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シガー単語

シガー

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シガーとは、

  1. Cigar(英単)。葉巻タバコのこと。
  2. 1990年まれのアメリカ競走馬(りは1と同じくCigar)。第1回ドバイワールドカップ優勝や破の16連勝などで有名。
  3. アントン・シガー(Anton Chigurh)。映画ノーカントリー(No Country for Old Men)」に登場するハビエルバルデム演ずる殺し屋バルデムはこの役で2007年アカデミー助演男優賞を受賞した。

本項では2について述べる。

※煩雑化防止のため、競走名の「ステークス」は「S」、「ハンデキャップ」は「H」と略し、GI競走を赤字で表記し、GI競走はグレードを併記しないこととする。

出自

Palace Music(パレスミュージック)、Solar Slew(ソーラースルー)、Seattle Slew(シアトルスルー)という血統。

パレスミュージックは英ダービーを勝ったノーザンダンサー産駒The Minstrel(ザミンストレル)の子で、チャンピオンSを勝ち、ブリーダーズカップ(以下BC)マイルで2着がある[1]。シガー以外の代表産駒にジャパンカップトウカイテイオーの2着に入ったナチュラリズムがおり、日本でもリース供用されたことがある。

ソーラースルーは7戦未勝利で、系がアルゼンチンの土着系だったことからシガーを産んですぐに輸出されている。シガーの活躍後にアメリカに戻ってきたが、プエルトリコ最優秀3歳という凄いのかよく分からない受賞歴があるMulca(ムルカ)以外のきょうだいに立った活躍はいない。

シアトルスルーアメリカで史上初めて敗の三冠を達成した名であり、種としても大成功を収めている。詳細は個別記事を参照。

さて、このような血統構成の本は、競走馬産地としてはあまり流ではないメリーランド州でを所有したアレン・E・ポールソンによって生産され、アレックス・ハッシンガージュニア調教師に預けられた[2]マッチョな名が多いアメリカ競馬ではしくすらりとした脚の長いで、一見のように見えなくもない体だった。

ちなみにシガーの名の由来はりこそ同じだが葉巻タバコではなく、メキシコ湾にある航空チェックポイントの名前である。これはガルストリームエアロスペース社という航空機メーカーオーナーも務めていたためで、シガーの1歳年上で2歳にして欧州年度代表に選ばれるという快挙を成し遂げたアラジも同様だった。

前半生

3歳になり、同の偉大な先輩であるアラジ競馬場を去った約3ヶ後の1993年2月21日になって、シガーはようやくダート1200mのレースだったがデビューを迎えたが、ここは7着に敗戦。約2ヶ後の5月9日に同距離で迎えた2戦は6頭立ての4番人気と低評価だった上、出負けから必死に追って群に取り付くという競馬になったが最後はあっさり抜け出して勝ち上がった。

勝ち上がりこそダートだったものの、パワーに見えない上に系が芝向きの系統であったことから、以降は芝レースを中心に使われた。アメリカダート中心なので、シガーは一流路線から々に外れていったということになる。ついでに言えば三冠第一戦のケンタッキーダービーはシガーが勝ち上がる1週前に既に終わっている。

さて、初芝挑戦となったシガーはまず1700mの一般競走で4着。次走も逃げに届かず後ろからも差されての3着だったが、3戦では何頭かいる重賞から3kgほどのハンデを貰ったこともあり、直線入り口で先頭に立ってそのまま押し切り2勝となった。

しかし、ここからが連敗街道の始まりとなってしまう。次戦の1マイルの一般競走で2着、重賞初出走のアスコットH(GIII)は3着、11月のヴォランテH(GIII)も逃げを捉えられず2着。同ハリウッドダービー(1800m)は上位人気が総崩れとなった挙句、有の1頭だった2000ギニー2着Fatherland(ファザーランド)が故障で予後不良となるなど荒れたレースとなり、シガーも14頭中10番人気人気薄だったとはいえ何の見せ場もなく11着に大敗。
悪いことは重なるもので、レース後に膝に片が見つかり、長期休養となった。

