サンロッカーズ渋谷とは、東京都渋谷区を本拠地とするバスケットボールクラブ、及びBリーグに所属するプロバスケットボールチームである。
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2016年のBリーグ開幕を契機に誕生したバスケットボールクラブである。
愛称の「サンロッカーズ(Sun Rockers)」は、"太陽(リング)を揺らす激しいダンクを狙い撃つ集団"という思いを込めて付けられている。また、"ダンクは選手と応援してくれるファンを一体にさせるプレー"であり、"バスケットボールの勝負を決するリングに向ってアグレッシブに攻め続ける"としている。
2017年8月1日付で、正式名称が『日立サンロッカーズ東京・渋谷』から現名称に変更された。呼称のほうに統一される形となった。
トップチームの兄弟チームとして、茨城県日立市をホームタウンとする実業団チーム『日立金属ブルドッグス』(関東実業団リーグ所属)がある。ちなみにNBDL(ナショナル・バスケットボール・デペロップメント・リーグ)に再編される前の日本バスケットボールリーグ2部機構(JBL2)に所属していた。
余談だが、日立製作所には女子チームが2チームあった。一つは2002年に解散し神奈川県横浜市を本拠地としていた日立製作所戸塚工場のチーム『日立戸塚レパード』、そしてもう一つは山梨県甲府市を本拠地としている『山梨クィーンビーズ』(WJBL所属)の前身である日立製作所甲府工場(後のルネサンスエレクトロニクス甲府事業所。閉鎖済)のチーム『日立甲府女子バスケットボール部』である。
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トップチームは元々、東京都をフランチャイズとする日立製作所本社の実業団チーム『日立本社ライジングサン(HITACHI Rising Sun)』と大阪府をフランチャイズとする同関西支社の実業団チーム『日立大阪ヘリオス(HITACHI OSAKA Helios)』の2チームの統合で誕生した。その為、当時の実業団チームとしては比較的新しいチームであった。
1935年創設のライジングサンは全日本実業団バスケットボール競技大会出場回数14回中優勝3回という成績であり、そこから21年遅く誕生した1956年創設のヘリオスは同大会出場回数24回中優勝3回という成績であった。また、どちらもフランチャイズとする地域を代表するチームであり、1998-1999年シーズンの日本リーグ(JBL)ではついに、互いに1部に在籍することが実現した。
しかしJBA主導によるJBLのプロ化に向けて対応する為に、会社が出した結論は「統合」であった。
JBLスーパーリーグ以降、実業団ながらも統合で誕生したこのチームがプロ契約の選手を多く在籍させてきたのは、ある意味そういうことであったとも言えそうだ。
2016-2017年シーズンから渋谷区の青山学院大学内の施設『青山学院記念館』がホームアリーナとなる。
これは渋谷区をサンロッカーズのバスケットボールの活動拠点とすることで、次世代を担う子供たちに夢や希望を与え、地元企業や渋谷区民と一体となったチーム運営を行いながら、地域貢献、活性化をすることで渋谷地区に新しい文化をバスケットボールで根付かせていたいとの考えに青山学院大学が賛同した為。
元々渋谷区としては「バスケ通り」を作るなど、渋谷でのバスケットボール文化の定着を推し進めている。だが現実は認知度が全く高くなっていない上に文化が定着しているとは言えない。その為、この実現は渋谷区にとってはある意味「渡りに船」である。ちなみにホームタウンのチームではないが、渋谷区内にメインのホームアリーナ(※国立代々木競技場第二体育館)があるアルバルク東京(※ホームタウンは府中市)の存在もあるので、渋谷区としてはこの2チームの存在をうまく活かして、「渋谷=バスケ」のイメージ定着・文化定着を一日も早く実現したいところである。
そう言って「本番中は厳しいかもしれないが、開幕前などに"ドリームチーム(アメリカ男子代表)"に足を運んでもらい、バスケ通りにじゅうたんを敷いて、我々が先陣切ってパレードしたいね」と壮大な構想を明かした。
スポーツナビの動画一覧でも観てろ。(訳:当チームのは全くない。誰か投稿して差し上げろ。)
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最終更新:2024/04/25(木) 22:00
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