ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923年8月26日-2013年2月22日)はドイツの指揮者・ピアニスト。
幼少期からピアノ、作曲を学び、指揮をハンス・ロスバウトに師事する。1947年にアウクスブルク市立歌劇場でフンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」で指揮者デビュー。またピアニストとしても、主にリートの伴奏者として活動を開始する。1971年からはバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任。退任後はフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任した。古典派・ロマン派から近代までのドイツ音楽の正統派・王道とも言うべき曲目をレパートリーとしているが、とりわけシューベルトやメンデルスゾーン、シューマン、リヒャルト・シュトラウスなどロマン派作品の演奏が名高い。2013年2月22日、バイエルン州の自宅で死去。
NHK交響楽団への関わりなどから、日本のクラシック・ファンからは高い人気を得たが、楽壇の評価は残念ながら高いとは言い難い。色々な理由が考えられるが、一つ目にウィーン・フィルやベルリン・フィル、メトロポリタン歌劇場といった伝説的な団体での仕事に縁が無かったことが挙げられよう。また、レコーディングよりもライヴで真価を発揮するタイプなので、残されたディスクからはその熱気が伝わりにくい事も挙げられよう。更に日本の楽壇の特徴として声楽付き作品より交響曲が重視されること、これまた日本の楽壇の特徴であるが交響曲より協奏曲が格下に扱われることなどは、交響曲よりむしろオペラやコンチェルトの合わせにずば抜けた統率力を見せるサヴァリッシュの技量が評価されにくい原因となっている。残されたライヴ音源のCD化などによって、再評価の機運が高まる事が期待される。
1994年2月11日、フィラデルフィアが大雪に見舞われ、オーケストラ団員が会場に来られなくなった時、オーケストラ・パートをフルスコアを見ながら即興でピアノで弾き、ゲストらと共演した。徒歩で来られる全ての市民に無料で門を開くことを経営陣に提案し、大成功を収めた。このエピソードはフィラデルフィア管弦楽団の伝説的なコンサートの一つとして今でも語り継がれている。
2001年9月11日の米国同時テロが発生した際、ミュンヘンの自宅で休養していたが、すぐにフィラデルフィアに飛び、フィラデルフィア管弦楽団と一緒に追悼コンサートを開いた。「大変悲しくて苦しい時に、オーケストラみんなと一緒にいてあげたかった」と語っている。
1964年11月、NHK交響楽団の招聘で初来日以来、ほぼ毎年のように来日した。1967年以来名誉指揮者、1994年からは、同楽団桂冠名誉指揮者となった。サヴァリッシュは「日本の他のオーケストラとは共演したくない」と言うほどN響に惚れ込み、N響もまたサヴァリッシュに惚れ込んだゆえに長い蜜月の関係となった。 元N響コンサートマスターの徳永二男によると、バロック時代のコンチェルトのソリストを務めた際、カデンツァは自分で書くよう勧められ、自作のカデンツァで演奏したと言う。演奏者の自発性を重視するサヴァリッシュの姿勢がうかがえるエピソードと言えよう。 また同じく元N響コンサートマスターの堀正文はサヴァリッシュがN響に果たした役割を「初代音楽監督と呼んでいいと思う」と語っている。厳密には初代音楽監督はシャルル・デュトワなのだが、サヴァリッシュはN響にたいして初代音楽監督と呼ばれてもおかしくないほどの貢献をしたのだ、と言いたかったのだろう。
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最終更新:2026/08/18(火) 05:00
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