ゴーカイ
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ゴーカイ(1993年5月6日生、2019年4月26日没)とは、日本の元競走馬・種牡馬。障害競走において名ジャンパーの一頭として挙げられる名馬である。
父ジャッジアンジェルーチ、母ユウミロク、母父カツラノハイセイコという血統。
父は米国産馬でGI3勝。父親としてはあまりパッとしないものの、母父としてオレハマッテルゼ・エガオヲミセテ・アジュディミツオーなど活躍馬を輩出した。母はオークス2着などの実績馬。繁殖牝馬としてもユウセンショウなど重賞馬を出す活躍を見せた。母父も東京優駿、天皇賞(春)などを制した実力馬である。
旧4歳(現3歳)時の未出走戦でデビューを迎える。この未出走戦を含め3戦目で初勝利を挙げたものの、それから約2年ほど500万下では勝てず苦戦が続く。
そして1998年7月の条件戦10着を最後に、陣営は障害競走への転向を決意する。
この決断が、ゴーカイの競走馬人生を大きく変えるとはこの時は誰も知らなかっただろう。
1999年、1月の未勝利戦にて障害デビューを果たす。この時は旧7歳(現6歳)であった。最初の2戦こそ着外に敗れるものの、4戦目で初勝利。その後オープン2戦・障害重賞2戦を挟み、その年の秋の東京オータムジャンプで重賞初制覇を成し遂げた。
なお、この東京オータムジャンプは元々は東京障害ステークス・秋として行われていたものが1999年にグレードレースになったものであり、ゴーカイは東京オータムジャンプの初代王者として名前が残っている。
その後はオープン3着を挟み、暮れの大一番・中山大障害に挑む。直線でゴッドスピードとのマッチレースとなったが惜しくもハナ差2着に敗れた。
2000年は春麗ジャンプステークスから始動するもクビ差の2着。続くオープン戦で勝利すると、春の大一番・中山グランドジャンプでも勝利。念願のGIタイトルを手にした。
その後は東京ハイジャンプも制し、イルミネーションジャンプステークスでは3着。暮れの大一番・中山大障害では、逃げたランドパワーを捉えられずに2着。
同年の活躍が評価され、JRA賞最優秀障害馬に輝いた。
2001年も現役続行。春麗ジャンプステークス2着を挟み、中山グランドジャンプを連覇。しかし、東京ハイジャンプ4着、イルミネーションジャンプステークス2着と、GI勝利こそあるとはいえ勝ちきれないレースが続いた。
そして、春の王者として中山大障害に挑む。直線ではミナミノゴージャスを競り落とし、3度目の正直だ!!と誰もが思っていたところで、シンガリ人気のユウフヨウホウが差し切り、なんと3年連続の2着。
しかも、ユウフヨウホウは母ユウミロクであり、弟に夢を奪われた兄という構図になってしまった。まあ、ここまで来るとある意味快挙?ではあるが…
2002年も中山大障害制覇を目指すべく現役続行。春麗ジャンプステークス1着、ペガサスジャンプステークス5着。3連覇を目指した中山グランドジャンプでは海外馬のセントスティーヴンに敗れ2着。
東京ハイジャンプ3着の後、調教中に骨折を発症、引退となった。
戦績は28戦8勝2着8回。加えて、落馬等の危険が平地競走に比べて高い障害競走において完走率100%という無類の安定感を誇り、およそ3年半にわたって障害競走を引っ張り続けた実績は特筆に値する。
引退後は種牡馬として繁用され、馬主である吉橋計氏のバックアップのもと毎年10〜20頭ほど種付けされた。J・GIを制した産駒こそ誕生していないものの、数少ない産駒の中からはオープンガーデン・ディアマイホースといったJ・GI出走馬を輩出。
特にオープンガーデンは、中山大障害3着・中山グランドジャンプ2着という実績を残した。
2013年8月31日に種牡馬を引退。北海道えりも町・寺井文秀牧場で功労馬として余生を送っていたが、2019年4月26日に老衰でこの世を去った。享年26歳。
これが、王者の走り!
息子も夢へ向かって走ってる!
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最終更新:2021/01/22(金) 19:00
最終更新:2021/01/22(金) 19:00
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