サニーブライアン単語

サニーブライアン

7.2千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

それこそが事実

受け入れがたい結果や
思いがけない敗戦に
言い訳を探していないか
運がなかったとか
これは何かの間違いだとか

間違っていたのは君だ
相手を見くびっていたのだ
認めればいいじゃないか
ただ単純な事実として
アイツが強かったのだと

JRA「名馬の肖像」サニーブライアンexit

サニーブライアン(1994年4月23日生~2011年3月3日)とは、日本競走馬種牡馬1997年二冠馬である。どころか騎手まで人気薄だったことで有名

中尾治厩舎所属、騎手大西直宏称は『サニブ』。馬主浦和競馬で大馬主だった経歴を持つ宮崎守保氏。ナリタブライアン名が似ているが別の馬主有馬なので関係。こちらは『サニー』の冠名を用いている。

※当記事は、サニーブライアンの活躍した時代の表記に合わせて、年齢旧表記(現表記+1歳)で表記します。

な勝ち
1997年:皐月賞(GI)、東京優駿(GI)

1997年:JRA賞最優秀4歳

3・4歳 ~若葉ステークス:無名からの始まり

*ブライアンズタイムサニースイフト*スイフトスワロー。……「スイフトスワロー」の名に鋭く反応したあなたはダビスタやってましたね。

種付け料が下がる傾向が強い産駒デビュー直前の配合とはいえ、期待の一頭として輸入された*ブライアンズタイムを中小牧場である下ファームが配合したということは、期待されていたであろう。ただしこれはあくまで下ファーム基準の話であり、大牧場基準での話ならナリタブライアンの活躍で一躍脚を浴びた*ブライアンズタイム以外は普通程度の血統にすぎない。

ダービーメリーナイスには手にちぎられたものの2着に入ったサニースワローの全。このサニースワロー騎手が、後に本騎手にもなる大西直宏であった。

ちなみに現実での*スイフトスワローはというと、良血ながら調教中の故障で未出走のまま引退したである。ノーザンダンサー系によくある「の特徴を出す」のとおり、アリシドンの重厚なスタミナパワーを表に出す種牡馬となり、芝ではサニースワローレオテンザン、ダートではスイフトセイダイやチヤンピオンスターを輩出するなど未出走のの割には中々の成功を収めている。

新馬戦ではウイニングチケットの全スカラシップが1番人気、本は3番人気だったが、スカラシップに2身半差をつけて逃げ切り、おお? これは? と思わせたのも束の間、続く4戦を走してしまう。年明けからジュニアカップに勝ち、弥生賞(GII)ではランニングゲイルオースミサンデーに続く3着に入るものの、何故か連闘した若葉ステークスでは4着であった。

4歳 ~皐月賞:フロックの一冠?

この時点でのサニーブライアンは皐月賞までに8戦も走って2勝ということで、皐月賞ではが薄かった。人気はランニングゲイルメジロブライトという父内国産馬の雄を筆頭にヒダカブライアンオースミサンデーあたりがそれに続く形となっていた。メジロライアンの初年度産駒かしいデビューを飾った一方で、この年は*サンデーサイレンス産駒が不作であり、皐月賞まであと2ヶというところでデビューしたサイレンススズカが突如大注を集め弥生賞で盛大に散る、という具合であった。その代わりと言うべきか*ブライアンズタイム産駒が5頭も出走してきていたが、3番人気のヒダカブライアン以外は本含めいずれも人気薄である。

この年、中山馬場はあまり良くなく、人気は差しばかり。「うーん、これは前残りがあるなあ」と思ったファンがいたことも事実である。しかしながら、はっきり逃げそうなが見当たらなかった。競馬雑誌に「サニーブライアン逃げ宣言!」とでも大きく出ていたらもしかしたら買った人も増えたかもしれないが、サニーブライアンはマジ無視されており、ほとんど何の情報もなかったのだ。