休養中に名門のウィリアム・I・モット厩舎に転厩したシガーは8ヶの休養を経て1994年7月に復帰し、ここは逃げる競馬を試みたが、直線で失速し4着敗退。8月の次走は逃げるのをやめてこれまでの戦法だった好位追走に切り替えたが伸びがなく3着、後に戦騎手となるジェリー・ベイリー騎手を迎えて出走した9月の一般競走も直線で失速して7着。来日したこともある女性騎手のジュリークローン騎手を迎えた10月の一般競走でも、この年の二冠Tabasco Cat(タバスコキャット)を前走で破っていたUnaccounted For(アナカウティフォー)に突き放されて3着に敗れた。

芝で11戦もして僅か1勝。何の話にもならないレベルではなく一応善戦しているとはいえ、読む方も書く方もあくびが出るような戦績である。言い方は悪いが、この時点のシガーの戦績はどこにでも腐るほどいるようなのそれだった。
これには流石にモット調教師もうんざりしていたらしく、気分転換させてやろうとでも考えたのか、シガーの次走は12戦ぶりのダートとなり、10月28日ニューヨーク・アケダクト競馬場で行われる1マイルの一般競走に決定。騎手は現在でも活躍するマイクスミス騎手が休養明け2戦以来の騎乗となった。

断言しよう。これが後の大記録の始まりとなることなど、一人として予想だにしていなかった

火のついた「Cigar」

このレースで1番人気となったのは、9戦2勝で重賞には出走歴すらGolden Plover(ゴールデンプロヴァー)というで、シガーは6頭立ての3番人気だった。そのレベルに1番人気を奪われる辺り、当時のシガーの評価はお察しである。

ところがレースが始まると、シガーはスタートがあまり良くなかったにも関わらずハナを切ったゴールデンプロヴァーに猛然と競りかけていく。そして向こう正面で々と先頭に立ったシガーは々と走り続け、結局2着ゴールデンプロヴァー8身差をつけて圧勝してしまった

後世から見ればこのレースで大記録に火がついた(シガーだけに)のだが、同コースで行われた次走のNYRAマイルHでシガーが人気になることはなかった。何しろこのレースメンバー構成はそれなりにだったのだ。

これらのメンバー相手では、流石に前走圧勝とはいえ重賞ですらないシガーは12頭立ての6番人気止まりであり、斤量もトップハンデのデヴィルヒズデューから6kgほど軽かった。

ヴィルヒズデューの戦でもあったスミス騎手は当然同を選択し、対するシガーはこの後引退までの相棒となるベイリー騎手が2度の騎乗となった。
スタートが切られると、シガーは逃げたバートランドを見るように好位4番手で追走。向こう正面でくも先頭を奪うと、直後につけていたデヴィルヒズデューのスミス騎手も前走でシガーはタダ者ではないと勘づいていたのかそれをマークするように進出したが、3コーナー辺りから差は広がる一方。直線に入ったときには既にほぼ勝負はついており、なんとデヴィルヒズデューを7身もちぎり捨てて圧勝し2連勝。人々からは「こんなに強いだったとは!」という驚きとともに称えられた。

5歳(1995年)シーズンは始動戦を何事もなく勝って3連勝とし、2月ドンH(1800m)に挑戦。ここでは単勝1倍台の支持を集めたGI6勝の前年年度代表Holy Bull(ホーリーブル)が最大の強敵として立ち塞がり、シガーは2番人気ハンデホーリーブル127ポンド(約57.6kg)、シガーは115ポンド(約52.2kg)となった。
迎えたレースは内だったシガーが逃げを身上とするホーリーブルハナいて逃げ、ホーリーブルがそれに並びかけて並走気味に進む展開となったが、ホーリーブル不運にも向こう正面で競走中止。これでシガーは独走となり、結局5身半差をつけて4連勝を達成した。
一方のホーリーブル競走喪失級の故障であり、これを最後に引退。シガーの4連勝よりもホーリーブル引退のほうが騒ぎになるという、ダンツシアトル宝塚記念(奇しくも両方とも95年である)のようなレースとなってしまった。

