サクラシンゲキとは、1977年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。
主な勝ち鞍
1979年:函館3歳ステークス
1980年:京王杯オータムハンデキャップ
1981年:スプリンターズステークス、京王杯オータムハンデキャップ
原則旧年齢で表記。詳しい戦績はWikipediaへ。
父*ドン、母アンジェリカ、母父*ネヴァービート。父は仏2000ギニー馬で、種牡馬としてもダイシンフブキなど複数の重賞馬を出した活躍馬。母は名牝スターロツチの血を引き、母の父も複数のクラシックホースを出した名種牡馬であった。アンジェリカはその後、大種牡馬テスコボーイとの間に超快速馬サクラユタカオーを産むのだが、それはまた別のお話。なお、*ドンは芦毛中興の祖グレイソヴリンの直仔で産駒も芦毛が多かったがサクラシンゲキは鹿毛である。
1977年、静内の藤原牧場で誕生。生まれて2日後に牧場を訪れた境勝太郎調教師は「格好のいい馬だった」と振り返っており、血統も手伝ってデビュー前から大きな期待を背負っていた。牧場では「サツキアンジェリカ」と呼ばれていたという。
3歳となり、サクラ軍団のトレーナとしてお馴染み境勝太郎厩舎に入厩。夏に函館競馬場でデビューすると3連勝で一気に函館3歳Sを勝利。2勝目はレコードタイムで、すでに快速馬の片鱗を見せていた。しかし元々ドン産駒は距離が持たない馬が多く、サクラシンゲキもスピードが勝っている分距離延長には不安があった。案の定、距離を延長した4歳春は連戦連敗。皐月賞でも10着に敗れてしまう。しかし1600mのオープン戦で勝利し立て直すと、ダービーは残り200mまで逃げ粘る強い競馬で4着に善戦する。陣営はこれ以上の距離延長は厳しいと判断し菊花賞を回避、秋は関東の中距離重賞を中心に走り京王杯オータムハンデなど2勝を挙げる。有馬記念は案の定撃沈。
5歳春、一叩きして当時は春だったスプリンターズSに参戦。久々の1200mであったが、元々この距離で強い競馬をしていた馬。圧倒的人気に推され、これに応えて6馬身差で逃げ切り圧勝。鞍上の東信二はゲートを決めて前に出た時点で「よし、楽勝」と思ったというほど、スプリント能力にかけては圧倒的なものを持っていた。
続く京王杯スプリングハンデは2着、安田記念は3着と善戦。秋は京王杯AHを連覇、オープン戦も勝利。しかし当時はもう使うレースがほとんどない。ということで、この年創設された国際招待競走ジャパンカップに歩を進める。日本勢には初めて日本にやってくる外国馬に太刀打ちできるのか?という懸念があったが、サクラシンゲキはそれ以前に「まず距離が持たない」という見方がほとんどだった。しかし小島太は「楽には逃げられないかもしれない」と前置きしたうえで「ベストスプリンターだし思い切って行きたい」と語っていた。
本番、やはりサクラシンゲキはテンのスピードを活かしてハナを奪い、超ハイペースでレースを引っ張る。そのペースたるや、1000m57秒8。今だって暴走と言われそうなペースである。当時としてはそれはもう殺人的ペースだった。それでもサクラシンゲキは4コーナーまで粘ったが、結局直線では力尽きて9着。しかし並み居る外国馬を敵に回した撃沈覚悟の爆走は大きな衝撃を与え、その馬名も相まって、以後サクラシンゲキは「日の丸特攻隊」と呼ばれるようになる。有馬記念はやっぱり撃沈。JRAもその走りにあまりに衝撃を受けたためか、10年前の71年を最後に廃止状態になっていた優駿賞最優秀スプリンターをわざわざスプリンター賞として復活させてサクラシンゲキに贈った[1]。翌年も現役を続行するがスプリンターズSと京王杯SHで2着の後、宝塚記念で惨敗。これを最後に引退した。
種牡馬としても複数の重賞馬を送り出した。産駒も自身同様短距離からマイルの逃げ馬が多かった。代表産駒には重賞2着6回のヒデリュウオー、福島巧者のユーワビームなどがいる。しかしついにGⅠ馬を輩出できぬまま、1994年夏に死亡。お盆休みで保険会社と連絡が取れず、安楽死処置もできずに数日間苦しんだうえ力尽きるという不運な最期であった。
当時は短距離戦線がほとんど整備されておらず、サクラシンゲキは距離が持たないと知りながら中長距離を走らざるを得なかった。小島太は「あと数年遅ければシンゲキは間違いなくGⅠ馬になった」と悔やんだという。事実、短距離戦線が整備され安田記念とマイルCSがGⅠになったのはサクラシンゲキが引退した僅か2年後の1984年だったのである(スプリンターズSのGⅠ昇格はさらにその6年後)。GⅠの勲章があれば種牡馬としての待遇も上がったはずで、時代に泣いた馬というほかない。
しかし、小島がこの馬を評して「脚を余して負けるということが絶対にない。だから負けても悔いが残らない」と言ったように、サクラシンゲキはひたむきに己を貫き続けた。その不器用で一本気な姿があったからこそ、一介の重賞馬を超えた人気を獲得できたのだろう。境師は「控える競馬も試してみたかった」と語ったが、果たして控えて勝ったとしてこれほどの人気を得られただろうか。ツインターボに控える競馬をさせた武豊は大きな批判を浴びた。何があろうとハナを譲ってはならない・・・それが逃げ馬の宿命なのかもしれない。
小島太はシンゲキを「サクラの名にふさわしい馬」と言った。美しく咲き、ほんの数日で散る桜のように、毎レース華々しく駆け抜け、そして散ったサクラシンゲキは、まさしく「サクラ」だったのかもしれない。
*ドン Don 1966 芦毛 |
Grey Sovereign 1948 芦毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Kong | Baytown | ||
Clang | |||
Diviana 1957 黒鹿毛 |
Toulouse Lautrec | Dante | |
Tokamura | |||
Desublea | Niccolo Dell'Arca | ||
Durera | |||
アンジェリカ 1970 黒鹿毛 FNo.11-c |
*ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
スターハイネス 1964 鹿毛 |
*ユアハイネス | Chamossaire | |
Lady Grand | |||
スターロツチ | *ハロウェー | ||
コロナ | |||
競走馬の4代血統表 |
掲示板
5 ななしのよっしん
2022/11/04(金) 22:35:40 ID: Jfuc+jJKYC
スプリンターズの走り見たけどフォームかっこいいね
好きになった
6 ななしのよっしん
2022/12/05(月) 21:04:44 ID: GNjdETwQeQ
>>4
カブラヤオーですらダービーを58秒6なんで、かなりやばい。
7 ななしのよっしん
2023/05/07(日) 16:29:26 ID: RmSL0G6Ths
バクシンオーですらもはや出れるレースがなくなって引退せざるを得なくて走るのも生まれるのもはやすぎたって言われたのに、それよりもはやくてバクシンオー以上に割り食ったのがこの馬よなぁ……
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最終更新:2024/04/25(木) 15:00
最終更新:2024/04/25(木) 15:00
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