サモ・ハン・キンポー(Sammo Hung Kam-bo)とは、デブゴンこと元祖・動けるデブにして中国映画界の大物俳優・監督である。出演作品の日本語吹き替え版の声優は水島裕が務めている。
1952年1月7日生まれで香港出身。
本名は洪金寶(フン・カンポウ、広東語ピンイン: Hung4 Gam1-bou2)。ニックネームのサモ(三毛、Sam1-mou4, サーンモウ)の由来は諸説あり、生まれた時に毛が三本(三毛=サモ)生えていたからという説や、現在でも中国で人気のある漫画『三毛流浪記』の主人公から採ったという説もある(ただ前者は命名時期を考えると少々怪しい)。
欧米向けには1998年のハリウッド進出以来、サモ・ハン・カンボー(英語読み)改めサモ・ハン(Sammo Hung)名義で活躍しているが、日本では現在でも旧名にちなんだサモ・ハン・キンポーで呼ばれている。
日本ではジャッキー・チェンより知名度で劣るものの本国での社会的な格はジャッキーより上で、今でもなお中国映画界の大御所として各方面で活躍し、地元香港では大哥大(ターイ・コー・ターイ、Dai Goh Dai/Daai6 go1 daai6, 「大アニキ」)と呼ばれ敬愛されている(対してジャッキーの方は大哥(ターイ・コー、「アニキ」)と大が少ない。まあもちろん大には「デカい(プロポーション的な意味で)」という含意もあるが)。
太っているが身体能力はピカイチで宙返りも楽々こなす。また自身がデブであり特にイケメンでもなく3枚目であるということをしっかりと把握しており、それらを逆手にとってカッコいい役にはあまりつかずコミカルな役をすることが多い。がやはり戦う姿は非常にカッコよく決まっており、ぽっちゃりした見た目とアクションシーンでのカッコよさのギャップが相まって高い人気を誇る。
近年は年齢的なこともありいわゆる師匠ポジションにつくこともあるが、現役で主演をこなすことも多い。
少年時代は親が共働きのため祖父母のもとで育てられていたが、その環境が悪影響を及ぼしたのかやんちゃで喧嘩早く手に負えない少年に育ってしまった。
10歳の頃に見かねた祖母の判断で中国のかつての名門・中国戯劇学院への入学を勧められる。
学校サイドからは“自由で楽しい学校である”という風な説明受けたために入学を決意。
が、実際はそんな甘い場所ではなく1日12時間の訓練に2時間の勉強、睡眠時間は5時間以下、自由時間・休日なしという非常に厳しい地獄のような訓練を8年間受ける。
学校内では朱元龍(チュー・ユエンロン、Chu Yuen-lung, 中国語ピンイン: Zhu1 Yuan2-long2)という名前を与えられ入学直後から映画に子役としてちょくちょく出演するようになる。(この時に『大小黄天覇』で同門のジャッキーと初共演している。)
年を重ねるとジャッキー・チェンやユン・ピョウといった後輩が入ってくるが、ことごとくいじめ倒していた。このいじめに関してはこの学校のある種伝統のような側面もあり、学生間での上下関係は絶対であった、また上級生がいじめて後輩をしごかなければ学校の教員がもっと酷いしごきを後輩達にするため必要悪でもあった。
メキメキと力を付け学内でもエリート中のエリートである“七小福”のメンバーに最年長で選抜され更なる活躍をする。
ある時怪我で重傷を負ってしまい入院を余儀なくされる。もちろん訓練は当然中断することになったが、食事量は変わらなかった、というか暴飲暴食を続けた。
よって退院する頃にはそこそこに太ってしまい、当然学校からは激怒され七小福からは外されてしまう。この屈辱を悔しみ本来は10年コースであったが8年で卒業させてもらうように学校側に申請(実質の退学)。
太ったものの身体能力はほとんど衰えていなかったため、それを武器に社会に打って出ることを決意。
かつては中国一の娯楽であった京劇も年々映画の方に時代が流れ、彼が18歳になって学校を出る頃には客足が少なくなっていた。そこで何と彼は発想を逆転し、映画に京劇の技術を持ちこむことにしたのである。