次走のガルストリームパークH(2000m)では逆にシガーがトップハンデを背負う立場となったが、斤量差が最大でも3kg程度ではハンデいも同然であり、本来のスタイルである先行抜け出しを披露してあっさり5連勝。前年のBCクラシック勝ちConcern(コンサーン)、GI6勝Best Pal(ベストパル)とそれを前走で破ったUrgent Request(アージェントリクエスト)、8連勝中のSilver Goblin(シルバーゴブリン)など相手が一気に強化され、ハンデ差もほとんどくなったオークローンH(1800m)では仕掛けどころで同じような位置にいたシルバーゴブリンの騎手が入れたムチが顔面に当たるというアクシデントを物ともせず、6連勝でGI4勝。負けることを忘れたかのような走りを披露し続けるシガーの走りはこの辺りになると相当なものと気づかれ始めた。

BCクラシックへ

5月ピムリコスペシャルH(1900m)ではデヴィルヒズデューとコンサーンとの再戦となったが、両との斤量差がたったの1ポンド(約0.4kg)では負けようがなく、デヴィルヒズデューらを子供扱いして逃げ切り、々と7連勝。敗れたデヴィルヒズデューはこれを最後に引退となった。

次走は3年前に財政難からリニューアルオープンしたボストン郊外サフォークダウン競馬場が実を呼ぶために用意した高額賞レースであるマサチューセッツH(格付けし)となったが、賞だけが売りと言って差し支えないようなレースだったためメンバーも大したことがなく、あっさり好位から抜け出して8連勝を達成。格付けしのレースではあったが、これまでで最も高い1着賞65万ドルを獲得した。

続けての自宅がある西海に遠征してハリウッドゴールドカップ(2000m)に出走。遠征初戦で当然トップハンデ、しかも相手には再戦となる強のコンサーン、ベストパル、アージェントリクエストが含まれていたため一筋縄では行かないように思われたが結局好位からの抜け出しといういつも通りの競馬を見せ、前年のシフィッククラシックSの勝ちTinners Way(ティナーズウェイ)に3身半差をつけ9連勝東海へ戻っての初戦となるウッドワードS(1800m)は定量戦のため「こんなのと同じ斤量で走らせて勝てるわけねーよJK」ということで回避が続出して結局6頭立てとなり、何の問題もなく3番手からなりで抜け出し10連勝

次戦のジョッキークラブゴールドカップ(2000m)も定量戦だったが、ここではシガーに最後に勝った相手のアナカウティフォー(前々走ホイットニーHを制してGIとなっていた)、前年のチャンピオンSの勝ちDernier Empereur(デルニエアプルール)、そして何と言ってもこの年の二冠で、トラヴァーズSも勝っていた3歳トップクラスであるThunder Gulch(サンダーガルチ)などの強敵がい、特にシガーとサンダーガルチに関しては「勝った方が今年の最強」「このレースで年度代表が決まる」とまで言われた。

そしてシガーが単勝1.35倍、サンダーガルチが単勝4.05倍、残りの5頭は全て単勝10倍以上という一騎打ちムードの中でレースが開始。シガーはサンダーガルチと並んでいつも通り好位からレースを進め、直線入り口で先頭に立つと、追い込んできたアナカウティフォーデビュー戦大敗以来の湿った馬場に苦しみながらも1身退け、11連勝を達成した。
一方のサンダーガルチはどうしたかというと3コーナー々に失速し、シガーから15身も離された5着。更に左前脚の故障が判明し、そのまま引退してしまった。ホーリーブルサンダーガルチは共にシガーとの初対決で故障引退という格好になったが、これが単なる偶然なのか、それともシガーとり合ったことで限界えてしまったからなのかはもちろん不明である。

さて、この年の締めくくりとしてシガーはベルモントパーク競馬場で行われたBCクラシック(2000m)に挑戦。アナカウティフォーや前年覇者コンサーン、ハリウッドゴールドカップ2着の後にシフィッククラシックS2連覇を達成したティナーズウェイも出走してきたが当然有はそれらだけではなく、

など、錚々たるメンバーった。それでもシガーは単勝1.7倍の1番人気だったが、あいにくレース前にが降り続いて馬場が重くなり、稍重馬場でも苦労したシガーにとっては大苦戦が予想され、出走取消まで検討される事態となった。

