ゴラン・イバニセビッチはクロアチアの元テニス選手である。イワニセビッチの表記揺れあり。
Goran Ivanisevic | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | クロアチア |
出身地 | クロアチア:スプリト |
生年月日 | 1971年9月13日 |
身長 体重 |
193cm 82kg |
選手情報 | |
利き手 | 左 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 1988年 |
引退年 | 2004年 |
テニス選手テンプレート |
1990年代を中心に活躍したクロアチアのビッグサーバー。ピート・サンプラスと同じ年の生まれだが、頭角を現したのはイバニセビッチの方が早かった。89年の全豪オープンで早くもベスト8に進出したほか、翌90年の全仏オープンでは初戦で第2シードのボリス・ベッカーを下している。ウィンブルドンでも1992年にサンプラスより先に決勝進出しているのだが、アンドレ・アガシに敗れて優勝を逃す。その後94年、98年にも決勝進出したが、既に成長したサンプラスに敗れて準優勝に終わる。3度の決勝進出がありながら勝ちきれなかったことで「無冠の帝王」扱いされることが多かった。
その後は故障もあって低迷していく。99年、2000年はツアー決勝進出すらなし。2001年のウィンブルドンを迎えたときランキングは125位、本選にストレートインできずワイルドカードを申請しての出場だった。もはや誰もが終わった選手と思っていたであろう状況でイバニセビッチは奇跡的な活躍を見せる。3回戦、4回戦で共にビッグサーバーのアンディ・ロディック、グレッグ・ルゼドスキーを下すと、準々決勝では当時若手の一番手だったマラト・サフィンも撃沈。準決勝の相手は地元イギリス期待の星だったティム・ヘンマン。集中を切らして第3セットを0-6で落とし快進撃もここまでかと思われたが、雨による中断で落ち着きを取り戻すと3日間に及んだ激戦をフルセットで逆転勝ち。決勝では前年度サンプラスに決勝で敗れたオーストラリアのサーブ&ボレーヤー、パトリック・ラフターを、これまたフルセットの末、最終セット9-7で下して遂に悲願のウィンブルドン優勝を果たした。この大会で彼が叩き込んだサービスエース213本は大会新記録、優勝者の125位は男女通じて大会史上最低ランキング、ワイルドカードからの優勝も大会史上唯一の事例となっている。この大会はイバニセビッチのキャリアで唯一の2000年代の決勝となった。
ウィンブルドンでは毎年センターコートのオープニングマッチに前年度男子シングルス優勝者の試合を入れるのが伝統となっており、これ自体が一つの栄誉となっているが、翌2002年のイバニセビッチは故障で出場できなかった。4月のデビスカップ準々決勝アルゼンチン戦、窮地に陥ったチームのためダブルスに緊急出場したことで肩の故障を悪化させてしまったと言われている(メディアによる推測。公式にデ杯が原因との発表はなかった)。このアルゼンチン戦は最終的に敗れたものの、ダブルスの勝利でチームを勢いづかせ、最後のシングルスまで繋ぐことに成功している。
2004年のウィンブルドンに最後の大会と表明して出場、初戦でロシアのミハイル・ユーズニーにシードダウンを食らわせ3回戦まで進出した。最後はセンターコートで2002年のウィンブルドン優勝者、レイトン・ヒューイットにストレートで敗れて現役を去った。
サービスエースの統計が取られ始めたのは90年代からだが、優勝時のウィンブルドン大会記録以外にも96年に年間最多記録を作ったほか、通算でも同国の後輩イボ・カルロビッチに抜かれるまで唯一5桁のエースを計上して歴代最多だった。ことエースを奪う能力に関しては圧倒的で「エースマスター」とも呼ばれた。長身からのサーブはスピードもあったが、左利きでタイミングの取りづらいクイックモーションも大きかった。エース1本につき50ドルを寄付するサービスエース募金のチャリティも実施していたとのことで、このこともエースを狙うモチベーションになっていたと思われる。一方でストロークはバックハンドが警戒されたものの、フォアハンドは手打ちのようなフォームで、一見して得意ではなさそうなものだった。
コート上ではキレやすくマナーの悪い選手と思われがちだったが、母国クロアチアがユーゴ紛争に巻き込まれていたことから「自身の活躍を見せて人々を勇気付けたい」というモチベーションが強かったらしく、ふがいない自分を許せなかった部分もあったのかもしれない。子供に対しては優しい選手だったようで、練習後に群がる子供たちに一人ひとり丁寧にサインをしている姿が目撃されている。母国クロアチアの後輩選手たちに対しても面倒見がよく、引退した2004年にも当時まだ15歳のジュニア選手だったマリン・チリッチとダブルスを組んでチャレンジャーの大会に出たりしていた。チリッチには後にコーチとしてつき、全米オープン優勝をアシストしている。クロアチアの選手にビッグサーバーが多いのも彼の影響と考えて間違いないだろう。
2016年ウィンブルドン終了後、チリッチのコーチを離れてトマーシュ・ベルディヒのコーチに就いた。安定感はありながらあと一歩が足りない選手だけに、どう指導していくのか注目される。
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最終更新:2024/04/25(木) 09:00
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