サクラチトセオー 単語

10件

サクラチトセオー

3.8千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

サクラチトセオーとは、1990年生まれの日本競走馬である。黒鹿毛

トニービン産駒の特徴である「確実に伸び続ける末脚」を武器天皇賞勝利した追い込み
往年の迷騎手にして名騎手小島太騎手人生の幕引きに相応しい伊達男であった。

な勝ち
1994年:中山記念(GII)、京成杯オータムハンデキャップ(GIII)
1995年:天皇賞(秋)(GI)、アメリカジョッキークラブカップ(GII)

年齢表記は現表記に統一

概要

*トニービンサクラクレアー、*ノーザンテーストという血統。
凱旋門賞制覇やミラノ大賞典連覇などの実績を誇り、引退日本種牡馬入りしエアグルーヴベガジャングルポケットなど数多くの名を送り出した名種牡馬。サクラチトセオーはその初年度産駒に当たる。は現役時代で5戦2勝で4歳牝馬特別(現フローラS)2着も当時の日本における最上種牡馬であり、まず良血と言って差し支えない。年を下ってサクラクレアーの一族にはサクラメガワンダー(重賞4勝)やサクラアンプルール(札幌記念)がいる。

サクラ軍団と繋がりが深い牧場に生まれ、幼少の頃より素質として期待された。
当然、サクラ軍団の所有馬となり、サクラ御用達の美太郎厩舎へ所属することとなり、
論、サクラ軍団の専属騎手小島太が跨ることになった。

苦難と試行錯誤の日々

デビューは2歳10月東京競馬場で、ここを1番人気で快勝し、続くひいらぎ賞で後続を4身ちぎる快勝を収め、これはクラシック補だ! とサクラ軍団をはじめ皆が期待した。

ところがである、チトセオーはの状態が悪化してしまい、満足レースを使える状態には戻らなかった。青葉賞(OP)に登録するも復調せず出走取消。それでもNHK杯に出走し3着を確保してダービーの挑戦権を得るが、BNW闘に加わる事も出来ず、柴田政人が念願のダービーを制するとこを傍から見るだけの11着に敗走する。は全休。クラシック補は失意のうちに3歳を終える。

翌年には休養の効果もありも快癒。東京から復帰し、3着を挟んだ後条件戦勝利
ここで営は格上挑戦、中山記念への出走を決定。ここを残り150mで先頭集団に並びかけるとあっさりと差し切り、初重賞制覇を挙げた。オープン2着を挟んで、別のオープン競争を勝利し、中距離戦線の雄として名を挙げて行ったのだが...

肝心のGI競争ではイマイチ1994年宝塚記念天皇賞(秋)有馬記念と3つのGIに挑んだのだが、いずれも6着。丁度掲示板際で佇むような格好。

だが、この年は大変実り多き年でもあった。中山開催を告げる京成杯オータムハンデに挑戦し、この時一旦的場均騎手チェンジ。するとここまで中団あたりにつけていた所を、一旦後方待機にモデルチェンジ。するとこれがハマり、1分321レコードタイムで快勝。天皇賞(秋)6着を挟んで府中マイル富士S(OP)も快勝しており、確かに実が有ることを示した。

秋の盾へ至るまで

5歳シーズンアメリカジョッキークラブカップから始動。ここでは残り150mで促されるとポンッとエンジンに点火し、大外から群を差し切る快勝を収める。続く中山記念こそフジヤマケンザンにクビ差敗れたものの、営は確かな手応えを感じて安田記念へと挑む。

安田記念を一番人気で迎える。中はずっと最後方に位置し、府中の直線に入るときに群は大きく横に広がる。大外に持ち出し、だだっ広い府中の直線を後は一気呵成に駆け上がるのみ
チトセオーは大外から勢いよく伸びる標、先頭を走るハートレイクへと勢いは止まらない。

差し切ったかと思わせた最後、ハートレイクハナ差残った
チトセオーと小島太、極めて近く、しかし1着とは遠の彼方にある存在の2着に敗れる。
続く宝塚記念定席から更に外れた7着に敗北する。

この年、上の小島太調教師への転向を表明。来年2月末に引退することがほぼ決定となり、サクラ軍団としてはなんとしてもフトシGIを取らせてやりたい。それをえられる最も近い存在がであろう、チトセオーなのだ(一方の期待サクラローレルは故障し療養中であった)。