しかし蓋を開けてみると、シガーはハイペースの3番手から3コーナーで仕掛け、4コーナー辺りではもう先頭。そのまま美しいフォームで伸び続けるシガーは後続の追い込みを楽々抑え、「Racing Superstar!」という実況の賛辞に迎えられながら12連勝ゴールを通過。レース史上初めて2分のを破る1分5958(重馬場での2分切りは未だにこれが一)という時計叩き出すおまけ付きの、本当に出走取消が検討されたのか疑いたくなるような好内容での勝利だった。

5歳シーズンはGI8勝を含む10戦10勝という璧な成績で、年間獲得賞サンデーサイレンスが持っていた北記録を更新する481万9000ドル。エクリプス賞では最優秀古に選出され、306票中304の圧倒的支持を集めて、メリーランド州産としては1939・40年のChalledon(シャルドン)以来史上2頭となる年度代表にも選出された。満票じゃないのが不思議なくらいだ。
だけに留まらず、ポールソンは最優秀、モット調教師は最優秀調教、ベイリー騎手は最優秀騎手に選出された。

第1回ドバイワールドカップ

6歳となった1996年2月ドンHから始動。今度はシガーがGI8勝・BCディスタフ2年連続2着の名Heavenly Prize(ヘヴンリープイズ)らに5kg以上のハンデを与える側となったが、それでも単勝1.2倍の断然人気となり、レースでは3番手から3コーナーで仕掛けて先頭に立つと後は々流すだけという余裕の勝利で同競走連覇を達成、13連勝となった。

しかし、シガーはこのレース中に右前脚の蹄を傷めてしまっていた。このため調教も行わずにしばらく休養していたのだが、次走は思わぬところからやって来た。

この年、ドバイでは総賞400万ドル、1着賞240万ドルという世界最高賞レースドバイワールドカップが創設されており、シガーは催するモハメド殿下からその第1回の玉として招待を受けたのである。負傷により調教を休んでいたシガーは当然万全ではなかったのだが、営は果敢にもこれを承諾。かくして営は、名前の由来となったチェックポイント「シガー」を経てドバイへ渡った。

迎えたレースはBCクラシックで2着だったL'Carriere(ルキャリエール)やソウルオブザマター、ホーリングといった再戦となる相手に加え、前年のキングジョージでラムタラの2着となった後にチャンピオンSを勝ったPentire(ペンタイア)、豪州GI5勝のDanewin(デーンウイン)、そして日本からは前年にダート重賞6連勝を達成したライブリマウントが参戦、これらを含めた全11頭立てで争われた。そしてレースはいつも通りの好位抜け出しで押し切ろうとしたところを勢いよく追い込んできたソウルオブザマターに並ばれたが、そこからおよそ300mにも及ぶ叩き合いを凄まじい根性でぎきって辛くも14連勝。着差は16連勝中はおろかキャリアを通して勝った全19戦の中でも最もギリギリとなる半身差であった。

この戦を切り抜けたことで、「斤量が軽い」「レコード勝ちがない」「接戦を経験していない」ということでシガーを歴史的名の1頭に数えることを疑問視していた古参の関係者は黙り込むしかくなり、ドバイWCというレースもこの一戦によって一気に際的な注を集めることになった。

歴史的記録への挑戦

バイWCを勝って帰したシガーは称賛とともに迎えられ、シガーを競馬場に呼び込もうと各地の競馬場の誘致合戦が加熱。シガーが出走するレースでは賞を増額すると発表した競馬場が相次いだが、結局帰初戦は前年も勝ったサフォークダウン競馬場マサチューセッツHに決定。大したメンバーが出てこなかったのは相変わらずだったためシガーの斤量は130ポン(約59kg)となり、他より7~10kgほど重い斤量となった。しかし蓋を開けてみると酷量を考慮して抑え気味の競馬をしても十分であり、ちょっとゴーサインを出しただけで後はなりのまま圧勝。危なげなく15連勝を飾った。

こうなると不滅の大記録であるサイテーション16連勝が意識されるところであった。16連勝に挑戦するのは連覇がかかる6月ハリウッドゴールドカップの予定だったが、軽度の負傷のためこれを回避。代わって記録立を賭けて挑んだのは、アーリントンパーク競馬場が特別に企画した7月13日レース、その名も「アーリントンサイテーションチャレンジ」だった。

