななしのよっしん
2016/04/25(月) 22:21:13 ID: COP2av8LN6
>>3
そういった背景を持つ人が科学者として招かれた歴史と、考案したアイディアや数式が現在に繋がっているというところに科学の普遍性と強いロマンを感じる。
8ななしのよっしん
2017/09/07(木) 23:13:21 ID: mYUexS15Uo
9ななしのよっしん
2022/11/27(日) 00:17:08 ID: uvOlHomYdr
ツィオルコフスキー関連資料 - 100光年ダイアリー <https://>
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最終更新:2023/04/02(日) 02:00
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