サッカーサウジアラビア代表とは、サウジアラビアサッカー連盟(SAFF)によって構成される、サウジアラビアのサッカーのナショナルチームである。ユニフォームはホームが上下とも白、アウェイが上下ともに緑となっている。
サッカーのナショナルチーム | |||
サウジアラビア代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | |||
協会 | SAFF | ||
大陸 | AFC(アジア) | ||
FIFAコード | KSA | ||
FIFA加盟 | 1956年 | ||
監督 | ロベルト・マンチーニ | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 6回 | ||
最高成績 | ベスト16(1回) | ||
AFCアジアカップ | |||
出場 | 11回 | ||
最高成績 | 優勝(3回) |
FIFAワールドカップに6回出場、AFCアジアカップではイランと並んで歴代2位の3度優勝、ペルシア湾諸国の大会であるガルフカップには3度優勝した実績のある中東の強豪国。特に初出場となった1994 FIFAワールドカップではアジア勢では28年ぶり2度目となるグループリーグ突破を果たし、世界中を驚かせている。
サッカー連盟の創始者がサウド王家の王子であることから、王家の影響力が強く反映されており、国家プロジェクトとして代表チームを強化していることから豊富な資金力によってバックアップされている。歴代の代表監督にも実績のある海外の大物が招聘されることもある。一方で、結果が出ないとすぐに監督のクビが切られるなど、長期的な視野には欠けている。
国内リーグが豊富な資金力で運営されているため、ヨーロッパのリーグでプレーする選手はさほどおらず、ほぼ国内組か近隣の中東諸国のリーグに所属している。伝統的に堅守速攻のスタイルで一貫してはいるが、近年はヨーロッパのメソッドを取り入れ、近代的な戦術スタイルを導入しようという動きもある。
初試合は1957年。アジアの中で頭角を現すようになったのは1980年代から。初出場となったAFCアジアカップ1984では、"砂漠のペレ"と称されるマジェド・アブドゥラーの活躍によって初優勝を遂げる。さらに4年後のAFCアジアカップ1988でもアブドゥラーの活躍で連覇を達成。一気に中東の強豪として注目を浴びる。1989 FIFA U-16世界選手権ではU-16代表が優勝。FIFA主催の国際大会におけるアジア勢の初優勝であり、このときのメンバーが1990年代になってフル代表の主力を担うようになる。AFCアジアカップ1992では決勝まで進出し3連覇に王手をかけるが、決勝で開催国の日本に敗れ、準優勝となった。
FIFAワールドカップには1978年大会から参加しているが、5大会連続でアジア予選を突破できていなかった。1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会では、カタール・ドーハでのアジア最終予選を首位で通過し、初出場を決める。ホルヘ・ソラーリ監督が率いた本大会では前評判は低かったものの、アジア№1GKと称されるモハメド・アル=デアイエの神がかったセーブもあり、2勝1敗でアジア勢としては28年ぶり2度目となるグループリーグ突破という快挙を成し遂げる。特に第3戦のベルギー戦でサイード・オワイランが自陣からゴールまでの約60メートルの距離を1人で駆け上がり、最終的に5人をかわしてゴールを決めるというスーパーゴールはワールドカップの歴史に残るゴールと称されている。ラウンド16でスウェーデンに敗れたが、アジアのサッカーの歴史を変えた快進撃となった。
ワールドカップ後のガルフカップ1994では初優勝。AFCアジアカップ1996では2大会ぶり3度目の優勝を果たす。しかし、ここまで急速に上昇した成長曲線はこれをピークに下降線を描くことになる。2大会連続で出場した1998 FIFAワールドカップ・フランス大会では前回ワールドカップでブラジル代表を4度目の優勝に導いたカルロス・パレイラを監督に迎えるも、結果は1分2敗でグループリーグ敗退に終わる。
2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では、初戦のドイツ戦で0-8という記録的な大敗を喫したのを皮切りに3戦全敗の惨敗に終わる。5大会連続で決勝に進出していたAFCアジアカップ2004ではグループリーグ敗退、ガルフカップ2004でもグループリーグ敗退と2000年代に入ってからアジア最強という地位も失っていた。2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会でも1勝もできないままグループ最下位に終わっている。
2010年代に入るとさらなる低迷期に差し掛かる。2010 FIFAワールドカップでは、アジア5位決定戦でバーレーンに敗れ、5大会ぶりにワールドカップ出場を逃す。AFCアジアカップ2011では、シリアやヨルダンといった新興国に敗れたうえに日本相手に0-5で大敗。この惨敗劇を問題視したサッカー連盟は、2011年2月からの対外試合禁止を発表。だが、そんな荒療治の効果は無く、2014 FIFAワールドカップでも2大会連続でアジア予選敗退。翌年のAFCアジアカップでも3大会連続グループリーグ敗退に終わり、アジアの中でも地位が大きく失墜してしまう。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会では、アジア最終予選グループBを日本に次ぐ2位で終え、3大会ぶりとなる本大会出場権を獲得。その後、チリをコパ・アメリカ連覇に導いたフアン・アントニオ・ピッツィを監督に招聘し、本大会に挑む。初戦で開催国のロシア相手に0-5で大敗、続くウルグアイ戦にも敗れ早くもグループリーグ敗退が決まるが、第3戦のエジプト戦で逆転勝利を収め、1994年大会以来24年ぶりとなるワールドカップでの勝利を掴む。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会ではアジア最終予選首位で通過。本大会では初戦で優勝候補のアルゼンチンと対戦。1点を先制されながらも、シュート数3本ながらも耐え忍んでの逆転勝利を飾る。この歴史的な快挙にサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ国王は、試合のあった11月23日を国民の休日にすることを即決する。しかし、第2戦のポーランド戦と第3戦のメキシコ戦に連敗し、健闘はしたがグループリーグ敗退となった。
2023年8月より、EURO2020でイタリア代表を優勝に導いたロベルト・マンチーニが監督に就任。2024年1月のAFCアジアカップ2023ではマンチーニ体制初のビッグトーナメントとなったが、グループステージを2勝1分の首位で通過したものの、ラウンド16では強豪韓国を相手に試合終了直前に同点ゴールを許し、PK戦にもちこまれたうえで敗戦。2大会連続ベスト16敗退となる。このとき、PK戦を見届けずにピッチを後にしたマンチーニ監督の姿勢が批判を浴びる。
ワールドカップを戦った監督は太字。国旗が付いているのは外国人監督。
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最終更新:2024/04/25(木) 22:00
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