サイレントウィットネス 単語


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サイレントウィットネス

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サイレントウィットネス(中:大師英:Silent Witness)とは、1999年オーストラリア生まれ、香港調教の元競走馬である。

距離と言われた2000年代中盤の香港において、最強最速のスプリンターとして名を馳せた。
現在でも1200mでは全盛期の彼が最強なのではないかというもあったりなかったり。

な勝
2003年: 香港スプリント(G1)シャティヴァーズ(G2)インターナショナルプリントトイアル(G2)シャティンスプリントトロフィー(G3)
2004年: ボヒニアプリントトロフィー(G1)センテナリースプリンカップ(G1)チェアマンズスプリントプライズ(G1)香港スプリント(G1)インターナショナルプリントトイアル(G2)
2005年: ボヒニアプリントトロフィー(G1)センテナリースプリンカップ(G1)チェアマンズスプリントプライズ(G1)スプリンターズステークス(GI)クイーンシルバージュビリーカップ(G2)

【受賞】
2002/3年: 最優秀新、最大成長、最優秀短距離
2003/4年: 年度代表馬(香港王)、最優秀短距離
2004/5年: 年度代表馬(香港王)、最優秀短距離
2006/7年: 特別功労賞

精英大師、世にはばかる

Conquistador Cieloの血を引くEl Moxie、オーストラリア血統を色濃く持つJade Tiaraという血統。一度オーストラリアEltira(エルティラ)の名前で登録されるが、結局一走もせずに香港アンソニークルーズ厩舎に移籍。香港として競走馬生をスタートさせる。

初戦は2002年。ここを苦もく圧勝すると破の快進撃がスタート。 条件戦をちょちょいと3つぶっこ抜き、その勢いのままシャティヴァーズ(香港GII1200m)に挑戦。当時の短距離Grand Delight(中:喜頸賽)らを相手に圧勝して重賞初制覇を飾り、2002/03シーズンの最優秀新に選ばれるという幸先の良いスタートを切る。

03/04シーズンGIIIから始動しここも快勝。続くGIIも快勝。体も元から500kgをえる巨体であったが、更に筋逞しい体に成長。
香港競馬カレンダーで言うとシーズンスタートから半年で迎えるビッグイベント香港国際競走デーのGⅠ香港スプリントに挑戦することになったのである。

初の国際舞台、香港短距離統一

好内容で連勝を積み重ねていたとはいえ、短距離香港で当時の彼くらいの成績はそうしいものでもなく、さらに南アフリカから同競馬史上最速と言われたNational Currency(中:貨幣名駒)が名を上げるべく出走。
さらに地元勢も前年の覇者All Thrills Too(中:更歓笑)、前年2着のFirebolt(中:勇捷神駒)、前シーズンの年度代表馬選ばれたGrand Delightなどメンツが揃っており、連勝中の彼も厳しに思われたが、National Currencyが抜け出して押し切るところを差し切り見事に無敗のままGI初制覇を飾る。これで彼の名前は世界に知れった。 

香港スプリント後は香港距離三冠し始動。最初の二冠を難なく制し10連勝を達成。香港記録タイに並ぶと三冠チェアマンズスプリントで短距離三冠香港の連勝記録更新の両方を賭けて出走することとなった。
そして香港勢が彼以外のオールスターで迎え撃つ中、そんな包囲網も物ともせず快勝し、連勝記録更新と同時に短距離三冠馬いた。これで03/04年の年度代表馬などタイトルを総なめにし、世界中に彼の強さがき渡ったのである。
これには彼があんまりにも強すぎたがために勝ちきれず活路をめてイギリス日本に遠征した*ケープオブグッドホープ(中:好望)が遠征先でもそれなりに好走したという伏線もあり、その*ケープオブグッドホープを問題にしないサイレントウィットネスとは一体……と、世界がさらに彼に注することになった。

連勝記録・世界最速への挑戦

04/05シーズンは前年と同じくインターナショナルプリントトイアルから始動し難なく12連勝。香港スプリント連覇をし出走。カルストンライトオ(中:金鎮之)、サニングデール(中:事旺)といった当年の日本のスプリンGⅠ勝ちって遠征、マカオのサイレントウィットネスことNatural Blitz(中:火力)が出走するなど日本競馬ファンも注したのだが、彼らを牙にも掛けない圧倒的スピードで駆け抜け連覇達成。これで13連勝となり、Cigar立した当時の連勝記録・16の更新が視野に入ってきた。

05年はブリーダーズカップ・マイル挑戦、そして当時のアメリカ最強であるGhostzapperとのマイルでのマッチレースを大標と言し、距離延長も視野に入れつつローテーションを組むことになる。
まずはスプリン三冠をあっさり獲得し16連勝。Cigarの持つ連勝記録に並ぶと同時に*インディジェナス(中:原居民)の香港歴代賞金記録を追い抜くと、アジアマイルチャレンジ創設でGIとなったチャンピオンマイルして距離延長。手始めに1400mのGIIに挑戦。ここは力が違いすぎ、他を蹴散らす圧勝でデビュー17連勝として、まずグレード制導入後の連勝世界記録(当時)をあっさり更新。この頃には香港の一般新聞ネタになったり記念品配布イベント将棋倒し事故が起きて負傷者を出したりするほどに、注人気を一身に集める存在となった。