映画関係の仕事の中でも取り分け肉体を使う仕事であるスタントマン業に目を付け、学院の先輩などのコネも利用し、仕事をかき集め次々とこなす。サモというニックネームはこの時期に付けられた。
ゴールデンハーベストと言う映画会社と契約を結び武術指導としての地位を与えられ、その関係で当時のゴールデンハーベストで一番の俳優にして世界的大物スターのブルース・リーと出会うことになる。
徐々にスタントマンだけでなく映画のわき役もこなすようになり、着実に映画俳優としての力をつける。
この頃は京劇が一気に下落し京劇役者が大量に映画に流入し人材が飽和。早めに社会に出ていたサモはともかく後輩のジャッキー・チェン及びその後輩たちはその影響を受け完全に埋もれていた。
そのためサモが仕事の世話をすることがあり、あの有名な『ドラゴン怒りの鉄拳』のラストのスタント業をジャッキーに紹介してジャッキーも一躍スタントマンとして脚光を浴びる助けを行なう。
自身もブルース・リーの代表作『燃えよドラゴン』に出演の声が掛かり、なんとブルース・リーと映画の序盤で1対1で戦うという大役を引き受ける。この燃えよドラゴンには先述のスタントでブルース・リーに気に入られたジャッキー・チェンや学校を卒業したてのユン・ピョウもモブ役で出演しており、後ほど幾度となく共演し大成功を収める黄金トリオの3人そろっての初共演作となっている。
見事に順風満帆であったが、ブルース・リーの急逝で状況は一変。
サモ達やカンフー映画界どころかその影響は中国映画全体を揺るがし世界中に波紋が広がり、燃え上がっていた中国映画界の熱が一気に冷めてしまった。
カンフー映画を一人で支えていたカリスマを失った影響でサモにも強烈な不景気の波が押し寄せるが、会社の方針もあり亡きブルースを意識した映画の『少林寺怒りの鉄拳』の主演兼映画監督を任されるが、かつてほどのヒットはやはり得られなかった。
しかしこれによりゴールデンハーベストが切り札として温存していたブルース・リーの作成途中の遺作『死亡遊戯』の武術指導に指名される。
ブルース・リーの影武者を二人用意し、かつての映画のリーのシーンの切りぬき、リーが死亡遊戯用に撮影した全てのフィルムをうまく活用し映画を完成させる。
世界的なヒットにはならなかったものの中国や日本で大ヒットした。
その後サモが自身のキャラを熟考し、太っているアクションスターというのが滑稽でありこれは他にはないオリジナルであると見極め、伝説の『燃えよデブゴン』を社会にぶつける(ちなみに原題および英題は肥龍過江、 Enter the Fat Dragon であり、敬愛するブルース・リーへのオマージュに満ち溢れた作品である)。
時を同じくしてカンフーコメディの分野にジャッキー・チェンが挑戦していたことも相まって、『燃えよデブゴン』は大ヒットし海外でも高く評価されるようになった。もちろん日本でも一大ブームを巻き起こし、サモが「動けるデブ」と評されるようになったのはこの作品からであるが、この作品以降彼の主演作品は配給会社の意向により尽く『燃えよデブゴン』シリーズということにされてしまい、サモの役名も全て「デブゴン」になってしまうという珍妙な事態を生んだ。
そしてこの頃一気に太った。
これによりカンフー映画はブルースショックを脱却し新時代を迎えることになる。
ある時ハリウッド進出に失敗したジャッキーや未だに大きく芽が出ないユンピョウをついでに誘い『五福星』の撮影に取りかかる。充実したコメディ要素に豪華な俳優をびっしり揃え洗練されたアクションシーンを繰り広げ、見事大ヒットを記録し、これが黄金トリオの原点となる。
『プロジェクトA』や『スパルタンX』、『大福星』、『七福星』と三人で仕事をこなす傍ら、キョンシーを主軸に据えた中華製ホラー映画にカンフーを盛り込んだり、とにかく中国の名のあるアクションスターをかき集めた“上海エクスプレス”の製作、自身の七小福時代の経験を元にした『七小福 夢に生きた子供達』を製作する等様々なチャレンジも行い、いずれも大ヒットとなった。
