サッカーオランダ代表 単語

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サッカーオランダ代表とは、オランダサッカー協会(KNVB)によって編成されるサッカーオランダ代表チームである。ユニフォームオランダなどにちなんでオレンジ称はオラニエまたはオランイェ。

概要

サッカーナショナルチーム
オランダ代表
基本情報
国旗
協会 KNVB
大陸 UEFAヨーロッパ
FIFAコード NED
FIFA加盟 1904年
監督 ロナルドクーマン
FIFAワールドカップ
出場 11回
最高成績 優勝(3回)
UEFA欧州選手権
出場 10回
最高成績 優勝(1回)

FIFAワールドカップで3度決勝まで進んだ経験のある世界の強であり、UEFA欧州選手権では1988年優勝している。もっともEURO1988優勝一のタイトルであり、ワールドカップ優勝は未だにい。

初めて出場したワールドカップは1934 FIFAワールドカップで初戦敗退。1938 FIFAワールドカップにも出場したが2大会連続の初戦敗退と、今でこそサッカー豪国であるが最初は弱小国であった。

しかし1970年代クラブアヤックスUEFAチャンピオンズカップで活躍、代表全体のレベルが上がり実に36年ぶりに臨んだ1974 FIFAワールドカップヨハン・クライフ率いるオランダ代表は準優勝。この時にオランダ代表が使用していた戦術こそが当時のリヌスミケルス監督アヤックス監督時代に考案した「トータルフットボール」であり、サッカー界に革命を起こしたといわれている。

クライフの登場以降は、伝統的に4-3-3が基本フォーメーションとなっており、両ワイドいっぱいに開いたウイングの突破を活かしたサイドアタック体の攻撃的なスタイルが好まれるようになっている。もっとも必ずしも攻撃を採用しているわけではなく、ウイングを置かないチーム作りや守備的な戦術で戦うことも少なくない。

なお、オランダ代表にとって「6月25日」は呪われたジンクスの日とされており、過去ワールドカップ4大会において6月25日の試合で敗退に追い込まれている。

歴史

初試合は1905年のベルギー戦。FIFA創設時から加盟している7かのひとつであり、20世紀初頭のオリンピックでは、1908年のロンドンオリンピック、1912年のストックホルムオリンピック、1920年のアンワープオリンピックと3大会連続で銅メダルを獲得している。

FIFAワールドカップは第2回の1934 FIFAワールドカップイタリア大会が初出場。1938 FIFAワールドカップフランス大会にも出場しているが、2大会とも初戦敗退に終わっている。以降、40年間は本大会への出場はなく、オランダが脚を浴びるようになったのは1970年代まで待たなければならなかった。

3度の出場が決まった1974 FIFAワールドカップ西ドイツ大会では直前にアヤックス・アムステルダム欧州の頂点に導いたリヌスミケルスが監督に就任。“フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフを中心にヨハン・ニースケンス、ルートクロル、ロブ・レンセンブリンク、ヨニー・レップ、アリー・ハーン、ウィレムファン・ハネヘム、ビム・ヤンセンらが従来のポジションに捉われずまぐるしく動き回る全員攻撃・全員防御の「トータルフットボール」を展開。1次リーグを2勝1分の首位で突破すると、2次リーグではアルゼンチンブラジルという南米の二強と同居しながらも3連勝で決勝進出を果たす。しかも、ここまでの6試合で14得点1失点という完璧な内容で勝ち進んでいた。とりわけブラジル戦で1ゴール1アシストの活躍を見せたクライフパフォーマンスは際立っていた。決勝ではフランツ・ベッケンバウアーを筆頭にスター選手を多くえた西ドイツと対戦。開始2分まで西ドイツボールを触らせることなく先制するが、いうちに先制できたことで気を緩めたことが災いし、前半のうちに逆転を許す。その後はクライフがベルティ・フォクツのマークによって完封されたことでペースが握れず敗北。準優勝に終わったものの、この大会で見せたオランダの「トータルフットボール」は既存の戦術と一線を画す革命を起こし、世界中のサッカーシーンセンセーションを巻き起こした。

大会後、ミケルスは辞任したものの、クライフ率いるオランダは2年後のEURO1976でも初めて決勝大会まで駒を進める。開幕前に監督ジョージ・クノベルが辞任する意向を示すなどオランダ協会内で内紛が発生し[、クライフが一時「クノベルが辞めるなら大会に出場しない」と宣言する事態に発展するごたごたがあったものの、準々決勝ではベルギー相手に7-1と大勝。準決勝でチェコスロバキアに延長戦の末に敗れはしたが、3位決定戦ではクライフが出場停止となり、若手体のメンバーで挑んだものの開催ユーゴスラビアを破り、3位入賞を果たす。

