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94年、スプリンターズステークス

絶頂を極めた者に、もはや勝つべき戦いは残っていないのか。

レコード叩きだした、ラストラン

最後に勝つ者が、勝者だ。

そのの名は…

2012年スプリンターズステークスCMより


サクラバクシンオー1989年4月14日 - 2011年4月30日、22歳没)とは、日本競走馬、種である。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
サクラバクシンオー(ウマ娘)を参照してください。

概要

サクラユタカオーサクラハゴロモ、ノーザンテーストという血統。

サクラユタカオーは個別記事があるので詳細はそちらに譲るが、歴代サクラ軍団の中で良馬場2000mの条件で走らせれば最強との呼び高い快速

サクラハゴロモの全には天皇賞有馬記念を制したアンバーシャダイがいる良血。なので社台ファーム産まれなのだが、サクラ軍団の有を預かる太郎調教師がサクラハゴロモを是非購入したいと交渉したが、アンバーシャダイの活躍から基礎にしたいという社台の事情もあり断念。

しかし、競走馬として預かるならばという条件でお金を払って3年間貸出しという形で譲って貰ったものの、折もあり2年で16戦2勝の成績で引退。その埋め合わせとして、初バクシンオーを償で譲って貰ったというエピソードがある。

父親からはテスコボーイから連なる日高の配合を、からは新進気鋭の頃の社台の配合を合わせた当時の内の結晶とも言える血統である。

管理体制は上記の経緯もあり太郎調教師、小島太騎手が全てのレースで手綱を握った。

デビュー~4歳まで

デビューは4歳(当時は数え年表記の為・3歳を4歳と呼んでいた。以下も数え年表記で表記する)の1月12日中山ダート1200m。脚元に不安があった為にダートでという事なのだろうが、スピードの違いで2着に5身差つける逃げ切り勝ちで圧勝。

続く条件戦は中山1600mだったが、スタートで後手を踏み、中捲るように上がっていくも先頭のを交わせずに2着。次走は中山1200mの芝に短縮すると逃げて上がり最速を記録する走りで4身差圧勝。

既に短距離向きである事は分かっていたが、一度中距離路線を試してみるべく、皐月賞の前スプリングSに参戦する。卓越したスピードから3番人気に支持されたが、重馬場スピードを殺された上に、相手はサイボーグことミホノブルボン。付いて行く事すら出来ずコーナーバランスを崩し失速して12着と大敗する。

これでクラシックには見切りを付け、ダビスタでやたらと登録されるクリスタルカップ中山1200 GⅢ)に出走し、ここでも逃げて3身1/2付けるパフォーマンスを披露し優勝する。

ここまで中山でしか走ってないが、次走からは府中レースに出走し始め、芝1400mのOPレース逃げ勝利したが、1600mのNZT4歳Sはスタミナが持たず前に7着と敗れる。

休養に入り、中山府中の芝1600mのレースを3着、7着と敗れるが、府中1400mのレース距離短縮すると2身1/2付けて快勝。

満を持してスプリンターズステークス(当時は12月開催)に出走したが、まだ体が本格化していない上に、ニシノフラワーヤマニンゼファーダイタクヘリオスら当時を代表するスプリンターがいて且つ、前半600mを32.8というハイペースの中ではり込めず、現役生活の中で1400m以下のレース一の敗戦となる6着に終わってしまう。

それだけでなく、以前から不安を抱えていた脚部不安がついに見過ごせなくなり、翌年のを全休する事となった。

しかし、この休養が功を奏したのかバクシンオーの本格化が始まり、飛躍へと繋がっていく。

5歳秋~6歳冬 驀進開始

5歳バクシンオーが返ってきたのは10月20日中山1200mのOPレースだった。今までのバクシンオーはスタートから一気に逃げスタイルだったが、このレースでは2.3番手に控えてから抜け出し勝利。今までにない控えるスタイルを身に着ける事に成功したバクシンオーだったが、続く府中1600mのレーススプリングS同様、重馬場スピードを生かせず4着に敗れる。

仕切り直しの府中1400mは2番手から問題なく抜け出し勝利し、大本命のスプリンターズステークスに出走する。

1番人気はこの年安田記念天皇賞秋を制し、スプリンターズステークスを制する事で短距離マイル・中距離の3GⅠ制覇を論むヤマニンゼファー、2番人気がサクラバクシンオー、3番人気が去年の覇者ニシノフラワーという人気であった。

スタートするとバクシンオーは3番手に付け、ヤマニンゼファーがその後ろに控え、ニシノフラワーは中段8番手でレースが進み、最後の直線でバクシンオーが一気に抜け出すと、追い縋るヤマニンゼファーを突き放し、2身1/2の差を着けて優勝サクラユタカオー産駒初のGⅠとなった。

また、レース8日前にはサクラ軍団の総帥・全演植氏が死去してしまっており、オヤジと慕っていた小島太は「これまでの騎手人生で最高の仕事になったと思う。オヤジの墓前にいい報告ができる。」とを震わせた。

標は高松宮記念ではなく、安田記念に定める事となった。高松宮記念でない理由は、当時は芝2000mのレースであった為である。ちなみに現在1200mになるのは1996年から。

初戦のダービー卿チャレンジトロフィー(当時は芝1200m、現在1600m)に出走し、2番手から抜け出すと手綱を緩める余裕を見せながら勝利安田記念に出走したが、マイル女王ノースフライトの前に屈し4着と敗北

は休養に充て、天皇賞への出走へ可性を見るべく府中1800mの毎日王冠に出走し、逃げ込みを図るがネーハイシーザーの当時日本レコードの走りの前に4着敗戦。しかしながら今までマイルでも厳しいかと言われていた中で1800mを走り切った事、バクシンオー自身も日本レコードを0.1上回るタイムを見せていたことから営は「大きな収穫」と称えた。

その後は短距離路線に戻り、阪神1400mのスワンステークス(この時期京都競馬場修の為、阪神競馬場で代行)でノースフライトと再度対戦するが、バクシンオーは当時初となる芝1400mで1.20.0の壁を破る1.19.9の日本レコード優勝する。(このタイムは翌年のスワンステークスヒシアケボノ1:19.8で塗り替える。ただしコースレコード2017年阪神カップイスラボニータが走破タイム1:19.5を記録するまで23年間保持された)

その後、修が終わった京都競馬場で行われたマイルチャンピオンシップでは、ノースフライトに逆襲され2着。これが最後の1600m以上のレースとなったが、最後まで1着にはなる事が出来なかった。

引退レース これが最後の愛のムチ

連覇が掛かるスプリンターズステークスで結果に関わらず引退する事が発表された。

この年から際競走となった事で3頭の外が参戦してきたが、バクシンオーは単勝オッズ1.6倍と断然の支持を受ける。レーススタートすると、前の達が前半600mが32.4とハイペース逃げる中4番手で進み、残り200m手前で一気にスパートを掛けると実況原アナの「これが最後のムチ」のを受け独走、追い込んできたビコーペガサスに4身差を付ける大楽勝で勝利。勝ちタイムも1.07.1と当時の日本レコード更新した。

通算成績は21戦11勝。下記の通り、現役競走馬時代は1400m(7ハロン)以下のレースで圧倒的スピードと強さを発揮するスプリンターであった。1993年1994年スプリンターズステークス連覇、1200mと1400mの当時レースレコード立、1994年JRA賞最優秀短距離を受賞する等、名実共に「日本競馬史上最強最速短距離」と評価する競馬ファンは多い。

惜しむらくは当時日本競馬はスプリント路線が整備されておらず、GⅠはスプリンターズステークスのみ、海外遠征もまだ活発化する前で、香港スプリント1999年からと悉く短距離路線に恵まれていなかった事で、もし何年か後に産まれていればもっと勲章を手に入れたであろうであった。

しかしながらバクシンオーが出てきたことで、スプリント路線の活発化が進み、高松宮記念1200mに短縮し、アグネスワールドシーキングザパールといった短距離海外に進出するきっかけを作ったと言えよう。

JRA2000年に実施したキャンペーンDream Horses 2000』の第一弾企画『20世紀の名投票』及び『20世紀の名100』では、第74位(投票数1183票)に選出された。

種牡馬時代

引退後、当時サンデーサイレンストニービンといった外全盛期の中で、内は極僅かしか入れない社台スタリオンステーションで種となった。

産駒もやはり短距離の成績が顕著であったが、高松宮記念を制したショウナンカンプビッグアーサーを輩出し、自身が勝てなかったマイルGⅠを制したグランプリボス、意外な所では中山大障害中山グランドジャンプを制したブランディスがいる。

としては快速スプリンターハクサンムーンを始めやはり短距離の実績が多い中、キタサンブラック菊花賞天皇賞春を連覇といった長距離も輩出している。

また、幾多の名でも成績が落ちていけばレックススタッドやブリーダーズ・スタリオンといった日高へ移動するのが大多数な中、社台スタリオンに繁用し続けられ、毎年100頭以上のを集める人気でもあった事も特筆すべきであろう。

2011年4月30日午前11時頃、繁用先での試験交配中に心不全の為死亡死亡から8日後のNHKマイルカップでは産駒のグランプリボス優勝した。奇しくも全氏の時と同じ8日後である。

2021年現在サイアーラインの状況は、ショウナンカンプは後継を残せず2020年死亡グランプリボスも成績が奮わずかなり厳しく、残るは今年産駒がデビュー予定のビッグアーサーに全てが掛かっているという状況である。

ビッグアーサーには幸いサンデーサイレンスが入っていないのでは集まりやすい状況にあるが、果たしてバクシンオーの直系は繋いでいく事は出来るであろうか。

主な勝ち鞍

競走成績

  • 生涯成績:21戦11勝(11-2-1-7
  • 1400m以下:12戦11勝(11-0-0-1)
  • 1600m以上:9戦0勝(0-2-1-6)
  • 獲得賞:5億1549万2000円

血統表

サクラバクシンオーの5代血統表
テスコボーイ
Hyperion 4×5 9.38Nasrullah 4×5 9.38Lady Angela 5×4 9.38Nearco 5×5 6.25、Bull Lea 5×5 6.25
サクラユタカオー 1982
北海道静内町 栗毛
*テスコボーイ 1963
イギリス 黒鹿毛
Princely Gift 1958
イギリス 鹿毛
Nasrullah 1940 Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem 1943 Blue Peter
Sparkle
Suncourt 1952
アメリカ 黒鹿毛
Hyperion 1930 Gainsborough
Selene
Inquisition 1936 Dastur
Jury
アンジェリカ 1970
北海道静内町 黒鹿毛
*ネヴァービート 1960
アメリカ 栃栗毛
Never Say Die 1951 Nasrullah
Singing Grass
Bride Elect 1952 Big Game
Netherton Maid
スターハイネス 1964
日本 黒鹿毛
*ユアハイネス 1958
栗毛
Chamossaire
Lady Grand
スターロツチ 1957
鹿毛
*ハロウェー
コロナ
サクラハゴロモ 1984
北海道来町 栗毛
F-No.4-m
*ノーザンテースト 1971
カナダ 栗毛
Northern Dancer 1961
カナダ 鹿毛
Nearctic 1954
カナダ 黒鹿毛
Nearco
Lady Angela
Natalma 1957
カナダ 鹿毛
Native Dancer
Almahmoud
Lady Victoria 1962
カナダ 黒鹿毛
Victoria Park 1957
カナダ 鹿毛
Chop Chop
Victriana
Lady Angela 1944
カナダ 栗毛
Hyperion
Sister Sarah
*クリアアンバー 1967
アメリカ 黒鹿毛
Ambiopoise 1958
アメリカ
Ambiorix 1946
フランス
Tourbillon
Lavendula
Bull Poise 1948 Bull Lea
Alpoise
One Clear Call 1960 Gallant Man 1954 Migoli
Majideh
Europa 1949 Bull Lea
Sicily

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