そしてサニーブライアンの上は大西直宏。この人は腕は良いのだが無口で、立たなかった。地味だからメディアに取り上げられなくてファンの認知が薄いというレベルではなく、寡黙すぎて営業が下手すぎ、トレセンでも腕は悪くないと評価されながら騎乗が全く回ってこない、という状況で、引退の話が出始めるくらい騎乗の依頼が少なくなっていた。せっかく皐月賞に出走するのだから、もっと有名で成績の出ている騎手に乗り変わればいいのにという話もあったそうなのだが、これは馬主が「サニースワローの時からお世話になっている大西騎手を乗り替わらせるなんてとんでもない!」と言ったことで取りやめになったそうな。

騎手も本当にまったくのノーマークであったこのコンビが、史上稀に見る大番狂わせを演じるのである。

大西騎手弥生賞若葉ステークスでの走りから、「サニーブライアンは切れ味に欠けるがバテて失速することがない。スタートがやや下手だが多少強引にでも逃げさせたほうがいい」という結論を下しており、包まれ難く、多少出負けしても強引にハナを切りやすい大外に当たって密かに喜んでいたらしい。もちろん、もそんな事は知らなかったわけだが。

その皐月賞大西騎手は狙い通りサニーブライアンを先行させることに成功する。いきなり同じ人気薄のテイエムキングオーが引っ掛かって競りかけてくるハプニングがあり逃げることこそかなわなかったが、サニーブライアンはそれに動揺することなく完璧な折り合いでテイエムキングオーの後ろにつけ、勝手にバテたテイエムキングオーを々3コーナーで先頭に立つ。ペーススローだがよどみがペースで、明らかに先行有利な展開。というか、サニーブライアンが先頭に立ったあたりで、人気馬券を持っていた連中は発狂寸前だったに違いない。サニーブライアンの手ごたえがあまりにも良かったから。

4コーナーを綺麗に回って思い切り差を開くサニーブライアン。人気はみんな群の中。最後の最後で脚が止まりかかったサニーブライアンにシルクライトニング以下が襲い掛かったもののもう遅い。まんまとサニーブライアンは逃げ切りに成功したのだった。

この時、本は11番人気という人気薄で、単勝は5180円。更には2着のシルクライトニングは10番人気馬連51790円もついた。大西騎手はこれがGI初制覇。というより、重賞自体もアラブ重賞を1勝しただけでサラブレッド重賞は初めて。それどころかこの皐月賞勝利がこの年の大西騎手の3勝である(そのうち2勝はサニーブライアンでの勝ちである)。しかしながら、あんな上手い騎手がどこに隠れていたのか? とみんなが首を傾げた好騎乗だった。

4歳 ~日本ダービー:フロックでも何でもない!

それにしても皐月賞は見事な逃げ切りで、あまりに見事すぎるせいでファンは「まんまと逃げ切りやがって!」と思ってしまったのである。直線の長い府中ではああは行かないぞと。

しかもレース直後から大西騎手営は「ダービー逃げる」と言いまくっていた。しかも「ダービーもいただき」みたいな口調で吹きまくっていたため、ファンマスコミは笑っていた。「どうやら思わぬ勝利に浮かれているらしいなw」と。しかもサニーブライアンは勝利に蹴られるという事を起こしており、「未勝利ごときに蹴られるとか情けねーw」とか思われていた。「うんうん。ダービー逃げればいいじゃない。でも、そう上手い話は何度も続かないよ」というところであろう。

しかし、その苦笑は本番で凍りつくことになる。なぜなら、大西騎手は既に冷静にダービーのための綿密な計画を密かに立てていたのだから。

大西騎手日本ダービーにおいてサニーブライアンの難敵となると見ていたは2頭だという。それは条件戦からとてつもないスピードを発揮し、サニーブライアンのペースを乱しかねない逃げサイレンススズカと、若ステークスで「ワープ」と称される程の脚を披露して快勝した、せっかく大西騎手が自分のペースレースを作り上げてもそれをひっくり返しかねない追い込みシルクジャスティスである。そのため、まず「逃げ」を底的に強調してサイレンススズカ営をけん制し、そして自分達が浮かれていると「勘違いさせる」ことでシルクジャスティス営のマークメジロブライトらに向けさせ、仕掛けを遅れさせることに成功していたのである。