このレースはとんでもない大盤振る舞いだった。願いましては1着賞75万ドル、2着15万ドル、3着8万2500ドル、4着4万5000ドル、5着2万2500ドル、更に普通は賞が貰えない6着以下のにも一5000ドルときたもんで、て総賞1075000ドルという、同競馬場最大のGI・アーリントンミリオンの出血大サービス。このためこそはという強が集い、中でもBCジュヴェナイルロリダダービーを勝った3歳Unbridled's Song(アンブライドルズソング)は前走に続いて130ポンドを背負ったシガーから5kgほど軽い斤量だったこともあって対シガーの最有補となった。

16時44分。全TV中継され、アメリカ中の競馬ファンが固唾を飲んで見守る中いよいよ大記録への挑戦のゲートが開くと、シガーはアンブライドルズソングと並んで5~6番手を追走。ゴーサインが出るといつも通りの快な進出を見せ、逃げていた2年前のBCクラシック3着Dramatic Gold(ドラマティックゴールド)に4コーナーで並びかけてそのまま先頭を奪うと後は突き放す一方。大歓に包まれる中で直線を突き抜けて見事16連勝を達成し、45年ぶりに大記録に並んだシガーとベイリー騎手にはおよそ20にもわたる拍手采が送られた。

連勝の終焉、そして引退

歴史的記録に並んだシガーは17連勝という新記録をして西海に飛び、1ヶ後のシフィッククラシックS(2000m)に参戦。相手は対戦経験のあるティナーズウェイ(本競走3連覇がかかっている)とドラマティックゴールド、シガーが挑戦予定だったハリウッドゴールドカップを4連勝で制したSiphon(サイフォン)など5頭がいたが、このレースは定量戦だったためシガーの優位は疑いようがなく、シガーの単勝オッズはなんと1.1倍。まず間違いなくシガーは17連勝を達成するだろうと思われていた。

しかし、競馬に絶対はかった。1ハロン均11台、1マイル1分333という殺人的なハイペースで逃げたサイフォンを深追いしたシガーはお釣りくなってしまい、4番手でマークしていたサイフォンの同厩のブービー人気Dare and Go(デアアンドゴー)に直線入り口で一気に交わされて3身半差の2着。連勝は16でストップし、デアアンドゴー営が喜びを露わにするのとは対照的に、シガーの17連勝を見に来た多くのファンはお通状態となってしまった。ベイリー騎手はハイペースを深追いして敗因を作ったと非難を浴びたが、2年間にもわたる遠征続きでの疲労や治していなかった蹄にも敗因はあった可性は否めないだろう。

さて、巻き返しを狙ったシガーはウッドワードSに出走。ルキャリエールサイテーションチャレンジ3着Eltish(エルティッシュ)、そして6連勝中のSmart Strike(スマートストライク)などが相手となったが、前走の反を活かして少し離れた4番手から4で先頭を奪うとあとは突き放す一方。2着ルキャリエールに4身差をつけて連覇を達成し、健在をアピールした。

次走ジョッキークラブゴールドカップでは前走の復活で印を強めたことから、プリークネスSの勝ちLouis Quatorze(ルイカトルズ)、ベルモントSの勝ちEditor's Note(エディターズノート)、両競走2着Skip Away(スキップアウェイ)などの3歳強勢を相手に単勝1.2倍の支持を集めるも、迎えたレースではルイカトルズとスキップアウェイが大逃げを打つ展開となり、そこから抜け出したスキップアウェイをアタマ差捉えきれず2着。スキップアウェイはこの後新たな米国最強へ登り詰めることとなる。

そしてシガーは33戦ラストランとして、この年はカナダ・ウッドバイ競馬場で行われたBCクラシックに出走。デアアンドゴー、ルイカトルズ、エディターズノートドラマティックゴールド、ドバイWC5着Tamayaz(タマヤズ)という対戦済みのメンバーに加え、前年の2000ギニー2着Atticus(アティキャス)、トラヴァーズSを勝った3歳Will's Way(ウィルウェイ)、この頃はまだシルバーコレクター止まりだった日本タイキブリザードなど12頭のライバルが顔をえた。そして単勝1.65倍という前年以上の支持を集めて迎えたレースでは中団から3コーナーで仕掛けるいつも通りの競馬となり、直線では地元の有Mt. Sassafras(マウントササフラ)、重賞5勝Alphabet Soup(アルファベットスープ)、そしてルイカトルズと4頭並んでの熱い叩き合いを展開。着差が上からハナ・アタマ・1/2身という僅差のゴールとなったが僅かにアルファベットスープルイカトルズを抑え込んでの初GI制覇となり、シガーはその2頭に続く惜しい3着。これを最後に競走馬引退した。

