コーヴィナ(USS Corvina SS-226)とは、第二次世界大戦中にアメリカ海軍が建造したガトー級潜水艦15番艦である。艦名の由来はニベ科の魚から。1943年8月6日竣工。同年11月17日、トラック南東で伊176潜の雷撃を受けて沈没。
ガトー級はT級潜水艦の改良型である。船体を大型化して復元性を強化し、機械室を前後に分ける事で抗堪性と魚雷本数の向上に成功。安全潜航深度も増大した。JPパッシブソナー、WCAアクティブソナー、魚雷発射諸元計算盤を装備しており、視界ゼロの荒天下であっても正確に獲物を狙う事が出来る。日本軍の輸送船を500万トン以上を沈め、補給線を断つのに一役買った功労者の家系と言える。
諸元は排水量1526トン、全長95m、全幅8.3m、喫水4.6m、水上速力20.5ノット、水中速力8.75ノット、重油搭載量389トン、安全潜航深度91m、連続潜航可能時間48時間、急速潜航秒時60秒、哨戒日数75日、乗員80名。武装は53cm魚雷発射管10門、発射管内魚雷10本+予備魚雷14本、50口径76mm単装砲1門、12.7mm単装機銃2丁、7.62mm単装機銃2丁。
開戦前の1940年7月1日、コネティカット州グロトンにあるエレクトリック・ボート社に発注され、1942年9月21日に起工。1943年5月9日にオーストラリアのフリーマントルで潜水艦作戦の指揮を務めるラルフ・W・クリスティー少将の夫人ラレーネ・P・クリスティーの後援によって進水式を迎えた。そして8月6日に竣工し、第4潜水艦隊へ編入。ロデリック・S・ルーニー中佐が艦長に就任する。
1943年8月22日よりロードアイランド州とコネティカット州の沖合いで慣熟訓練。9月18日にコネティカット州ニューロンドンを出港し、9月29日にパナマ運河を通過して太平洋へ進出、10月14日に真珠湾へ到着した。約1ヶ月滞在したのち11月4日に最初の戦闘哨戒を行うべく出港。2日後にジョンストン島に寄港して燃料を補給した。
コーヴィナに与えられた任務は大変危険なものであった。それは日本海軍の一大拠点であり警戒厳重なトラック諸島近海に潜み、可能な限り島へ接近してパトロールを実施。もしアメリカ軍のギルバート諸島侵攻を阻む目的で艦隊が出撃してきたらこれを迎撃する。コーヴィナはトラック南方の哨区へ進出し、既に忍び込んでいる僚艦ブラックフィッシュ、ドラム、スレッシャーとともに監視の目を光らせる。
1943年11月13日、日本海軍の潜水艦伊176がトラック諸島に向かうためラバウルを出港。トラックへの回航命令を傍受したアメリカ軍は、トラック近海に展開中のコーヴィナらに「日本の潜水艦が近くにいる」と情報を送った。
11月16日深夜、トラック南東120海里で伊176の見張り員は月明かりに照らされた黒い物体が北東方向約8000m先にいるのを確認。その正体はバッテリー充電のため水上航行中のコーヴィナであった。すかさず伊176は潜航して雷撃の機会を窺う一方、コーヴィナはレーダーを持っていたにも関わらず伊176の存在を何故か探知出来ていなかった。偶然レーダーを整備していて使用できなかったとする見方もある。
11月17日午前0時20分、伊176が3本の魚雷を発射。25秒後に2本がコーヴィナに命中して爆沈し、乗組員82名全員が戦死。戦争の全期間を通して日本の潜水艦に沈められた唯一の米潜水艦となった。午前1時30分に潜望鏡を上げて海上を見渡した後、伊176が現場へ向かうと油膜と破片が波間を漂っていたため撃沈と判断した。ちなみに伊176は「トラックに向かう途中で魚雷が命中したが損傷無し」と報告しており、コーヴィナが先に雷撃を仕掛けたものの魚雷の欠陥で不成功に終わった可能性が示唆されている(実際アメリカ軍の魚雷は欠陥が多かった)。
撃沈から翌日の11月18日、ブラックフィッシュがコーヴィナに対して呼びかけたが反応無し。11月30日、ギルバート諸島の攻略が完了したため真珠湾の太平洋艦隊潜水部隊司令部がブリスベーンへの移動を命じたがこちらも反応が無く、12月2日に書類の上で第72任務部隊へ転属。二晩に渡って三回確認電を送信したがいずれも反応無し。にも関わらず司令部はコーヴィナが生存していると思い、ツラギで水上機と合流するよう命じたが、当然姿を現さず、再度確認電が打たれたが反応無し。12月23日になってようやく喪失認定。1944年3月14日に乗員82名とコーヴィナの喪失が発表された。終戦を迎えて日本側の資料が閲覧できるようになるまで喪失理由は判然とせず、乗組員も全員行方不明とされていたという。
竣工からたったの3ヶ月、コーヴィナは何ら戦果を挙げる事無く撃沈されてしまったのだった。ガトー級の中で戦果ゼロで終わったのはコーヴィナとドラドの2隻だけである。縁起が悪いと判断されたのかコーヴィナの名を冠したアメリカ艦は以後登場していない。
1951年に公開された映画『太平洋機動作戦(Operation Pacific)』にて本艦の死後に銀幕デビュー。ここでの艦名はコルビーナ号(Corveena)。
コルビーナからエンジンが故障したとの報告を受けた架空のガトー級潜水艦サンダーフィッシュが救援に訪れ、互いに必要な部品を交換。また艦長同士で映画フィルムも交換しており、サンダーフィッシュからはコメディ映画『ワシントンここに泊まれり』[1]が、コーヴィナからは潜水艦ものの映画を贈られた。その後、サンダーフィッシュでは映画上映会が行われた[2]が、聴音手が魚雷の爆発音を探知する。翌日、海面に漂っていた残骸に『ワシントンここに泊まれり』のフィルムが混じっていたのを見てコルビーナが撃沈されたと悟る。やがてレーダーが一つの反応を示して急速潜航。1隻のI型(伊号)潜水艦を認めて魚雷を発射し、これを撃沈してコルビーナの仇を取った。映画の中でも沈められているコーヴィナだった。
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最終更新:2024/04/19(金) 19:00
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