そして日本ダービー順抽選。皐月賞と同じ理由で大外希望していた。そして引いた番号を見た大西騎手は思わずその番号を叫んだという。その番号「18番」希望通りの大外に間違いなかった。まあ、他の営やファン達は「逃げに不利な大外でご愁傷様」と思ったのであるが。

ちなみに、サニーブライアンは本番直前の調教では当時かなり強かった外国産馬スピードワールドぶっちぎる調子の良さを見せていた。おまけに、本番のパドックではなんか皐月賞時の線の細さとは大違いの、ビシッとした体で歩いていた。ついでに大西騎手ダービー前日に四暗刻緑一色ダブル役満を上がって絶好調だった。

なのに7番人気(実際には上位人気シルクライトニングが競走除外のため6番人気に繰り上がり)。1番人気ダービーに惜敗していた人気メジロライアン息子メジロブライトに譲るのはまだしもトライアルホースとはいえジュニアカップで下しているトキエクセレントや皐月賞2着のシルクライトニングよりも人気薄というから尋常ではない。はっきり言ってこんなに人気のない皐月賞は前代未聞である。しかし、大西騎手人気など関係なかった。

レーススタートすると、大外からサニーブライアンが吹っ飛んでいった。その気合を見て、同じ逃げサイレンススズカは控えた。競りかけても譲ってくれそうにかったからだ。実際には「スズカが競りかけてきたら控えろ」という示があったことなど知る由もなく。サニーブライアンはあっさりと自分のペースに持ち込んでしまったのである。

サニーブライアンの最大の利点は折り合いで、スタートで押して一気にハナを奪ったのに、次の間にはあっさり落ち着いて大西騎手示に完璧に従うのである。ダービーでも2コーナーを回る時にはもうサニーブライアンのペースになってしまっていた。

サイレンススズカ以下先行は掛り気味、相変わらず後方に固まる人気は当初の狙い通りけん制しあって動かない。なんか皐月賞より全然気持ち良さそうに走っているサニーブライアン。でもどのをつけに行かない。彼の存在は他の騎手ファンからは「消えていた」。どのくらい「消えていた」かというと、実況が4コーナーでサニーブライアンを無視して「2番手はフジマビザン」と実況するレベルこの時点でもう勝負ありである。騎手の中で一気づいていた安田富男騎手はよりによってお手シルクライトニングの除外でレースに参加出来ていないのだから皮というほかない。

々と4コーナーを回ったサニーブライアンに後続が襲い掛かるが、サニーブライアンは余裕十分。引き付けるだけ引き付けてから大西騎手がゴーサインを出すと、バテた先行からポーンと5身くらい離してしまった。そしてそこからは切れ味はないけどバテないサニーブライアンの頂。メジロブライトマークして仕掛け、メジロブライトごと「群」を差し切ったシルクジャスティス上の藤田騎手は「群」の先頭に出た間、そこがダービー勝利ではなかったことに驚愕したに違いない。

先頭は、残り200、坂を上って、サニーブライアン先頭! サニーブライアン先頭だ!外からシルクジャスティスシルクジャスティス、間を割ってランニングゲイルも来た!
サニーブライアンだ! サニーブライアンだ!

これはもう! フロックでも! 何でもない!
二冠達成!!

サニーブライアン堂々と、二冠達成です!
勝ちタイムは2分259、あがりの3ハロンは351!

この上がりでは、後ろのは届かない!!

フジテレビ 三宅正治アナウンサー

結局1身差でダービーまで「逃げ切ってしまった」のである。ちなみに、2着のシルクジャスティスは暮れの有馬記念を。3着のメジロブライトは翌年の天皇賞春を勝っている。本格化前とはいえ、菊花賞マチカネフクキタル伝説逃げサイレンススズカもいた。たしかに、フロックで勝つには相手が強過ぎるだろう。

逃げ切りでの二冠達成。そのあまりにも強いレース振りに、勝たれてからしもが「ああ、この、相当強いわ! 流石皐月賞だった!」とびっくりしたダービーだった。

皐月賞の時も「最後の直線長いなぁ」というお話でしたが、今日府中の最後の直線いかがでしたか?
……うぅん……中山より短く感じたかもしんない、うん

(正直、皐月賞で勝った……割には評価が今一つだったかなというのは、大西さん自身どんなに感じてましたか?)
いや別に評価はどうでもいいですよ。……だから、一番、あの……走る前に、それも聞かれたんですけど。まぁ一番人気は、いらないから、一着だけ欲しいと……。思って、ました……

大西直宏

大西騎手はもちろんダービー初制覇。なんとダービーに乗るのはこれが二度だった。それどころか、生産牧場調教師馬主すべてが、大西騎手が前回乗って2着に突っ込んだサニースワロー以来のダービーであった。大西騎手は「みんなダービーは連対率100%なんです」と笑った。

その後

3000でも今日のように逃げますか?)
逃げます(即答)

(これまで大西さんを支えてくれた皆さんに一言お願いします)
今まで、応援ありがとうございました、えぇ。またには、えー最終決戦が残ってますので、また、応援よろしくお願いします!

大西直宏

口数も少なく、言葉を選んできた大西騎手が迷いなく放った逃げ宣言。こうしてサニーブライアンは「三冠ももしや?」と言われたのであるが、ダービー直後に骨折が判明。その後、屈腱炎を発症して引退してしまった。結局、そのの強さは分からぬままであった。

いところの鹿毛で、体も小さく、見栄えはしなかった。ただ、バランスが良い体で、気性も素直。すんなり先行して折り合うレースが出来るこのの脚質と、人気が後方待機に偏っていたこの年のクラシックの状況が嵌っていたということは確かであろう。そしてそこに、も知らなかった大西騎手の策謀と度胸と気迫溢れる好騎乗が組み合わさった時、史上稀に見る「人気薄の二冠馬」が誕生したのである。いろんな意味で競馬の恐ろしさと面さをファンに知らしめたクラシック。この菊花賞に出て「逃げ切ってしまう」ところを見たいと思い、そしてそれがわぬと知ったファンの心たるや……。

この後、大西騎手はその騎乗技術が見直され、ローカルでの騎乗がメインとはいえ大幅に騎乗依頼が増えた。特に福島競馬場でのまくり技術は他の騎手から恐れられたという(大西騎手は実はあまり逃げが得意ではなかったらしい)。この後再びの日本ダービー騎乗はかなわなかったが、カルストンライトオスプリンターズSを制するなど重賞での勝利も重ね、デビューから1997年までの約20年での勝ち数が200勝程度だったのに対し、1997年から2006年12月引退までの約10年間で300勝程度を稼いでいた。

サニーブライアンは引退後は種牡馬になり、優秀な勝ち上がり率を記録していたのだが、の質の関係から大物はついに出ず、2007年種牡馬引退2011年死亡した。

戦線に進めなかったことで、今なおその強さの評価は分かれるところがあるであるが、ノーリーズンやヴィクトリーといった人気薄で皐月賞を制したダービーで沈んだり、ダービー逃げて勝とうとして果たせなかった達を見るたび「ああ、やっぱりサニーブライアンって本当に強かったんだな」と思うファンは少なくないはずだ。あれから20年以上の時が経つが、サニーブライアン以降、ダービー逃げ切ったは現れていない。

敢然と逃げて二冠を制したその勇姿が忘れられることはいだろう。

血統表

*ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale
サニースイフト
1988 鹿毛
FNo.1-l
*スイフトスワロー
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Homeward Bound Alycidon
Sabie River
サニーロマン
1974 鹿毛
*ファバー Princely Gift
Spring Offensive
ファイナルイン *ファイナルスコア
ツキカワ
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 5×5(6.25%)

主な産駒

関連動画

関連商品

 

関連コミュニティ

関連項目

外部リンク

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

急上昇ワード改

最終更新:2024/03/29(金) 22:00

ほめられた記事

最終更新:2024/03/29(金) 22:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP