サッカースイス代表とは、スイスサッカー協会(ASF / SFV)によって編成されるサッカーのスイス代表チームである。チームの愛称はAチーム、ラ・ナティ。ユニフォームは国旗の赤と白を基調にしており、ホームは上下ともに赤、アウェイは上下ともに白。
サッカーのナショナルチーム | |||
スイス代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | |||
協会 | SFV / ASF | ||
大陸 | UEFA(ヨーロッパ) | ||
FIFAコード | SUI | ||
FIFA加盟 | 1904年 | ||
監督 | ムラト・ヤキン | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 12回 | ||
最高成績 | ベスト8(3回) | ||
UEFA欧州選手権 | |||
出場 | 5回 | ||
最高成績 | ベスト8(1回) |
FIFAワールドカップには12回出場しており、地元開催だった1954年のベスト8が最高成績となっている。もっともこれ以降はベスト16が最高成績となっており、半世紀以上ベスト8の壁を超えられていない。UEFA欧州選手権には5回出場しており、こちらも2021年のベスト8が最高。
1970年代から2000年代初頭までは低迷期が続いていたが、1993年にアカデミーを作り、育成面を強化したことによって近年はFIFAランキングトップ10入りするくらいの強豪国に成長。2009年のU-17ワールドカップでは優勝、2011年のU-21欧州選手権で準優勝と育成年代で成果を残し、ワールドカップの常連国にも定着しており、堅守のチームとして恐れられている。
最近の特徴としてはアルバニア系や旧ユーゴスラビア系、アフリカ系などの移民の選手が多く2014 FIFAワールドカップの出場国32チームのうち、外国にルーツを持つ選手が一番多かった。また隣国ドイツ・イタリアでプレーする選手が非常に多いことが挙げられる。
FIFAには1904年の発足時に加盟した最古参である。初試合は1905年に行われており、1924年のパリオリンピックでは、決勝でウルグアイに敗れたものの銀メダルを獲得している。
FIFAワールドカップには、第2回の1934 FIFAワールドカップ・イタリア大会から出場。1回戦でオランダに勝利し、ベスト8入りを果たす。1938 FIFAワールドカップ・フランス大会にも出場し、1回戦でドイツ相手に引き分け再試合の末に勝利し、ベスト8まで進む。
3大会連続で出場となった1950 FIFAワールドカップ・ブラジル大会では、開催国のブラジル、メキシコ、ユーゴスラビアと同じグループ1に入りメキシコに勝利、開催国のブラジルに引き分けるなど健闘したが、初戦のユーゴスラビア戦の敗戦が響き1勝1分1敗の3位でグループリーグ敗退となる。
地元での開催となった1954 FIFAワールドカップ・スイス大会初戦のイタリア戦には勝利したが結果的にそのイタリアと1勝1敗で並びプレーオフが行われ、4-1と勝利しグループリーグを2位で突破し、3度目のベスト8入りを果たす。準々決勝では、ではオーストリア相手に打ち合いを演じるが5-7で敗戦。
4年後の1958年大会で初めて欧州予選で敗れ、5大会連続での本大会出場を逃す。
1962 FIFAワールドカップ・スウェーデン大会、1966 FIFAワールドカップ・チリ大会に出場するが、2大会連続で3戦全敗に終わり、グループリーグ敗退。ここから長きにわたる低迷期に入り、1970年代と1980年代はワールドカップのみならずUEFA欧州選手権でも本大会に出場することはできず、28年に渡り大舞台を経験することはできなかった。
1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会では7大会ぶりに欧州予選を突破し、久々に本大会に出場。ブンデスリーガで活躍するステファン・シャプイサ、チリアコ・スフォルツァ、アラン・ズッターといったタレントを擁したチームは、1勝1分1敗の成績でグループリーグを2位で突破し、自国開催の1954年以来となる決勝トーナメント進出を果たす。ラウンド16ではスペイン相手に0-3で敗戦。なお、1934年大会初戦から1994年大会のラウンド16まで出場22試合連続で失点を喫するという大会連続失点記録を保持してしまう。
