サッカーポーランド代表とは、ポーランドサッカー協会 (PZPN) により編成されるサッカーのポーランド代表チームである。愛称はオルィ(鷲)。ユニホームはホームがシャツが白でパンツが赤。アウェイがシャツが赤でパンツが白。
サッカーのナショナルチーム | |||
ポーランド代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | |||
協会 | PZPN | ||
大陸 | UEFA(ヨーロッパ) | ||
FIFAコード | POL | ||
FIFA加盟 | 1923年 | ||
監督 | ミハウ・プロビエシュ | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 9回 | ||
最高成績 | 3位(2回) | ||
UEFA欧州選手権 | |||
出場 | 4回 | ||
最高成績 | ベスト8(1回) |
FIFAワールドカップに9度、UEFA欧州選手権に2度出場している東欧の中堅国であり、ワールドカップは1974年大会と1982年大会の3位、欧州選手権は2016年のベスト8が最高成績となっている。オリンピックでは、1972年のミュンヘンオリンピックで金メダル、1976年のモントリオールオリンピックで銀メダルを獲得した実績がある。
1970年代のグレゴシ・ラトー、1980年代のズビクニェフ・ボニエク、そして21世紀に入ってからのロベルト・レバンドフスキと歴史に名立たる名ストライカーを輩出している国である。また、日本では2018 FIFAワールドカップで対戦した際に「世紀の茶番劇」と揶揄されたパス回しにお付き合いしてくれたチームとしても知られている。
1970年代半ばから80年代前半に黄金期が到来した後は、低迷期が続いており、1989年に民主化して以降は各年代に優れた選手を擁しながらも国際舞台で目立った成績を残せていない。
日本人と似た真面目で勤勉な国民性らしく堅実でハードワークを厭わないスタイルが特徴となっている。伝統的に堅守速攻のチームであり、チーム全体で守り、素早いサイドアタックから最後は前線の決定力で勝負をする。
初試合は1921年。FIFAワールドカップには、第3回の1938 FIFAワールドカップ・フランス大会が初出場となった。この年は翌年にナチスドイツによるポーランド侵攻がおこなわれる前年という逼迫した情勢であり、1回戦でブラジルに5-6で敗れている。
以降、国際大会に出場できない期間が続いたが、1970年代に黄金期が到来。グジェゴシ・ラトー、カジミエシュ・デイナ、ロベルト・ガドハという攻撃陣を擁すると、1972年のミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得。1年後の1974年ワールドカップ欧州予選ではウェンブリーでの最終戦でイングランドを敗退に追い込み、1938年大会以来2度目の出場を勝ち取る。
36年ぶりの出場となった1974 FIFAワールドカップ・西ドイツ大会ではスピードあふれる攻撃サッカーを披露し、快進撃を見せる。イタリア、アルゼンチンと同居する1次リーグを3戦全勝の1位で突破し、2次リーグでは地元西ドイツに敗れはしたが堂々の2位で通過。3位決定戦でラト―のゴールでブラジルを破り、3位に上り詰める快挙を達成。7得点を記録したラト―は大会得点王の座を手にする。
1976年のモントリオールオリンピックでは連覇は逃したが、銀メダルを獲得。1978 FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会では1次リーグで前回優勝国の西ドイツを上回り1位で通過したが、2次リーグを3位で終え、2次リーグ敗退に終わった。
黄金期の集大成となったであろう1982 FIFAワールドカップ・スペイン大会では、スビグニェフ・ボニエクが台頭し、再び旋風を起こす。1次リーグを首位で通過すると、2次リーグもベルギー戦でのボニエクのハットトリックもあり首位通過。準決勝でイタリアに敗れたが、3位決定戦でフランスを破り、再び3位に輝いた。4大会連続での出場となった1986 FIFAワールドカップ・メキシコ大会は、ラウンド16でブラジルに敗れ、ベスト16止まりとなった。
ラト―、ボニエクという巨星がいなくなった1990年代になると低迷期を迎え、3大会連続でワールドカップ出場を逃している。2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では、ナイジェリアから帰化したエマヌエル・オリサデベを擁し、首位で欧州予選を突破し16年ぶりに本大会へ出場。しかし、アメリカに1勝したものの、最初の2試合に連敗し早々とグループリーグ敗退が決まる。
2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会には2大会連続で出場するが、4年前と同じく第3戦でコスタリア相手に1勝はしたが、最初の2試合で連敗しグループリーグ敗退。これまで不思議と縁が無かったUEFA欧州選手権にはEURO2008でようやく初出場を果たすが、1勝も挙げることができずに敗退。2010 FIFAワールドカップは欧州予選で敗退となる。
自国開催となったEURO2012では、ボルシア・ドルトムントの連覇に貢献したロベルト・レバンドフスキ、ヤクブ・ブワシュチコフスキ、ウカシュ・ピシュチェクといったタレントが台頭し躍進が期待されたが、結果は組み合わせに恵まれながらも1勝も挙げられずにグループリーグ敗退に終わる。2014 FIFAワールドカップ欧州予選ではレバンドフスキがブレーキとなってしまい、2大会連続で予選敗退。
EURO2016では3大会連続で本大会に出場。グループリーグ初戦で北アイルランドで大会初勝利を飾り、2勝1分でグループリーグを2位で突破。ラウンド16ではPK戦の末にスイスに勝利し、ベスト8進出を果たす。準々決勝でもポルトガルとの死闘の末にまたもPK戦までもつれ込むが、敗れている。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会の欧州予選ではレバンドフスキの16得点を決める大活躍によって首位で3大会ぶりとなる本大会出場を果たす。このときFIFAランキングが7位にまで上昇したことで第1ポッドに入り本大会でも期待されたが、蓋を開けてみるとセネガル、コロンビア相手に連敗し早々とグループリーグ敗退が決定。第3戦の日本戦には勝利はしたが、期待外れに終わったことは否めなかった。EURO2020でも、レバンドフスキの孤軍奮闘も空しく1分2敗という低調な結果に終わる。
2大会連続で本大会出場となった2022 FIFAワールドカップ・カタール大会では、初戦でメキシコ相手に引き分け、第2戦のサウジアラビア戦ではレバンドフスキに待望のワールドカップ初ゴールが生まれて勝利。続くアルゼンチン戦には敗れたが、得失点差でメキシコを上回りグループ2位で1986年大会以来となるグループリーグ突破を果たす。ラウンド16のフランス戦ではキリアン・エムバペとオリヴィエ・ジルーにゴールを決められ、1-3で敗戦。結局大きなインパクトは残せなかった。
ワールドカップ後、前ポルトガル代表監督のフェルナンド・サントスを監督として招聘するもEURO2024予選で苦戦を強いられ、解任。監督交代後にプレーオフの末で本大会に出場する。
太字はワールドカップで指揮を執った監督。国旗が付いているのは外国人監督。
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掲示板
1 ななしのよっしん
2015/12/05(土) 00:06:32 ID: AB7Py87qiX
右SB以外のDFがしっかりすればEURO16でも上位進出できそう
中盤から前は本当に良い選手揃ってるよ
2 ななしのよっしん
2018/06/25(月) 07:25:24 ID: AGCUsR/Fft
W杯2018はシード国でありながら2戦で敗退確定という屈辱を味わう羽目になるとはね・・・
3 ななしのよっしん
2018/06/30(土) 09:21:29 ID: 0xhar0XsoK
日本から1勝出来て良かったですね。日本の事情でケチが付いてあれでしたが。
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最終更新:2024/04/19(金) 05:00
最終更新:2024/04/19(金) 05:00
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