この頃にはアクション映画界に日本人の参入も多く西脇美智子や倉田保昭、松井哲也、大島由加里等と共演している。
仕事は非常に充実していたが黄金トリオの皆が一人で充分大ヒットを放てる人物になったため黄金トリオは一時決裂、ユンピョウやジャッキーのどちらか一人と共演することはあっても3人揃うことは『サイクロンZ』までなかった。
特にジャッキーとは個性がお互いに強いため、あまり仲が良くなくてユンピョウとの共演の方が多かった。
1990年代に入り自身も40歳を目前とした頃には数多くの若手で実力派俳優が増えてきており、世代交代を余儀なくされる。
自身の製作する映画もやや世間のニーズから外れてしまい不振が続き、更には長年一緒に暮らしてきた妻とも離婚してしまうなど寂しい生活になる。対するライバルのジャッキー・チェンは『ポリスストーリー』シリーズが大ヒットし20周年記念に『酔拳2』を撮影し大ヒット、それらを武器にハリウッド進出成功と今までとは完全に順位が逆転してしまった。
しかし渡米したジャッキーとその流れに乗ってハリウッド進出したジェット・リーの影響でハリウッドでカンフーブームが着火し誰もが知るSF大作である『マトリックス』が製作され、一気にその火は全米どころか世界中にまで広がり、往年のカンフースターや撮影スタッフがハリウッドにかき集められた。
長年に渡ってカンフー映画業界を支えてきたサモも当然アメリカに呼ばれてアメリカに進出。映画では監督や武術指導を務めて、更にテレビドラマの主演の座を獲得し2年間にわたって活躍し、かつてブルース・リーと死闘を繰り広げた元祖オヤジアクションスターのチャック・ノリスとも共演。
ジャッキーとも数年ぶりに共演し『ナイスガイ』の監督兼カメオ出演し、『80デイズ』では16年ぶりの共闘を見せた。
また岡村隆史主演の『無問題』にもカメオ出演し日本でも大きく話題を呼んだ。
近年では再びホームグラウンドである香港に戻り再びヒット作をいくつも放出している。
イップマン序章では、ラスボスのMUR閣下役を務める池内博之に指導を行い、続編のイップマン2では実際に出演。ドニー・イェンとの二度の戦いは非常に完成度が高く大好評である。
最近では日本の「黒烏龍茶」のCMに出演し、カンフー映画を見ない人たちの間でも広く顔が知られるようになった。
2014年、ドバイのアルクォズスプリント(G1 - 芝1000m)にて、サモが馬主である「アンバースカイ」が勝利。
見事、ドバイG1制覇の馬主となった。
掲示板
24 ななしのよっしん
2017/09/06(水) 05:27:26 ID: qW1WayahaV
21世紀に入ってからもジャッキーは「80デイズ」でサモハンと「プロジェクトBB」でユン・ピョウと共演してるし
また3人が1つの作品で共演しないかな
25 ななしのよっしん
2018/01/24(水) 01:34:24 ID: l+TF8Ylf9k
近年はさすがに足技はローぐらいしか出さんが手技と足運びはキレてるし動演やりまくった経験か画面作りが抜群だからちゃんと強そうに撮れてるのはさすが
おじいちゃんはデブゴンはむしろロシア系の役者アクション頑張れよと思った
自前のスタントチームとやる無双シーンはメチャクチャかっこよかった
26 ななしのよっしん
2019/08/23(金) 01:45:08 ID: xt1TO8d70E
今現在サモハンの政治的な立場は、香港デモ隊側なのか中国共産党側なのか
どっちなんだろう?
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最終更新:2023/06/10(土) 00:00
最終更新:2023/06/10(土) 00:00
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