1978 FIFAワールドカップアルゼンチン大会では順当に欧州予選を勝ち抜いたものの、本大会を前にクライフ息子の誘拐未遂事件が勃発したことを理由にワールドカップへの参加を辞退。そのまま代表を引退してしまう。それでもフェイエノールト黄金期を築いた名将エルンスト・ハッペルが率いたチームは、クライフを欠いてもニースケンス、レンセンブリンクら前回大会のメンバーが多く健在だった。1次リーグではややもたついたものの、2次リーグになると全に復調し前回決勝で敗れた西ドイツイタリアを相手にしながらも、2大会連続での決勝進出を果たす。しかし、決勝では開催アルゼンチンに延長戦で敗れ、2大会連続で準優勝となる。

その後、EURO1980でグループリーグ敗退に終わり、黄金期終焉。2大会連続でワールドカップの出場権を逃す低迷期に入るが、1986年ミケルスが監督に復帰し、オランダは再び欧州サッカーシーン役に返り咲く。

EURO1988ではマルコファンバステン、ルート・フリットフランクライカルトオランダトリオを擁するチームで大会に臨む。開幕戦こそソ連に敗れたが、イングランドアイルランドに連勝しグループリーグ2位で突破。準決勝では因縁のある西ドイツを相手に試合終了間際のファンバステンのゴールで逆転し、初の決勝。決勝では再びソ連と顔を合わせるが、前半にフリット、後半にファンバステンがゴールを決め、2-0で勝利し初優勝を果たす。これがオランダ代表の後にも先にもないただ1つのタイトルとなっている。またこの大会で5ゴール記録する大活躍を見せたマルコファンバステンがその年の最優秀選手に送られる、バロンドールを獲得。ちなみに2位ルート・フリット、3位がフランクライカルトとなっており、オランダトリオで上位3人を占めた。特に決勝のソ連戦でのマルコファンバステンの難易度の高い芸術的ボレーシュートによるゴールは大きな印を残し、サッカー史に残るゴールとして記憶されている。

欧州王者として挑んだ1990 FIFAワールドカップイタリア大会では優勝補の一として注されていたが、本大会に入るとファンバステンとフリットの両エースって不調に陥り、ラウンド16で西ドイツに敗戦。1勝も挙げられないまま大会を去ることに。EURO1992では、デニス・ベルカンプが台頭したものの、準決勝でPK戦の末にデンマークに敗れている。1994 FIFAワールドカップアメリカ大会はファンバステンとフリットが欠場となりながら準々決勝まで駒を進めるが、ブラジルとの闘の末に敗戦。

大会後、フース・ヒディンクが監督に就任。EURO1996では、1995年UEFAチャンピオンズカップ優勝したアヤックスの若いタレントたちを積極的に起用する。まだまだ粗削りではあったものの、魅的なサッカーを見せるが、準々決勝でジネディーヌ・ジダンを擁したフランスを相手にPK戦の末に敗れる。このときはベスト8止まりだったが、その後経験を積み、イタリアスペインなどのビッグクラブへの移籍を経て若い選手たちはさらに成長を遂げる。

1998 FIFAワールドカップフランス大会ではベルカンプを筆頭にパトリッククライファート、エドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフ、フランク・デ・ブールを擁した攻守にバランスの取れたチームとなっていた。グループリーグではやや手こずったものの、ラウンド16では試合終了間際のダーヴィッツゴールユーゴスラビア勝利。準々決勝では、強アルゼンチンをまたも試合終了直前のベルカンプゴールで下す。準決勝では優勝補筆頭のブラジルと大会のベストマッチに挙げられる死闘を演じ、3試合続けて終了直前のクライファートの同点ゴールで食い下がったが、惜しくもPK戦で敗れ、さらに3位決定戦でクロアチア敗し4位に終わる。それでもこの大会でのオランダチームの質、試合内容両面で高く評価されている。

大会後ヒディンクは勇退し、フランクライカルト監督に就任。優勝が至上命題とされた自開催のEURO2000では、グループリーグを3連勝で突破。準々決勝ではユーゴスラビアから6ゴールを奪って快勝するなど順調なのりを見せる。しかし、準決勝のイタリア戦では退場を出して1人少ないイタリア一方的に攻め立てながらもゴールを奪えず、二度訪れたPKのチャンスをいずれも逃してしまう。延長戦に入ってもイタリアのカテナチオを攻略することはできず、最後はPK戦の末に敗れる勝負弱さが出てしまう。優勝を期待されながらベスト4に終わった責任を取り、大会後にライカルトは辞任。

その後、ルイス・ファン・ハール監督に就任するが、2002 FIFAワールドカップはまさかの欧州予選敗退に終わる。以降、EURO2004では開催ポルトガルに敗れてベスト4、2006 FIFAワールドカップドイツ大会ではまたもポルトガルに敗れベスト16、EURO2008ではロシアに敗れベスト8と前評判は毎回高いものの期待に応えられない成績が続いている。