そんな中、次の大標・Ghostzapperとの対決すべく、さらなる距離延長となるマイルGIチャンピオンマイルへ。英国少女Attraction(中:引力)、北海道コスモバルク(中:宇宙)らを香港の総大将として迎え撃つ格好となった。
……のだが、この頃から連戦と距離延長による害が噴出し折り合いが難しくなっていたの響き、不本意気味にハナを切ってしまう。
それでも直線ゴール寸前まで先頭だったのだが、同じ厩舎の晩成マイラー・*ブリッシュラック(中:精福)に差され2着に敗れ、18戦にして初の敗北を喫してしまう。 
一度は休養も言したが、掲げた大標を取り下げるにはまだまだ諦めきれぬ僅差の負けであり、アジアマイルチャレンジ第2戦の安田記念へ向かう。 

精英大師、日本来襲

かくして迎えた安田記念香港では570kg以上の巨体を誇った彼だったが、一時は休養も言したほどの不調がいたか、550kgとかなり細くなった体での挑戦となった。
前走引っかかり気味に突っ込んでいって2着に敗れたことや、本質的にスプリンターと見做されたからか、確固たる軸もいないのに5番人気とやや軽く見られたが、蓋を開ければ逃げローエングリンを見ながら2番手で手応え良く先行。直線ローエングリンがバテた所で抜け出して押し切る勢いを見せたが、流石府中の長い直線は応えたかアサクサデンエンスイープトウショウに差されクビ差の3着に敗れる。連敗となったが凄まじい力を持つことは見せつけ、香港の年度表は前シーズンに続き総なめにした。 
しかし、さすがにマイル挑戦は諦め、スプリント界に戻ると決断。翌シーズン以降は再びスプリントを戦場とすることになった。 この時期にはもうGhostzapper引退しており、拘る必要性が薄れたという事情もあった。

翌05/06シーズンは、日本スプリンターズステークスから始動。デュランダル日本勢、05年の初めにオーストラリア香港勢初の海外GI勝利を達成後、ロイヤルアスコット開催のゴールデンジュビリーステークスを勝ちすっかりとなっていた*ケープオブグッドホープとの戦いに挑んだ。
プリントでは図抜けた存在と見られ、1番人気に推される。香港からやってきた大応援団が見守る中、3番手から力強く抜け出し、上がり3F32.7という常の末脚で迫る日本の総大将デュランダル完封
トロットスター立したレコード更新こそならなかったが、圧倒的な強さを見せつけ日本制圧を果たした。全盛期はやや過ぎていたと後に評される状態ではあったが、圧倒的な力量を見せつけた格好となった。

……まさか、これが最後の勝利になるとはも思わなかったであろう。 

挑戦の果て

スプリンターズステークス勝利後、ファンへのお披露会を開く。香港スターとしての半ば義務めいたイベントであったが、チャンピオンマイル以来の理を続けた彼の身には堪えたのか、体調を崩し結局05年中は全休。これで香港スプリント3連覇へのは絶たれ、翌年予定されていたオーストラリア遠征も中止となった。

その後、センテナリースプリンカップで復帰したがもう全盛期きは見られず。以降も精を欠く連敗を続ける。
捲土重来と連覇を賭け、再び日本に渡りスプリンターズステークスに出走し、前年と同じように進めるがオーストラリアの刺客テイクオーバーターゲットに簡単に突き放され、終いには前年より薄くなった日本勢(最低人気のタガノバスティーユ含む)にも差され4着に敗れ去った。
その後、香港スプリントで2着に入り復活したかに見えたが、これまでの戦で疲労が蓄積していた脚が悲鳴を上げてしまい、その後の2戦でともに敗れて引退。ちなみにこの時の香港スプリントは勝ちアブソリュートチャンピオン1分78という驚異のレコード叩き出している。それでも満身創痍の中での2着なので王者としての持は見せたと言えよう。
盛大にセレモニーが開かれた後香港を旅立った彼は、騸馬故に血を残せないため、生まれ故郷であるオーストラリアの功労牧場であるリヴィングレジェンズファームで、*ブリッシュラックメルボルンカップを勝った*ホーリックス息子Brewなどと共に余生を過ごしている。

あまたの記録を作り上げた香港絶対王者・サイレントウィットネス。今となっては内の獲得賞金記録はVengeance of Rainに塗り替えられ、連勝記録ZenyattaBlack Caviarに破られてしまうなど記録は褪せてしまったが、沙田競馬場像が建つなど、彼が残した圧倒的なまでのスピードは色褪せることはない。
少なくとも、香港では彼を上回るインパクトを持つは未だに存在していない……。

血統表

El Moxie
1986 鹿毛
Conquistador Cielo
1979 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
K D Princess Bold Commander
*タミーズターン
Raise the Standard
1978 鹿毛
Hoist the Flag Tom Rolfe
Wavy Navy
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Jade Tiara
1993 黒鹿毛
FNo.13-a
Bureaucracy
1987 黒鹿毛
Lord Ballina Bletchingly
Sunset Girl
Tulla Doll Oncidium
Doll
Jade-Amanda
1986 栗毛
Grosvenor Sir Tristram
My Tricia
Comptroller Smuggler
Shifnal's Pride

クロスNative Dancer 4×5(9.38%)

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