UEFA欧州選手権でもEURO1996で初出場を果たす。しかし、本大会では1勝も挙げることができずにグループリーグ敗退となる。1998 FIFAワールドカップ、2002 FIFAワールドカップには2大会連続で予選敗退となり、再び低迷期を迎えると思われた。
2000年代に入ると90年代から着手した育成改革の効果が現れるようになり、UEFA U-17欧州選手権2002を制したU-17代表は黄金世代として期待されるようになった。その黄金世代が成長した2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会では、グループリーグでフランスを抑え首位で突破。しかしラウンド16でウクライナと対戦しPK戦の末に敗れた。なお、スイス代表はこの大会の全4試合を無失点に抑えており、史上初めて失点0で敗退したチームという珍記録を生み出してしまう。
自国開催となったEURO2008では、ポルトガル相手に勝利したものの、1分2敗でグループ最下位に終わってしまう。大会後、バイエルン・ミュンヘンの監督として三冠獲得など輝かしい実績を持つドイツの名将オットマー・ヒッツフェルトが監督に就任。2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では、初戦で当時黄金期にあったスペインを相手に勝利するという大番狂わせを演じてみせる。ヒッツフェルトが作りあげた組織的な守備はスペインのポゼッションサッカーを見事に封殺した。しかし、その後のチリ戦、ホンジュラス戦は1分1敗となり、グループリーグ敗退に終わる。
スイスの育成力はさらに目覚ましい成果を見せ、2009年のU-17 FIFAワールドカップでは優勝、2011年のUEFA U-21欧州選手権では準優勝という結果を残す。このときの主力だったジェルダン・シャキリ、グラニト・ジャカ、リカルド・ロドリゲス、ヤン・ゾマーらが代表の中心選手へと成長。彼らの多くは二重国籍を持つ移民であり、彼らにスイス代表を選択させて多国籍チームとなることで強豪相手にも渡り合えるチームへと変貌していった。
FIFAランキング7位となり初のポッド1に入った2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会ではベテランの域にまで達した黄金世代とシャキリら将来を渇望される新たな黄金世代とが融合。フランス戦では自慢の堅守が打ち砕かれ大敗したものの、初戦のエクアドル戦と第3戦のホンジュラス戦では2試合ともMOMに選出されたシャキリの活躍によって勝利し、グループEを2位で通過。ラウンド16でもリオネル・メッシ擁するアルゼンチンの攻撃陣を抑え込み、互角の戦いを演じるが延長戦で力尽き、惜しくも敗れている。大会後、堅守速攻の高い組織力を作りあげたヒッツフェルトは監督業から引退。
ウラディミル・ペトコビッチが監督に就任して挑んだEURO2016では、2大会ぶりに本大会に出場すると、1勝2分で2位となり、初のグループリーグ突破を果たす。ラウンド16ではポーランドと激闘を繰り広げるが、PK戦で敗退。4大会連続出場となった2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会では同組となったブラジルに次ぐ2位でグループリーグを突破。しかし、ラウンド16ではスウェーデンを相手に0-1で敗れている。
EURO2020では、第2戦でイタリア相手に完敗し敗退の危機に立たされる。だが、続くトルコ戦をシャキリの2ゴールで制し、3位ながらもグループリーグを突破。ラウンド16で優勝候補のフランスと対戦。一時は2点のビハインドを背負いながらも試合終了直前に同点に追いつき、PK戦で勝利し、EUROでは初となるベスト8進出を果たす。準々決勝のスペイン戦もしぶとくPK戦まで持ち込むが、3人が失敗し敗れている。
ペトコビッチの後任となったムラト・ヤキンが監督に就任した2022 FIFAワールドカップ・カタール大会でもブラジル、セネガル、カメルーンと同組になったグループGを2勝1敗で終え、グループ2位で通過。しかし、ラウンド16ではポルトガルのゴンサロ・ラモスにハットトリックを許すなどまさかの大量6失点を許し大敗。3大会連続でベスト16止まりとなる。
太字はワールドカップで指揮を執った監督。国旗が付いているのは外国人監督。
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最終更新:2024/04/25(木) 09:00
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