アリエン・ロッベンロビン・ファン・ペルシヴェスレイ・スナイデルを擁した2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会では、準々決勝で1974年大会を最後に7試合で勝利かったブラジルに2-1で勝ち、準決勝でもウルグアイに3-2で競り勝つなど、欧州予選から本大会準決勝までの14試合全勝という驚異的な強さを発揮し、32年ぶり3度の決勝進出を果たす。特に決勝トーナメントに入ってから3試合連続ゴールを決めたスナイデルの活躍ぶりは凄まじく、準々決勝ではブラジルから2ゴールを奪っている。どちらが勝っても初優勝となったスペインとの決勝では、これまでの攻撃的なサッカーを捨てて堅守速攻の戦術でスペインのポゼッションサッカーに対抗し、ファウルをいとわないしい守備で互の戦いを見せる。闘は延長戦までもつれ込むが最後はアンドレス・イニエスタゴールを決められてしまい、またしても準優勝に終わる。ただし、決勝でのオランダの戦い方をレジェンドクライフ批判している。

EURO2012では開幕前から優勝補と評されてものの、グループリーグでまさかの全敗に終わり大きな失望を買った。

ルイス・ファン・ハール監督に再任した2014 FIFAワールドカップブラジル大会では初戦で前回大会決勝の相手であるスペインと対戦。下評は低かったものの、5バックを採用した堅守速攻のスタイルが見事に嵌り、ファン・ペルシロッベンが2ゴールずつを奪い5-1で圧勝。前回のリベンジを果したことで勢いに乗ると、オーストラリアチリにも勝利し、3戦全勝でグループBを突破。決勝トーナメントに入っても堅守速攻のスタイル継続しラウンド16でメキシコを、準々決勝でコスタリカを破ったが、準決勝のアルゼンチン戦でPK戦の末に敗北。しかし3位決定戦で開催ブラジルを3-0で下し、堂々の3位に終わった。この大会ではファン・ハール監督の5-3-2の採用やPK戦でのGKの交代、ディルク・カイトSB起用、相手の弱点を突いた緻密な戦略などのマネージメントが成功のとなっていた。

EURO2016予選では、2014年ワールドカップを戦ったの多くがキャリアピークを過ぎており、グループ4位という不甲斐ない内容で1984年大会以来となる予選敗退という結果に終わる。2018 FIFAワールドカップ欧州予選でもグループ3位というプレーオフにすら残れない不甲斐ない成績で4大会ぶりの予選敗退。2大会連続で際大会への出場を逃すという失態を犯すことになる。

予選敗退後に監督に就任したロナルトクーマン早急世代交代を図り、フレンキー・デ・ヨングやマタイス・デ・リフトに定着させる。2020年クーマンFCバルセロナに引き抜かれると、後任にフランク・デ・ブールが招聘され、UEFA EURO 2020予選は危なげなく突破し、表舞台へと返り咲く。EURO2020ではグループリーグを3戦全勝で勝ち抜くが、ラウンド16のチェコ戦でDFリーダーフィルジル・ファン・ダイクが欠場となったことで守備の不安が露呈し敗戦。大会後、デ・ブールは解任となり、ルイス・ファン・ハールが3度の代表監督就任となる。

2022 FIFAワールドカップカタール大会ではファン・ハール就任から敗のままで本大会を迎える。グループリーグはコーディ・ガクポの3試合連続ゴールの活躍により2勝1分の首位で突破。準々決勝のアルゼンチン戦では、2点のビハインドを背負うが途中出場のボウト・ヴェグホルストの2ゴールにより試合終了直前に同点に追いつく。試合はPK戦の末に敗れ、敗のまま大会を去ることになる。このアルゼンチン戦はこれまでの両者の因縁やファン・ハールの言動が発端となって両者の感情がぶつかり合う大荒れの試合となり、大会史上もっとも多いイエローカード18枚が飛び交う試合となった。

主な戦績

FIFAワールドカップ
優勝1974, 1978, 2010
3位(2014
ベスト4(1998)
ベスト8(1994, 2022)
ベスト16(1990, 2006)
1回戦敗退(1934, 1938)
EUROUEFA欧州選手権
優勝1988
3位(1976)
ベスト4(1992, 2000, 2004)
ベスト8(1996, 2008
ベスト16(2021)
グループリーグ敗退(1980, 2012

世代別の戦績

オリンピック
3位(1908, 1912, 1920)
FIFA U-17ワールドカップ
3位(2005

主な代表選手

2022 FIFAワールドカップ・カタール大会メンバー

歴代監督

太字はワールドカップ揮を執った監督国旗が付いているのは外国人監督

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