合計獲得賞1000万ドルの大台に僅かに届かず9999815ドルだったが、これは当時の立世界記録。この年の年間獲得賞491万ドルも、自身が前年に打ち立てた年間獲得賞記録を更に塗り替えるものだった。そしてエクリプス賞でも最優秀古年度代表を2年続けて獲得。翌年にはガルストリームパーク競馬場にシガー像が作られ、シガーがGI初勝利を挙げたアケダクト競馬場NYRAマイルHはシガーマイルH称された。ブラッドホース社が1999年に選定した「20世紀の米国100選」では18位に選ばれ、2002年には殿堂入りを果たしている。

33戦19勝、GI競走11勝。トップクラスで戦い続け、時に遠くドバイにも遠征しながら16連勝を達成した強さはおそらく永遠に色褪せないだろう。先行からスッと抜け出すソツのない勝ち方が身上で、滑らかに加速するレースぶりと並んでも簡単には抜かせない勝負根性が持ち味だった。そして経歴からも分かる通りタフなで、連戦も輸送も厭わなかった。見たと裏なのは馬場適性だけではなかったようである。

4歳中頃まで泣かず飛ばずだったとは思えない躍進ぶりは、に適切なレースを選んであげることの大切さと難しさを教えてくれる。日本で言えばタマモクロスのような成り上がりは上昇志向の強いアメリカ人に強に訴えたらしく、その人気は凄まじいものがあった。引退レースの1週間後にニューヨークで特製のトラックに乗って引退記念パレードが行われ、引退式が行われたマディソン・スクエア・ガーデンには1万6000人ものファンが詰めかけて別れを惜しんだというから、下手な人間アイドルアイドルホースだったことが伺える。

余生

数々の記録を手土産引退したシガーだったが、世紀の名の産駒に期待していたのは当然ファンだけでなく生産者も同じであり、引退後は日本を含めて世界で誘致合戦が繰り広げられた。最終的にアイルランドの大勢クールモアが権利の75%を取得し、2500万ドル(当時の日本円で30億円)ものシンジケートを組まれて種入り。そしてクールモア運営するケンタッキーアシフォードスタッドで種生活をスタートしたシガーは初年度の種付け料を7万5000ドルと設定され、34頭のを集めたものの……この34頭がただの1頭も受胎しない

流石におかしいということで慌てて検してみると、なんとシガーは精子であることが判明。クールモア側の損失は保険で補填されたものの、2年間の治療もむなしく、遂にシガーは1頭の産駒も残せないこととなってしまったのである。これほどの名の産駒が、それも予後不良になったわけでもないのに得られないというのは間違いなくファン心理としても生産者心理としても競馬界にとって甚大な損失だった。ちなみに精子症になった原因は現在に至るまで判明していない。

遺伝子を残すを閉ざされたシガーはケンタッキーホースパークに移住。同地でシガーが達成できなかった数少ない記録である満票での年度代表を獲得した当時一のであった[5]ジョンヘンリーと並ぶ人気者となったシガーは全から訪れる多くのファンと触れ合いながら穏やかな余生を送り、2014年10月8日に24歳で静かにこの世を去った。

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脚注

  1. *その前年も2位入線したが進路妨で9着降着となっている。
  2. *当初はポールソンの妻のマドレーヌ夫人の名義だったが、後にBCジュヴェナイルフィリーズを勝ったEliza(イライザ)と交換する形でポールソンの名義となっている
  3. *日本で言うJRA賞で、1971年発足。概ね日本と同じような構成だが、
  4. *関係者表JRA賞と同じ騎手・調教師・見習騎手の表に加えて最優秀・最優秀生産者の表がある。
  5. *後に2015年三冠馬アメリカンファラオが満票で年度代表を受賞している。

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