毎日王冠からスタートするが、ここを4着に敗れる。しかしの状態は良化し、絶好調にあった。

1995年、第112回天皇賞

天皇賞(秋)、彼は人気の一を占めていたが、一番人気ではなかった。
一番人気は現役最強、しかし故障休養明けからぶっつけでやってきたナリタブライアン
競馬ファン興味は、復帰明けのナリタブライアンがどこまでやれるかに集まっていた。

チトセオーは5.3倍の2番人気、しかし直前に出走取消のマイシンザンが2番人気だったため、実質的には3番人気である。他のメンツは皐月賞一の3歳ジェニュイン、他にも重賞実績多数のメンバーと言っても、おそらく差し支えないだろう。

レースでは最内の11番に入る。東京2000mは「先行」なら明らかな内有利だが、「追込」だと内が不利になるというコースである。

ゲートが開くと、後方から2番手に位置取る。トーヨーリファールジェニュインが先行しほぼペースレースは進む。4コーナー手前から中団の達が仕掛ける中、チトセオーは全員が直線に入る頃に最後方に位置を取り、大外に持ち出す。群はさほど縦長ではない。大外から差し切るにはもってこいの展開。

シャドーロールの怪物群でもがく、そんな中チトセオーは大外からじりじりと迫ってくる。
逃げるトーヨーリファールシャドーロールの3歳ジェニュインが襲いかかってくる。
残り150mになると一気にエンジン点火! 先頭に出たジェニュインが押し切ろうとる!
先頭集団を見つけたチトセオーはジェニュイン掛けて伸び続ける!

ハナ差の惜敗はハナ差で返す。ゴール直前にジェニュインを差し切り、GI制覇、、奪取。

文字通り、大外末脚直線一気。上がり3ハロン343は最速。
レース後、小島太は「こんなに必死になって追ったのは何年ぶりかなあ」とふとく。
その小島太の叱励に応えるかのように、チトセオーは誉れ高い天皇賞となった。

その後のチトセオー、そして小島太

チトセオーは有馬記念に出走。ここではマヤノトップガンパフォーマンスが良くられるが、チトセオーだって捨てたものではない。上がり最速の脚で追い込み、3着に入り込んでいる。

チトセオーは1995年引退サクラが誇る良血だし、種牡馬としても活躍を期待された。
初年度から重賞を出し、障害含め3頭の中央重賞を送り出したが、GIに届く産駒は出なかった。
2002年以降不振に陥り、人気くなった2010年には種付け数ゼロになり種牡馬引退

2011年以降、牧場系列の新和牧場で功労として々自適の余生を過ごしていたが、
2014年に老衰のため死亡享年24歳だった。

小島太は、本天皇賞制覇の2週間後、エリザベス女王杯を制し自身最後のGI勝利を飾る。
そのエリザベス女王杯優勝サクラキャンドル。何を隠そうチトセオーの半である。

小島太は予定通りに1996年2月いっぱいで騎手引退
調教師としてスタートを切り、師から引き継いだサクラローレルをはじめ、イーグルカフェマンハッタンカフェ、ディサイファなどを管理。美調教師として一定の成果を見せ、2018年2月末をもって調教師を定年退職。最終戦はチトセオーが初重賞制覇を果たした中山記念(ディサイファ:6着)だった。

黒鹿毛体に、編み込みが施されたたてがみ、太筆で「1」を書いたような大きな流星
中団からでも競馬は出来るが、最後方からの大外直線一気の快な競馬が一番得意。
ピンクのバンデージにピンク勝負服
まさに、絵になる男だった。

血統表

*トニービン
Tony Bin
1983 鹿毛
*カンパラ
1976 黒鹿毛
Kalamoun *ゼダーン
Khairunissa
State Pension *オンリーフォアライ
Lorelei
Severn Bridge
1965 栗毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Priddy Fair Preciptic
Campanette
サクラクレア
1982 鹿毛
FNo.13-c
*ノーザンテースト
1971 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
*クレアブリッジ
1967 鹿毛
Quadrangle Cohoes
Tap Day
Abeyance Lass Ambiorix
Vulcania
競走馬の4代血統表

クロスHyperion 4×5(9.38)、Lady Angela 5×4(9.38)

主な産駒

関連動画

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/25(木) 00:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/25(木) 00:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP